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名前のない怪物  作者: 黒木京也
続章ノ一 背徳の牙
136/221

18.絶望の連鎖

 森の中を、精気のこもらぬ足取りで、小野大輔は進んでいた。

 着込んだスーツは長時間獣道や荒れ地を歩き回ったせいで、土埃で汚れ、所々に小さな傷がついている。

 疲労が、限界に近かった。宮村佑樹との戦闘後、大輔には身体を休める暇はなかったのだ。

 日は既に沈み、視界は著しく悪い。本来ならば、こんな時に怪物達が闊歩している森を行くのは自殺行為だ。だが。〝数時間前の悪夢〟を皮切りに、この土地は安全な場所などなくなった。

 そんな状況で一つの場所に留まるよりは、少しでも生存者のいる可能性がある方に向かうべきだ。彼はそう判断したのだ。

 今目指すのは台地の上に位置する森島の屋敷。レイと、少女の怪物がいると思われる場所だ。

「大輔さん、まただ」

 後方から、声がする。宮村佑樹を雑に引き摺りながら、ルイが紅い瞳を細め、鉤爪を構えていた。

 耳を澄ませば、すぐ近くの茂みが、微かにざわめいて……。次の瞬間、再び黒い獣が躍り出た。素早い動き。四足歩行の狼タイプ。

 大輔はその動きを捕捉しつつ、半ば機械的な動きで開拓者(パイオニア)の標準を獣に合わせる。モードは抹殺者(ニゲイター)

 引き金が絞られ、銃声と共に必殺の銃弾が狼の眉間に命中。哀れな怪物は、悲鳴を上げるまでもなくその身の半分を消し飛ばされた。

 吹き出た血飛沫とミンチになった臓物が、べしゃりと地面にぶちまけられる。返り血が大輔の靴やスーツ。開拓者(パイオニア)の銃身にこびりついた。

「……急ごう」

「……了解」

 短いやりとりを経て、大輔とルイは再び進む。語ることは今はない。互いに背中を守り合うのが最優先だった。

 歩き出す瞬間、大輔は打ち捨てられた死体に刹那の視線を向ける。

 獣か。人か。怪物か。この地において、その境界はもはや曖昧だった。こうしてそのどれともつかぬ命を屠り、容赦なく噛み殺す自分は、一体どれに該当するのだろうか。そんな自虐にも似た思考に任せ、大輔は己の武器を握り締める。

 使われる技術も、一見単純に見えて謎に包まれた試作品。更なる進化が用意されているのであろうそれは、何処と無く今や自分には身近になってしまった存在と、同質のものを感じさせる。


 技術と共に進化していく銃。

 血まみれのそれは、(けだもの)にも、機械仕掛けの〝怪物〟にも見えた。

 


「……っ」

 その赤を自覚した時。ギリリと、大輔の歯が嫌な音を立てる。森島の屋敷へと向かう数時間前の出来事が、今も脳裏にはりついている。

 結局のところ、自分はまたしても何も守ることが出来なかったのだ。


 ※


 聖域と呼ばれていた分校は、今や全く別のものへ変貌していた。

 燃え盛る炎にぐるりと囲まれた敷地の至るところに、打ち捨てられた人。人。人。それらは誰一人とて無事な者はいなかった。

 いるのは、噛まれたのであろう場所を手で抑え、痛みにのたうち回る者。完全にこと切れ、無造作にその四肢を投げ出している者。そして……。


「あ……ぎ…………おっ、おっ……」


 今まさに、獣の牙の餌食になっている者。この三者だけ。呻き声を上げ、ビクリビクリとその身を痙攣させる名も知らぬ男性は、今まさに腕を食い千切られ、無惨に焼け焦げた匂いのする大地に伏した。

 獲物の肉を貪る獣の目が、たどり着いた大輔とルイにギョロリと向けられる。視線の交差はほんの数秒。

 取るに足らぬ人間と判断したのか、獣は食事に集中する。千切りとった腕に執着しているのか、ガリガリボリと、骨を噛み砕くような軋みと一緒に肉をすり潰す嫌な音が響き渡り……。

