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名前のない怪物  作者: 黒木京也
続章ノ一 背徳の牙
137/221

19.アルファ、降臨

 目を覚ました時。僕はただ、どうしようもない脱力感に囚われた。

 言い訳はしない。また負けた。敵の数が多かった。僕は負傷していた。天敵もいた。全てを引っくるめての負け。

 意地でも抵抗する僕を嘲笑うかのように、〝彼女〟と〝彼ら〟は僕を下した。薄れていく意識の中で囁かれた言葉は、今でも覚えている。

「レ、レイ……!」

 すぐ横で、聞き覚えのある声。いつかに病院で目を覚ました時と似たような構図だ。僕はそんな事を思った。

「……おはよう叔父さん。今は何日で、何時何分?」

 挨拶もそこそこに問い掛ける僕に、大輔叔父さんは冷静に告げる。日付は変わり、深夜零時。僕が戦っていたのは日没くらいだったから、既に結構な時間が経ってしまっている。同時にそれは、僕の身体も完全とは言わずも、回復していることを意味していた。血の繭でも喰らえば、充分に回復できるだろう。

 そこで初めて、周囲を見渡す。見覚えがある和室。森島さんの屋敷らしい。

「……状況の説明と情報交換。いいか?」

「うん、叔父さんから話して欲しい。ちょっとまだ寝起きだから……さ」

 そう語る僕を心配そうに見つめながらも、叔父さんは静かに語り出した。

 村は壊滅。生存者の発見は絶望的。

 村を襲っていた怪物は感染能力があり、次々と感染者を増やしては、勢力を拡大させている。

 絶滅している筈のニホンオオカミが生きており、それらが最初に大元となる怪物の首領に力を与えられたらしい。

 対策課の面々は、宮村さんが感染。大鳥さんが殉職。雪代さんと桜塚さんが行方不明。こちらもほぼ壊滅だ。と、叔父さんは苦々しげに語った。

 僕の方はというと、抱いていた疑問が氷解した気分だった。奴等が狼と人間の姿をとっていた意味。何て事はない。感染は重複するのだろう。

 オオカミの姿の感染した獣が人間に噛みつく事で、怪物としての要素と、オオカミとしての要素が混じり、結果、人間としての姿。獣の姿。人狼の姿の三通りを取れるようになっていた。そんな所か。けど、それもまだ序の口なのだろう。〝彼女ら〟の言葉を信じるなら、いや、僕が見た事実を述べれば感染者にはもう一段階上がある。だが、今はそれよりも考えることがあった。

「叔父さんは……今後どうするの?」

 正直、もうこの村は救えない。その現実を分かっているのか、叔父さんは苦い顔をしながら項垂れた。

「いつかと同じ。抹殺命令が出てる。こいつらの感染が拡大すれば……間違いなく恐ろしい事になる」

 叔父さん一人でそれをやれとは、どこぞのブラック企業もビックリだ。何て感想は飲み込んだ。疲れている叔父さんにそんな笑えないジョークを飛ばすのは躊躇われたし……。僕にも、そんな余裕はなかった。

「そっちは……? 来たら狼共の死体の山だ。いったい何があった?」

 問い掛ける叔父さんに、僕は力なく微笑んだ。ちゃんと笑顔になっているだろうか? まぁ、どうでもいい。今は語ろう。語って。そして……。


「敵の首領。アルファって呼ばれていた奴に会ったよ。そして……あの娘を連れさられた」


 僕がどうするかも、叔父さんに話そう。


 ※


 押し寄せる群れを相手に、手負いの僕とエディは奮戦していた。切り裂き、踏み砕き、拘束し、突き殺す。殺した数を数えるのを止めた辺りで、周りの狼達はようやく僕らのおかしさに気づいた。


「蜘蛛神だろう? 何故俺達を恐れない?」

「アルファは俺達なら神に勝てると」

「何でだ? 何で?」

「アルファ嘘ついた?」


 不安や焦燥がこちらまで伝わるが、知ったことではない。僕とエディが返り血で汚れたまま、また一歩踏み出せば、人狼、狼、人間の混合集団は畏怖するようにたじろぎ、後退りし……。


