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名前のない怪物  作者: 黒木京也
続章ノ二 女王降臨
157/221

39.蟲の姫君

 怪物はかつて、何もなかった。

 理性も、意志もなく。ただそこにある異形が彼女であり、それに寄り添うように宛がわれたのが、米原侑子という名の少女だった。

 仕組まれた出会いの果てに人と怪物は一つになる。弱者と強者。捕食される側と捕食する側。相反する一人と一匹だったが、二人が共有できるたった一つの要素が、とある青年への慕情だった。

 愛ゆえに共生を選んだ。端からみれば歪な関係性だが、怪物はそれを良しとした。自分がこうして愛する伴侶を得られた切っ掛けは、紛れもなく人間の少女であり、身も、名前も捨てて尚燃え尽きない愛を取り込んだからこそ、自分は心を得たからである。


 いつまでも彼と……。レイと一緒に。

 それが、少女の怪物が願った、細やかな願いだった。

 他には何もいらなかった。レイの有する世界の中で、少女も生きる。

 そう決めたからこそ、怪物は所謂、少しのゆとりを得ていた。


 白いお父さん。

 お父さんを愛した女性(ひと)

 パンツのおじさん。

 変ないきもの。


 レイが守ろうとする存在たち。それらにも歩み寄れるようになったのは、ひとえに怪物が進化したからと、心の内にて密かに生き続ける、少女の存在があったからだ。

 だが、そういった感情の表出は、何らかの要因に揺らぐ可能性も出始めてしまうという、弱点が生まれた瞬間でもあった。

 そして……。それは、天敵の出現と共に、最悪の形で、少女の怪物に襲いかかってきた。


 痛みを越えた痛み。

 深い絶望と哀しみ。

 そして何より、レイと共にいられないかもしれないという、最上の恐怖。


 過去にない窮地に立たされた時、怪物は変質した。

 内なる米原侑子を完全に遊離させ、二重人格に近い形で、今度こそ一人と一匹は、真の意味で共生する。

 掲げる想いはただ一つ。

 自分の世界(レイ)を、守る事。

 その為に二人は共闘し。それでいて、狂うことを厭わなかった。


 守るために戦う。

 その為には、今より強く。

 知らず知らずのうちに配下になった蜂が言うに、共食いは力を手に入れるのに最適らしい。

 勿論それはリスクあっての話であったのだが、怪物には結局、力が重要であり、その話は彼女にとっては、天啓に等しかった。


 私が強ければ、レイを守れる。

 私が強ければ、誰にも邪魔されない。

 私が強ければ……。レイは、私から離れていかない。


 真っ直ぐなのに、何処か歪んだ愛は、彼女の種族としての名前を体現していた。

 蜘蛛の巣まみれの愛――、アモル・アラーネオースス。

 糸は、レイを逃がさない為であり、それでいて、邪魔な虫を絡めとり、ぐずぐずに溶かし喰らう為のもの。

 そうして蜘蛛は……怪物は大きくなる。

 もう誰にも止める術がなくなる程に。


 ※


 ユラリと柳か幽鬼の如く、怪物は蟷螂の死体を踏みつけ、僕らの前に姿を現した。

 口元を上品に抑え、コクン。と何かを飲み込んだ彼女は、僕に火傷しそうな熱視線を向けたまま、微笑んだ。

 まずい。いけない。

 それを目の当たりにした時、僕の直感が囁いた。怪物としての情報が詰まった肉の部位……。確か肉核といったか。リリカのに続き、蟷螂のものも取り込んでしまったのは明らかだった。

「……なぁ、君は」

「レイ。大丈夫。大丈夫だいじょうぶ。ワタシが、私が……(ワタシ)達が守るから……」

 ブルリと、その身体を震わせる。背中に六本の蜘蛛脚が。腰元にはオレンジ色の蜂の羽が広がっている。白い柔らかな少女の手は、蜘蛛の鉤爪に。そして……。その両腕の付け根……肩の辺りからは、左右新たに一本づつ。褐色の禍々しい、蟷螂の大鎌が飛び出してきた。

