30.喰らい合う者共
蜂の巣というには、あまりにも文明的な宮殿を視界に納めてからの道中。僕とエディは色々な話をした。
中身といえば、あってないようなものだ。それぞれの生い立ちやら。僕を軟禁した理由など。気になりはしたが、今となってはどうでもいい事だった。
僕もエディも、それぞれのパートナーを救いだす。それが第一目標だから。
「私は君を利用したんだ。君が来る少し前から蜂の襲撃が活発になっていてね。しかも相手は村人を襲い、次々に数を増やしてくる。幸いなのは、幹部たる面々が一斉に出てこなかった事に尽きる」
「つまり、敵陣の真っ只中に僕らを突っ込んで、否応なしに共闘を迫ったと。……いい性格してるよ」
「犬だからね。人の感性は分からんよ。ケヘヘ……」
こいつ、都合が悪いのは犬を理由にしやがった。
「私と暗闘……もとい追いかけっこを繰り返しながらも、蜂の幹部は増える仲間を抑え、教育したりと動いていた。後は本拠地の防衛だろう。故に全員で来るマネはしなかった。先ずは森島が秘匿していた狼を落とし。次に村。続けて人。最後にゆっくりと、私と優香を捕らえるつもりだったのだろう。だから、あの日我々の水面下の争いに、君や銃を持った連中が来た時、私も蜂の女王も決断せねばならなかった。いかにして動くかを」
「それが、君は僕を強制的に陣営に加え、リリカは対策課を利用して、完全に人を落とすという道に繋がった……と」
そこで一瞬だけ、僕らが来なかったら。を想像し、すぐに打ち払った。何の事はない。エディ達は倒れ、ここは蜂に支配される。勢力を拡大せんとするのか、樹海へ向かった僕達のようにひっそりと暮らすのかは分からないけども、それは約束された未来だったのだ。
「君を取り込めば、銃を持った連中も仲間に出来るかと思っていたんだがね。奴等は奴等で銃持ちを排除するのに全力を傾けてきた。結果、銃持ちは撤退し、君と離れてしまった」
そして、リリカ達は僕達を包囲した……と。
逃げるわけにはいかなかった。いや、出来なかったのだろう。逃げた所でリリカ達は、延々と追ってきたに違いない。
「君が一人仕留め、女刑事殿が一人を引き付けた。これで幹部の残りは四体となった訳だが。気を付けろ。少年と女は恐らくあの蟷螂には劣るが、それでも強い。洋平は……もはや別格だ」
「……うん、それは僕も気づいてるさ」
森島の屋敷で対峙した時、彼とリリカだけ次元が違った。生物として強者を見極める直感という奴だ。
開拓者はもうない。時間短縮は出来ないだろうけど……。それは大した問題ではないだろう。道中で攻防はあれど、タナカをはじめとした顔無し達。怪物殺しの銃。そして雪代さんのお陰で、敵の本陣に辿り着くまでに力の温存は出来た。
後は……それを何処で解き放つか。
汐里に外された毒の枷。これが無い状態で本格的に戦うのは……初めてだ。けど、不思議と自分が呑まれる恐怖はなかった。寧ろ、あの子を案じ、張りつめている今だからこそ、上手くやれるような気がした。
「……あれ。四体?」
そこで僕は、違和感に気がついた。洋平に、僕が殺したドレッドヘア。斎藤とかいう燕尾服の男に、少年と女性。数が合わない。三体ではないのか?
「……ん? ああ、そういえば、あの場にはいなかったな。もう一体。幹部はいるんだよ。あの中では新参者らしいがね。彼の名前は、ロボ。森島に秘匿されていた狼達の、頭目だった。リリカに群れの長を引きずり落とされた、哀れな狼王だよ」
そこで、エディと僕の会話は途切れた。
吹き抜けるような風が頬を撫でる。やはりこの洞窟は、他にも出入り口があるに違いない。
「着キヤシタゼ」
「シカシ……半端ネェ大キサダ。ココノ何処カニ、御嬢ガ……」
こうして近くまで来ると、本当に大きい。宮殿と呼ぶに相応しい外観は、お伽噺や絵本の世界からそのまま切り取ってきたかのようだった。リリカの趣味だろうか?
