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名前のない怪物  作者: 黒木京也
続章ノ三 強襲する悪夢
165/221

47.蛇性の淫

 地面の味を舌に感じた時、僕は既に指一本も動かせない状態になっていた。

 空中から自由落下し、地上へ叩き落とされた時に感じたのは、全身に絡み付くような鱗混じりのヒヤリとした肌。そして、背後から僕を抱き締めたまま、興奮したように小さく喘ぐカイナの声だった。

「やったぁ、一人で出来ました。ご主人様、カイナは頑張りました……!」

 熱のこもった息を吐きながら、カイナは白い指を僕の頬へ這わす。回すように指で弄んでから、次はまるでマッサージでもするかのように、僕の耳をフニフニと揉みはじめた。

「……ご主人様って、あの、桜塚さん?」

 状況を確認する。下半身を再び蛇に変えたカイナは、獲物を捕らえたとばかりに僕を容赦なく、今も締め上げ続けてくる。

 常人ならば、間違いなく全身の骨が砕かれ、肉がひしゃげてしまうだけの力。僕がこうして生きているのは、単に怪物として肉体が頑強になっているからに他ならない。

「はい。そうですよぉ。ご主人様、最近お疲れですから。カイナがこうやっていっぱい働いて、楽させてあげないと」

「……そのご主人様、気のせいかな。僕らみたいな怪物を毛嫌いしてるみたいだけど?」

「……っ」

 幸せいっぱいに蕩けたカイナの表情が、一転して凍りついたものになる。時間稼ぎ。もとい打開策を模索するために切り出した話題だったが、思いの他、カイナのよくない部分を突いたらしく、彼女の顔がめぐまるしく色を変えていく。

 絶望、憤怒、悲哀、嫉妬、困惑。

 読み取れる限りでは、この辺の感情が、カイナのなかで渦巻いているかのように見えた。

 締め付けが、少しだけ緩む。動くなら今か。そう思ったが、我慢する。〝直感〟だけれども、この子もまた、僕と同じように複雑な環境で生きている。

 リリカは言っていた。強襲部隊の怪物達はすべからく、何らかの事情で付き従っていると。桜塚さんを長く見ていた訳ではないけれど、少なくとも怪物に対していい感情を持っていない事は分かる。そんな人が、怪物を傍に置き、なおかつ慕われている。その姿が、どうにもアンバランスというか、違和感が拭えなかった。

「……ご主人様は。ご主人様はカイナがいないと、生きていけないから。そういう身体に、カイナ達がしちゃったから」

「……身体に? まさか、桜塚さんも……?」

「違います。あれはもう、そういう身体なんです。いでん……だったかな? カイナとご主人様の家族は、ずうっとずうっと昔から、〝絡み合って〟生きてきましたから」

「……なに、を……?」

 言っている意味がわからず、僕が戸惑っていると、カイナは寂しげに笑いながら目を伏せる。

「……ご主人様の為にカイナはいるんです。どんなことだってしてみせます。……余計な詮索は止めてくださいね? 君に話すことなんてないの。君は今から……カイナのお腹の中に逝くんですから」

 ゆっくりと、カイナの顎が広がっていく。目だけはこちらを虚ろに眺め、人間ではあり得ないサイズにまで口を開ける様に、僕はいつかの夜を思い出す。

 彼女に喰われたあの夜だ。迫る血染めの唇と、僕の肉片や骨が優しく噛みほぐされていく、おぞましい音を僕は今でも昨日の事のように思い出せる。

 怖くて。痛くて。だが、それ以上に抗いきれぬ快楽があって。喉を鳴らし、嬉しそうに僕を味わう彼女から目を離せなかった僕は文字通り、あの夜に怪物になったのだ。

「動けませんよね? まぁ動かさせはしませんけど」

 裂けた口吻が、僕の頭を優しく包む。ぬるついた舌が顔面を撫でた時、僕の目の前は、カイナの赤い喉奥にあった。

 身体は、やはり動かない。多分蜘蛛に変化しないように絶妙な塩梅で身体を巻き付けているのだろう。

 蛇の拘束は、筋肉の一つ一つを敏感に察知し、その動物が動けなくなる最適の位置に身体を入れ換え続け、締め付ける。恐らくカイナも、そういった形で僕が蜘蛛に変身したり、身体の一部を変化させるのを防いでいるのだ。

