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名前のない怪物  作者: 黒木京也
続章ノ一 背徳の牙
135/221

17.香山梨花の嘲笑

 ある男は、覚束無い足取りでそこにたどり着いた。

 分校裏の物置。そこに安置されているものは、実に様々だ。

 鍬にスコップ。鎌に斧に鉈。チェーンソーに高枝切り鋏。他にも如雨露やバケツ。ブルーシートにラインカーなど。物置外にはリヤカーが数台。オイルタンクが一基。

 土を掘り起こし、雑草を掻き分け、薪を割る。水を撒き、暖炉の燃料補給。荷物の運搬。ものの数だけ様々な目的で、それらは物置から引っぱり出される。使わなければ仕舞われたまま。それが、正しい道具の使い方。

 だが。物は使いよう等という悪夢のような言葉と、使う者の意志と狂気によって、それらは容易く道具から武器へ。武器から凶器に早変わりする。

 人に突き刺し。肉を切り裂き、抉り取り。頭蓋を叩き割る。死体を切り刻み、血を洗い流し。外から見えぬよう覆い隠し、遠くへ運ぶ。

 だが、男が欲するのは、そんなありきたりな狂気ではない。彼が是とするのは混沌だ。

 たとえばそう。避難所として人々が集まるこの場所を、穢して貶めたら? たちまちここは(けだもの)共に包囲され、人間達の聖域は血生臭い屠殺場に変わるだろう。

 ここを落とせば、もはや人間達に逃げ場はない。一人づつ。ゆっくりと狩り殺して行けばいい。


「急がねば……」


 うわ言のように男は呟く。目が覚めてから、ここは酷く不快なものに囲まれている。一分一秒でもここにはいたくないが、そんな中で、彼の中に、ある命令が下された。

 現れた、妙な警察は、今二手に分かれている。潰すなら今。

 だからこそ……彼は……。


「村長! 若くて力自慢を集めてきたぜ」

「てか、怪我は大丈夫かい?」


 不意に後ろから現れた、屈強な体格の男達。村の消防や、大工業に勤める男衆だ。それらをざっと見渡した男……。大神村の村長である(こく)(とう)(みつる)は、荘厳に頷くと、物置に置かれたものを指差す。彼がこの場で引っ張り出すのは、鉄製の農具などではない。鉄よりも歴史が古く。より破滅的で暴力的なものだ。


「警察の人からの指示だ。ここの外回りに植えられた木に火を点けて欲しい」


 倉庫に安置されたバケツと、外にあるオイルタンクを指差しながら、充は神妙な顔を取り繕う。謎めいた指示に、村の男衆はそろって顔を見合わせた。愚鈍共め……。と、内心で罵りながら、充は急げ。と、短く唸る。

「あれを焼く煙が、奴等の弱点らしい。だから、盛大に焚いてやれば犬共は死に絶える。……何本かは、切り倒して、この物置横に積み上げろ。ここから遠くにいる奴等を追い払うのに、警察の人達が使うそうだ」

「あの木が弱点?」

「村長……いくらなんでもそれは……」

「俺だって信じられん。だが、ついさっき森島の屋敷に向かう道すがら、警察がそうやって犬共を撃退するのを見た。だから俺は、怪我こそしても生きて帰ってこれた」

 充の言葉に、男衆は息を飲む。まだ迷いがある。だが、確実に揺らいだ顔。もう一押しだと、充は唇を濡らす。

「俺を信じてくれ。村を取り戻したいんだ。奴等がここに近づかないのは、あの木の成分が弱点だからだ。焼いて灰にしたものも武器になると聞いた」

 俺達で村を取り戻すんだ。と、意味ありげに笑う充。その笑みの〝本当の意味〟を理解したのは、ほんの少数だった。だが……。

「ま、まぁ、充さんがそういうなら……」

「警察の人も言ってたなら、指示に従おう」

「そ、そうだよな」

「じゃあ俺はガソリン用意するぞ」

「松明も必要だわな」

 一部の人間が納得し、連鎖的に方針が決まる。危機的状況で見えた、実体験を伴った打開策。無論これは、充の出鱈目である。

 だが、この場には味方がいた。今回物置に呼んだのは、力自慢故に前線で犬……否、狼達を抑え、村人の避難に貢献した者達。当然、負傷者もいた。

 〝不幸にも〟分校(ここ)で治療を受け、文字通り檻の中の狼となった存在達。充は然り気無くそれらにメッセージを送ったのだ。「今こそ動く」と。

 厄介な事に、あれがある限り自分達は力を発揮出来ない。焼く事で暫く自分達も苦しい思いをするだろうが、その火が消え、木々が斬り倒された時、最後の総攻撃が始まるのだ。

 噛まれた刑事は、今ごろ外に出たリーダーらしき刑事を襲っているだろうか。発症には個人差がある。ここから出れたということは、まだあの瞬間は人間だったということだ。勿論、また何事もなく戻ってきたならばそれでもいい。どちらにせよ、あの木々をどうにかすればここは落ちるのだから。

