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名前のない怪物  作者: 黒木京也
続章ノ二 女王降臨
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25.熊蜂の強襲

 捕らえられていた顔無しの一匹は、軈て、蜂の拘束から解放された。まるで糸の切れた人形のように彼は力無く手足を虚空に投げ出し。やがて、固い洞窟の底に叩きつけられた。

「タナカッ!」

「アアッ、タナカ! ソンナ……ウソダッ!」

 悲痛な叫びを上げる顔無し達。僕も、エディも、雪代さんも。誰もがその光景を……。さっきまで無邪気に先導していた顔無しの一匹が、ピクピクと痙攣しながら事切れていく様を見ていることしか出来なかった。

「まず、一匹だ」

 野太い男の声。

 見覚えのある姿がそこにあった。ドレッドヘアに浅黒い肌。蜂の女王が連れていた側近の一人が、オレンジ色な蜂の翼を背ではためかせ、洞窟の天井に滞空していた。

「……一斉に来るのが蜂じゃなかったっけ?」

「俺もそうしたいんだがな。姫の……リリカ姫の要望だ。お前の力を試したく、俺を派遣した」

 地上から睨む僕に、男はそう返す。

 リリカ。それが、敵の首領の名前……。

 何度も何度も。噛み砕くように胸にその名を刻む。それにしても、僕を試すだって?

「覚えてるか知らないが、暴走したお前を止めるのは骨が折れたぞ。リリカ姫自らがお前と対峙し、お前は敗れた。普通ならお前は物言わぬ肉団子になって俺達の腹に収まっていた筈なんだがな」

「そうしなかった……まさかとは思うけど、僕らに奴属しろ。何て言わないよね?」

「察しがいいな。その通りだよ」

 男がそう言ってせせら笑う。……京子で慣れたと言ったら何だか悲しくなるけど、どうしてこの手の輩は、生きたままの奴隷を欲するのか。ほとほと理解に苦しむ。

「姫は、あの二体の少女の蜘蛛を近くに置くだろう。勿論、食料としてだ。だが、殺しはしない。せっかく再生する肉を無意味に食い散らかすには勿体無いからな。お前はあの少女を守りたいのだろう? 俺達の仲間になれ。あれと二人きりで過ごすよりは、俺達の元にいた方が生存率は上がるぞ?」

「自分で酷い矛盾を言ってるの……気づいてる?」

「……ああ、知ってるさ。お前がそれをよしとしない事もな。俺はお前を試すために来たのだ。煽らねば仕事にならん」

 わかってるならばいいのだ。彼女を食料として飼い、それを容認して、仲間になれ? 冗談じゃない。

「……あの子は、どうしてる?」

「姫の寝室に運んだよ。後は知らんが……。ここに来る前に立ち寄った時は、悲鳴が聞こえていたよ。手足をもがれているか。腕が動けないのをいい事に、うちの雄共に子を孕ませられているかもな。……そもそも産めるかは知らんが」

「……ああ、そう」

 成る程、仕事が出来る奴らしい。こんなにも、僕の心を掻き乱す事が出来るのだ。煽り役としては適任だろう。利き腕でない方を、怪物の爪に変える。それだけで、僕の意志は伝わったらしい。男は口角を曲げる。ギラギラとした眼光が、僕に向けられた。

 一歩前に出る。左右に、息の荒い顔無し達が続く。

「肉壁ニハナレマス。タナカノ敵ヲ……」

「……ダメだ。君らにこれ以上死んで貰ったら困るんだ。奴らの根城がどんなもので、どんな大きさか分からない。手は……多い方がいい」

 そう言って、僕はエディに向き直る。二匹を押さえていて欲しい。そんな僕の心を察したのか、エディは静かに頷いた。だが、その表情は何処と無く心配そうだ。

「相手は一人とはいえ、完全な蜂だぞ? 顔無し達では敵わぬから、戦わせないのは賢明だが……。レイ、君一人では……」

「大丈夫。手はあるんだ。多分負けはしないし……一瞬で終わる。僕と君で〝正攻法で挑む〟より、よっぽど力の節約が出来る筈さ」

 僕がそう告げると、雪代さんは、ヒュー。と、綺麗な口笛を吹いた。目が愉悦で輝いている。怪物同士の抗争を、楽しんで見ているらしい。「レイくん、レイくん。あたしの手助けは~?」何て地雷にしか見えぬ要望もやんわりと断り、僕は再び男に目を向ける。