「何をしている?」


 すぐにその足を止めた。 

 そこに、男が立っていた。筋骨粒々で、浅黒く日焼けした男は、高そうなスーツを着込み、腕には金のブレスレットが輝いていた。


「よ、洋平(ようへい)……?」

「洋平さんだ……」

「何で? アルファの傍にいる筈じゃ?」


 獣たちが口々にわめきたてるのを、洋平という男は不快そうにねめつけた後、僕の方へ目を向けた。鋭い眼光が値踏みするように僕を見てから、隣にいたエディを盗み見る。


「犬以外にも仲間がいたとはな。しかも……。ほう、人間じゃないのか。若者よ」


 どことなく楽しそうに目を細める男。その目は続けて、今だ屋根の上に座る怪物と、小さな少女を捉えた。


「下っぱ共が、蜘蛛神がもう一匹来たと喚いていたが……本当だったようだな。これは思わぬ収穫だ」

「……収穫?」


 僕の怪訝な顔に口角を上げながら、男は頷く。同時に準備運動をするかのように膝を屈伸し始めた。


「ああ、俺達は雑食だ。動物の血と屍肉、姫の〝施し〟があれば生きていける。だが、姫は違う。血の他に定期的に神を食べねば、その身体を維持できない」

「……姫?」


 急に出てきた単語に僕が首をかしげていると、男は肩を竦めて獣たちを顎でしゃくる。どことなく、侮蔑の感情すら見えた。


「こいつらが言っていただろう? アルファ……と。それもまた正確な呼び名ではない。アルファとは、こいつらの本能から来る言葉だ。狼の社会ではな、群れのボスをアルファと呼ぶそうだ」

「……そっちの親玉を指す言葉には変わりない訳か。なら姫でもどっちでもいいよ。聞き捨てならないのは……その神っていうのが、あの娘を指しているようにしか思えないんだけど?」

「……察しがいいな。その通りだ。若者よ。譲ってはくれまいか? なんならば、俺達の元へ来い。お前も彼処にいる娘達には及ばないが、一応姫の餌にはなりうる」

 自然に額へ皺が寄るのを感じた。この騒動は、姫だかアルファが生き延びる為に起こされた。そう考えるのが妥当だろうか?

「さっきの奴等は、あの娘に子を産めなんて発言してたけど?」

「ああ、あれもまた、狼共の本能から来るんだろうね。単純な獣の思考だよ。嘆かわしいが、まぁ別に問題はない。何かの間違いであの娘が孕んだとしたら、食料が増えるのだからな」

「……ああ、そうか」

 酷い話だ。そんなのあの娘を家畜か奴隷として差し出せと言っているようなものではないか。

 鈎爪を男に向ける。それを、男は不思議そうな顔で見つめていた。

「何のマネだ?」

「渡さないって意思表示だけど?」

 僕の返答に、男は鼻を鳴らす。わかっていた。そんな顔だった。

「そこの犬は、過去に二度、俺を出し抜いた。お前も俺を楽しませてくれるのか?」

「さあね」

「……絡みがいのない奴だ。まぁいい。お前が全快でないのが少し惜しいが……。いい加減に神を連れていかねば、姫の身体が危うい。丁度そこの犬も一緒にいることだ。一人と一匹まとめて叩きのめすが構わんか?」

 返答は、爪の一刺しだった。が、男――、洋平はそれを上体の動きだけでかわすと、直ぐ様こちらに手を伸ばしてくる。瞬時に後退し、そのまま蜘蛛糸を射出。が、驚くべき事に、洋平はそれを空中に浮かび上がることで回避した。

「……飛べるんだね」

「飛べるとも。俺達はその辺の出来損ない……。狼男擬きとは違う。姫から受けた力により、本来の種として純粋に覚醒した存在だ。この状態に到達出来た個体は、俺を含めて今のコロニーには四体しかいない」

 ブブブブブ……と、空気を震動させる音を立てて、洋平は空中に滞空する。よく見れば、その背後に薄いオレンジ色の羽が見えた。

「……虫の羽? それが君達に力を与えた怪物の本来の姿……?」

 力を受けたという事は、元々目の前にいる洋平は、純粋な人間だったのだろうか?

