26.捨て石の在り方
物言わぬ肉塊と化した敵の蜂を無表情に眺めながら、僕は開拓者を内ポケットにしまいこんだ。不意打ちが成功するか。そもそも命中するかも結構な賭けだったけれども、結果、こうして僕は生き延びて、時間も大幅に短縮することが出来た。……充分だ。
いつの間にか、エディが歩み寄って来ていた。ヒクヒクと鼻をならしながらも、虫と人の血肉が混じりあった臭いに顔をしかめていた。
人語を理解し、自身も自在に操れるとはいえ、やはり犬が表情豊かだと、何だか妙な違和感だけが先走る。
「考えたな。確かに蜂達は、我々以上に地球外生命体の弱点が顕著だ。一発でも当てれば、即戦闘不能。二発も当たれば必殺。合理的な手だ」
「叔父さんの部下……。宮村さんだっけ? その人が怪物化しちゃったから……その人のを借りたんだ」
本来は武装を手動で換えて、麻酔銃やら探査銃。果てはさっきの雪代さんがぶっぱなしたみたいにグレネードランチャーにまでなれるらしいけど、僕が得た付け焼き刃の訓練じゃあ、そんな素早い換装は出来る自信がない。
というか、変に麻酔をかけて、後々追われるのも嫌なので、開拓者のモードは怪物殺し……。抹殺者で固定してある。
遭遇したら、即殺害。……こういうの、何て言うんだっけ。
「タナカ……チクショウ……」
「ムチャシヤガッテ……」
啜り泣くような、哀しげな声。見ると、動けなくなった顔無し……いや、タナカを取り囲み、座り込んだまま意気消沈する、他の顔無し達がいた。
救えたか。救えなかったか。それを考え、再考する暇も無いほどに、あっさりとした死。
けど、僕が悼むのもおかしい話だ。だって僕もまた、以前彼らの仲間を殺している。それが利害の一致で今共闘しているから、悲しむ。……現金な事だ。
「……敵の居場所は分かっている。今後も、君らを守れる保証はない。だから……無理に僕らに付き合う必要はないよ」
僕の言葉に、顔無し二匹が一斉に此方を見る。当然ながら顔がないので、その表情など読める筈もない。
けど、僕は確かに、彼らの気配がまだ死んでいないのを感じとった。
「我々ハ……弱イ」
一匹が、そう呟き、もう一匹も静かに頷く。僕が訝しげな顔をしていると、顔無しは「ピュヒ。ピュヒ」と、一鳴きする。
「コノ星ノ……神達ヲ食ベル度ニ思ウノダ。我々ハ……恐ラク我々ダケデハ生キテイケナイ。ト」
「ナニカニ仕エル事デ、共生スル事デ。我々ハ初メテ、生キテイケル」
そう言って、顔無し達は立ち上がる。
「我々ガ今仕エルハ、汐里様。旦那ヤ御嬢――。アモル・アラーネオススデス。ソレラガ脅カサレテイルナラバ、我々ガスル事ハ、一ツ」
「全力デ、貴方ノ道ヲ切リ開ク。ソレガ我々ガ生キ延ビル道。ソノ為ナラバ、我々ハ捨テ石ニナロウ」
タナカの死体に背を向けて、二匹は再び隊列を組む。一匹は僕らの前に。もう一匹は僕らの後ろに。それは、タナカの犠牲を目の当たりにした後に見ると、その行動が意図するものが見えてきてしまう。
必要あらば、肉壁にでもなる。此方の背筋がヒヤリとする程の自己犠牲の精神。それが、顔無し達の本質だとでも言うのだろうか。
「……名前」
「ピュヒ?」
「名前、教えてくれないか。君らにもあるんだろう?」
それは、僕に残された、最後の人間らしさだったのかもしれない。
彼女と彼らを天秤にかけられたら、間違いないなく僕は彼女をとるだろう。この進軍もまた、顔無し達全体から見れば有用でも、彼ら〝二人〟が、危険に晒されている事には変わりなくて。だから僕はせめて、勇気あるこの三人を覚えていたかったのだ。
僕の言葉に、顔無し達はポカンとしているのだろうか。やがて、「ピュピュヒ」と、笑いながら、何処か嬉しそうにピョコピョコ跳ねた。
「俺ハ、ムロイ。デス」
「ネギシ。ドウカ、オ見知リ置キヲ」
室井に、根岸。で、いいのだろうか。自分達でつけたのか、汐里が名付けたのかは分からないけど、僕は確かにその名を心に刻み付けた。
「……タナカ。セメテ奴等ニ喰ワレルヨリハ……」
そう呟いて、ムロイとネギシは、いつかのように触手から炎を吐き出した。
この場所は充分な広さがある。入口での戦闘のように、空気を燃やし尽くす心配はないだろう。
動かなくなり、随分と小さく見えたタナカの身体は、油でもかけていたかのように、みるみるうちに炎で包まれていく。僕らは暫しそれを見つめていた。
「そういえば……この炎、どこで得たんだい?」
気になったことがあり、僕は何の気なしに問いかける。
彼ら顔無しは、捕食した怪物の能力を劣化コピーする。そして、少なくとも、僕の知り合いで炎を吐ける奴なんていないのである。
つまり、彼らがこのような力を得ているという事は、僕が知らないうちに、何らかの怪物と彼らが接触した。そういう事にはならないだろうか?