 熱い唾液が分泌され、肩まで呑み込まれた僕の肌を濡らしていくと、痺れるような痛みが走る。多分これが全身に塗布されると、多分僕はいよいよ動けなくなり、彼女が言うようにただの食料となって摂取される。胃に放り込まれ、ゆっくりと溶かされていくのか。

「んっ、ぐ、んむっ」

 カイナが呻いているのか、口内が不気味に蠢いている。僕に戦いを焚き付けた洋平も、まさか今こんなことになっているとは思うまい。

 自然界での闘争は、殆んど先手を取った方が勝つ。前に汐里はそう言っていた。僕ら怪物は、互いに非常識な威力を秘めている。それこそ自分の土俵に引きずり込めば、そのまま勝ててしまうだろう。先手を取られ、腕の鉤爪も、身体の変化も抑えられたら、後は食べられるのみ。即ち僕の負け……。


「と、言うとでも思ったかい?」


 身体は動かず。だが、カイナは気づいていない。手足が封じられても。身体が痺れはじめても、まだ僕の意識はこうしてあり、現に口もきけるのだ。彼女が防ぐのは、あくまでも目に見える怪物の力。蜘蛛ならば、手足を止めればいい。そう思っていたのだろう。だが、彼女は知るよしもない。泥臭い戦い方というやつを。進化していくのは、僕のつがいだけではないのだ。

「ん……んごっ!? んんっ、ぐむぇえ!?」

 肩まで呑まれていた僕の身体が、カイナの痙攣に合わせて停止する。明確な僕の攻撃により、彼女は目に見えて苦しみ悶え、むせ込み始めた。

 拘束が完全に緩む。酸素を求めて僅かに口を開けたのに合わせて、僕は背中に蜘蛛の脚を展開。両顎をかち上げ、落とし、僕は湿り蒸した世界から帰還した。

「――っ、はっ!」

 新鮮な酸素を取り込み、僕の口から無意識な喚声が漏れる。

 二、三歩後方に飛びながら、僕は両手を一振りし、ようやくいつもの服を身に纏う。

 口の中が、いやにねちゃねちゃする。前々から出来るかもしれないと試みていた攻撃手段が、ここにきてようやく実現した。

 考えていたのだ。蜘蛛はお尻から糸を出す。が、僕らは手から。時には背中に生やした蜘蛛脚から出している。蜂もまた、腹部から針を出すが、リリカ達は手を蜂の腹部にも変えていた。肉体の一部を完全に自由とはいかずとも、生物の器官として再現できるならば、何とかすれば今使っている場所以外からも、糸は出せるのではないか。例えば……。

「えほっ……ん……なにこれ、苦いです。喉に貼り付くし……んえっ」

 口から白い塊を吐き出しながら、カイナが涙目で身をよじる。簡単には取れないだろう。僕が彼女の口内にぶちまけ、撒き散らしたのは、ありったけの蜘蛛糸のシャワーなのだから。

 呼吸困難や窒息すら起こせるように容赦なく放出したが、彼女の防衛本能の方が先んじたのか、彼女は僕を解放せざるを得なかった。

「口から……糸……出せるなんて聞いてない……です」

「意外と戦闘慣れしてないのかい? 口から火を吐く変な生き物だっているんだよ?」

 僕がそう言うと、カイナは忌々しげにふくれ面を見せながら、指を口に突っ込み、残された糸をゆっくりと掻き出し始める。

 それを見ながら、僕はますます強襲部隊についてもっと詳しく知る必要があると決意した。

「聞いてないって言ってたね。僕らの事を知ってるの?」

「怪物の存在は、認知されつつあります。貴方達はかなり纏まった研究記録が残された稀有な例です」

「……記録、ね」

 僕が怪物になった場所。楠木教授の実験棟から持ち出されたものに違いない。ということは、やはり強襲部隊の裏には。あるいは協力者には、あの男……松井さんがいると見ていいだろう。

 僕らの情報を流せるとしたら、彼しか考えられない。

 脳裏に狂ったように笑う松井さんの姿が思い浮かぶ。かつて、叔父さんの友人にして、職場では鑑識を勤めていた男。だが彼は今や、怪物に恐怖し。魅了され、魂を捕らわれた。絶大な好奇心と前職の技術を武器に、今は怪物達の秘密を追い続けているという。