 男は、人の姿を保ったまま、相変わらず滞空していた。

「相談は終わったか?」

「うん、待たせてゴメンね。後ろの人達は手を出さないから安心して」

「……勇敢な事だな。俺が怖くないのか?」

 そう問う男に、僕は愛想笑いを浮かべる。君は僕に恐怖なんて感じないんだろうね。何て思いながら、僕は無言で左手を構えた。


「姫は、殺す気でいけと俺に言った。俺やこの先に待つ奴を退けられないならば、お前に価値はないからと」

「へぇ。じゃあ、君と次の人は、捨て石って奴かい? より良い兵隊を得るための」


 御返しも兼ねて、僕も慣れない煽りをしてみた。が、男はそれに不快な顔をするどころか、晴れやかに笑っている。

「それならばそれでいい。強い仲間がいれば、リリカが生き延び、結果的に我々が滅びる事もない。そうすれば……〝彼女〟が生き延びる」

「彼女?」

「……お前には関係ない。話を戻そう。お前の兵隊入りは……リリカ姫が望む事だ。だが俺個人としては、お前は危険にしか見えんのだ。だから……。ここで死ね。幽霊蜘蛛……!」

 静かに吠え、一層羽音を強くする男。蜂特有の威嚇行動。元は僕と同じ人間だったのか。それとも蜂が知恵を得たのか。どっちなんだろう。そんな疑問が一瞬過るが、どうでもいいかという結論に至る。だって……。


「……来なよ。泥棒蜂」


 僕から言わせれば、(きみら)の方が危険だし、ここで死ぬのだって(きみら)以外ありえないのだ。


 空中から強襲してくる蜂。愚直にもフェイントなど入れず、速さを武器に突っ込んでくる。蜘蛛は搦め手しかなく、正面からでは蜂に敵わない。そう思っているのだろう。〝都合のいい〟事に。

 利き腕を、ジャケットの内ポケットに忍ばせる。秘密兵器を使う時が来た。


 ※


 絶えず悲鳴が漏れるリリカの寝室の外で、虎縞(とらじま)(すずめ)は落ち着かない様子で爪を噛んでいた。頭に浮かぶのは、つい数分前に出ていった男、熊鉢(くまはち)昭男(あきお)の姿だった。

 蜘蛛の神性。その片割れの迎撃。それが、リリカが彼と、もう一人。足利(あしなが)(けん)に下した命令だった。

 殺す気で力を見ろ。それは、今はリリカの執事となった、斎藤にも課せられた、一種のふるい分け。

 強いならば、リリカ自らが屈服させる。蜂の兵隊として。いざというときの非常食として申し分ないという事で。リリカ達は、他の怪物を主食とする。故に、今リリカの傍にいる面々は、何度か他の怪物と対峙した経験があった。

 戦闘に関しても、雀自身もそれなりに自信があったのである。だが……。


 思い浮かべるのは、昨晩の戦闘。蜂の毒をものともせず、あの蜘蛛の青年は長い間動き続け、此方に迫ってきた。

 恐ろしい。この蜂の身体となり、雀は生まれて初めてそんな感情を覚えた。

 赤々と輝く八目と、滑らかに動く八脚。生理的嫌悪を引き起こす怪物は、本来なら自分達が天敵であるというアドバンテージを持っているにも拘わらず、こちらの余裕を覆しかねない気迫を持っていた。あれは……本当に此方の獲物なのだろうか。


「クマ……」


 戦地へ赴いた、人間の頃からの友人の身が心配だった。今回の敵はどうにも嫌な感じがする。そういえば、この土地に来る前に遭遇した〝あの女〟も、そうとう胡散臭い雰囲気だった。リリカと何やら話し合っていたが、一体……。

