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名前のない怪物  作者: 黒木京也
第二章 内臓実食
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12.山城京子≪後編≫

「レイ君ってさ〜綺麗な手だよね」

 僕の手を触りながら京子は感慨深げに言う。本来なら喜ぶ所なのだが、生憎、今の僕にそんな余裕などはなかった。

 アイツは……今どこにいる? ドアの向こう側にまだいるのか、それとも、既にこの部屋に入ってきているのか……。もしやとは思うが、姿が見えないのをいい事に、京子のすぐそばまで迫ってきてはいやしないだろうか?

 頭の中を色々な推測や不安がぐるぐる回り、自分でも落ち着いていないという事を自覚しながら、僕はどうしても動揺を抑えきれなかった。

「……レイ君? 大丈夫?」

 警戒する僕の顔は、いつもより強張っていたのだろう。京子は不安そうな顔で僕を見ながら「ごめん、まだ本調子じゃないんだもんね」と、頬を掻く。そのうち、そろそろ寝ようかという京子の一言を合図に、自然と僕はベッドへ、京子は布団に横になる。

 京子の頼みで電気は完全には消さず、豆電球だけ点けている。京子曰く、真っ暗だと、漠然とした不安に駆られ、眠れないのだそうだ。

 普段は電気を消して寝る僕なのだが、今夜ばかりは都合がいい。ぼやっとした、頼りない灯りだが、これで何とかアイツを捕捉できるだろう。

 神経が張りつめて、キリキリ……とありもしない音が身体の中で鳴る錯覚に陥る。今夜は、恐らく眠れないだろう。そんな、予感めいた確信が僕の中にはあった。

「……やっぱり、僕が下で寝るよ」

「だ、ダメよ!家主だし、顔色悪いし!」

 慌てたような京子の声。その短いやりとりの後、暫く沈黙が部屋を支配する。

「……ごめんね」

 不意に、ポツリと京子が呟いた。僕は思わず「え?」と、短い声を漏らしながら、京子の方を見る。

 いつの間にか、京子は布団から起き上がり、此方を覗き込むように見ていた。

「無理言って押し掛けちゃって……すごく心配だったとしても、少し軽率だったね」

 罰が悪そうに上目遣いで僕を見る京子。その瞬間、僕は心臓を鷲掴みにされたような感覚を味わった。

 そんな僕を知ってか知らずか、京子は潤んだ目で、ゆっくりと此方に近づいてくる。

「でも、やっぱり心配だったの。レイ君って、何だかフラッと何処かに行っちゃいそうな雰囲気だし、もしかして何かあったんじゃないかな……って」

 まぁ、気のせいだったみたいだし、良かったんだけどね。と、京子は笑う。一方の僕は、言葉を発することが出来なかった。

 お風呂上がりという事もあるのだろうが、女性特有のいい香りが僕の鼻腔を擽る。ギシリという音が耳に入る。京子がベッドに膝立ちで佇んでいる。僕を見下ろす形になった京子の瞳は、何だか潤んでいるようにも見えた。

「……あたし達、付き合ってもう一ヶ月だよね? ……キスは、まだだけど、えへへ……お泊まりは今しちゃってるね。ねぇ、ドキドキしてる?」

 少しはにかむような表情で京子が此方を見つめてくる。

「あたしは今、心臓が凄いことになってるよ」

 僕は何も言わない。

「レイ君、何か言ってよ。ねぇ」

 言えるわけが無い。

「レイ……君?」

 もう限界だった。これ以上は心臓が、精神が持たない。全く反応を返さない僕を、きっと京子は訝しがっていることだろう。

 勿論、僕だって好き好んで黙りを決め込んでいるわけではない。

 反応を〝返さなかった〟のではない。〝返せなかった〟のだ。

 京子の言葉は、途中から僕の耳に入っていなかった。

 何故なら、京子が布団から起き上がったその瞬間、京子のすぐ後ろに、まるで煙が立ち上るかのように怪物が姿を現したのだ。

 僕はあまりの緊張から一言も声を発することが出来なかった。

「レイ君……」

 薄暗いからか、京子は僕の視線の先にあるものに気づいていない。固まる僕に何を思ったのか、ゆっくりと手を伸ばしてくる。すると、その背後で音もなく怪物が動いた。

 白磁のように白い手がゆっくり、ゆっくりと、京子の首元に伸びてくる。絞め殺すつもりか!?

「やめろ!」

 血が凍りつくような錯覚を感じると同時に、僕は半ば反射的に京子を引き寄せ、身体を反転させる。気がつけば、丁度怪物と京子の間に割って入るかのように、僕は彼女を押し倒していた。