 慎重に相手を観察しながら、僕は能力を発動し……。

「呑気に考えている余裕はないぞ? 俺達は狩りには全力で当たるのだ。お前達を見ているのが、俺だけだと思うな?」

 刹那、沸き上がる不吉な予感に、直ぐ様横っ飛びに跳ねた。エディもまた、反対側へとジャンプする。直後に訪れたのは、何か大きな塊が地面に激突した音だった。

「なんだ……これ?」

 そこにいた存在に、僕は思わず顔を背けたくなった。


 (ハチ)だ。流線型のしなやかなボディは、青みがかった黒。爛々と光る赤い複眼。肌をゾワリとした感覚が襲った。

 僕の能力、超直感が、ここは逃げろと叫んでいた。心や意志を度外視した、生存本能の警告に、僕の頬を冷たい汗が伝う。

 狼達を見た時、天敵だと言うわりには単純な敵だ。そう思えた。だが、こいつは違う。狼の牙から発せられていた危険信号が、この蜂の全身から発せられていた。


「ベッコウ……バチ?」


 頭の奥にあった知識を引っ張り出す。以前蜘蛛について調べた時、その名を知ったのだ。ついでに汐里の趣味で付き合わされた生物の講義でも聞いたことがある。

 スズメバチを凌ぐ体躯と、飛行スピードを持ち、毒蜘蛛として有名なタランチュラはおろか、世界最大とされる種の蜘蛛すら仕留める。幼虫の子育てにすら蜘蛛を餌に。ゆりかごに。狩りの練習にと、この蜂は余すことなく使い尽くす。

 蜘蛛の方も勿論、捕食者としてのプライドもある。この蜂の襲撃に対して、果敢にも戦いを挑む種もいる。だが、現実は非情。勝敗は十割方、蜂の勝利に終わる。

 両者には、絶対的な迄に力の差があるのだ。蜘蛛にとっては、史上最悪の天敵と言えるだろう。


「……どうした。急に固まって? 死のビジョンでも見えたか?」


 死角からの一撃に対応出来たのは、ほぼ奇跡だった。強烈なまでの洋平の右フックを受け止めた瞬間、洋平の彫りの深い顔立ちが、瞬時に昆虫のそれに変化した。


「う……お!」


 手のあった場所に、三本の節足が表れる。僕の腕を絡めとられたと悟った時には、洋平の身体は人間から巨大な殺人蜂に変貌していた。


「……いい反応だ」


 昆虫の姿のまま、僕に向けて賞賛が贈られる。

 蜂特有の身体を屈曲させた毒針の一撃。必殺を予感させるそれを、僕は封じられていない方の鈎爪で受け止めていた。

 不気味に脈打つ虫の腹部。気を抜けば体勢を入れ替えさせられて、再び突き刺そうというのだろう。拮抗する両者。端から見ればそうとれる。だが、それは見せ掛けだ。


「フシャアアァア!」


 すぐ脇から奇声が上がると同時に、洋平は僕の拘束をあっさりと解き、再び宙に舞う。さっきまでいた場所で、ガキンと牙が打ち鳴らされるような音がした。エディだ。

「……らしくないな。お前ならば、この隙にあの少女を連れて逃げるかと思ったが……。この男、お前と無関係ではないのか? まぁ……」

 エディを嘲るように赤い複眼がキラリキラリと不気味な光を放つ。直後――。エディが着地した場所に、もう二つの影が殺到した。

「ギゥ……オオォ……!」

 苦痛に耐えるようなエディの呻き声と共に、猛烈な羽音が僕の耳をつく。

 洋平と現れたもう一匹とはまた別の蜂が二体。エディの身体にすがりついていた。今更ながら、蜂達の体躯は普通の個体サイズを遥かにしのぐ化け物だ。中型犬に分類されるエディの身体は、あっという間に取り込まれ……。

「ギャフッ!」

 短い悲鳴が上がった時、勝敗はあっさりと決した。蜂達が離れた後に残されたのは、全身を痙攣させたまま、ぐったりと横たわるエディの姿だった。

「今日は一対一ではない。俺達が全員出払ってきている以上、蜘蛛であるお前達には勝ち目はないがな」

 蜂の姿のまま、洋平は淡々と語る。その周りを他の巨大蜂が三匹。隊列を組むかのように旋回した。

「……四体いるって言ってたね。全員ここにくるなんて……随分と大盤振る舞いだね」

「俺達に牙を向かんとする人間が入ってきた。そんな情報を得たからな。ついでに獲物にしようとしていた神まできたとあれば、俺達は総動員で動かねばなるまいよ」

 僕の悪態すら聞き流し、洋平は大真面目に答える。能力は……もう意味を成さない。バカでも分かる絶体絶命なシチュエーション。脅威が。身の危険があると分かっても、逃げられなければそれはなんの意味もない。

