23.機械仕掛けの抹消者
私にとって、家族はエディだけ。そして友達は……。家に住んでる教授って呼ばれるおじ様と夢にだけ毎日出てくる蜘蛛ちゃんだけでした。
教授は私に言いました。
「君は、どうありたい?」
難しい質問でした。どうありたいって、聞かれたことはありませんでした。
ママは、いい子でいて。の一点張り。
新しいパパは、何も言いません。
二人とも、私なんか見てくれなかったのです。
だから……。
「私は……エディと。エディとずうっと一緒にいたい!」
私の口にした言葉に、教授はにっこり笑いました。直前に「やはり新たなケース」とか何か呟いていた気もしたけど、私は気にしませんでした。
だって、私の願いはそれだけだった。辛い時も。寂しい時でも。寝る時も。ご飯を食べる時も。
一緒にいてくれたのは、エディだけだったから。
「犬はね。……少ししか生きられないんだよ」
そんな私に、教授は残酷な事を言います。そんなの……知ってる。本に書いてあった。
けど、いけないのか? 無理でも願うのはいけないことなの!?
パパもママにも可愛がって貰えなかった私が、たった一つでも夢を見るのは……。
「……いけなくなんかないさ。人は皆、夢を見る。たとえそれが、どんなに分相応なものでも」
そう言って、教授は私に手を差し伸べた。そこにいたのは、夢でしか会えなかった大きな黒い蜘蛛ちゃん。赤い八個の目が、私を見つめて……。
「君の願い。叶えてあげられるよ。私達なら……ね」
その時だ。
気のせいか。錯覚か。蜘蛛ちゃんが少しづつ、大きくなって。大きくなって。大きくなって。大きくなっていったのです。
ワタシヲ……ミテ。……アイシテ、アイサセテ……アナタトイッショニ……。
「……え?」
その日私は、そんな声を聞いたような気がして。そして……。
※
そこは、何とも拍子抜けするくらい平凡な場所にあった。
山の中腹に位置する岩の裂け目。まるで化け物の口を思わせる外観に、僕は無意識で唾を飲んだ。そこが顔無し達の先導した、蜂の怪物の根城だった。
「日本ニハ、把握サレテイナイ洞窟ガ大量ニ存在シマス。コレモ、ソレノ一ツカト」
「……天然の洞窟か。確かに狼達を隠すにはうってつけな訳だ」
「それをそのまま侵略し、巣としたのね~。蜂らしい思考かも」
顔無しの説明に、僕と弥生さんがそれぞれ感想を述べる横で、エディは鼻先を地面にくつけ、ひくつかせている。
「間違いない。優花と……レイ。君のパートナーの匂いだ」
蜘蛛の怪物であると同時に、犬でもあるエディだからこそ出来る追跡術。それが、顔無し達がもたらした情報を確かなものとして裏付けていた。
「当然ながら、敵の匂いがプンプンする。狭い中に待ち構えているのか。中は意外と広いのか……」
「こう考えると、見取り図が欲しいわねー。でもあれだけの数の犬を囲っていたんでしょう? 結構広いんじゃないの?」
「……どのみち、迷ってる暇はないよ」
ゆっくりと僕は能力を開放する。いつもの倍は冴え渡る超感覚は、相変わらずやかましいくらいにざわめきを繰り返している。が、それでも入り口付近には敵がいないことを教えてくれた。
「この先は未知の領域だ。今度は僕が先導する。敵が来たら警告するから……」
「イヤイヤ旦那。マダ慌テル時間ジャアリマセンゼ」
僕が穴へ入ろうとすると、顔無しの一匹が制止をかける。表情は分からないながらも、長い指をチッチッチッ。と横に振りながら、顔無しは僕らの前に二体。後ろに一体というように隊列を組む。
「旦那ニハ、力ヲ温存シテ貰イヤス。御嬢ヲ救ウ為ニ」
「先導ハ引キ続キ、俺達ガ。余計ナ雑魚ハ、引キ受ケマス」
「……でも」
それは危険ではないだろうか。暗闇で不意討ちでも来たら……。
すると、顔無し達は顔を……もとい、そこに該当するであろうイソギンチャクのような器官を見合わせて、「ピュヒヒヒ……」と、忍び笑いらしき仕草をした。
「旦那。旦那。俺達ノ力。忘レチマッタンデスカイ?」
そう顔無し達が言った瞬間――。彼らの背中が弾け飛んだ。驚きに僕が声を上げる暇もなく、そこには見覚えのある節足が現れた。
僕や汐里。そして怪物やエディと同じ。蜘蛛の脚だ。