「やめてくれ……頼む……頼むから……」

 僕は背後の怪物に懇願する。僕はいい。でもせめて……京子だけは……。

 無意識にカタカタと震える僕の下で、京子の息を飲む声が聞こえる。

 どれくらい時間がたっただろうか。実際に時間にしてみると一分にも満たない時間だったのだろうが、僕にはとても長く感じられた。

「……ごめん、なさい」

 不意に、僕の下から京子の声が聞こえる。消え入りそうな、力のない声だった。

 京子はゆっくりと身体を起こそうとしたので、僕は慌てて飛び退く。と、同時に周りを見渡すと、もう怪物の姿は何処にもなかった。

 ……また、消えた? ベッドに座ったまま、僕が戸惑いを隠せない表情を浮かべていると、京子がおずおずと僕に手を重ねてくる。

「ごめんなさい……あたし、今日は帰るね」

 そう言って京子は立ち上がり、ゆっくり帰り支度をしだした。

 こんな遅くに帰るのは危ないという僕に、まだまだ電車残っているから。と言って、京子はあっという間に布団を畳み、一度電気を点けて僕の方へ向き直る。

「ごめん。今日は頭を冷やしたいの。そうだよね。まだ早いよね。一ヶ月しかたっていないのに……あたし、焦っちゃって」

 どうやら、京子は僕に拒絶されたと勘違いしたらしい。違うと否定する僕に、京子は「無理しないで。震えてたよ?」と告げ、そっと遠慮がちに僕の頬を撫でる。

「レイ君の気持ちを考えないあたしが悪いの。だからレイ君は気にしないで。今日は、一旦戒めに帰るだけよ」

 そう言って今日は鞄を抱え、僕に力なく微笑みかける。泣きそうな瞳だった。

「虫のいい言い分だけど、嫌いにならないで欲しい。あ、あたしはレイ君が……大好きなんだよ。これだけは覚えてて」

 そう言い残して京子は玄関へと歩いていってしまった。

 僕はポカンとその場で固まっていたが、玄関からの物音を聞いた瞬間、気がつけば弾かれたかのように立ち上がり、無意識に彼女を追いかていた。「京子!」と、いう僕の呼び掛けに、玄関で靴を履いていた京子の動きがピタリと止まった。

「あの、来てくれて、心配してくれて嬉しかった。ぼ、僕も、京子の事大好きで……それで……」

 何を言葉にすればいいか分からずに、しどろもどろになる僕を見て、京子はクスリと笑う。

「レイ君、また大学でね。おやすみ」

 そう言う京子の表情は、元の優しい表情に戻っていた。眩しい笑顔を浮かべ、「じゃあね」と言い残すと、京子は部屋を後にしていった。

 暫く立ち尽くしていた僕は、やがてズルズルとその場に崩れ落ちた。ふぅ……と、意図せず安堵のため息が漏れる。

 身も心も守りきれたかどうかは微妙な所だが、京子が怪物の毒牙にかかるのは、何とか防ぎきれたらしい。束の間の安堵を僕が感じていると、不意に後ろからガチャリと、ドアが開く音が響く。僕が振り向くと、そこにはやはり、怪物が立っていた。

 しかし、その様子は何処かいつもと違っているように見えた。

「…………」

 無機質な瞳はそのままに、怪物は京子が出て行ったドアをじっと見つめている。今まで何か興味深げなものを見つけて観察していても、数秒後には意味もなく僕を見つめてきた怪物の瞳。それが今は、まるで京子の行き先を追い求めるかのように、いつまでもいつまでもドアを見つめていた。


 ※


「う〜……何やってるのよあたし……」

 彼の部屋を後にし、自分の部屋に着いた山城京子は一人反省会を開いていた。

「下心出し過ぎた……気付かれたかな? 取り敢えず嫌われるのは免れたみたいだから良かったけど、次はもっと慎重に……」

 机に突っ伏しながらブツブツ呟く京子は、傍から見たら凄く惨めに見えることだろう。そんな中でふと、深夜のニュースが気になってきた。彼ほどではないが、最近は自分だってよくニュースは確認しているのだ。テレビの電源を入れ、ニュースに合わせてチャンネルを回す。

 ニュースでは丁度緊急速報が入っており、猟奇殺人事件再び。これで三件目。と報道されていた。

 あの女子高生のもカウントするなら、通算四件目だろうか。つい先程発見された遺体は内臓全てではなく、内臓の一部が持ち去られていたと、ニュースキャスターが深刻そうな顔で告げている。他に目立った報道は無さそうだ。京子はそこで興味を失い、ぼんやりと部屋の天井を仰ぐ。

「レイ君……」

 その言葉が出たのは無意識だった。優しい彼。デート中に何度も声が上擦り、その度に必死で取り繕う可愛い彼。今日、自分が部屋を訪ねた時にあんなにも挙動不審だったのも、緊張からくるものだったのだろう。

 お風呂を覗く度胸はあるのに、変な話だ。

 京子はクスリと笑みを漏らすと、パジャマに着替える為に服を脱ぎ始めた。そう言えば小腹も空いてきた。

 冷蔵庫の中身を思い出しながら、着替えたら夜食にしようか……などと、京子が考えていると。

「あら?」

 ふと、服の襟元に何かが付着している事に気がつき、京子は思わず首を傾げる。

 どうやら糸のようだが、強い粘着性があり、指に絡み付いてきた。

「これ……蜘蛛の糸? うげっ、気持ち悪。どこで引っ掛けたんだろ?」

 不快感をぬぐい去るかのように、流しへと歩く。糸は思っていた以上に指に絡み付き、なかなか落ちない。

「うん、あたし、粘着質な女にはならないようにしよ」

 ふと、何故か芽生えた謎の決意と共に、山城京子はその不気味な蜘蛛の糸を洗い流し、夜食の準備に取り掛かった。

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