 だからひたすら思考を回す先には何とかして、あの娘を逃がす。それしか今の僕には考えられなかった。だが……。


「大盤振る舞い……ね。じゃあ、も一つおまけはいかがですか?」


 そのプランがまとまりきる前に、僕の耳へ成熟しきってない、甘い声がして。

 そこに音もなく、絶望が舞い降りた。


 いつからそこにいたのだろうか。見慣れぬ少女が、僕の傍に立っていた。

 ストロベリーブロンドというべき、明るい髪色のショートボブ。

 ルイと同じ、血の一滴を落としたかのような紅い瞳。

 あどけなさを残す肢体と顔立ち。見た目は中学生か。下手すれば小学生にも見える。

 だが、身に纏うクリーム色のニットワンピースが。浮かべた歳不相応な蕩けるような微笑が。アンバランスな色気となって表出する。


 異様な。それでいて、美しい少女だった。

 オレンジ色な虫の翼を広げた、美しい少女。


 その時僕は、戦慄めいた予感があった。この娘が……。この娘が『アルファ』怪物達の女王に違いない。

 それほどのプレッシャーが、少女からは放たれていた。


「はじめまして。……多分すぐ、サヨナラだろうけど」


 歌うようにそう告げる少女、アルファ。その小さな体躯の背後には、執事のような燕尾服を着た、長身の男の姿があり……。

「……っ! 彼女達に、何をした……!」

 その存在が問題だった。ぐったりとしたまま、男に横抱きの形で捕らえられていたのは、紛れもなく僕のつがいである、少女の怪物と、エディのつがいだったのだ。

「……その質問は野暮じゃない? 私達は、蜂よ? 獲物に使うのはただ一つ。この蜘蛛神は二人とも綺麗だったから、身体に撃ち込むのが凄く栄えると思わない?」

 ど・く。と、舌舐めづりしながら、アルファは笑う。

 洋平と僕らが対峙しているときに、空から襲いかかったのか。どのみちこの瞬間、彼女を逃がすのは不可能となった。完全に動けなくなった彼女を救うには、この状況で後ろで飛び交っている四体の蜂を退け、目の前の蜂の女王を倒し、執事の男を下す必要がある。

 方程式のように組上がる、僕がやるべきこと。無情にもその解はわかりきっている。それでも――。

「抵抗はしないで。それは無謀よ。痛い思いをしたくないなら……」

「……断る。ありえない。だから……」

 君は死ね。

 そう告げることなく、僕は走り込み……。


「……男を貫く姿は、褒めてやろう。だが、この世には意地だけではどうにもならんものが確かにある」

「残念だわ~。男も女も。結構好みなタイプなのに」

「女子高生とは……アンタとはうまい酒が飲めそうだったのにな」

「ま、洋平さんも言ったけど、僕らに蜘蛛ごときが勝てるわけないよね。安心してよ。あのお姉さんは僕らみんなで楽しむからさ」


 鈎爪がアルファに届く直前。僕の身体は拘束される。左肩と腕を洋平に。背後から抱きすくめるようにして、声からして恐らくは女性が。右肩と右腕に大学生位のドレッドヘアの男。正面に、中学生らしき少年が。それぞれ思い思いの言葉をぶつけながら、僕を取り押さえる。それぞれの手が、抜き手の形で僕に突き付けられている。よく見れば、緑色に光る液体で、そいつらの手はヌラヌラと光っていた。

「…………っ!」

 いちいち反応はしてやらない。それよりも、今は……。

 執事の男に抱えられた怪物を見る。ぽっと出の奴等など、僕は視野の外だった。今はただ、彼女の傍に行きたかった。

 狼の姿ですら、怖がっていた。それが、正真正銘の天敵の姿で舞い降りられたら、彼女はどんなに怖かっただろうか。

 待ってて。今すぐに……。

「……ダメよ。この娘はもう、私のもの。お兄さんはこの娘に触れることなく、ここで果てなさい」

 ストン。ストン。ストン。と、まるでオモチャの樽に剣を刺すかのように、彼等の手が僕の身体に突き入れられた。手が槍のように鋭く、蜂の腹部のような形になるのが見えた。僕らの鈎爪と、似たようなものだろう。興味はないが。

「う……が……あ……あぁあああ……!」

 身体が痺れていく。四本目。洋平の針が肩に突き刺さる。ご丁寧に狼達にグジュグジュに噛み千切られた場所へ深々と。それでも僕の腕は動き、自然と口からは咆哮が漏れて……。