「中で……いいんだよね?」
直感は、それが正解だと囁く。顔無し達も、小さく頷く。ただ一人、エディだけが、地面に鼻先を付けたまま。フン、フンと小さく呼吸して。
「妙だ。どうなっている」
そう呟いた。
僕らが首を傾げていると、次にエディは鼻を高く上げ、空気の流れを読むかのようにひくつかせた。
「レイ。君のパートナーと、優香の匂いがする。中に入っていったのも確かだ。だが……。優香だけ一度。これは……本当についさっき、ここを出ている」
「出て……いる?」
どういう意味だ? あの子はまだ宮殿にいて、エディのパートナーは連れ出された? 何の為に?
「……蜂が、大量に出ていったらしい。何故だ。ここを空にして。優香を連れ出したなら……レイのパートナーはどうして置いていく?」
「罠……ナンデスカネ?」
「汐里様ナラ、入ッタ瞬間ニ、人質諸共ドカーン! モ、アリウル」
「汐里なら、ある程度奥に入れてから仕掛けてくるだろうさ。って、違う。奴等の目的だ。この妙な動きは……」
口々に意見を出し合いながらも、僕は無い頭を回す。奴等の動きを思い出せ。
「……エディ、幹部の連中は?」
僕の質問に、エディはヒクヒクと、再び鼻を動かし……。
「少年と、女……ロボ。この三人は出たらしい。まだ匂いが新しいから、優香も一緒だろう」
「どっちに向かった?」
「宮殿の外周するようにして……後ろへ」
フム……。
「ムロイ、ネギシ。僕は能力を使う限り……。この辺一帯に普通の蜂や狼はいないと思うんだけど……」
「オレハ何モ感ジヤセンゼ。旦那」
「右ニ同ジ。タダ……。宮殿ノ中ハ、嫌ナ感ジデス」
「ア、オレモ。オレモ」
成る程ね。と、感じつつ、僕は再び宮殿を。その後にエディを見る。
「気付いてる?」
「無論だ。……大群で来た方が、まだ楽だったかもしれんな。向こうの魂胆は……酷いものだ」
ピピュ? と、首を傾げる顔無し二人。その前で、僕とエディは臨戦態勢に入る。軈て、ブーン。という特有の音が聞こえてきて……。
「ようこそ。我らが宮殿へ」
荘厳で、重々しい声と共に、そいつは舞い降りた。
筋骨粒々な肢体と、浅黒く日焼けした肌。高そうなスーツを着込み、腕には金のブレスレット。
リリカの腹心。洋平だった。
「斎藤を突破した。……にしても、消耗が無いのはおかしい。誰かを犠牲にしたか?」
「さてね。答える義務はないよ。……あの子はどこだ?」
「優香もだ」
凄む僕とエディに、洋平は困ったような顔をしながら頭を振る。
「ちょっとしたアクシデントがあってな。犬よ。君のパートナーは、やることが山積み故に、保険として地上に持ち出した。今は足利達と、残存する蜂達と一緒に、地上に出ている。ここはもうすぐ、用済みになるからな」
「アクシデント? 保険?」
僕が訝しげな顔をしていると、洋平は少しだけ思案してから、『地球外生命体強襲部隊』という、耳慣れない。だが、聞くからに物騒な単語を口にした。
エディを見る。キョトンとしていた。
ムロイとネギシは「アレ? 何カ何処カデ聞イタヨウナ……」と、頭を抱えていた。汐里なら、どうだろうか? 確かな情報では無いにしろ、名前くらいは知っている可能性はあった。彼女が喋らなかったということは、まだちゃんとした確証が得られていないのだろうけど。もっとも、今となっては考えるだけ無駄か。
再び、目の前の男に集中する。
洋平は僕らの反応を見ていたが、軈て、どことなく落胆したかのようにため息をついた。
「……知らないか。ならばいい。ともかく厄介な連中がこの地に近付いてきている。いや、一部はもういるのかも。そういった訳で、俺達は目的を果たしつつも、一刻も早くここから逃げねばならない。無論……餌やいざという時の囮として、蜘蛛神を連れてな」
うなじが沸き立つ錯覚を感じたが、今は抑えて、洋平を睨む。
大体読めてきた。
どうやら蜂側もなかなか切羽詰まっているらしい。僕らとのんびり対峙する予定が、厄介な連中が来たらしいとの事で、対応に追われる事となった。