「しかしまぁ、あのオリーブの木がなぁ」

「成分ってことは、オリーブオイルも効くんじゃねぇか?」

「ハハッ、確かにな」

 間違ってもいない事を呟きながら、男衆は作業に取り掛かる。それをほくそ笑みと共に見やりながら、充はその場をはなれた。

 そろそろ刑事か医者が、ベットから消えた自分を探しているだろう。男衆が動いている間、自分が彼らを釘づけにする必要がある。一度火がつけば、後はなし崩し。それをもって、自分達は今の不完全な状態から、純粋な人狼に移行できる。


「ああ……〝アルファ〟……もうすぐアナタの元へ……!」


 〝理性が蒸発し〟濁りきった充の瞳には、狂気しか映らない。

 人間狩りの時間は、すぐそこまで迫ってきていた。


 ※


佑樹との決着を経た後すら、大輔には休む暇はなかった。

鼬の最後っ屁ならぬ、佑樹の苦し紛れの号令により殺到する獣の群れ。ほぼ条件反射でそのうちの一体に収穫者(リーパー)を撃ち込もうとした所で、大輔は絶望的なまでの数の差を思い知る。

一体を眠らせて何になる? 抹殺者(ニゲイター)に換装する時間はないし、切り替えたとしても、眠らせるか殺すかの差だ。銃声で怯む様子もない。

 そもそも遮蔽物も避難所もない平原で、獣の群れを相手に誰かを守りながら戦うなど無謀だ。

 数で攻められるこの状況は、限りなく。いや、完全に詰みなのだ。

 勝てない。大輔の脳裏にそんな言葉が浮かび上がった瞬間。それは起きた。


「充分よ。宮村(あの)佑樹(ワンコ)くんから、私達を護ってくれただけで……ね」


 少女のような甘い声が、大輔のすぐ後ろからした。その瞬間、辺りは突如静寂に包まれた。

 襲い掛かって来た狼達の息遣いすら、もう聞こえない。ただそこには、文字通り身を固め、プルプルと震える獣達がいた。

「あらあらどうしたのかしら? 哀れな絶滅動物さん? 自分達が死ぬビジョンでも見えたの?」

 妖艶な笑みを浮かべながら、その女性――香山梨花は、まるで舞台女優のように両手を広げる。


 それが、合図となった。梨花の背後から、何十、何百といった、銀色の閃光が迸り、狼達をことごとくがんじがらめにしていく。

 まさに銀の嵐。その非日常な光景を見た大輔は、思わず息を飲んだ。


「何というか……相変わらずえげつない能力だ。心を持つ生き物に対しては、まさに無敵……か」

「あら、以前私から逃れきった、貴方がそれを言うの? 嫌味にしか聞こえないわぁ……」

「……わざと見逃した人が何を言うのさ」


 軽口の応酬を繰り広げながら、梨香の背後から青年が現れる。銀色にも金色にも見える髪と真紅の瞳。病的なまでに白い肌に、大輔は嫌という程見覚えがあった。


「……とうとう死人まで動くとは……。もう驚かんぞ」


 ひきつった顔でそうぼやく大輔に対して、青年――明星ルイは、いつかのアルカイックスマイルを浮かべたまま、何処か諦感すら匂わせるように肩を竦めた。


「僕は退場した身だ。だからこうポンポン出てきたくはないのが本音なんだけど……生憎汐里が寝かせてくれないんだよ」


 もしかしたら僕の天敵って彼女なんじゃないかなぁ? 等と呟きながら、ルイは鉤爪と化した片手を振るう。

 それだけで、蜘蛛糸に拘束された狼共が、冗談のように宙を舞う。大輔の周りをあっさりと一掃したルイは、そのまま己の調子を確かめるように手を開き、握りこんだ。

「……汐里の身体って事もあるのかな。ほんの僅かだけ動きにくい」

「あれだけやれれば上出来よ。さて……と。さっきも言ったけど、私はこれ以上は介入できないわ。貴方や汐里ちゃんに真実を語るのに能力使いすぎたから……眠たいの」

 可愛らしく小首を傾げる梨花に、ルイはやれやれといったような顔で頷いた。

「……今回は、君が何もしなければ、レイ君は単身でここに向かっていただろう。もしかしたら……最悪な事になっていたかもしれない。色々と教えてくれたのには感謝してるよ。でも……」