「ア、旦那ハ知リマセンデシタネ」
ネギシは煌々と燃える火を眺めながら、少しだけ鼻声になりながら答える。
「警察ノ……地球外生命体対策課。ソノ研究部ニテデス。我々ハ定期的ニ、汐里様ト侵入シテイルノデ。ソコデ保管サレテイル個体ノ肉ヲ拝借シタンデスヨ」
火ヲ吹ク芋虫デシタッケ? と、確認し合うように顔を見合わせるムロイとネギシ。……汐里も意外と危ない橋を渡っていたんだな。と思う反面、情報を得るために手段を選ばない辺りは、実に彼女らしいとも思う。
炎と共に、肉が焼けるツンとした臭いが鼻を突く。火葬場並みの火力はいらなかったらしい。顔無しという生き物が元々燃えやすいのだろうか。ともかく、簡易的ながらこれで少しはタナカを弔えただろうか。
チラリと、エディと雪代さんを見る。一匹と一人は、最後まで無表情だった。
そして僕らは再び進む。奈落の底を思わせる、洞窟の中。その果てしなき深みを目指して。
「次に同じ手は……通じるかわからんぞ」
その最中、不意にエディが唸るように呟いた。
どういう意味? と、彼の方を見ると、エディは鼻先を地面に近づけながら、フン。と、息を吐く。
「さっきの戦闘……見られていたらしい。犬と虫が混じりあったこの臭い……斥候の狼は、まだ奥にいるらしいな」
蜂の巣へ向かうのだから、それは覚悟していた。けど、あの男もただでは死ななかったという事か。どのみちこれで開拓者の存在は露見したと見ていいだろう。
「構わないよ。この銃はあくまで力の節約と牽制が目的なんだ。警戒して動きが鈍ってくれるなら……それでもいい」
敵の主力と思われるのは確認しただけであと四人。見た目中学生くらいの男の子。さっきの男と同い年位の女性。燕尾服を身に纏った男性。そして……恐らく主力の中では最強の男――洋平。
こいつらを落とせば、親玉を……リリカを引きずり出せる。
「わざわざこっちを試すような事をしてくれているんだ。天敵の優位性を後ろ盾にしてるうちに……一人でも多く狩る」
「レイくん、過激ぃっ!」なんて言いながら、雪代さんがきゃっきゃと騒ぐ。
それに反応を返すのも面倒なので、僕はもう振り返らなかった。
手がかりはいくつか得た。けど、まだ決定的ではない。確信と言えるものがない。それでも、違和感は拭えず、疑念だけは膨らんでいく。
あの娘の安否を気にしながらも、僕はここに来るまでにあった事を振り返る。
「やはり……妙だ」
そうして、どうしてもちらつくその考えだけが、落ちない染みのように、僕の頭にこびりつく。気がつけば、誰にも聞こえぬよう僕は呟いていた。
この、誰かに見られているかのような。或いは、誰かの手のひらで踊らされているような……。何よりも、僕の中で響く、警笛にも似た嫌な予感。能力の超感覚も相俟って、それはひたすら不吉なものとなり、僕の心を蝕み侵していく。
芽生えるのは、僕が考えうる限り、最悪の事態。即ち……。
「敵は……本当に蜂だけか?」
※
リリカ・エルダーシングは、書斎にて安楽椅子に腰掛けたまま、静かに辺りを見回した。
集まったのは自分の側近達。
蜜火洋平。
足利賢。
虎縞雀の三人だ。
「方針を変えるわ」
リリカの第一声を聞き、側近三人は思い思いの反応を返した。
ただ此方を見つめる洋平。何処か困惑したかのような。怯えているような顔をする足利。そして……。涙に目を腫らし、虚ろな表情の雀。
あまりいい雰囲気ではない。そうリリカは感じていた。
