表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
名前のない怪物  作者: 黒木京也
続章ノ二 女王降臨
156/221

38.強襲

 それに気がついたのは、突然だった。

 気配が生えてくる。或いは、沸き上がってくるといった、いつかの怪物とのファーストコンタクトを彷彿させるようにして、そいつはその存在を顕にした。

 ゾワリと、全身におぞましい寒気が走ると共に、僕の超感覚が、瞬く間に警鐘を鳴らす。


 逃げろ。いますぐに。


 リリカや洋平に声をかける間もなく、僕は単に恐怖心から逃れるべく、手で肩に乗った怪物を庇いつつ、その場から飛び退いた。

「――むっ!」

 洋平が異変に気づいたのは、タッチの差だった。彼は稲妻のような速さでリリカを弾き飛ばし……。


「てけりけりけり」


 直後。その伸ばされた腕は、まるでサツマイモのように胴体から引き抜かれた。

 ぽきゅん。という場違いに間抜けな音がして。ビチャビチャとバケツをひっくり返したような響きが耳に届く。

 まるで噴水のように、洋平の肩口からは血が吹き出していた。

「ぐ……ぉおぉえ……が……!」

 呻きながらも、洋平はその場で横っ飛びし、片腕でリリカを拾い上げると、一気にその場から距離をとる。額からは、まるで滝のように汗が流れ落ち、その表情は苦悶に満ち満ちていた。


 何が起きた?

 はからずも僕と洋平は同時に、不気味な存在の到達点を確認する。そこには……異形がいた。

「てけり・り。てけり・り」

 黒い。最初の印象がそれだった。

 ぬらぬらとした光沢を帯びたタールのような液体が、それを構成する殆どだった。

 次に連想したのは理科の教科書で見た、アメーバだった。蠢き、捻れ、潰れて戻る。不定形な身体だからこそ出来る芸当だ。が、完全に原形を留めない訳では無さそうだ。何故ならそんな無意味な運動を繰り返しながらも、そいつは頭とおぼしき部分を伸ばし、ぼんやりと。引っこ抜いて手らしきものに取り入れた、洋平の腕を見つめ……。

「てけ……り。てけ……りり、ンバァ……」

 もしゃり。と、まるでフランスパンでも頬張るかの如く、その場で洋平の腕を貪り喰い始めたのだ。

 液体が弾け、沼にでもはまるかのように肉はそいつの中へ消えていき。やがて、ゴクン。という、ばかに生々しい嚥下音が、洞窟内でこだました。

 誰もが、声を発しなかった。張りつめた糸のような緊張感がその場に走ると同時に、黒いタールの化け物は、ゆっくり顔を動かした。

 僕と、肩に乗る怪物。洋平。リリカ。まるで品定めするように僕らを観察した黒タールは、やがて、ブルリと身体を震わせて……。

 直後、洋平の方へと物凄い勢いで突進した。

 深手を負った彼を仕留めるのが合理的。そう思ったのだろう。

「なめる、な……!」

 もっとも、洋平もぼんやりと棒立ちなどしなかった。瞬時に残った腕を蜂の槍に変え、応戦する。

 大振りの横薙ぎ。黒タールが洋平の元へ到達するより速く、それは不定形の身体を切り裂いた。

 上下に分断された黒タール。その便宜上の半身は慣性に従い、ゆっくりと洋平の方へ飛ぶ。が、彼はそれをよろめきながらも回避。黒タールは、床にぶちまけられたプリンのようにその場に拡散され……。

「てけ……りりっ!」

 即座に、まるで逆再生したかのように形を戻す。

 上は人の身体を象り、下は黒い液体の水溜まり。人まがいの姿になった黒タールは、再び洋平の方へ腕を伸ばす。

「……っ! 洋平、下がって!」

 蜘蛛糸を吹き出す。相手の腕をひね上げる形で拘束すれば、何とか黒タールの動きは停止した。うまい具合に粘性と弾力性が混在しているらしく、しっかり蜘蛛糸は絡み付いてくれた。

「………てけり」

 不気味なのっぺらぼう面が、ぐりんとこちらへ向く。心なしか、忌々しげな気配を感じた。感情がある……そういう事なのか。

 にらみ合いが続く。

 情報が足りなすぎる。

 こいつは何だ?