 そして……。


「質問だ。君は……山城京子を。あるいは松井英明って男を知ってる?」

「やま、じょー? ……なんの話です?」


 京子の墓を暴き、死体を回収した張本人。彼女の遺体は、元を辿れば怪物に取り込まれた上でその中から〝生えてきてみせた〟という、今更ながらとんでもないもの。目的は不明だが、何らかの実験材料になっている可能性が高く、それならばリリカ達曰く、怪物達を隷属させている強襲部隊ではないか。そう踏んだのだが、どうやら違うらしい。

「あ、でも、松井さんなら知ってます。私達の上司ですから」

 もしかして、松井さんも強襲部隊とはなんの関係もないのか? 思い始めた矢先、その告白が僕に災厄を知らしめた。

「上……司?」

「はい。……っ、ぺっ! やっと取れましたぁ……」

 僕が事実を受け入れている間に、カイナはようやく糸を取り除けたらしい。舌なめずりしながら、彼女はギラついた目を僕に向ける。

「おしゃべりなんかするからですよ。カイナが苦しんでる時にとどめを刺せば良かったのに。甘い人ですね」

 蛇の下半身をくねらせながら、カイナは再び身体を持ち上げる。鎌首をもたげたかのような仕草に、僕はただ彼女を見上げる。甘いって、僕の事だろうか?

「いや、もういいよ。君の動きは、大体わかった」

「……何を――言っているんですかぁ!?」

 稲妻のように、蛇が迫る。僕はそれを静かに横へステップするように回避する。

「――っ? こ、の――!」

「左から噛みつき。これはフェイント。本命は下半身による鞭。から巻き付き――!」

 跳躍、蜘蛛糸で樹上に。そこから急降下で鉤爪と思ったが、そこでうなじにざわつきを覚えて急停止。別の手で糸を出し、その場で横回転する。

 背後からは……銃声がして、さっきまで僕がいた所の土が、豪快に弾けとんだ。

「っ、ちょこまかと……逃げないでくださいよぉ!」

「巻き付き、から頭突き。右から。と、みせかけ左……も、フェイント。本命は抉り込むように下から――鳩尾狙い」

「あっ……」

 ワンアクションであっさりと攻撃をかわされたカイナの目に、明らかな狼狽と焦りが見える。

 再び飛んでくるであろう銃声に警戒し、近場の木を盾にしながら、僕は神経を研ぎ澄ませる。

 超感覚。動物的な勘とでもいうべきそれは、生きているものの波長や行動をある程度予測出来る。人間がハエを叩いて殺そうとしてもあっさりと逃げられる事が多いのは、個体差はあれど人間よりもハエの方が危機察知能力に優れているから。

 僕の能力も、それに似ている。危険な場所を瞬時に看破し、相手の行動や思考を読む。

「君と桜塚さんはコンビだ。君が抑えて、桜塚さんが殺す。合理的だ。――でも、それは開拓者(パイオニア)が機能していればの話だ!」

 暗がりで、目を凝らす。銃声の正体は桜塚龍馬。彼は……いた。三時の方向。木の後ろ。

 僕は口を大きく開け、両手を広げる。

 糸を張り巡らせ、一瞬で桜塚さんの背後に回る。彼は直前で気づくやいなや、開拓者(パイオニア)ではなく、サバイバルナイフを引き抜き、応戦してきた。

「っ!」

「の!」

 短い声と呼吸の応酬。避けるより、傷を負うより優先すべき対象。パイオニアを鉤爪で叩き落とし、そのまま糸に絡めて適当な方向へ放り投げる。代償にナイフが深々と肩に刺さるが、問題ない。一撃で命を刈り取る怪物殺しの方が、よっぽど危険だ。そう、判断したのだが……。

「……、ぐ、あ……」

「油断した。いや、銃の方が厄介だと判断したか。だが、残念。このサバイバルナイフもまた、怪物殺しだ」

「オリーブ、オイルを……!」

 久しく忘れかけていた虚脱感が僕を襲う。手が上手く上がらないので、そのまま桜塚さんの手に噛みつけば、彼はあっさりとナイフを手放し、僕から距離を取る。脱力は、全身に広がっていく。それに抗いナイフを引き抜けば、再生が阻害された傷口から、血が噴水のように吹き出した。

