8.魔性の教示者
怪物が闊歩する森から脱出して、どれ程の時間がたっただろうか。
日はすでに傾き、黄昏に沈みつつある。そんな中、小野大輔は山村特有の生温かい風に顔をしかめながら、手持ちの煙草を取り出した。
慣れた手つきでライターに火をつけ、紫煙を燻らせる姿は、何処と無く哀愁と焦燥を漂わせていた。
「村長の容態は?」
背後の気配に振り返らないまま、大輔は低い声で問い掛ける。
唸るような溜め息が聞こえ、「重傷だが、一命はとりとめた」という一言に大輔は一先ず安堵のため息をつく。
「……すまんな。大の輔。俺がついていながら何て様だ。酒が不味くなりそうだ」
大輔以上に苦々しい顔でそう語るのは、大鳥源治。対策課のメンバーの最年長。今は立ち位置的には大輔の部下という形ではあるが、キャリア的には大輔の大先輩に当たる男だ。
「あの群れ相手じゃあどうしようもないさ。寧ろ、全滅しなかったのが奇跡だ。よく戦ってくれた」
「完全に守れなかった事に、まだ不満はあるがね。あの獣共……恐らく一番非力な奴を分かってて襲いかかってきたんだろうな」
大輔の労いに、源治は肩を竦めながらどっこいせ。と言わんばかりに手近な場所にあった縁石に腰かける。
互いの情報共有。それがこの集まりの理由だった。
そして……。草を踏み締める音と共に、もう二人。馴染みの男がその場に現れた。
対策課の宮村佑樹と、桜塚龍馬の両人だった。
「……よし、雪代以外は全員集まったな。宮村、怪我は大丈夫か?」
「問題ねぇな。それよか、弥生ちゃんは?」
好戦的に歯を剥き出したかと思えば、直ぐ様キョロキョロと周りを見渡す佑樹。忙しい奴だ。というコメントを大輔は辛うじて飲み込んだ。
「雪代は別件であの森に戻っている。連中の死体回収の任務だ。一番近いのを頼んだから、あいつ一人でも問題ないだろう。ともかくだ。それぞれの事態を説明するか」
大輔の目配せに小さく頷きながら、源治は静かに口を開いた。
「完全な不意打ちだった。茂みからいきなり現れた奴等は、直ぐ様村長……黒柳充氏に襲い掛かった。腕を一噛み。ヤバイ血管が損傷したのか、血がドバドバ出てな。俺が止血に回り、雪代と宮村が応戦に出た」
「向こう殺意バリバリだったから、抹殺者をぶちかましてやったよ」
噛まれた傷を撫でながら、佑樹は不敵に笑う。
抹殺者。
対地球外生命体対策兵器、開拓者に搭載された五つのモードの一つである。
この開拓者は、状況に応じて銃の形状を換装し、全く違う性能の銃を作り上げる。という触れ込みの元、大輔達に手渡された。
そう、あくまで触れ込みであり、目的である。
開拓者がリニューアルされた回数はこの一年で既に四回。最初は二つしかなかったモードが三回目に三。四回目にして五に増えたのである。
モードの切り替えは今だ手動。銃のモードというよりは、弾丸の性質の切り替えの方が正確ではあるが、それぞれの威力の恐ろしさや、それに注がれた謎の技術に、大輔はうすら寒さを禁じ得なかった。
技術課と呼ばれる、対策課と同様に地球外生命体の調査・対策等を念頭に置いたもう一つの部署の人間によれば、ダムダム弾を参考にしているとのこと。
今までの調査から、地球外生命体はすべからく、強力な再生力。あるいは生命力を持っている。
その再生力を無力化した上で、死に至る損傷を与える。それが地球外生命体への唯一の解答であり、それを可能とするのがこの抹殺者。怪物殺しの銃弾である。
「殺せども殺せども、数がどんどん増えてな。こりゃいかんと思い、一旦撤退したんだ。その最中、宮村が負傷。雪代が一番奮戦してたな。宮村の開拓者ひったくって、乱れ撃ちよ。犬共がミンチになるのを見て薄ら笑いすら浮かべてな。ありゃあ、引いた」
「……とんでもない女だという事は前から知ってたが……」
「地球外生命体ならば、処理するべきです。正しい采配だと思いますよ。それよりも僕が気になるのは、それだけの数からよく逃げられましたねぇという話です」
報告を聞いた大輔が顔をひきつらせていると、今まで沈黙していた桜塚龍馬が、怪訝な表情で源治と佑樹を見る。すると、二人は戸惑ったかのように顔を見合わせた。
「いや……まぁ、正直それは俺達も腑に落ちない点がいっぱいある。あんだけ執拗に、人里に下りてからも奴等は追跡してきた訳だが……」
「何か知らねーけど、本当に突然追跡が途絶えやがったんだ。そう、この――『大神村分校』の敷地内に入った瞬間にさ」
ちらりと、佑樹が話題となった建物を見る。
何かがあった時の合流地点として定めていたそこは、村の東方に位置している学舎だ。村長とその息子曰く、村の東方だけは、犬達による被害が少なく、特にそこは、明確に、犬達が入り込む事を戸惑い、撤退する姿が何度も目撃されているという。
