45.地上へ
「取り敢えず君、正座」
僕がそう言えば怪物は素直にその場にちょこんと腰掛けた。不思議そうな顔で上目使いに此方を見上げてくるものだから、危うく許してしまいそうになるが、僕はそっと堪えて片手を上げた。
「これ。君は何て言った?」
「つよくなる、おにく」
もう一度。僕は片手に持ったものを見る。蜘蛛糸で作ったタオルに乗せたそれは、禍々しい黒。プルプルと振動が伝わる辺り、生きてるんじゃないかと錯覚するが、僕の感覚が危険はない。と告げている。つまりこれはまさに物言わぬ肉塊と言う事になる。
肉と言うより、餅に見えるが、それは気にすまい。些細な違いだ。
「君はこれをどうしようとした?」
「たべる」
「……僕はさっき、君になんと言っただろう?」
「……あたまを使おう」
「うん、確かにそれも言ったけど、もう少し前」
「……おちつこう?」
「そう。僕はそう言って……」
「だからアイツを倒したから、これでおちついて食べれる」
「違うよバカァ! 落ち着いてない上に頭も使ってないっ!」
「……あごはつかうもん」
「変な理屈はいいよ!」
兎に角コレは没取! と、言う僕に、怪物は不満げに口を尖らせた。
「それがあれば、もっと……」
「ダメだ。さっき洋平の話は聞いてたろ?」
「もう覚えてないもん。てか、よーへー。って何?」
「あー、もう、こいつは……!」
頭をかきむしりながら、僕は顔を別のところへ向ける。
少し離れた所には、リリカが膝を抱えるようにして座り込み、じっと銀色のドックタグを眺めていた。たしか、あの黒タールが首から下げていたものだ。
「リリカ?」
「…………あ、うん。なに? 夫婦喧嘩はおしまいかしら?」
的外れだが反論したらまた面倒な事になりそうなので、僕は何の反応もせず、「洋平はどう?」と、当たり障りのない質問をする。するとリリカは少しだけ悲しそうな表情で、自分の隣に目を向ける。地べたには、手のひらに乗るサイズのそこそこ大きい蜂がぐったりとしていた。
「……消し飛んだ部位が多すぎる。黒タールの攻撃が厄介だったのもあるが、その前に君との戦いでも消耗した上、以降補給がなかったのも痛いな……戦うのは、正直難しそうだ」
肉壁位にはなれるだろうがね。と、最後に洋平が付け足すと「やめてっ!」と、リリカは悲痛な声を上げた。
「リリカは?」
「私も洋平程ではないにせよ、かなり消耗してる。今強襲部隊が来たら……笑えないわ」
「……だろうね」
一度怪物に捩じ伏せられたのだ。そもそもさっきだってかなりふらついていた。怪物は……顔に出さないだけで、彼女もかなりガタが来ていると見ていい。となると戦えるのは恐らく一番消耗が少ないだろう僕のみか……。
「……待って。補給? リリカ。君ら蜂にも、何らかの回復手段があるの?」
僕がそう訪ねると、リリカ何故か苦々しげな表情で怪物を横目に見てから、ゆっくりと頷いた。
「蜂のシステムはシンプルよ。私の栄養源が、他の地球外生命体の肉。基本的に捕らえたら、そいつの精神が磨耗しきり、再生が出来なくなるまで飼い殺すことで、私は身体を維持する。一方で洋平達、眷属の身体の維持には、適当な生命体――これは人間でも構わないわ。その血肉と、私の身体から分泌される、蜜が必要になるの」
怪物が僕の血を栄養源とし、僕は適当な人間の血に加えて、怪物の体液が必要。それと似たような関係だろうか。
どうあっても原種から逃げられないようになっている構図が、何となく歪で、背筋が寒くなるようだった。
「普通の蜂とは違うんだね。基本的に女王が産み、他の蜂はそれを生かす為に働くのに」
「貴方だって、普通の蜘蛛とは違うじゃない。この星の常識で考えるのは止めておきなさい。疲れるわよ? ともかく。私はもう女王の座から引きずり下ろされたから、蜜が出せない。必然的に回復したり、命を維持するにはそこのお姫様の協力がいるんだけど……」