故に、この後の動きは慎重にならざるを得ない。リリカは唇を濡らしながら、静かに口を開いた。
「武器を使ったにしろ、熊蜂がこうも簡単に殺された以上、もう様子見は不要だわ。彼を捕らえ、改めて取引をします。本当はまた全員で行きたいけれども、そうも言っていられなくなったわ」
そうでしょう? 足利。と、目線で目線で確認をすれば、足利はコクコクと頷く。
「強襲部隊が近づいて来ている。それも今ここにいるのは、〝あのサングラスの男〟よ。尖兵としてここに来ていたのかは分からないけど、間違いなく援軍は呼ばれていると思っていい」
「……となれば、最悪俺達が争っている間に到着。漁夫の利の如く全滅もあり得るか」
神妙な表情で考察する洋平に、リリカは目を伏せ、「二手に別れるわ」と告げた。
「レイ達を出迎える役。そして、強襲部隊が来る前に偵察し、人質を確保する役。確か対策課なんて連中が来ていた筈よ。森島の屋敷に留まっているらしいから、そいつを人質にする」
「リリカ姉。皆で人質確保に行って、皆でサングラスを殺して、それから戻ってくるのは?」
おずおずと提案する足利に、リリカはダメよ。と首を横に振る。
勿論、〝サングラスの男〟がいる以上、そうしたいのは山々ではあるが、そう出来ない理由がある。
「配置した偵察兵によれば、レイ達の移動速度が予想以上に速いわ。入り組んだ洞窟の中で、どういう訳か最短ルートでこっちへ向かってきている。ここを他の一般兵だけで固めても、持ちこたえられないわ。下手すれば、折角確保した蜘蛛神を奪われてしまう。今後を考えれば、ここを死守しつつ、強襲部隊の到着を察知。かつ、人質による足止めと、逃走ルートを確保せねばならない」
リリカが渋い顔をするのを見て、足利は素直に引き下がる。
すると、今まで黙っていた雀が手を挙げた。
「姫、いっそレイとかいう蜘蛛神もほっといて。あたしら全員で逃げるのは?」
「……それも考えたわ。けど、無理よ。村に散らしている兵隊達を全員集めるのと、レイ達がここに着くのだと、多分後者が速い。それが原因でここをサングラスに知られるかも。……ほんと、どうなってるのかしら? まるで初めからこの位置が分かっているみたい」
「……恐らくは、あのダルメシアンだ。奴は元が獣なだけあって、鼻が効く。つがいの匂いを辿ってきているのだろう。あの犬コロは、俺達の襲撃から幾度も逃げ切っているのだ。その探知力はバカにできん。仮に俺達が逃げなどしても、どこまでも追ってくるかもしれん」
首をかしげるリリカに、洋平が補足する。
もう一対の蜘蛛のつがい。ご馳走に。上手くいけば己の兵隊になる筈だったそれらが、かような悩みの種になろうとは、誰が想像出来ようか。リリカは額の皺を伸ばすような仕草をしながら、もう一度、グルリと側近達を見渡した。
「今、斉藤がレイ達の方へ向かっているわ。余計なのは殺して、レイとあのワンちゃんを連れてきてくれる。私と洋平はここに残るわ。確実にあの二人を確保する。だから足利、雀。地上に出て人質を確保したら、貴方達は隠れていて。偵察は一般兵を使うこと。極力無理はしないで」
「わかったよ。リリカ姉」
「……まぁ、洋平と斉藤がいるなら大丈夫だろうけど……。気を付けてね」
そう言い残し、足利と雀の二人は、足早に部屋を出ていく。残されたのは、リリカと洋平だけとなった。
ふぅ……。と、ため息をつくリリカ。その傍に、洋平は膝まづき、そっと、柔らかなストロベリーブロンドの髪へ手を伸ばした。
