37.真に暗き時間
ドローン共を蹴散らし、縫うように飛行し、僕らは洞窟の薄暗い通路を進んでいた。既に振り切った機械兵器の羽音は聞こえない。どうやら振り切ったらしい。
「こちらの道にドローンがいないという事は……奴ら、裏口から来たな」
「裏口って……エディが出ていった?」
洋平の独り言に僕が反応すれば、彼は蜂の姿のままで頷いた。
「この洞窟には、入り口が四ヶ所ある。山の中腹に二対。裏口から通じる麓に一ヶ所。あとは、めったに使わんが、村の外れの溜め池に繋がる場所」
「池に潜らなきゃ出入りできないって事? まるで忍者屋敷だね」
「地下でしかも隠れ棲むのだ。それくらいの規模になるのは否めないな」
僕が感想を述べれば、洋平は鋏のような口をカシャカシャ動かしながら返答する。蜘蛛に続いて大きな蜂と話す日が来るなんて、僕が大学生だった頃には想像もつかなかった。ふと、懐かしいキャンパスライフを思い出す。親しく交流していた訳ではない。けど、話さなかった訳ではない、同じ学部の人間たち。顔と名前が一致するのはほんの数名だけど、学部が学部だからか、なかなか濃い面々だった事は覚えている。
中尾君、ハワード君、李君、原口さん、メリーさん。ちゃんと覚えているのは、この面々くらいだ。
「青年、君らはどこから入ってきた? 中腹だろう? ……青年?」
「……あっ、ごめん。中腹なのは間違いないけど、どこまでかはわからない。……って、そうだ。僕らが入ってきた場所は、恐らく出られないな」
「……何?」
回想から帰還した僕が、思い出した事を告げる。入るなり手荒い蜂狼達の洗礼を受けた僕らは、雪代さんの手によって、通路の一つを潰していたのだ。
「雪代……銃持ちか。……そういえば、斉藤が先行していたんだったな」
洋平の呟きと共に、沈黙が訪れる。僕らは雪代さんへの連絡手段がない。一方で、洋平達も、蟷螂である斉藤さんの気配は感じ取れない。
だからこそ、二人の安否は、この先で分かるだろう。分かってしまう。
「洋……平……」
その時だ。僕の肩から、か細い声がした。小さな蜂になったリリカの声だ。同じく肩に乗ったチビ蜘蛛な怪物の脚でツンツンされ、悲しげに震える姿のまま、リリカはブン。と、オレンジの羽を震わせた。
「血の……臭いだわ」
「……む? ……っ、確かに……これは……」
無音の中にて、緊張が走る。匂いと聞いて鼻で周りを嗅いでみるが、何もわからない。蜂は嗅覚が鋭く、麻薬探知にも利用されると聞く。この辺が関係しているのだろうか。
「……近いな。少し寄るぞ?」
「かまわない」
短いやり取りの後、洋平は低空飛行する。僕もまた、辺りを警戒しながら探し人を探す。広い空間と鍾乳石。少しだけ見覚えがある。多分……そろそろ。
やがて、僕にでも分かる位に、喉を刺し、口の中が酸っぱくなるような、独特の異臭が漂ってくる。視界が開く。のっぺりとした洞窟の地面に、それは倒れていた。
「……ああ、そんな」
悲哀にまみれた、リリカの声が響く。
そこにあったのは、巨大な廃墟か、遺跡を思わせた。茶褐色の体色は、今や全身を塗りたくる、土混じりな黄緑色の液体で汚れていた。
「斉、藤……!」
痛みを堪えるような声を絞りだしながら、洋平は着地する。
人間の形態に戻り、そっとそれに……。巨大な蟷螂の亡骸に駆け寄った。
「……お前が、やられるとはな。にわかには信じがたい」
ただそれだけ呟いた洋平の背後で、その服の裾を指先で掴みながら、リリカもまた、項垂れた。
リリカに魅了された。たしかこの斉藤という蟷螂はそう言っていた。群れの一員ではないにしろ、擬似的な家族。あるいは、僕らと顔無し達のような共生関係にあったのかもしれない。……顔無しのアレは、隷属の方が意味合いは近いけれども、そこには確かに絆があったのだろう。
複雑な心情になりつつ、僕は数歩離れた後ろの位置にて辺りを伺う。斉藤がこうして倒れているという事は、雪代さんは生き残っている筈。そう思ったからだ。しかし……。
「……いない」
近くに気配は感じない。すれ違った? あるいは、既に地上に出た? ……いや、違う。
最大限の警戒を維持したまま、僕は肩に乗る怪物にそっと手を添える。気をつけて。そう伝えたかったが、何を思ったか怪物は蜘蛛の姿のままで指を甘噛みしてくる。……絵面的に凄く怖いので止めて欲しいが、今はそんな事を言っている場合ではない。
