10.捜索再開
さて……どうしたものか。
ぎしり。ぎしり。と軋みを上げる武家屋敷の廊下を歩きながら、僕は頭を抱えていた。
あそこにいた少女。それがアモル・アラーネオーススであることは疑いようがない。この屋敷の蜘蛛達が僕の制御下にならない点がまずおかしいし、近くに来てみて改めて、彼女は僕達と同じだという事が分かる。問題は、僕と怪物。どちらと同じなのか……だ。
欲求対象者と肉体共有者。前者がアモル・アラーネオーススの食糧兼護衛兼伴侶ならば、後者はアモル・アラーネオーススの本体といったところか。
蜘蛛の巣だらけの愛をその名に冠するこの怪物の最たる特徴として、その繁殖方法の特異さがあげられる。
簡単に説明するならば、知的生命体を補食し、取り込んだ後、その取り込んだ生命体が見初めていた相手を伴侶とし、自分と同じ身体に作り替える。こんな所だろう。つまり、ここには少女のつがいとなるべく怪物がもう一匹いなければならない訳で……。
自然と、隣に目を向ける。まるで僕を監視するかのように歩く、斑の犬がそこにいた。ダルメシアンの……首輪から察するにエディという名前らしい。
「……いやいやいや」
こんなのありか? と思う。
だって考えてみよう。仮にあの少女とエディがつがいだとして、もし少女が肉体共有者なら、犬に恋心を抱いていた事になる。逆もしかり。犬が少女に恋慕の情を向けたことになる。どこの八犬伝だ。
頭痛がしそうで、思わずこめかみを擦る。久しぶりに味わう、訳の分からないものへ手を伸ばす感覚に、僕はため息をついた。
そんな中、部屋への襖を再び見つけ、そのまま力任せに抉じ開ける。
目的のものは、すぐ見つかった。
「……なるほど、やっぱりこの武家屋敷が、君らの巣か」
比較的広めな畳の間には、遊具や人形がそこらに転がっていた。
子ども部屋。そんな言葉がしっくりくる。ただし、周り一面に絡み付き、ドームのような形状をした、巨大な蜘蛛の巣を除けばだが。
「ここが休む場所なら……」
食糧庫も近いだろう。襖を開ける前にちらりと見えた廊下の突き当たりか、まだ調べていない裏手の離れが怪しい。
原種の方ならばともかく、僕と同じ欲求対象者ならば、〝食糧〟が必要な筈だ。
生きているならば、それは元々この家に住んでいた人達がそうなっている可能性が高い。
「……高いんだけど、何か解せないよなぁ……。」
食糧が必要として、監禁する理由がない。血が欲しいなら人里に降りればいいし、血を吸った後に身体所有権の剥奪の応用で、相手の記憶を曖昧なものにしてしまえばいい。そもそも、仮に少女かエディがアモル・アラーネオーススになったとして、どうして誰も異常に気付かなかった? 特に、どちらかが欲求対象者として生まれる瞬間だ。片方が一度食い殺されるのだ。大勢住んでいる家で、誰もその様子を目撃しなかっただなんて、あり得るだろうか?
寝床らしい部屋を後にして、僕はそのまま、突き当たりに差し掛かる。奥には再び、襖式の扉。ただし……。
「ビンゴっぽいな……」
鼻をつく、血と肉の腐敗した臭い。危惧していた事は、どうにも現実になっていたらしい。もう一度エディの様子を伺う。蒼い瞳が、ただひたすら僕を見つめていた。本心は……読めるわけがない。相手は犬だ。ただ、特に咎める気配はない。僕に侵入されても問題ないとでもいうのだろうか。
そんな事を思いながら、立て付けの悪い襖を動かす。二、三度引いてようやく開いたその先には……文字通り、地獄絵図が広がっていた。
「死体に慣れ始めたとはいえ……やっぱりこれはキツいなぁ……」
そんな僕のぼやきに答える者はいない。そこにいたのは、既に息絶えた者共ばかりだった。
物置と思われる部屋の中に、老若男女計六つの死体が転がっていた。
腹を破られたもの。
首を切断されたもの。
手足が食い千切られたもの。
無惨な醜態を晒す肉塊達は、既に人としての尊厳を損なわれていた。獣に食い散らかされたかのような惨状は、ここで起きた出来事を容易に想像出来た。
「君たちが……やったのか?」
答えがないのは分かっている。きっとこいつは、犬らしからぬ笑いを浮かべているのだろう。そう思った瞬間……。
「あ……ひ……。だ、誰?」
死体の山から、不意に声がした。モゾモゾと血だまりで蠢くそれは、人間の女だった。
生き残り!