洞窟に籠城していては、一網打尽にされる可能性があるので、地上に避難。だが、そうなれば、追ってきた僕らと厄介な連中とやらに挟み撃ちになる。故に隊を二分した。
厄介な連中の規模は保留して、ここに来るであろう僕らは少数。故に、洋平とリリカが残った。人質に選ばれたのがあの子。
一方で、厄介な連中から逃げるべく仲間をまとめ、逃げる準備をしている隊を作った。ここでエディのパートナーを連れていった理由は……。
「いざって時は、その厄介な連中とやらに差し出す気かい?」
「察しがいいな。その通りだ。まぁ後は……。もう一つ位目的はある」
底冷えのするような声を出しながら、洋平はエディを見ていた。僕も、エディを見る。彼の蒼い瞳は、とうに覚悟を決めていた。
「……レイ。ここでお別れだ。私は、地上へ行く」
「……いいの?」
幹部は三体。しかしこれは単純な一対三では有り得ない。戦力で見れば絶望的だ。分断されていると明らかにわかるが……それでもどうにもなら無い歯痒さに、僕は嘆息する。
「君のパートナーを助けてから、私のパートナーを助ける。残念ながら、私はそれは出来ない。逆ならば、君だって出来ないだろう。私も君も、優先順位が違う。同じ場所に捕らえられていたから、こうして進んできたが、こうなればそうはいかない。……敵の思惑に乗るようで癪ではあるがね」
「一対多数だよ?」
「君も似たようなものだろう。寧ろ君は自分の心配をしたまえ。あっちは幹部三体以外は烏合の衆だが……。こっちに残った二人は、双方ともに大群に匹敵する怪物だ。女刑事殿もどうなったか分からない。もしやられていたならば……。背後から蟷螂も来るぞ」
……雪代さんがやられたら。か。
苦虫を噛み潰したような顔になりつつも、再び洋平を見て、次にムロイとネギシを見る。
「……エディに、ついていってあげて」
「……ッ旦那! ソレハ……」
「幹部はともかく、狼達なら、君らも戦える。地上なら、炎だって吐ける」
「シカシ……!」
「……言いたくないんだ。言わせないでくれ。君らには感謝してる。感謝してるからこそ、タナカみたいに死なせなくないんだ」
食い下がろうとする顔無し二人に、そう告げる。洋平とリリカ。この二人と対峙しながら顔無し二人を気にかけ、守るのは……難しい。顔無しとリリカ達では、絶対的な壁があるのだ。
足手まといだ。ここまで手伝わせといて酷い言い種だけど、言っている事は同義。だから僕は自身の最低さを直視しつつ、顔無し達に再び告げる。
「エディと一緒に、地上へ。あと、汐里と大輔叔父さんに警告を頼みたいんだ。僕は今行けないし、エディもそれどころじゃない。君らにしか頼めないんだ」
何処が顔か分からないけど、二人を見つめる。やがて、顔無し二人は小さく「ピピュ」と頷いた。
「必ズヤ、汐里様ト、パンツ刑事ニ御伝エシマス」
「旦那、御武運ヲ。帰ッタラ労イニ、旦那ノ珈琲ヲ所望シマス」
コーヒー飲めるのか君ら。とは言わない。了解。頼んだよ。と告げ、改めて、エディの方へ向き直る。
エディは初めて会った時のように、ケヘヘ……。と、不気味な笑みを浮かべた。
「……無茶はしないでくれよ。お義兄さん」
「君が言うな、義弟よ。……互いに命を掛けるものがあるだろう。出来ない相談はするものではない。生きてたら、また逢って……今度はまた、四人で過ごせばいい」
そんな短い言葉が最後だった。エディは踵を返し、風のようにその場から走り去っていった。それにムロイとネギシが続き。
世界は、僕と洋平の二人になった。
「……リリカと、君のつがいの所へ案内しよう。ついてこい」
そう言って、宮殿の入り口へ入っていく洋平。僕はそれを見て。
好都合とばかりに一切の躊躇なく、背後から襲いかかった。
「――ハッ!」
洋平も、予想していたのだろう。悠々と僕の鉤爪をかわし、宮殿の中へ転がり込むと、そのまま臨戦態勢をとる。
内部は、ごくごく普通のといえば語弊があるかもしれないが、一般的な洋館のエントランスだった。