 いつからいる?

 〝彼女〟は今何をしている?

 混乱する頭を整理する。が、しっかりとした答えは出ない。ならば……。

「リリカ!」

 洋平へ寄り添う少女へ声を張り上げる。現状、謎だらけ。ならば、今すべきは……。

「蜂になれるかい!?」

「え? へ?」

「返事! イエスか、ノー!」

「で、出来る。出来るわ!」

「出口の道は?」

「分かるっ!」

 よし!

 次に、周りを見渡す。咄嗟に飛び退いたが故に手放してしまった、軍用の盾を見据える。ちょうど黒タールとの間。それに糸を伸ばして片手で構え、僕は敵を見据える。

 応戦する気を感じ取ったか、黒タールは身体を歪める。

 生物とはかけ離れているが、こいつにも超感覚は適用できるみたいで助かった。敵は次に……。

「飛んでくるっ!」

 予測から、即座に捕捉。飛んできたアメーバ状の敵を盾で抑え、それを軸に身体を反転。地面に落ちた黒タールを視界に納めながら、バックステップを繰り返し、リリカ達の元へ。そこには、既に巨大蜂の形態に変身したリリカと、小さめの蜂になった洋平がいた。

「逃げる……の?」

「ああ、逃げる! 強襲部隊なんて変なものが来てるのに、それ以上に意味分からないのまで相手にしてられないよ!」

「……っ、懸命だ」

 弱々しい声で呟く洋平を、取り敢えず服の胸ポケットに突っ込む。窮屈だろうが、我慢してもらう他にない。

「あいつは、そんなに動きが速い訳でもない。飛んで逃げれば問題ない筈だ!」

 最優先は叔父さん達と合流。不気味な敵だが、その後に出会わなければ何の問題もない。

「飛ぶよ! しっかり捕まっ……て……?」

 どことなく後ろ向きな解決策にて僕は僕は肩に乗る怪物に、振り落とされぬよう捕まっているように呼びかけ……その場で硬直した。

 あの子が……いない!?

「レイ? 何してるの? 早く乗りなさい!」

「ま、待って! 待ってくれ! あの子がどこかに……!」

 まさか、退避の時に落ちた? それとも、黒タールを受け止めた時に?