 紅の双眸が、細められ、ルイの油断ない眼差しが梨花に向けられる。


「でも、どうしてかな……。僕にはどうも、君がまだ何か企んでいるんじゃないか……。そう思えてならないんだ」


 ルイの疑念を含めた声。梨花はそれを聞き流すことなく、不自然に傾げていた首を元に戻し……。


「あら、そんな曖昧な評価は心外よ。企んでいるに決まってるじゃない。私、悪巧みがだぁい好きだもの。」


 その返答は、嘲笑と舌舐めずりと共に下された。日が傾き始めた荒れ地に立つ女の瞳は、妖しく。それでいて淫靡な光を宿らせている。

「あっちでこっちで暗躍して。手玉に取ったり取られたり。そっちの方が楽しいと思わない?……あらま。喰えない人……だなんて。酷いわぁルイルイ。同じベットで一夜を共にした仲なのに……。傷心の貴方をたっぷり慰めてあげたじゃない! 素直で可愛かったのに何でよぅ……リカちゃん泣いちゃう!」

「……涙は女の武器らしいけど、生憎君のは僕には通用しないよ? 泣きたければ泣けばいいさ」

 梨花のわざとらしい仕草に、今度はルイが嘲笑を返す番だった。それに気を良くしたのか、梨花はケラケラ笑いながら、静かに踵を返す。


「ま、いいわ。後は見物に回らせて貰うわ。どうしても助けて欲しかったら……。貴方かレイ君が私のものになるなら考えてあげてもいいわよ?」

「お断りだよ。多分、いや、絶対にレイ君も同じ答えを返すだろうさ」


 いつものアルカイックスマイルを浮かべたまま、冷たくそう返すルイに、「あれま。残念」とだけ言い残し、梨花そっと長いブロンドヘアをかきあげる。すると、まるでそれが合図だったかのように、彼女の背中が盛り上がり始めた。

「……なんだ、そりゃ?」

 大輔が思わずそう呟いてしまうのも無理はない。梨花の背中に、褐色の見事な翼が生えてきたのだ。

「では、ごきげんよう。ああ、大輔さん。弥生ちゃんは生きてるわよ。まぁ、色々と大変な状態にはなっているけど……ね」

「……は? お、おい待て! 一体どういう……!」

 慌てて問いかけようとする大輔。だが、梨花は最早興味を失ったようだった。一対の翼をフワリとはためかせ、最後まで謎めいた言葉を残して、梨花はその場から音もなく飛び立った。

 残された大輔とルイの間には、何とも言えない沈黙だけが残るのみ。

「えっと……ひさしぶりって言うべきかな? ここは?」

「んなことより現状だ。取り敢えず宮村を連れて戻るとして……ん? 唐沢は……?」

 思い出したかのように辺りを見回す大輔に、ルイは少しだけ考え込む仕草を見せ……。

「取り敢えず、歩きながら説明するよ。汐里は無事だ。周りはまだ狼だらけだからね。荒事は僕が担当した方がいいって話になったのさ」

 まぁ、それだけじゃないんだけど。と、付け加えながら、ルイは手早く佑樹を蜘蛛糸でグルグル巻きにし、ズルズルと引き摺り始めた。それに並んで、大輔も歩き出す。開拓者(パイオニア)を片手に、有事の際はすぐに撃てるよう充分警戒し……。


 そこでふと、大輔は鼻につくような焦げ臭ささを感じ、思わず顔をしかめ……。数秒後、その表情が凍りついた。

「おい、何だあれは……!」

 大輔の言葉に、ルイは不審そうに眉を潜め、大輔の視線を辿る。遥か遠方に、黒い煙がもうもうと立ち上っていた。

「火事……いや、野焼きかな? 何でこのタイミングで……」

「タイミングはどうでもいい。明星! 走るぞ! すまんが、宮村を頼む!」

 突如、弾かれたように走り出した大輔。ルイもまた慌てて追い縋り、その横に並走する。ただごとではない。そう察したのだろうか。何処か遠慮がちに「どうしたんだい?」と、ルイが問いかけると、大輔は顔面蒼白のまま、唸るように言葉を絞り出した。


「あの方角は……村の人達が避難していた場所だ。俺の部下もそこにいる……!」


 何があったのか。猛烈に嫌な予感に苛まれながら、大輔は端末を操作し、源治や龍馬に連絡を取ろうとする。

「おいっ! こちら大輔! どっちでもいいっ! 応答しろ!」

 祈るような大輔の叫び。だが、端末から返答はない。いつまでも不気味な沈黙を保ち続けているのみだった。


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