 雀がそこまで思案した時だ。廊下の向こう側から、誰かが走って来るのが見えた。足利(あしなが)(けん)だ。

「足利、アンタ……出るんじゃなかったの……」

「リリカ姉! リリカ姉は!?」

 普段のふざけた態度は成りを潜め、心底狼狽した様子で息を切らし、女王の所在を問う。ただ事ではなさそうだ。

「リリカ姫は、今お楽しみ中だよ? 何か……」

「強襲部隊!」

 雀の言葉を遮って、足利は叫ぶ。出てきた単語に、雀は目を見開いた。それは、自分達蜂にとって、切っても切れぬ因縁の相手だった。

「奴らだ! 奴らの中にいたサングラスの男だ! あいつが今、村に……。制圧した拠点が、次々潰されてる! ここもそのうちバレるかも……!」

「…………っ」

 蘇る悪夢。部隊などと称しているが、その実態は怪物殺しに特化した殺戮集団。いつからそれが存在したのかもさだかではない。後ろ楯の見えぬ組織。

 リリカが率いる率いる蜂の集団が各地を転々としているのも、強襲部隊との戦いにより狩り立てられているが故に。

 他の側近や、数多くいた眷属も殺され、ようやく流れ着いたのがこの地である。その原因がすぐ傍に……。

「リ、リリカ! 大変だよ! あの男を試してる暇なんか……! あ」

 寝室のドアをノックしようとした瞬間。あっさりと雀の手は空を叩く。血染めの服を身に纏った蜂の女王が、そこにいた。


「リリカ!」

「リリカ姉! ど、どうしよう」


 詰め寄る二人の側近を、リリカは無表情で眺める。何処か、痛みに耐えるような表情に、雀は猛烈な胸騒ぎがした。

「ね、ねぇ。リリカ……もしかして……ウソよね?」

 あまりにも信じがたい可能性が頭に浮かび、雀は震える声を隠しきれぬまま、リリカの深紅の瞳を見つめた。

 リリカは、他の眷属の死を感じ取れる。さっきまで、愉悦に身を委ねていた筈だ。それがこんな沈んだような表情をするという事は……。


「強襲部隊……どうして嫌な事はこうも重なるのかしらね」


 白い頬を、一筋の涙が伝う。それだけで、雀は何があったのか察した。


「熊鉢が……」


 ※


 熊鉢昭男は、何か起きているのか分からなかった。気が付けば、自身の羽と、半身が弾け飛んでいる。身体を蝕む、異様なまでの虚脱感。この感覚の正体を、熊鉢はよく知っていた。


 バカな……。何故……! 何故お前が、ソレを持っている!?


 叫ぼうにも声はもう出ない。身体も動かせない。無様に地に身を横たえた熊鉢は、自分の傍に誰かが歩み寄って来るのを感じ取っていた。


「悪く思わないでくれ」


 抑揚のない声が響く。それは自分を撃ち落とした、幽霊を思わせる蜘蛛の青年だった。

 油断はしていなかった。

 蜘蛛糸による搦め手。鉤爪による攻撃。蜘蛛への変身。全てを警戒しつつも、高速戦闘に持ち込むつもりだった。

 だが……青年は、どの手段も取ることはなく。ただ、懐に手を伸ばし、それを迷い無く熊鉢へ……対地球外生命体汎用兵器、開拓者(パイオニア)の銃口を向けたのである。

 思いもよらぬ青年の攻撃を、熊鉢は予想など出来る筈もなく。無慈悲な銃弾は、致命傷を与えるには充分過ぎた。

「汐里が言ってた通り、銃の扱いくらいは覚えておくべきだったな。来る前に麻酔銃……収穫者(リーパー)だったっけ? 練習したけどこれか。……心臓を狙ったつもりだったんだけどね」

 淡々とした語り口と共に、劇鉄を起こす、絶望的な音が響いた。

 待ってくれ……!

 熊鉢は、そう叫ぼうとした。だが、開拓者(パイオニア)のモード抹殺者(ニゲイター)による狙撃は、既に熊鉢の自由を完全に奪っていた。彼にとっての不幸は、聴覚と痛覚。何より意識が飛ばなかった事に尽きた。故に……。

 暗い洞窟の中に、鋭い銃声が轟く。それが、熊鉢が最期に認識した全てだった。


 自然界では、蜘蛛が蜂に勝てる可能性は限りなく低い。だが、熊鉢には誤算があった。

 それは、そこにいたのはただの蜘蛛ではなかったこと。

 人の心を持ち、自身に武装を施せる存在であったこと。何より。


「先に手を出してきたのはそっちだよ。……さよなら」


 その人であり、蜘蛛である青年の狂気と殺意は……。既に蜂の想定を遥かに越えていたことだった。


 雀……すまねぇ。

 脳裏に浮かぶ古い友人の女性への謝罪は……二度と届く事はなく。

 熊鉢の命運は、あまりにもあっさりと終焉を迎えた。

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