 数秒後。一発の銃声の後、獣は物言わぬ肉の塊に成り下がった。

「……何だこれは……。一体。何が……?」

「……木が、燃やされてる。汐里の記憶を辿るなら、オリーブの木か。あれが防波堤になっているのではないかという汐里の推測は梨花の種明かしで分かっていたけど……燃やされるとは……」

 運悪く中で覚醒した人間がいたのか……。と、歯噛みするルイに対して、大輔はただ困惑し、辺りを呆然と見回す。

「……クソッ、酷い臭いだ。人も焼けてるのか」

 顔をしかめる大輔。向かう方向性も見失い、立ち尽くしていると、不意に砂利を踏み締めるような騒がしい足音が聞こえてきた。

「刑事さん! 良かった、無事で……」

 走りよってきたのは、いつかの医者と、村長の息子だった。二人とも身体中土や煤等で汚れている。肩や腕には痛々しい傷があるが、それでも致命傷などは免れているようで大輔は健在する人間もいることに一先ず安堵し……。


「……っ! 下がって! 大輔さん!」


 その瞬間、大輔はいきなり、後方へ突き飛ばされた。反転する視界に見えたのは、おおよそ人とは思えぬ表情でニタリと笑う二人の男と、それに躍りかかるルイの姿だった。

 大輔は、もはや二の句がつげなかった。恐ろしいうなり声が轟きかけ、そのまま強烈な殴打音がする。「ガウッ!」「ギボッ!」というくぐもった悲鳴と共に大輔の側に何かが倒れてきた。


「……人狼。宮村と同じなのか? こいつらも……」


 もはや誰が人間で、誰が怪物かもわからず、ヨロヨロと立ち上がりながら、大輔は再び、弱々しく周囲を見渡す。誰を救うべきか。誰を撃つべきか。さ迷う銃口は、震えながら地面に向けられるのみ。

 そんな大輔のそばで、ルイは冷静かつ迅速に倒れた怪物達の心臓を抉り抜いていく。ビクリと震え、それっきり動かなくなった医者と村長の息子だった存在を、大輔は見ていることしか出来なかった。


「こいつらの力は毒で疫病らしい……。故に刺されたら最後。感染したその人間は理性が蒸発し、女王の為に奉仕を望む、歪んだ怪物に成り下がる。抗う手段は自身も地球外生命体であることだけど……。酷いことにあいつらは、他の地球外生命体に対しても厄介な要素を持っているんだ」


 まぁ、そっちについては、今はいいかな。と付け加えながら、ルイは鉤爪にこびりついた血を振るい落とし、スッと目を細める。視線の先には、分校の校舎。こちらには火の手は上がっていないらしい。目配せの後、二人は無言で歩き始める。死体を跨ぎ越え、分校の校舎を目指す。生存者はいるだろうか。もしかしたら、建物の中に籠り、獣達をやり過ごしているかもしれない。


「種明かしをされたって言ってたな。それは怪物共の正体か?」

「〝他にも色々〟さ。奴等の話を続けよう。この村には最初は地球外生命体に率いられた、野犬と飼い犬による混成の群れがいる。という触れ込みだった。けど、実際は違う。いたのは片方はアモル・アラーネオーススと、それに率いられた普通の飼い犬達。対するは、別の地球外生命体により力を与えられた、絶滅した筈の獣達だった」


 早足で歩く二人。途中襲ってきた狼二匹を抹殺者(ニゲイター)と鉤爪をもって処理する。地面に落ちる肉だまりから、ツンとした嫌な臭いが立ち上った。

「……って、ちょい待て。力を与えられた? こいつらは、狼の怪物じゃないのか?」

 思わず倒れた獣を二度見する大輔に、ルイは静かに頷きながら、一から説明するよ。と、人差し指を立てる。

「事の発端は、奴等の大元。女王がこの村に流れ着いた時から始まるんだ。彼女は繁殖という概念自体が特殊なんだけど、これは今置いておいて。彼女の本能として、眷族を増やすというものがあるそうだ。対象となるのは自身より下等な生物。該当するのは、狼は勿論人間など、この星に住む〝力〟を持たない生物達を指す」