「……サヨナラ」

 最後に胸の右側が、アルファの手で刺し貫かれた。心臓を貫かなかったのは慈悲か。それとも肺に穴を開ける事で、更なる苦痛を与えるためか。

 瞼が重くなる。痛みだけが、全身を支配する。こいつらの毒は、痛覚を麻痺させない素敵な仕様らしい。やがて、視界が黒く染まり。無念の怨み声も枯れかけて……。


「……私はね。捕らえた神はじっくり味わうの。このお姉さんは特別に味わうわ。手足をもいで、余計な衣服は剥いで、ベットの天蓋に飾ってあげる。ゾクゾクするくらい、綺麗にしてあげる」


 ブチン。と、弾けるような音がした所で、僕の記憶は途絶えた。



 ※

 

 ゆっくりと倒れた青年を、アルファは無表情に眺めていた。絶命はしていないが、暫くは動けまい。適当に狼共の餌にするのが妥当だろうか?

 そう思った時、アルファは側近の一人が執事……斉藤(さいとう)の抱える少女を見つめているのに気がついた。

 中学生くらいの、あどけない少年の容姿。自分とは頭一つ分程しか差のない、低めの背。足利(あしなが)(けん)。数少ない蜂の姿で覚醒した、従者の一人だ。

「ねぇねぇ、リリカ姉ちゃん。神はじっくり食べるんでしょ?」

 邪気のないように振る舞う足利を、内心でため息混じりに見ながら、アルファは「そうよ」とだけ答えた。すると、足利は待ってました。と、言わんばかりに満面の笑みで、神を。黒いセーラー服を着た少女を指差した。

「じゃあさ! 片方はしばらく保存だよね。じゃあ僕、このお姉ちゃんが欲しい! こっちを保存してよ!」

 明るい声がこだまする。遠巻きに見ていた側近達のうち、洋平以外は肩をすくめている。

 足利の悪い癖が出た。そう思っているに違いない。

 人間の頃から、彼は学校なる所で問題を起こしていたらしい。無類の雌好き。それも、中学生とは思えぬ、そうとう悪質な所業で女を手にしていたとか。もっとも、こればかりは足利からの自己申告故に、何とも言いがたいが。

 取り敢えず、そんなことは置いておき、アルファは部下の一人に向き直る。

「……ダメだよ。まだどちらを保存するかも決めてない。それに、貴方個人に神を与えることも認められない。何年ぶりに手に入れたと思うの?」

「え~っ! だってさぁ! そっちの神は小さすぎて僕の入らないじゃん! こっちのお姉ちゃん、僕の好みドストライクなんだよぉ! ね? ね? リリカ姉ちゃん! 一生のお願い!」

 祈るようなポーズを取る足利にアルファはため息をつく。

 この子は、最近覚醒したてだ。だが、力だけならば、既に洋平を除く幹部の二人に匹敵する程の成長ぶりを見せている。だからこそ、今まで好き放題させてきた。

 里の人間だった狼達。足利はその一部を力で屈服させ、自分の傍に侍らせている。そんな少年だ。それ自体は大した事ではない。配下達の中で勝手に優劣をつけるの位、アルファは気にもとめないのだ。だが……。

「ね? 僕はナンバー2だよ? だからほら、少しは……」

 獲物を掠め取るような真似は断じて許さないし、何より、自分の下僕の躾は。調子に乗り始めた新参者のエリートにお灸を据えるのは、女王たるアルファの役目だった。


「足利」


 少年の言葉を遮り、アルファは音もなく足利に近付く。視界の端で、洋平が「殺さぬ程度で頼みます」と、無言で目配せするのが見えた。


「貴方……まさかとは思うけど、今私が食べる順番を指図したのかしら?」


 その瞬間。足利の唇に、何本もの針が突き刺さった。

「ひ……ぎぃぅううぅうう!?」

 基本的に、怪物の身体は丈夫に出来ている。だが、それでも痛覚が全くない訳ではない。怪物に苦痛を与え、動きを止め。場合によっては死に至らしめる、毒針。

 大きさはまち針並みに小さくしたが、毒を含む事には変わりないそれが、立て続けに数十本突き刺さればどうなるか。答えは簡単だった。

「しばらくお口縫い縫いよ。わかった?」

 倒れ付した下僕を撫でながら、アルファは何事もなかったかのように足利にそう告げる。果たしてその声は聞こえていたのか。涙目になりながら、歯茎に唇を縫い付けられた足利は、地面に額をこすりつける。

「……足利。いけない子ね。私はわかった? と聞いたのよ? 返事ができない悪い子を家族にした記憶はないのだけど」

「い……あ……え……ぐ……」

 くぐもった呻きが、足利の口から漏れる。口が動かないよ! どうやって返事しろって言うのさ! そう目で訴える足利の首を、アルファは無表情のまま鷲掴みにした。小さな手で力一杯。握り込めない分は、少し発達した喉仏を抉りとる勢いで引きずりあげ、アルファはキス出来るほど近くで足利の目を見た。