正面に大きな階段。左右の壁に扉が手前と奥に二つずつ。僕はそれらと背後の入り口。窓ガラスに素早く蜘蛛糸を飛ばし、完全に封鎖した。
二階にあたる部分の扉も、後で塞ごう。そうすれば、まやかしで簡易的ながら、密室が出来る。それで戦場としての第一段階は整うだろう。
「背後からとは、男の風上にもおけん奴だな」
「プライドがないのか? と、言いたいのかい? お行儀がいいね。あいにく僕はそんなもの持ち合わせていない。そんなのが持てるほど、余裕ある人生ではなかったからね」
それに持てるほど強くもない。そう心の中で付け足した。
「蜂に勝てるとでも?」
「……ここは、室内だ」
「……?」
僕の言葉の要領を得なかったのか、洋平は眉を潜めた。
ああ、もしかして、気づいてないのだろうか。
「蟷螂は、自然界では恐るべき捕食者だ。だけど、捕食者同士で意図的に対峙させると、その勝率は恐ろしく低い。これは……蟷螂の攻撃方法が、奇襲に特化していて、正面からの戦闘に向かないからだ」
僕の言葉を、洋平はいまだ、目を細めたまま聞いている。
「ベッコウバチと蜘蛛の戦いはね。勝率は蜂が九割だ。蜂は雀蜂を上回るスピードで蜘蛛を翻弄し、蜘蛛が疲れた所を仕留める。当然、蜘蛛の巣なんて張る暇が蜘蛛達にはない」
「……何がいいたい」
「考えたんだ。蜂をどうやって殺そうか。そうしたらね。ふと、師匠の言葉を思い出したんだ」
毎晩恒例の、汐里の生物雑学。いつぞやに僕は、天敵に補食される側が勝った事例はあるのか。最強の捕食者は? そんな素朴な疑問を投げ掛けたっけ。さっきの蟷螂や蜂の件も、汐里の話から拝借したものだ。
彼女はソファーに座る僕の前で教鞭を振るうかのようにこう言っていた。
「野生の生き物達は、基本的に正面きっての行動を起こしません。必ず自分に有利な場所。有利な条件。最悪、被害が少ない条件のもとで戦闘や、狩りや、休息、移動、繁殖を行います」
蟷螂は鎌を武器に、茂みを味方につけ、身を隠しながら。
蜂はスピードと毒針を武器に。空を味方につけて。蜘蛛が瞬時に飛べぬ空間を舞う。
「頂点捕食者というものが存在します。ですがそれらは、あくまで天敵がいないというだけで、条件が狂えば、容易く敗北するのもあり得てしまう。捕食者が被食者に手痛い反撃を受けたり、種の違う捕食者にやられるのも、こういうケースが多い」
だから……。彼女は話の締めにこう告げた。
「レイ君、自然界においては、最強や無敵は言葉遊びに過ぎないんです。蛙が蛇を喰らい。ライオンがヌーの角で致命傷を負い。猟銃を持ったハンターが熊に殴り殺される。これ全て、前提とした条件が狂わされて起きる、必然の結果なんです。勝てないなら、逃げる方法を磨く。自ら毒を持つ。身体を大きくする。戦う場所を、住む世界を変える。こうして生存競争は日々行われ、生き物は成長する」
途中で頭がパンクしそうになったのは内緒だ。けど、感謝せねばならない。お陰で僕はこうして、戦う術を見出だせた。
勝率が低いなら、何とかして上げる。
僕が弱いままでもいけないから、枷を外して。
卑怯と笑うなら笑えばいい。それで後悔するよりは、ずっといい。
「虫は虫籠に。貴方がいくら速く飛べても、ここは室内だ。貴方はこの場においては、満足に飛び回ることはできない」
扉や窓ガラスを突き破ろうとすれば、漏れなく蜘蛛糸が絡み付く。仲間はいない事を、ついさっきこいつは僕に教えてしまった。
大群に匹敵するだけの力。だが、翼を広げねば鳥が飛べないように。発揮できなければ、それはもうただの肉塊だ。
リリカがいるなら、尚更合流はしない。その前に……潰す。
「……いいだろう。それぐらいのハンデはあって然りだな」
「あの子はどこだ。殺したら聞けない」
「聞かなくていいだろう? 脚をもいでから、会わせてやる」
二人分の哄笑が、エントランスに響き渡る。
僕は両手に鉤爪を構え、自然体。
洋平は両手に長槍を思わせる毒針を構え、半身になる。
「脚をもいでから会わせる……ね。死体がどうやって動くんだい?」