「……それが、感染で。それに選ばれたのが、何故かこの土地に生きていた、ニホンオオカミ達だと?」

「その通り。彼女が何を考えて彼らを最初の眷族に選んだのかは分からない。そもそもニホンオオカミがこの土地に生き残っていたという事実の方も驚くべきものなんだけど……。ともかく。奴等は今、少数派だった狼から、次は村の人間を引き込むことに躍起になっている……」

「何のために?」

「自分たちの為さ。自分達の領域(テリトリー)を守る兵隊は、多い方がいい。ましてや、眷属はともかく、彼女自身の主食は……地球外生命体の血肉だからね。眷属はそれらを疲弊させる役割も担っている。この土地にアモル・アラーネオーススが隠れ住んでいたのは果たして偶然なのか……」

 主食が怪物。その事実に、大輔の顔が苦々しげに歪む。それならば、尚更早くにレイ達と合流したい所だ。レイの力を疑う訳ではないが、聞くところによると今回の怪物は、他の怪物に対しても何らかのアドバンテージは持っているように見受けられる。

 自然と足取りが早くなる。二人は分校の校舎にたどり着いた。が、その顔は直ぐ様渋いものに早変わりした。

「これは……中に生きた人がいるとは思えないな……」

 ため息まじりにルイが呟く。

 扉はひしゃげ、窓ガラスはことごとく破れていた。壁には大穴が空き、至るところに、血の染みや人の肉片がこびりついていた。

「大輔さん、移動しよう。部下の人も……この有り様では絶望的……」

 ルイの言葉は、大輔にはもう聞こえなかった。ただならぬ気配を察したのか、白い青年は口をつぐみ、ただ、大輔が見つめるそこを見る。恐らくは、目を見開いているのだろう。だかわ、大輔はそれを確認する気力は持ち合わせていなかった。校舎の正面玄関前。そこに、予めルイによって啓示されかけていた結末がもたらされていた。


「――っ、源……さん……!」


 大輔の口から漏れたのは、殆ど慟哭に近かった。

 弥生の次に対策課に配属された男だった。つまり、それなりに修羅場をくぐり抜けてきた猛者でもある。

 職務中に飲酒するという点を除けば、間違いなく優秀な刑事であった。だが、歴戦の男も、数の暴力はどうとも出来なかったらしい。

 喉笛を噛み砕かれ、仰向けに倒れた大鳥源治の死体は、唯一残されていた聖域の陥落を意味していた。



 ※


「分校の中に……怪物が混じっていたのか?」

「正確には負傷した人間が、分校に運び込まれてしまった……かな。奴等は他の地球外生命体を追い詰める手段を持っているのと引き換えなのか、僕ら以上にオリーブオイル……いや、オリーブそのものが弱点になっている。近くにいるだけで身体に負荷がかかるほどにね」

 だからこそ、機会を狙っていたんだろうけど。と、ルイは付け加える。分校を後にし、二人はひたすら森を行く。ルイの予想通り、生存者は皆無だった。

 分校から逃げた人間もいるだろうが、それらを追跡するのは困難だろう。そもそも、安全の約束されないこの地で、どれ程生き延びられるのかが疑問ではあるが。

 大神村は、まさしく陸の孤島と化していた。


「……ところで、部下の人、もう一人いたんじゃなかったかい?」

「……ああ、桜塚のことか」


 サングラスをかけた寡黙な男を思い出し、大輔は静かに目を閉じる。置いてきた源治の遺体の状態と、分校周囲の状況を省みた上で、大輔は結論を出す。


「……生きていると、思いたい。端末が繋がらんのは気になるがな。戦闘した痕跡があったし、源さんの開拓者(パイオニア)と、弾倉(マガジン)がなくなっていた。源さんが倒れた後に、戦闘続行の為にアイツが拝借したんだろう」


 新参者ではあるが、単純な戦闘においては対策課の部下達の中で、桜塚龍馬は一番強い。それは、何度かスパーリングを交えた大輔が知っている。

 何より彼は、地球外生命体について、何らかの関わりを持っていたような節がある。もしかしたら、彼なりの理由があり、対策課の全滅を予感し、独自捜査に切り換えた可能性もある。