頭の中でその単語が弾けた時、僕はすぐさまその人に駆け寄り、助け起こす。年齢は三十代後半位だろうか? 何となくそう推測する。血にまみれて分かりにくいが、着ている服は結構なブランドものだし、綺麗に揃えられた爪には、ネイルアートまで施されている。
「大丈夫ですか?」と問う僕に、女はブルブル震えながらすがり付く。
「い、犬……! 犬の群れは?」
そううわ言のように呟く女に、群れはいません。と、告げると、女は途端に席を切ったかのように泣き出した。……背後に一匹いる。とは、言わない方がいいだろう。
「ああ……。ああ! も、もう駄目かと……。ありがとう! ありがとうございますっ………」
完全に僕が助けに来た人だと思っているらしい女は、ますます僕に密着し、痛いくらいに服を掴んでくる。
僕も拉致された何て言ったら、この人はどんな反応をするのだろう。
「立てますか?」
「……す、すいません足腰に力が入らなくて……」
か細い声でそう告げる女。無理もないだろう。ここに放置されていたという事は、ロクなものを食べていないに違いない。冷蔵庫でも物色すれば、何か出てくるだろうか? そんな事を思いながら、女に肩を貸す。僕の服にも血がつくが、服は後で作り直せばいいだろう。すると、すぐそばでギリギリと歯軋りのような音がした。
「ああ……。こんな村来るんじゃなかった……こんなことになるなら……素直に警察に……」
うつむいたまま、女はモゴモゴと呟く。一部聞き取れなかった言葉に僕が首を傾げていると、不意に僕らの前へ何かが立ち塞がった。
ダルメシアンのエディだ。
「……ひ」
そこからの変化は劇的と言うより他はない。女は飛び出るかと思うほど目を見開き、恐怖から歯をカチカチと打ち鳴らしはじめたかと思うと、途端に血混じりの唾を撒き散らしながら喚きたてた。
「ひ……い、いや……。イヤァアア! 許して! もう許してよぉ! 充分じゃない! もうお互い様じゃない! 犬の癖に……犬の癖にィ……」
僕の制止もなんのその。女は一通り暴れ、悶えたかと思うと、不意にガクンと崩れ落ちた。身体から完全に力が抜けている。どうやら気絶したようだ。
「……君、わざとやっただろ?」
「ケヘヘ……」
僕の咎めるような視線に、エディはバカにしたように鼻を鳴らすのみ。それに肩を竦めながら、僕はゆっくり倉庫を後にする。
もう一度周囲を見渡すが、生きているものはいない。救出者リストにあった人数がこれで揃ってしまった。
死体が五つ。
生存していたのは、女性と女の子。
そして、犬。
群れを率いていたらしいが、その肝心の群れは見当たらず。それが犬として従えたのか、怪物の力で操っていたのかは分からない。
「……わからないことだらけとか……なんだか懐かしいな」
ともかく今は、この女性が目を覚ますのを待つとしよう。エディやあの少女の事を考えるのはそれからだ。今頃座敷にちょこんと座っているであろう怪物を思い浮かべながら、僕はそう結論付けた。
さっきからうなじがざわざわするのだ。きっとこっそりいなくなったから、拗ねているのか。下手したら怒っているに違いない。
※
小野大輔は唐沢汐里、宮村佑樹と共に、村の畦道を進んでいた。
大神村分校からさほど離れていないそこは、一時間以上前に、部下である雪代弥生を差し向けた場所であった。連絡もなく、端末も繋がらない。何かがあった事は明白だった。分校の警備を源治と龍馬に任せ、大輔はすぐに佑樹と共に弥生の道筋を辿り始めた。……最悪の事態も想定しながら。
無言のまま、ひたすら歩くこと更に数十分。少し開けた空き地にて、大輔達は見覚えのあるズタ袋を発見した。中身は犬の死体。大輔が弥生に回収を命じたものだ。
「警部……これ……」
佑樹らしくない、悲痛な声が上がる。袋の〝外側〟には、真新しい血痕がべっとりとこびりついていた。加えて、その近くには弥生の携帯端末が無造作に転がっていた。
「嘘だろ……弥生ちゃん」
うつむく佑樹。その横で、大輔は首を傾げていた。弥生がやられた? 少しだけ信じがたかった。
大輔の知るところの彼女は、胡散臭くて油断がならない女だ。それがこうもあっさり、何の痕跡もなく消えるだろうか?