「……銃だけが武器と思うな。怪物を相手にするんだ。体術も覚えがある。もっとも……、君に披露する暇はなさそうだ」

 桜塚さんがサングラスをゆっくりと取り外す。何も映さないかのような冷たく無機質な目が僕に向けられている。

「――カイナ」

「はい、ご主人様」

 ぬるりと、再三僕の身体に蛇がのし掛かる。白い手が僕を抱き寄せて、顔が慎ましやかな乳房の谷間に誘われる。

「おとなしく、してくださいね。ご主人様が、楽にしてあげます」

 耳元を、甘やかな囁きを擽る。うなじがざわついて、背後から桜塚さんの気配が近づいてくる。

収穫者(リーパー)で眠っているうちに、全て終わらせてやる。君も、君のつがいもね。安心しろ。唐沢汐里も、すぐに合流するだろうよ」

 開拓者(パイオニア)を回収された。いや、そういえば、桜塚さんは殉職した刑事さんから、もう一丁回収していた。多分、それを使う気なのだ。

「ん、ぐっ……」

「あんっ。もー、口モゴモゴはダメですよぉ? カイナの締め付け、イイですかぁ? 今度は……口すら開けさせませんよ?」

 そうらしい。もはや指一本すら動かせない。

 恐るべき蛇の拘束力に戦慄しながらも、僕は内心で安堵していた。

 コンマ一秒、間に合った。この能力は、身体を動かす必要はない。

 ただ単に、念じればいい。開拓者を投げ捨て、ナイフでカイナを刺せ……と。

 柔らかな肉を引き裂く音は、すぐに訪れた。

「あ、え……? ご、ご主人様ぁ? なんで、なん、でぇ……?」

 悲しげなカイナの声と共に拘束が緩む。僕はそれを見逃さず、目の前のカイナの肉に〝噛みついて〟体液を送り込む。

「痛っ……何を……!」

「僕を離せ。そして、君のご主人様に巻き付け!」

 シュッ、と、風が唸る。僕は自由を取り戻し、振り向けばそこに、桜塚さんに絡み付くカイナの姿があった。

「貴様っ……! まさかさっきのは……!」

「ほんの一瞬だったから、貴方相手には効果は数秒でしたけど……この状況ならそれだけで充分だ」

 身体機能の剥奪。怪物が僕によく行使する力だが、こんな使い方も出来るのだ。カイナにはたっぷり噛みついたから、暫くは操れるだろう。それこそ意のままに。

 落ちたオリーブオイル付きのナイフを拾い上げる。まだ効力はあるかどうか、試してみよう。

 取り敢えず、巻きついているカイナの上から蜘蛛糸でぐるぐる巻きにし、今度こそ完全に拘束する。

 射殺さんばかりに此方を睨む桜塚さんと、何故か顔を赤らめ、「はうぅ……」と、トリップしながら彼にしなだれかかるカイナの対比が少しだけ可笑しかった。


「体術に覚えがある……か。確かに、披露される暇もなかったね」


 うなじに今度は優しくも軽い痺れが走る。後ろから香るのは、僕が知る少女の怪物と、蜂の女王だった女の子の匂いだった。

「あら、終わってたのね」

「レイ、よかった……」

 ふわりと身体が引き寄せられ慣れ親しんだ感触に全身が包まれ、暖かさが広がっていく。さっきまでカイナと同じような状況だったのに、こうも心の感じ方が違うのは、やはり僕が彼女に囚われているからなのだろう。

 だってこんなにも安らぎが……。


「……そこの女の匂いがする」

「はへ?」


 もたらされると思っていたのだが、それはあっさりと覆された。上書きしなきゃ。という、ゾクリとするくらい低い声がして。その瞬間、怪物は僕の首筋に吸い付いた。

「ちょっ、待っ……」

「ダメ」

「いや、だから……」

「ダ・メ」

 舌が、唇が、歯が、僕を蹂躙する。最後に聞いたのは、「お姫様、早めに済ませてね」という、リリカの呆れたようなため息だった。

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