「なむなむ」

 辿々しい口調で、怪物は拝むように鉤爪を合わせる。それに呼応して、大鎌は上下に手招きするかの如く、妖しく蠢いた。

 一連の動き、蟷螂が攻撃するべく間合いを見計らうようにも、はたまた食事を前にした人間の慣習にも見えた。

「てけてけりりりっ!」

 つんざくような叫びが上げられて、次の瞬間、黒タールが動いた。ぺチャリという液体音と共に、それは怪物の身体を穢さんと躍りかかる。だが、それはフワリと空中に浮き上がった怪物によってあっさりとかわされ、肉が抉り取られた蟷螂の死体を飲み込むだけに留まった。

「……あまり美味しくなかったよ。それ」

 身体をくねらせ、取り込んだ死体の肉を黒タールは器用に剥がし、咀嚼していく。それを見ながら、怪物は本当に僅か。眉を潜めた。

「てけり。……てけりてけ」

 再び震える黒タール。標的は今や、完全に怪物に絞られたようだ。地上でその身を弾けさせ、幾本もの黒い触手に似た捕食器官が露出した。漂う海草を連想させるそれは、一際大きくうねりを上げ、一つ一つが意志ある生き物であるかのように、怪物の方へ殺到した。

「あぶ……!」

 思わず怪物の方へ駆け寄ろうとした僕の目の前に、怪物が放った蜘蛛糸のシャワーが降り注ぐ。

 殺傷力も、対象を拘束する気もないただの吹き付け。汐里曰く、アモル・アラーネオーススにとっての愛情表現だというそれは、言葉にするよりも雄弁かつ強い力で、僕をその場に縫い止めた。

「そこにいて。大丈夫」

 そんな言葉が聞こえた錯覚を感じる。硬直した僕の目の前では、異形と怪物の攻防が続いていた。

「けり! てけりぃいい!」

 うねる触手は、タールのようなものを撒き散らしながら怪物へと迫る。だが、それらを怪物は時にかわし、時に鎌で断ち切り。かと思えば空中の見えない足場に立ち、やり過ごす。

 黒い瞳は、敵の挙動を見逃すまいと、鈍く、恐ろしい光を帯びたまま、対象に向けられていた。

「……蜂の機動力。蜘蛛の応用力。蟷螂の攻撃力。あの黒タールも充分な程に強い筈なんだが……。まさに悪夢のような光景だな」

 頭上から、洋平の声がする。気がつけば、蜂から人の姿に戻ったリリカが、未だに小さな蜂となった洋平を手のひらに乗せながら、静かに僕の隣に着地した。……一糸纏わぬ姿で。

「……避難してなよ」

「舐めないで欲しいわね。元とはいえ、私も女王よ? 戦局くらい見れるわ。あの黒タール、お姫様の相手でいっぱいいっぱいみたいね」

 そう言って肩を竦めるリリカの身体に向けて、僕は軽く腕を振る。採寸完了。取り敢えず、最初に着ていた服を思い出して、彼女の身体に纏わせる。

「あら、ありがとう。このニットワンピ、お気に入りだったの。嬉しいわ」

「どういたしまして。……少しは恥じらいなよ」

「……下着まで。色とかデザインはレイの趣味?」

「適当だよ」

 答える僕に、リリカはクスクスと笑いを噛み殺しながら、再び戦局を見つめる。瞳から感情をはっきりとは読み取れない。が、どことなく憂いが浮かんでいるような気がした。

「……ドローンを振り切った後でよかったわね。こんなの奴等のカメラに収められたら、あのお姫様、最上ランクの駆逐レート行きだったでしょうね」

「指名手配みたいなもの?」

 僕が問えば、リリカは小さく頷く。

「ランクはむこうさん……強襲部隊や、銃持ちがランク付けしているの。人間から見た危険度に従い、下からD、C、B、A。必要に応じてプラスやマイナスも付くらしいわ。更にはその上、Sなんてのもある」

 説明するリリカの横で、その言葉を頭に留めておく。新情報なのだけど、今の僕には最優先すべきものがある。

 鉤爪をもう片方構える。開拓者(パイオニア)が破損したのが悔やまれる。現状、僕が持ちうるどの攻撃手段も効果的でない以上、試せるなら別の手も欲しいところだが……贅沢は言うまい。

「……戦う気? お姫様一人でも」

「生憎、護られっぱなしは趣味じゃないし。ちょっと暴走してる感じは否めないからね。ちょっと止めてくる」

 強くなったとはいえ、得ている攻撃は尽く力業だ。ともあれば、彼女の性質から、最悪捨て身の手段に頼りかねない。相手を食べる気満々な訳だから、黒タールの躍り喰いなんて、笑えない事までしでかす可能性も……無きにしもあらず。