「……どこだ」
雪代さんならば、ここで単独で動くだろうか? 敵陣真っ只中。洞窟は入りくんでいる。常人ならば、ここで僕らの帰りを待つだろう。一人で進むリスクの高さくらい、彼女ならば分かる筈。
そう、〝常人〟ならば。
彼女は……油断ならない。叔父さんはそう言っていた。だが僕は、僅かながら行動を共にして、彼女の中に宿る、普通じゃない何かを感じ取っていた。そうあれは……。狂気だ。
「……妙だな。青年、雪代とかいう女、銃持ちだろう?」
「え? うん、その筈だよ?」
思考の海から引き戻された僕が、殆ど反射的に返事をすれば、洋平はうーむ。と、腕組みしながらも、僕の方へそっと手招きした。
「……斉藤の身体に、銃痕がない」
「……え?」
気の乗らぬ足取りで蟷螂に近づいていた僕は、思わず目を見開き、そのまま一気に死体へ顔を近付けた。
「……たしかに。というか、開拓者の抹殺者で撃たれたなら……バラバラになってるはず」
「そう、それだ。斉藤の身体は比較的大柄。全てが消し飛ばなくとも、身体の何ヵ所かが抉れている筈だ。だが……その傷跡がない」
「……じゃあ、一体どうやって?」
オリーブオイルが塗られた武器で? 開拓者があるのに? 僕みたいに壊された? ならば、残骸があって然りだ。一体ここで何が……。
「これは……刀傷か。何か鋭利な刃物で切り裂かれ、滅多刺しにされたようだな」
「……刃物で?」
ぞわりとした、寒気がくる。あまり雪代さんのイメージはない。実際は刑事だし、ナイフの扱い方は知っているのかもしれない。だけど、これは……。
浮かんでいた推測や、恐ろしい考えが僕の中で次々と芽生える。彼女の正体が……不鮮明すぎる。謎めいているとか、そんなレベルではない。もっと深くて、暗い……。何かが。人間とも怪物とも言えぬ。得体が知れない大きな空洞が、すぐ近くに……。
「傷が……綺麗すぎる。かなりの切れ味がある刃物だな。日本刀か?」
傷跡を観察する洋平の横で、僕は必死に思い出す。
違和感があった。
彼女は本人かすら怪しい。そう僕は結論付けていた。だが、本人でないとしたら、何処で僕や叔父さんの事を知った? どうやって……。
纏まらぬ考えのまま、僕は下を向く。ふと、視界の端に、鈍く光る何かが落ちているのに気がついた。
「……っ!」
それを見た時、僕は思い出した。
「……いや、日本刀にしては、傷の大きさが細い。だが、ナイフにしては切れすぎる。これは……? 青年、どうした? 顔色が悪いぞ?」
僕の変化に気づいた洋平が、怪訝な顔を向けてくる。その後ろで、リリカもどうしたの? と言うかのように僕の顔を覗き込み……。その視線が捉えた物へ辿り着いた。
「あら? これ……何かしら?」
首をかしげながらそれを見るリリカ。一方で洋平は、得物と傷が一致したようで、成る程な。と、頷いた。
「随分と妙な武器を使うんだな。その女は」
そう言いながら洋平が拾い上げたのは……。
刃先にべっとりと血や肉片がこびりついた、銀色に光る手術用のメスだった。
「……嘘だ」
思い出してしまう。いつかの恐怖を。
死して尚、僕の心と掌に、死の気配を色濃く残す人だった。だけど、もういない。引導をこの手で渡すことを選び、僕が真の意味で怪物となる切っ掛けになった人。
酷い言い草だが、いなくなった事を安堵していた筈なのに……。
「待って、洋平。メスが落ちてた場所……何かあるわ」
リリカがそう言って指差す先へ、僕らの視線が集中する。
艶やかな鍾乳石の地面の一部が、ピカピカに磨き上げられている。そこに……血で綴った文字が記されていた。
『I'll be back KtoR』
※
ソレは、指示された通りに待ち続けていた。気配を殺し、限りなく透明に。
それでいて、殺意を研ぎ澄まして。
己に残るのは、破壊衝動のみ。これを、主人がために使うと決めた。
故に待って待って待って……待ち続けて。遂にそれらは現れた。
虫の死体に群がる、虫が三匹……いや、四匹だろうか。数を数えるのも難しいソレは、判断を下すのを早々に取り止めて、ただひたすら、本能に従い、口を開けた。
クチャリ。と、唾液が口腔で弾ける。
美味しそうなの……約四つ。
ああ、幸運だ。ご馳走だ。さぁ、恐怖を与えよう。
それは歓喜の震えを押し殺し、小さく。だが確かにはっきりと……啼いた。
「てけり・り。てけり・り……!」