「あの子はどこだ……と言ったな。死体が道を聞いて何になる……!」
そんなやり取りを皮切りに、僕らは同時に床を蹴る。
喰い合いが始まった。
※
少女の怪物が目を覚ますと、そこは忌まわしい寝室ではなく、広い広い、闘技場を思わせる部屋だった。
訝しげに辺りを見回す。
現状。自分の身体は相変わらず四肢切断状態で、鎖により縛られて、台座に固定されている事を認識した。そして……。
「おはよう。いい夢は見れた? あら、汗が凄いわね。私を見るなりそれは……ちょっと酷いわ」
肩を竦める小さな少女。蜂の女王たるリリカがそこにいた。
「レイが……来たみたいだから、移動させてもらったわ。ここは、私達蜂の訓練場。悲鳴や嬌声は……よく通る」
慈しみと、嗜虐心が混在したような笑みを浮かべるリリカ。それを少女の怪物は、虚ろな目で見上げていた。
「ね。私の要求、飲んでくれる気になった? 時間もないし、二人分交互に拷問はしたくないわ。ね? ね? 私のものに。私達と……家族になりましょう?」
甘やかに。誘惑するように、リリカは囁く。二人の少女の瞳が交差し。そして……。
「……え?」
次の瞬間。その場に劇的な変化が起きた。
少女の怪物が、リリカの目の前で立ち上がったのだ。そのまま怪物は、スルリと蛇のようにリリカの方へ手を伸ばし、その腕でリリカの小さな身体を抱き締めた。
「は? へ? え?」
これに驚いたのは、他ならぬリリカだった。
切断した四肢が、瞬時に元に戻った? 毒は効いていた筈なのに、何故?
というか、この状況が謎だ。どうして自分は、こうも優しく。慈愛に満ち満ちた抱擁を受けているのか。
そのうち、リリカの可愛らしい顎が、少女の怪物により持ち上げられ……。白い指に導かれるままに唇を無防備に晒す事となったリリカに、怪物の口付けが落ちてきた。
「ん!? ……んっ、むっ……」
あまりの謎めいた、急過ぎる展開に、リリカはただ目を白黒させる。何故? 何を? といった感情が、蜂の女王の中でグルグルと回り。
直後に訪れた、ブチュリ。という肉が引き千切られる音で、リリカの思考は断裂した。
唇が噛み千切られた。そう気づくのに、時間はかからなかった。
「あ……ぎゅぴゅ……んっ、ぐ…………!」
激痛に耐え、リリカは咄嗟に手を毒針の剣に変え、真一文字に振り抜く。が、その頃には少女の怪物の身体は宙を舞い、リリカから距離を取りつつ、ゆったりと床に着地していた。
クチュクチュと、怪物の口が動き。やがて、白い喉が艶かしく動き、何かを嚥下する。すると怪物は途端に顔をしかめた。
「お腹すいてたから、胃にいれてみたけど……ちょっとしょっぱい」
無色透明なウィスパーボイスで、怪物はそんな感想を漏らす。
一方でリリカは、噛み千切られ、グズグズと音を立てて再生する唇に触れつつも、内心の驚愕を隠しきれなかった。
私に喰いついてきた?
いや、そもそも、さっきの高速再生は何だ? まるで毒を瞬時に排出したような。
それ以前に……。
「お姫様? 何を考えてるの? 蜘蛛が蜂に勝てるとでも思ってるの?」
それ以前にリリカが信じられないのは、あんなにも怯えていた怪物が、明確な戦う意志を示した事だった。どういう風の吹き回しか。まるで〝人が変わった〟ような……。
そんな事を考えていると、不意に怪物はクスクス……と、妖艶な笑みを浮かべながら、そっと喋るな。とでも言うかのように、人差し指を口元に立てて。
「貴女こそ、不思議な事を言うんですね。〝ワタシ〟みたいな蜘蛛では、蜂に勝てない。普通ならば確かにそうでしょうけど……」
口調が変わった? と、リリカが困惑の顔を見せる。すると怪物は、それを楽しげに眺めながら、キラリキラリと黒曜石を思わせる瞳を輝かせ、こう言った。
「兵隊がいない女王蜂が、果たして〝人間〟に勝てるのでしょうか? 〝私〟は……無理だと思うんです」
それは、まるで蜻蛉の羽を無邪気にむしりとる子どものような。無垢と残酷さが混在した笑みだった。