当の本人は、マイペースに正座したまま、僕の服を掴み、くいくい引っ張ってくる。もう立ってもいい? と、顔に書いてあった。現状が複雑かつ悩まし過ぎて頭や胃が痛くなりそうなのに、呑気な事である。
「……うん、現状はわかった。リリカ。蜂になれる? サイズの小さい蜂に」
「……なれるけど、どうして?」
「ドローンは結構引き離した。後は僕が全力で走れば問題ないよ。君は休みつつ、ナビゲートだけしてくれればいい」
洋平をつまみ上げ、ジャケットのポケットに入れる。多少窮屈だろうが、そこは我慢してもらおう。
黒タールの肉は少し迷ったけど、反対のポケットに。汐里なら大喜びしそうだし、叔父さんに渡せば、何か分かるかもしれない。
怪物が喰らい者という存在になった以上、僕には昔以上に情報が必要だ。同様に、多少違うらしくとも彼女が女王蜂でもある以上、リリカ達を今は全滅させる訳にもいかなくなった。蜂について知らねばいけないこともあるし、今後怪物が不調になる場合があるのも否めない。
……こうしてみると、良くも悪くも僕の世界が広くなっているのを実感した。最初は傍にいる存在を守れれば、それだけでよかった筈なのに。今や柵にがんじがらめで……。
「レイ? どうしたの? また、難しいかお」
「……なんでもないよ」
いつの間にか立ち上がり、傍らに寄り添う怪物の頭をくしゃりと撫でる。指通りのいい黒髪が、安らぎを誘うようだった。
半分くらいは君の暴走のせい。なんてチラリと思ってしまったが、大元を辿れば、僕が弱かったのだって原因ではある。
時計の針はもう戻せない。だから、抱えられるだけ抱えて進むしかないのだ。
さながら網を張り、自分の周り全ての世界を手に入れようとする蜘蛛のように。
「行こう。考えるのは、安全な場所に逃げてからでいい」
リリカと怪物がミニマムサイズになり、両肩に乗ったのを確認してから、僕は走り出す。
鍾乳石を踏み越え、跳躍とダッシュを繰り返しながら疾駆していると、すぐそばでリリカはブルリと身体を震わせた。
「……出し抜くつもりはもうないわ。お互い遺恨もあるでしょうけど、今は捨て置きましょう。一蓮托生……とまではいかなくても、私達は貴方達についていくより他にない」
「然りだね。少なくとも対等ではないだろうし。けど、こうなったからには協力してもらう。僕もあの子の今後を思えば、蜂の事情を知る為に、君らを失う訳にはいかないからね」
闇の中を進みながら、僕らは互いを確認しあう。うなじはざわつかない。多分本心からそう言ってくれているのが、何となく分かった。共生関係にしてはいささか奇妙な形ではあるけれど、かくして蜘蛛と蜂は共闘する。
「目下気になるのは、足利に鈴芽、ロボの三人ね。蜂は女王以外は皆平等なのが野生での常識だけど、私達は当てはまらない。洋平もふくめてあの子達は、幹部と言っていい。戦力になる筈よ」
「でも、地上へ行ってるんだろう? それも、人質を取りに。叔父さんに汐里。後からエディも行ってる。ここがぶつかっているのだとしたら……」
幹部の力はわからないけれども、お互いただでは済んでいない筈だ。そこに漁夫の利と言わんばかりに強襲部隊とやらが来てるとしたら……。ブルリと嫌な予感で背筋が凍りついた。
「少なくとも、女王の成り代わりは皆察知した筈よ。本来なら女王は強い個体の気配は離れてても感じられるけど……」
リリカが口ごもったのを目の当たりにし、僕は代弁するように反対の怪物へ何か感じる? と聞いてみる。が、蜘蛛の姿になった怪物は身を震わせて、「レイの匂いがする」と言うだけだった。
「……これじゃ当てにならないわね。いや、わかってたけど」
心底歯痒そうにリリカが項垂れる横で、怪物はというと、今度は僕の耳たぶをガジガジと噛み始めた。蜘蛛の姿でやられるのはなかなか精神にくるようだったけど、それを何とか意識から切り離し、僕は一先ず前を見据えた。