「くそっ……! 何してるんだ僕はっ……!」

 実体化するよう声もかけられない。人間に戻れば、間違いなくあの子は黒タールの近くに立ってしまう。

 不意討ちとはいえ、洋平の腕を一瞬で引っこ抜くような相手だ。あの子に近づける訳には……。

「てけり! り! てけり!」

 そうこう言っているうちに奴がくる。弾力を利用した、浮遊するジャンプ。それを蜘蛛糸で網を張ることで足止めし、僕は片手を鉤爪に変えつつ、敵と距離をとる。

「リリカ! 空に! 空なら奇襲も来ない筈だ!」

 蜂になった洋平をリリカに投げ渡せば、彼女はそれを器用に六本足で捕まえて、空へ舞い上がる。

「っ……戦う気? てか、お姫様を探すなら、その必要はないわ! 彼女、すぐ近くにいるもの!」

「なんで分かる!?」

「気配っ!」

 何だそのフワフワした根拠は! とは叫ぶまい。

 リリカは今、怪物の支配下に置かれている。逃げ出そうともしないのが、その最たる例だ。本能で、女王の傍から離れられない。そう考えると、なんて恐ろしい話だろうか。

「てけりてけりてけりてけりてけりてけりっ!」

 雑念は許さないとばかりに黒タールが、雨のように降り注ぐ。

 そんな攻撃まで出来るのか! と、感嘆しつつ、僕は素早くその場を動き、安全圏にて極小の蜘蛛に。雨が止んだら服を纏い人間へ。

「てけり? てけてけり」

「――っと! ……よし」

 今度は再び突進してくる。振り上げられた腕らしきものが剣のように鋭くなり、僕へ向けて迫ってきた。

 液状化されても嫌なので、鉤爪で受け止めるのではなく、受け流す。

 一応攻撃するときは、このタール状の身体を固めているらしい。この攻撃手段は発見だ。

 液体化と固体化は、瞬時には出来まい。必ずタイムラグがある筈だ。形を固定してからすぐに変化もできないだろう。流体力学は詳しくない。いや、全く知らないと言い切れるけれど、昔何かの番組で観た気がする。

「このっ!」

 隙ありと、二撃、三撃。爪で攻撃する。だが、それはぬかるみに足を踏み入れたような手応えしか帰って来ず、思わず舌打ちしたくなるのを、僕は辛うじて堪えた。

 敵の再生力を考慮すれば、例え怪物の力を乗せた打撃であっても、殆ど効かないだろう事は明らかだった。

「……どうする?」

 鉤爪、効果なし。

 蜘蛛糸。嫌そうな様子だが、効くのかは微妙。

 身体所有権の剥奪。……あれに噛みつくのはごめん被りたい。

 蜘蛛をけしかける。却下。彼らだって生きているのだ。

 しかも……。

「……っ」

 じゅわじゅわと、手の甲と指先に熱を帯びた疼きが走る。黒い毛むくじゃらな蜘蛛の手が、ほんの少しだけ火傷をしたかのように爛れていた。

「……全身が、消化液に近いのか、それに近い性質に変化できるのか?」

 それならば筋妻が合う。

 結論。やはり逃げるが吉みたいだ。

 鉤爪を一度しまう。回復は、人の身体の方がやり易いのだ。

 ともかく、敵を僕に釘付けにしつつ、さっき僕が通った場所からは遠ざけた。これで、あの子が人間化しても、僕が割り込んで黒タールを止められる。後は……!

「どこだい!? ……っ、返事をっ!」

 名前はいらないと彼女は言うが、こういう時に不便だと思いながら、僕はあの子の姿を探す。

 こだまする僕の声。上空で、リリカもまた、蜂の頭部を動かし、周りを探っている。返事は……ない。変わりに……。

「青年……、斎藤だ」

 弱々しい洋平の声がした。斎藤?

 要領を得ず、首を傾げたその時だ。僕は不意に、掻き毟るような異音を耳にした。


 プチュン……グチャリ……。パリパリ……ペキョ……。


 水っぽいような、乾いているような。そんな相反する要素が混ぜ合わさった、奇妙な音に、僕も、リリカも。その場にいた黒タールすら、暫し沈黙し、動きを止めていた。

 一体……何が?

 不吉な予感が爪先から這い上がり、僕は辺りを見回して、その発生源らしきものを目に留めた。

 グチグチといった嫌な音は、すぐ近くからしていた。巨大な蟷螂の死体だ。それが、風もないのに不自然に揺らめき、小刻みに動いていた。

「ん……ぐっ……んっ」

 それに混じり、微かに聞こえるくぐもった声。

 嫌になるくらい聞き覚えがあるそれは、直後にした喉が鳴る音と共にすぐに静かになる。そして……。


「……レイ、大丈夫。……大丈夫だよ……」


 透明感がある、ウィスパーボイス。

 普段ならば、口にこそしないが、僕にとって愛おしいそれ。

 だが、今は……。


(ワタシ)が……護ってあげル……!」


 どうしようもなく禍々しく。身の毛がよだつ程に不気味な響きをもって、僕の耳を侵食した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
他の物語も、覗いてみませんか?
実は世界観を……共有してます
[渡リ烏のオカルト日誌]
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