「俺達ノ能力ハ複製。有トアラユル能力ヲ複製シ、再現デキル。……四割程」
「ツマリ旦那ノ超感覚モ御借リデキル、トイウ訳デス。……四割程」
「他ニモ力ヲ色々ト出来マスノデ、自分ノ身位守レマス。……タトエオリジナルノ四割程ノ力デモ」
ちょくちょく自虐的な言葉は気になるが、それは言わぬが花だろうか。僕はそう判断し、後ろの一人と一匹を見る。弥生さんも、エディも了承したようだ。静かに頷いたのを確認し、僕らは覚悟を決めた。
「行こう……。みんな気を付けて」
それだけ伝えて、僕らは暗い闇の裂け目へと飛び込んでいった。
視界は、一寸先も分からぬ程に真っ暗だった。だが、怪物たる僕らには関係ない。すぐに目が慣れて、洞窟の様子が分かってくる。
最初は細い道だったが、高さはそれなりにある。道幅が徐々に開いていき、最後には一際広い空洞に出た。延々と続くかに見えた回廊の先。そこに……。
「わーお。これ、モンスターハウスだ! とでも言うべき?」
「女刑事殿。意外と冷静だな。私達は今……囲まれているのだぞ?」
緊張感のない弥生さんの手拍子混じりな声に、エディが犬のくせにため息をつく。
僕もまた、肩を竦める他なかった。巣である洞窟へ至るまでの道中にいないと思ってたら、こういうからくりだったらしい。
周りにいるのは、爛々と目を輝かせ。荒い息をつきながら舌を出す、十数匹の狼達だった。
「通してください。は、通用しないよね」
「話が分かる狼がいるとは思えんな。……ああ、真の正体は蜂だったか」
「レイくん、レイくん! お邪魔しま~すとかどう?」
「姐サン、恐ラクソレモ通用シマセンゼ」
僕とエディが鉤爪を構え、弥生さんは怪物殺しの銃、開拓者を取り出す。十数匹ならば、すぐに片付くだろう。顔無し達は……。
「皆サン、下ガッテ!」
不意に後方と前にいた一匹が躍り出て、大きく息を吸い始めた。
そして――。
「プピュゥ……オヴェェエエ!」
物凄く形容しがたい呻き声を発しながら、イソギンチャクな口から火を吹いた。
「…………は?」
火を吹いた。
そのあまりにも唐突すぎる攻撃方法に、僕も。エディも。弥生さんすら口をあんぐりと開けるより他にない。
もっと驚いたのは狼達だろう。得体の知れぬ顔無しオラウータンもどきが、まさか火を吹いてくるとはつゆほども思わなかったらしく。「キャン、キャン!」と悲痛な悲鳴を上げて、逃げ惑う。相手は蜂であると同時に、獣。火が本能的に怖いのだろう。
「オヴェェエエェエ!」
……しかし凄い声だ。何と言うか……。週末の駅にいる酔っぱらいが嘔吐を催している時のような……。だが、方法はどうあれ、僅かながら敵を混乱させることには成功。後は……。
「あっちだ! 一時の方向に抜け穴! そっちから、匂いがする!」
エディが叫ぶと、それに呼応するように、火を吹かないもう一匹が先導する。僕らはそれに従い、抜け穴の一つに飛び込んだ。残された顔無し達は、火を撒き散らしながら此方に下がってくる。
「待った顔無し! 余り火は使わないで!」
そこで僕の感覚が警笛を鳴らす。火は確かに有効だ。だが、洞窟でそんなのを使ったらどうなるか。答えは簡単だ。
「グヘッ……。成る程。確かにこれは……洒落にならん」
真っ先に反応したのはエディだ。鼻など他の感覚が効くであろう彼には、火の有用性と危険性を把握したらしい。犬の群れを怯えさせる火炎放射は、狭い空間内の酸素を燃やし尽くしかねない。そんな諸刃の剣だったという事実に。
「エ……ナンデ?」
「ン……何カ息苦シイ?」
肝心の顔無し達は気づいていない。暗記は得意だが、おつむそのものは弱いらしい。「とにかく走って!」という僕の合図に、慌てて彼らはついてくる。狭い路地に入った僕らは、ただひたすら走る。先導する顔無しは、神経を集中しているらしい。今は話しかけない方がいいだろう。問題は……。
「奴等め、追い掛けて来るな。蜘蛛糸で道を塞ぐか?」
「名案だ。顔無し!」
「アイアイサー!」
エディの提案に同意した僕の声に、後方で走る二匹が反応する。僕らを模倣した鉤爪から出るは、銀色の糸。それらが先導する狼達を絡め、もつれさせ、動きを鈍くしていく。糸が幾重にも折り重なり、狼達は互いに阻害し合うことで、格段に動きが鈍くなっていた。