「……欲張りすぎたから、罰があたったのかな?」
「姫は……いや、リリカは頑張っているさ。俺達を行かすために。お前は立派に、女王の務めを果たしている」
そう言い切る洋平に、リリカはそうかしら? と、首をかしげる。
「熊蜂は……いつだって切り込み隊長の役を引き受けてくれたわ。斉藤をスカウトするときも。他の神や、強襲部隊と戦うときも。頼もしい人だった。足利は、幼くて、考えが足りない時があるけれど、その実誰よりも皆を案じてるわ。雀は……今一番辛いのはあの子なのに、私を責めもしない」
リリカの手が、自らの頭を撫でる洋平のそれと重なる。チラリと洋平を伺えば、彼もまた、複雑そうな表情でリリカを。不自然に濡れた袖を見つめていた。
「俺は……俺達は、お前を生かす為にいるのだ。お前が死ねば、俺達は全滅する。けどな。戦うのは、何もそんな理由からではない」
己の袖でリリカの目元を拭いながら、洋平がそっとリリカを抱き寄せた。リリカは特に拒みもせず、自分より一回り以上大きな男の胸に、その身を預けた。
「お前と共に在りたいと。一人一人の犠牲に涙してくれるお前が愛しいから、俺達は捨て石にもなれるのだ。忘れるな」
淡々と。だが熱を込めて言う洋平。目の前が再び滲むのを感じながら、リリカは小さく。だが、確かに頷いた。
「……ありがと。洋平。でも、これ以上は殺させないわ。皆で生き延びる。絶対によ」
迷いを拭ったかのように、リリカは立ち上がる。洋平もまた、男臭い笑みを浮かべ、その横に並び立った。
「斉藤から連絡は?」
「まだよ。スマートフォンを使わなければいけないのが面倒ね。同じ蜂同士なら、どんなに離れていてもある程度のコミュニケーションはとれるのに」
肩を竦めながら、リリカはとてとてと。再び寝室への扉を開く。そこにはさっきまでの弱々しい雰囲気は皆無。あるのは……。
「ご機嫌いかがかしら? お姫様?」
リリカの言葉にそれは弱々しく顔を上げた。
上品なデザインのアンティークテーブル。その上に、それはさながら一般公開を待つ芸術家の彫刻の如く、鎖でくくりつけられていた。
腰ほどまで伸びた、艶やかな黒髪。前髪は切り揃えられ、その不気味なまでに整った顔立ちも相まって、まるで日本人形のよう。だが、本来ならば透明感のある美しさを醸し出すポーカーフェイスは、今や蝋人形のように虚ろだった。
雪のようだった肌は、今や青白く、所々鮮血で汚れている。
艶かしい肢体は今や見る影もない。その四肢は切断された挙げ句、毒で再生を阻害されいるのだ。
そこに息づいていたのは、美しい少女だった。だが、今や首と胴体だけになった彼女は、生きているというよりは、そこに在る。ただそれだけのように見えた。
「……うん、やはりいいわ。余計なものを排除した完成形。手足はもげても美しさを損なわないなんて……。素敵」
女王の風格を惜しげもなく晒したまま、リリカはその少女に歩み寄る。口角をまげ、妖しげな笑いを張り付けたまま、リリカはそっと、少女の怪物に触れ、その顎をなぞる。
「ねぇ、美しい蜘蛛神さん? ちょっと私と……お話しましょう?」
少女の頬を、涙が伝う。蜂の宴は終わりなく。静かに。夜が深さを増す度に濃くなっていく。
「貴方の王子様に……また会いたいでしょう? ちょっと私に協力して欲しいのよ……」
虚ろだった少女の目に、僅かに光が灯る。それはまさに、毒を含んだ誘惑だった。