「……痕跡」
引っ掛かるものがあり、大輔は周囲を見渡す。
弥生の足跡は、確かにこのズタ袋の近くで途切れている。他には……。まっさらな土。何体かある、他の犬の死体。そして、弥生のものではない誰かの足跡。それだけだった。
「そうだ。痕跡だ。ここには、それがない」
大輔の漏らした呟きに、佑樹はポカンとした顔で目をしばたかせる。刑事ならお前も冷静になれ。と言いながら、大輔は現場に目を向ける。
「見ろ。足跡はここで途切れている。犬コロ共にやられたなら、倒れた跡なり、奴等の新しい足跡。もっと生々しく言えば、引き摺られた跡がなけりゃおかしいんだ。ここには……それがない」
大輔に習って地面を見渡した佑樹の眉間に、皺が寄る。現場の不審さに彼も気がついたのだろう。
「弥生ちゃんは……生きていると?」
「それもまた分からん。犬にやられた訳ではないなら、ますますワケわからんものが出てきたからな」
見ろ。と、大輔は問題の一点に指を向ける。弥生ではない、誰かの足跡。それは弥生の足跡が消えた場所から、ほんの数メートル先に出来ていた。
「あの足跡。あの場所に突然出来ているんだ。まるであたかもそこに居なかった者が、急に現れたかのように」
どっかでよく見た現象だ。と、呟きながら、大輔はもう一人の同行者に視線を向ける。
汐里は、ただひたすら、ズタ袋の中身を、打ち捨てられた犬の死体を見ていた。あの後突然現れてからは、結局修羅場を乗り越えてぬけぬけと捜査協力がしたいと申し出たのだ。自分達以外は死に絶えた筈のアモル・アラーネオースス。その出生が気になる……と。
その時の汐里の顔は、好奇心に満ち満ちていた。だが……。
「今日は、大なり小なり驚く日が多いですねぇ……」
今の彼女の顔には困惑や驚愕。色々なものが入り交じっているのが見えた。いつの間にか装着したゴム手袋越しに、汐里は死体をひっくり返したり、口吻やら耳、足の裏の肉球までじっくりと観察している。
「おい、唐沢? アモル・アラーネオーススがいるのは間違いないんだろ? 現場検証に手を貸してくれ。それとも……何か分かったのか?」
大輔の質問に、汐里は暫しの沈黙の後、静かに首を横に振る。
「消えた女刑事さんに関しては、私に分かることはありません。消え方が不自然ですが、アモル・アラーネオーススの仕業とは考えにくいです。蜘蛛糸らしきものが、何処にも残されていませんもの」
そう呟いて、汐里はため息混じりにズタ袋の口を閉める。死体を二体追加するのも忘れていないあたり、強かな女だと大輔は思う。
対策課に渡すものと、自分で持ち帰りたいものなのだろう。
汐里にも分からない事に少しの落胆を禁じ得ないが、ともかくこれで捜査は振り出し。地道に手がかりを潰していくのも悪くはないが、もっとこう、劇的な証拠やら敵の正体が掴めるものは出ないだろうか。
「ただ……面白いものを発見しました。レイ君が言ったあの女の件といい、アモル・アラーネオーススといい。どうにもこの土地には、いる筈のないものが集まっているらしいです」
大輔がそんな刑事らしからぬ事を考えていると、横で汐里が話を再開させる。「いる筈のないもの?」と、不思議そうな顔で復唱する佑樹に、汐里は頷く事で肯定する。
「……何だ? 今度は何が飛び出してくる?」
急かすように問う大輔に、汐里は視線をそらす。その先には、源治達の班を苦戦させた、野犬達の死体があった。
「……信じがたいですが、該当するのがそれしかありません。和犬の雑種かとも疑いましたが、それにしてはそちらの話を聞く限り、動きが精練され過ぎている……。奴ら、犬等ではありません。れっきとした野性動物。〝狼〟ですよ」
「オオ……カミ?」
その単語を聞いた瞬間、まさかという気持ちが先行した。だが、それを読み取ったのか、汐里は苦笑いと共にまた首を横に振る。
「ハイイロオオカミといった、外来種ではありません。彼らには、その特徴が一致しない。夢でも見ている気分ですよ。絶滅した筈のニホンオオカミを、この目で見られるなんて……ね」
汐里の言葉を皮切りに、誰もが無言になった。
ここで一体、何が起きている? そんな疑問が、大輔を支配して……。
「凄いわぁ……ようやくあれが犬じゃないことに気づくなんて。流石は元鷲尾大学の才女さんね」
突如、現実に引き戻された。
甘ったるい女の声。背後より響くその声に大輔の身体が一瞬強ばる。言い様のない不吉な香りを、瞬時に感じていた。
「……誰だ?」
振り向いた先にいたのは女だった。真っ赤なチュニックワンピースを身に纏った、妖艶な雰囲気を醸し出す、金髪の女。それがにこやかに。かつ優雅に佇んでいた。
「こんにちは。いきなりだけど、ダンディな刑事さんと、そこの可愛い刑事さんには用がないのよ。私が今必要としているのは……〝貴方達〟よ」
ブルーの瞳が細められる。その視線が射ぬくのは、呆然と立ち尽くす、汐里の姿だった。
「唐沢さん。それから……いるんでしょう? ルイ?」
懐かしそうに。それでいて何処か哀しそうに、女は囁いた。