「出口見エヤシタ!」
先頭を行く顔無しの声が響く。前方を見ると、成る程。確かにそこは、妙な風の流れがあった。奥行きと結構な広さ。少しだけ感覚を研ぎ澄ませば、敵の気配はない。
「……レイくん。また広い部屋っぽいし、たどり着いたら下がってて。あたしにいい考えがあるわ」
「いい考え?」
すると後方で、弥生さんがそう呟いた。脈絡のない申し出に、僕の怪訝な顔になったことを見抜いたのだろうか。弥生さんは大丈夫大丈夫! と、やけに明るい声でそう言って。
「ちょっとこの細い通路をぶっ壊すだけよ」
そんな事を言い出した。
「……いや、何でそんな事を?」
「だってさ。見てよあの狼達。動きは鈍いけど、まだ追い掛けて来てるじゃない? レイくんやワンちゃんは力を温存したい。なら、この通路を吹き飛ばして、完全に追う道を断てばいいでしょ?」
冷静な声色に従うように後ろを確認する。成る程。確かに狼達は、まだ諦めていない。何体かは人狼化までして、糸に絡められた仲間を押し退け、僕らから結構な距離が離れて尚、勇ましく進軍してくる。顔無し達の力は多彩だが、パワーがない。中途半端な蜘蛛糸では、止めきれないらしい。こうなると、見た目派手な火炎放射も、そんなに火力が出ていない可能性もある訳だ。
思い返してみれば、彼らの戦闘方法は、多芸と多勢による奇襲戦術。あくまで身を守る位は出来るだけで、真っ向からの戦闘は苦手なのかもしれない。
「……通路を吹き飛ばすって……出来るの? 大丈夫なの?」
「勿論勿論。泥船に乗ったつもりで、あたしの胸を借りてくれれば……悪いようにはしないわ」
泥船だと沈むよ。とは、言えなかった。弥生さんは既に内ポケットと、大きめのウエストポーチから何かを取り出している。殺る気満々らしい。僕がお願いします。と、告げると、弥生さんはニッ。と、歪んだ笑みを浮かべながら、取り出したやけにゴツい器具を、開拓者に取り付けていく。
ペットボトル大の弾倉だろうか? いや、違う。これは信じがたいが、恐らく銃弾だ。ミリタリー知識は皆無な僕だが、そこにあるのが、過剰な火力である事が理解できる。
「基本は収穫者で動きを封じて、研究所にお持ち帰り。無理だったり、御し切れなそうなら抹殺者で殺し、死体を持ち帰る。逃げられそうなら追跡者を撃ち込んで、長期戦に備える。もう一つは……まぁ、自分が死ぬときの最後っぺだから説明はしないとして。今からあたしが使うのは、開拓者の五つあるモードのうち、最後の一つよ」
組み上げられた物は、元々ゴツい外観だった特殊拳銃を、更に凶悪なフォルムに変貌させていた。
「研究目的の捕獲や採集からは、完全に外れたものよ。レイくん位のサイズな怪物なら、死体も残さずに木っ端微塵になるんじゃないかしら? 一応これを撃てるのは今回も含めて過去に二度あった、抹殺指令が下った時のみ。名目上は巨大な。あるいは頑強すぎる怪物を相手取る時の為の火力らしいけどね」
ついに広々とした空間に出た。最後の顔無しが追い付いたその瞬間、弥生さんは迷わずその銃口を通路へと向けた。
「開拓者、最終形態。抹消者。行くわよ~ぉ……!」
それは最早、銃などといった生易しいものではなく。どこからどう見ても、グレネードランチャーだった。
直後……。豪快な爆音と共に洞窟全体が震動し、ガラガラという音が、僕らの通ってきた通路から響き渡り……。
「……やったらしいな。しかし無茶をする。洞窟全てが潰れたらどうするつもりだったのかね?」
残るは沈黙のみだった。哀れな狼達は、瓦礫の下に。あるいは爆風に巻き込まれて、文字通り吹き飛ばされたらしい。
暑い風がこちらまでくる。それに顔をしかめながら、エディが非難的な声を漏らす。が、弥生さんはそんなものは気になどせずに、キャッキャと楽しげに笑っていた。
「いいじゃない。そうなった時はその時よ。殺る時はね。楽しまなきゃ。それが男も女も……化け物をも、骨抜きにするときのコツよ」
妖艶な流し目が、僕に向けられる。その眼光に、僕は久しく覚えのなかった恐怖を感じた。
刑事に見えない。その直感は、やはり正しかったらしい。
淫靡に光る彼女の瞳は、獲物を弄ぶ肉食獣。あるいは、冷酷な殺人者のそれだった。