「ともかく。リリカ達は休んでて。しばらくは僕が頑張るよ」
「お願いするわ。王子様」
「おい、オマエの王子様じゃない。レイは私の」
「他は興味ない癖に何でそこだけ突っかかる……イタッ、痛い痛い痛い! 噛まないで! つつくのも止めて!」
のそのそカサカサと肩の上を這い、怪物がリリカの背中を噛む。
ブブブと羽が振動する音と、カチカチと怯えるように大顎を鳴らすリリカが逃げれば、怪物は追いすがり、八本脚でリリカをつつき回した。
君ら人の肩で喧嘩するなよ。と言おうとして……止めておいた。きっとそれを言えば、今度は怪物の標的が僕に変わることだろう。虚ろな眼差しを向けながら、「なんでソイツ庇うの? なんでなんで?」と、呪詛を紡ぐ怪物の姿が簡単に想像できてしまう。
触らぬ神に祟りなしというやつだ。我ながら情けないけども。
そんな事を僕が考えていた矢先、不意に反対の耳がカプカプと噛まれるのを感じた。今度は何だとそちらに目を向ければ、怪物にのし掛かられたリリカが、「あと一つ、教えておく情報があるわ」と、囁いた。
「強襲部隊についてよ。アイツらの構成は聞いたでしょう? もっとも警戒すべきは、ソロ。あるいはコンビや小隊を組む精鋭達」
「雑兵とやらと違うのは、練度だっけ?」
大輔叔父さんがたくさんいる感じかな。と、僕が想像していたら、リリカは「それに加えてもう一つ」と、付け足した。
「さっきの黒タールを思い出して。銀色のドックタグのようなものをつけていたでしょう? あれはね……強襲部隊の精鋭の証よ」
理解が追い付くまでに、数秒を要した。笑えない冗談にも程がある。が、それが嘘や策略の類いでないことが、何となく察せてしまう。
「今までアイツは見たことがなかったから、多分新参者なんでしょうね」
「待って。待ってくれ……。まさか、強襲部隊って……」
考えうる限りで、最悪の事態を想像する。リリカがカシャリと、もう一度大顎を鳴らす。小さな頭が縦に振られる気配がした。
「地球外生命体はね。結構な昔からこの世界に存在していた。未確認生物のニュース。神隠しともいうべき未解決事件。日本で言えば、妖怪や都市伝説の類いも、該当するかもしれない。どれが本物で、どれが偽物かはわからない。必然的に、それらは一部の人間にだけ認知され、その他大勢には秘匿された」
リリカの言葉を聞きながら、僕は随分と昔の事みたいに感じる、ルイとの出会いを思い出していた。
彼は、僕を見ようとした。あの子の幸せを第一に願っていたのは勿論だけど、それと同時に、僕の本質は悪か否かを判断しようとしていたようにも思える。
現に桐原のような例もあったから、尚更に。
こうしてみると、秘匿しようとしていた、先人……怪物と出会った人々の判断は正しかったのだろう。
「隠された中でも、関わったその一部は、研究を続けたわ。下手に繁栄させたら、人類が脅かされかねない。故に、殺す手段を。捕らえる手段を。手懐けあるいは、隷属させる方法を。……結局は内輪での盛り上がりだったらしいけどね。だって本当に最近まで、地球外生命体の存在は、本当に僅かしか報告されていなかった」
蜘蛛とか蛸に、芋虫とか。と、リリカは呟く。
「劇的に変わったのは、年末。貴方も知っているでしょう? 蠢く彗星を。あの後よ。各地で地球外生命体の活動が活発になったのは。私が以前捕らえていた蜘蛛神の男は、あれで地球そのものの環境が変わったのでは? なんて、クレイジーな説を唱えていたわ」
捕らえていたのは、エディの師だろうか。環境が変わるとは確かにぶっ飛んだ話ではあるけど、非常に広範囲で見れば、そういった事は地球上で何度も起きている。例えば人類の出現か。あるいは恐竜の絶滅や、氷河期という奴もそれに該当しているかもしれない。