「頷くくらいできるでしょう? この神は私のもの。私が食べて、私が生き延びて、初めて貴方も生きていける。ナンバー2? 足利。足利……。蜂の社会にそんなものは存在しないわ。あるのは女王と働き蜂。あるいは、絶対的強さを持つ個。ここで聞きたいのだけど、足利。貴方は私より……強いのかしら?」

 ブンブンブン。と、首を横に振る足利。それを見たアルファは、再び「わかった?」と、問いかける。コクンと頷く足利を、アルファは満足気に解放した。

 未だ震える足利のズボンに、染みが広がっていき、やがて地面を湿めらしていく。その背後から洋平が、言い聞かせるように足利の肩へ手を置いた。

「申し訳ありません。姫。私が注意すべき……」

「いいのよ。言ったでしょ? 蜂に階級はないの。貴方も足利も。私には等しく愛しい存在よ。その躾は……私の仕事」

 そう告げるアルファに、洋平は恭しく一礼し、未だ腰を抜かした足利を担ぎ上げた。その横にドレッドヘアの男と、二十歳前後の女性が並ぶ。

「リリカ姫。あの兄ちゃんと犬は持って帰らないのか?」

「一応、蜘蛛神……なのよね?」

 二人の質問に、アルファはつまらなそうにため息をつく。横目で見るのは、倒れ伏した青年だ。

「放っておきなさい。所詮神に似せて作られた混ぜ物よ。それを食べたいとは思わないわ。貴方達が食べたければ好きにすればいい……」

 そこまで話して、アルファは口をつぐんだ。ありえない光景が、そこにあった。

 硬直したアルファを不審に思ったのか、側近達は、その視線をたどり……。


「……ほう」

「う、そ……」

「……ありえねぇ」


 戦慄した。そこに立っていたのは、先程五人分の毒針を撃ち込まれ、完全に沈黙した筈の青年だったのだ。


「……Aa……u……Aaa……!」


 それは、呻くような。地の底から這い上がるかのような。そんな声だった。

 血だらけの身体を引き摺るようにして、青年は一歩踏み出す。

 ギラついた双眸が、ただ真っ直ぐ此方を見据えていた。


 毒は、効いている筈だ。見た所、意識も定かではない。にもかかわらず、青年は起き上がった。それは……。

「意地……いいえ、もはや本能ね」

 つがいを守る。それがこの蜘蛛神に似せて作られた男の存在(レゾン)理由(テートル)なのか。

「Aaaa……Aaaaaaaaaaaa!!」

 意味をなさぬ寄声を発したかと思えば、青年の骨格が歪んでいく。時間にして数秒後。そこには、異様なまでに巨大な蜘蛛の姿があった。

「っ……リリカ、下がりな!」

「毒、回ってる筈だよな? 耐性でもあるのか!?」

「……あるいは毒の類いが既に身体に撃ち込まれているか……だろうな」

 自分を囲むようにして立つ側近達。それをゆっくりと見回し、すぐ後ろの執事……斉藤に視線を向ける。

「斉藤。その子達を離さないでね。熊鉢(くまはち)鈴芽(すずめ)。斉藤を死守。洋平は、そのまま。足利を抱えてて」

 素早く命令を伝達する。斉藤は無言で頷き、他二人は驚愕した顔に。洋平はどことなく心配そうにアルファを見た。

「姫、お身体に障ります。ここは私が……」

「洋平。過保護なのも考えものよ? 私が負けるとでも思うの?」

 問いに対する返答は迅速だった。「いいえ、決して」とだけ口にし、洋平は引き下がる。

 それを満足気に見届けて、アルファ――。リリカ・エルダーシングは、青年。いや、名も知らぬ怪物と対峙する。


「来なさい。私に貴方の魂を魅せてみて。その上を行く力で……貴方を屈服させてあげる」


 胸元に手を当てる。脈打つ心臓は、まだ自分が生きている証だった。リリカはそれを愛しげに撫でながら、迫り来る蜘蛛を出迎える。


「私は……ここで滅びる訳にはいかないのよ……!」


 真紅の瞳は静かに。だが、確かな熱を持って輝いていた。揺らぎ、鋭さを増すその様は、暗がりにたゆたう焔を思わせた。



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