「……本当に独自捜査に移行してたなら……後で説教だな」


 報連相は大事である。少し世間からは外れた対策課でも、それは例外ではなかった。同様に、今生きているらしい弥生の事も気にかかる。簡単にやられる玉ではないだろうが、彼女の行動が不透明なのも、大輔の個人的勘ではあるが不気味だった。

 大輔の目の届かぬ場所……すなわち、首輪が完全に外れた雪代弥生は、それこそ狼と変わらない。そういう確信があった。

 こう考えてみると、本当に自分の部下達も怪物というに相応しい人間ばかりだ。そう実感した大輔は、知らず知らずのうちにため息を漏らしていた。


「……っ、大輔さん、見えたよ」


 傍でルイが、低い声を漏らす。大輔が顔を上げると、目の前に立派な塀の扉が見え、その奥にまさに武家屋敷というに相応しい建物が目に入ってきた。


「……生体反応あり。あのダルメシアンもいる……か」


 端末のアプリを起動し、大輔は渋い顔をする。ディスプレイには、先の戦闘でダルメシアンに撃ち込んだ、追跡者(チェイサー)の弾丸反応があった。

 開拓者の五つのモードの一つ。追跡者(チェイサー)

 それは、極小のナノマシンを敵の体内に侵入させ、GPSを通して敵を捕捉する代物だ。殺傷力はないが、一度撃ち込めば、ナノマシンの寿命が尽きるまで、永久に対象を追跡し続ける事が可能である。

 いつぞやの『脳喰らい』の居所を突き止めるのに一役買った、使いようによっては破格の力を持つ特殊弾なのだ。

「そのダルメシアンが……アモル・アラーネオーススである可能性が高いのかな。信じがたいけど」

「同じ存在なら話しはお前がしてくれ」

「流石に犬と対話したことはないけど……。まぁ、〝彼は僕と無関係という訳じゃない〟引き受けたよ」

 頷くルイに目配せした後、念のため、大輔は開拓者(パイオニア)を手にする。モードは麻酔銃たる収穫者(リーパー)

 警戒はしておくにこしたことはない。現状敵か味方か分からない怪物。彼がここにいるという事は、レイは既にここを後にしたのだろうか。それとも……。

「待って。大輔さん。何だかおかしい」

 門に近づいた所で、不意にルイが顔をしかめ、大輔を制止する。何事かと身体を強張らせた大輔だったが、すぐに言わんとする事が分かり、思わず口元を抑えた。


「血の……臭いだ」


 尋常ではない悪臭に、大輔は目元に皺を寄せながら、そっと入り口の柱に背をつける。ゆっくり、慎重に中の様子を伺い……。そこで、大輔の思考はフリーズした。


「なんだ……これは……」


 門を潜り抜けた先は広めの庭園だった。が、古き良き日本の和を感じさせる風景は、どこにもない。

 あるのは、死体。芝生を覆い尽くさんばかりの狼達の死体が、赤絨毯(レッドカーペット)を成していた。

 引き裂かれ、顎を砕かれ、四肢をもぎ取られた群れは、十や二十では下らない。

 つい先程分校の陥落という惨状を見てきた大輔ではあったが、ここは更に輪をかけて酷い有り様だった。

 地獄絵図。

 そう比喩するに相応しい光景がそこにある。


 そして……。


「……ふざけるな、クソが……」


 その中心に、存在する者がいた。返り血と、己自身の血で身体を真っ赤に染め上げて。殆ど皮一枚で繋がった腕をダラリとぶら下げている。遠目からでも身体中は噛み傷と刺し傷だらけであり、いかに戦闘が苛烈なものだったかを物語るようだ。

 ボロボロなまま動かない姿は、見ようによっては廃棄されたマネキンのようにすら見えた。


「お前まで……やられるなんて……嘘だろ? レイ……!」


 地獄の縮図にて仁王立ちし、意識を手放していたのは……。大輔の甥である、遠坂黎真だった。


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