 僕がそう言えば、リリカは何故か微妙に畏怖を交えた顔で、「有り得るわね。凄く」と頷いた。

「ともかく加勢しなきゃ。ほら、言ってるうちにあんなことまで」

「見た目はお嬢様なのに、戦い方本当に泥臭いわよねぇ……」

 飛び交うタールの嵐を全て鎌で撃ち落とし、汚れたらその都度根本から切り落とし、また生やす。まるで使い捨てエンジンをパージするようなやり方は、己の身体への気遣いなど微塵も見られない。再生力が上がっているのか、蟷螂の鎌は燃費がいいのかわからないが、見ていて僕は……。

「……っ」

 息を吐き、止める。超感覚を極限まで尖らせて、奴と彼女の戦いの虚を探す。

 攻防の中の緩み。巻き込まれず、かつ、黒タールの注意を引く。

 切るのがダメなら擂り潰せ。糸で何度も拘束すれば。あるいは、特大の質量で放てば、奴の動きも止まるかもしれない。

 怪物が蜘蛛糸の弾丸を浴びせる。糸は黒タールの身体にへばりつき、奴の動きにもあわせて身体をゆっくりと巡っては、ボチュンという音で排出された。……やはり一番、糸が有効か?

「……正攻法がダメなら搦め手よ」

 そんな中、リリカがすぐ横で歌うようにそう告げた。

 僕がそちらを横目で見れば、リリカは上目遣いで僕を見上げながら、妖艶に微笑んで。

「見たでしょう? アイツは糸を受けて、一度身体のいろんな場所を巡らせてから排出してる。レイが手を使った時、表面が爛れていた。つまりアイツは、口に限らず身体の色んな所で消化が行える。よしんば……行ってしまう」

 紅葉を思わせる小さな手がピストルを象り、リリカはそれを己のこめかみに当てがい、ウインクする。

「レイ、頭を使いなさい。何なら私がお手本を見せる? 多分お姫様は……それで充分な筈よ」

 思いもよらぬ申し出に、僕はリリカの顔をまじまじと見る。「……何か、策があるの?」と問えば、リリカは然りと言わんばかりに頷いた。

「きっと、とびっきりクリティカルなのがね。私達蜂は、元々他の怪物を狩る群体よ? 奴も私達と同じ地球外生命体なら……倒せる筈」

 ニットワンピースの裾が盛り上がり、蜂の腹部が現れる。ピョコンと伸びた触角がストロベリーブロンドの髪に異彩なアクセントを加えていた。洋平も見せていた、蜂の戦闘形態だ。

「ちょっと失礼するわ」

 準備を終えたリリカは、そう告げるなり小走りでその場を離れ、洋平を近くの岩の上に優しく横たえた。

「リリ……カ……」

「恩を売ってくるわ。皆を……貴方を助けるためなら泥水だって啜るし、あんな女王にでも尻尾を振ってやる。だから……」

 もう少しだけ頑張って。潤んだ瞳で洋平を見つめてから、リリカは改めて僕の傍に並び立つ。

「……さっさとここから出なきゃいけないわ。レイはお姫様をなだめる。私はあの黒タール。いいわね?」

「了解。その後のナビゲート、頼んでもいい?」

「嫌って言ってもやらせるでしょ? 貴方達は。王子様らしくふんぞり返るなり、お姫様とイチャイチャしてるがいいわ」

 ジトリと僕を横目で睨み、吐き捨てるようにリリカはそう宣う。と、怪物と黒タールの攻防戦を改めて見つめた。糸で搦め、敵を投げ飛ばす怪物に対し、黒タールは何度も地面に叩きつけられ、潰れては再生する。今度はお返しとばかりに触手を伸ばせば、鎌で切り落とされていた。鼬ごっことはこの事だ。いずれは互いの再生力が働かなくなるまでの持久戦になりそうだが、敵はまだいそうな以上、それは避けたい所。

「さて、屈服させてやるわ。私の洋平を傷付けた罪は……重いわよ」

 荘厳な態度を崩さずに。瞳には好戦的な炎を宿し。気がつけば、リリカの背に蜂の羽が展開される。貶められて、無力化されてもなお、その姿は女王の気高さを色濃く残していた。




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