「ともかく。地球は変わった。そう仮定しましょう。以前はひっそりと動いていた地球外生命体を知るものが、急速に台頭してきた。それによって、銃持ちを始めとした調査する捨て駒が以前より増えることになったわ」
捨て駒という言葉に思わず眉を潜めている中でも、リリカの説明は続く。つまるところ、強襲部隊は、そういった怪物を知るものが集合し、組織した、最古の実動部隊。捕らえられない。だが生かしておくのも危険とした存在や、手に負えない怪物を掃除する為の集団といったところか。調べ、可能ならば捕獲という任務を持つ叔父さんの対策課とは、似ているようでいて全く違うのだ。
「……さて、ここで問題よ。捨て駒達に捕獲された地球外生命体。命を握られた哀れな彼らの行く末は、どのようなものがあると思う?」
「……黒タールが精鋭だって聞いてから、何となく想像はついてきてたよ」
要するに、大輔叔父さんみたいな強い人間が、飼い慣らされたあるいは、奴隷と化した怪物と手を組んでいる。そういう事に他ならない。
リリカ達が恐れる訳だ。戦闘に特化した怪物の特殊部隊。それが、強襲部隊の正体だったのだ。
「人間に捕らえられたと、甘く見てはダメよ。彼らはおのおのの理由で、任務には忠実なの。単純に殺されないためか。あるいは、誰かを人質に取られているか。はたまた、私達みたいに怪物が主食だからか。思想はバラバラだけど、総じて慈悲なんてものは期待できない」
気を付けて。そう囁くリリカの声は、心なしか震えていた。
※
地上に出た瞬間に感じたのは、微かに薫る原生林の匂いと、突き刺さるような殺気だった。
「……最悪だわ。よりにもよって貴方なの?」
大木のうろから這い出した僕らが地上に降りると、暗い茂みを掻き分けるようにして、ゆらりと音もなく、誰かが僕らの方に歩み寄ってきた。現れた存在を確認するや、リリカが疲れたように吐き捨てる。声が少しだけ震えているのは、気のせいなどではないだろう。
「待ちかねたよ」
近所に買い物へ出掛け。そこで知り合いに出会ったかのような気軽さで、その男は僕ら一人一人に顔を向けた。
スーツ姿に、この暗闇だというのにサングラス。叔父さんが連れていた部下の一人。名前は確か……桜塚龍馬。
「俺達もそれほど数がいる訳ではない。小野さんの所へ向かう班と、出口とおぼしき場所に張り込む組……当たりを引けたのは幸運だな。全員外れも有り得る訳だ」
無表情のまま、龍馬は天に向けて開拓者を向ける。銃声と共に発煙筒を思わせる光が狼煙のように空を昇り。もう一度、割れるような響きと共に宙で弾けた。
連絡用の照明弾だろう。此方に仲間がすぐ強行してくるのかわからない。どのみちこの瞬間に賽は投げられた。
「君達に恨みはないが、怪物という存在は害悪だ。故に駆除する。その為に私は怪物を使おう。――来い、カイナ」
その瞬間、僕はうなじに強烈な寒気を感じた。
何かが、高速で此方に近づいてくる。木々を飛び越え、跳躍を繰り返しながら、それは無言のまま。風切る音だけをたてて、龍馬のすぐ傍に着地した。
現れたのは、怪物と年端も変わらぬ少女だった。赤黒いピッチリとしたライダースーツで、線の細い身体を覆い隠している。
月明かりでも映える白い肌は、整った顔立ちを際立てていた。
染め上げたように見える髪は、燃えるような赤。フワフワしたそれは綺麗に束ねられ、優雅なシニョンを作っている。
「生け捕りはいらん。刺し違えてでも全員仕留めろ」
「――わかりました」
カイナと呼ばれた少女は、抑揚のない声でそう答えた。闇の中で光る目は、不自然な光を放つ赤。天然のそれではない。恐らくは髪と同じく、カラーコンタクトで彩りを入れているのだ。
「レイ、サングラスは人間よ。ただ、あの女の子は違う。あれは……〝蛇〟よ。気を付けて」
リリカからその警告が下されたその瞬間。
僕の視界が赤で覆われた。
甘ったるい芳香と共に、顔面へ熱い息が吹き掛けられて――。