故に今は、生き残った村人達の避難所として機能しているそうだ。
周囲をぐるりと奇妙な木々に囲まれたそれは、何処かノスタルジックな感覚を呼び起こす風情を含んだ、二階建ての木造建築。
度々あった犬達の襲撃時、いずれも被害者が皆無だった唯一の場所だった。
「爺さん婆さん連中は、ここが聖域じゃ~何て騒いでるらしいな」
「実際俺達もそのご利益にあやかって助かったから、一概にバカには出来ないしな」
源治と佑樹が声を揃えて言うものだから、大輔も思わず、なんの変鉄もない木造校舎を見上げる。
普通だ。そんな感想しか懐かない。今まさに大輔達が集合する小さめの校庭をぐるりと見渡しても、特別なものなど見当たらない。まるで城壁のようにそこかしこに植えられた奇妙な木々だけが、やはり唯一目を引く要素だろうか。
「報告ご苦労。避難は全員完了してるんだったか?」
「行方不明者多数ですが、恐らく無事な人間はここを目指している筈かと。幸運にも指定避難所ですし、人が集まってからは定期的に狼煙を上げているようです」
「……ヘリか何かを飛ばしてもらって、民間人を避難させたいとこだが……」
「難しいでしょうね。犬の怪物に追い立てられた……なんて。報道すれば世間が混乱しそうです」
「警部~。いっそ怪物公表しちゃえばいいんじゃね? 各地でチラホラ目撃やら被害出てんだしよ」
「バカ野郎宮村ァ。それが出来たら苦労しねぇ。大の輔。そっちの報告は?」
大輔と龍馬の議論に佑樹が首を突っ込み、源治がそれを軽く制止しながら、大輔に話を進めるよう促す。
いつもならここに雪代弥生が茶々を入れてくるのが通例だが、今はそんないつもの流れに身を任せるべきではない。さっきから、龍馬のもの言いたげな視線が、大輔に絡み付いてくるのだ。
隠さず説明して欲しいと、目が雄弁に語っていた。
「そうだな。色々と説明しなきゃいけない事がある。話が長くなるが構わんか?」
「ん? 重要な話なら雪代もいた方がいいんじゃないのか?」
大輔の切り出しにもっともな事を言う源治に、大輔は小さく頭を振る。
「いや、仮にもあれは、対策課設立最初期からいる。不本意ながらアイツには知られている事でな。今から話すのは、対策課が設立するきっかけにもなった、ある事件の話だ」
そうして、大輔は厳粛に語る。
それは言うなれば、永い前日譚。
怪物の謎に大輔が初めて接触した、数夜の戦いの物語だ。
※
大神村分校から少し離れた場所にて雪代弥生は、何処か途方にくれたように佇んでいた。
眼前には、抹殺者で半身やら首やらが吹き飛んだ犬達の死体。回収すべきと言われてはいるが、弥生としてはあまり気が進まない仕事だった。
女性だから、犬の死体が痛ましくて見られない……何て理由では勿論ない。
「こんなひどい状態じゃ、骨格標本に出来ないなぁ……。やっぱり全身麻酔かけられた子を探しだして締めれば……締めた位で死ぬかな?」
雪代弥生。警察という組織にこそ属しているが、その本質は警察の理念とは真逆に位置する。
彼女は特に……〝骨〟を愛していた。犬、猫といった獣は勿論、魚や鳥。そして……人間すらも。
その精神構造は、必要あらば殺人すら厭わない恐るべきものであり、事実、今でこそ活動を緩めてはいるが、彼女の正体は今だ警察に尻尾を掴ませぬ知能犯という側面も持っている。
警察側にてまことしやかに囁かれる彼女の異名は――、通称〝骨抜き〟
彼女に目をつけられた者は皆、全身。あるいは一部の骨を抜きとられ、凄惨な最後を遂げている。
ただ一人。彼女の上司にあたる、小野大輔を除いては。
同僚という互いの立場にて行われる、腹の探り合い。
恐らく大輔は弥生の死臭というべきか、異様な空気を感じ取っている。所謂刑事の勘という奴である。
一方で弥生もまた、隙を見せない大輔をいっそ愛おしくも思いながら、自身の尻尾は掴ませない。所謂犯罪者の矜持とでもいうべきか。
「怪物と警部なら……警部の方が手強いだろうなぁ……てか。こいつら、全部野良?」
飼い犬と野良犬。近場の犬が、ダルメシアンの怪物に操られていると聞いた。が……。
「なんだろ? 何かおかしいなぁ……それ以前に、こいつら、本当に犬?」
倒れている野良犬達と見られる怪物達。それらはすべからく、〝同じような見た目〟をしていた。弥生は犬にそこまで詳しい訳ではない。だが、数ある犬種の中で、一種類だけこんなにも多く野良犬化等するものだろうか?
「……みんな、同じ。全部」
体色は黒……だと思っていたが、どうやら薄暗い森の中での遭遇だった故にそう見えただけで、実際近くで見ると、若干褐色の方が強く見える。見た目は中型の日本犬だ。だが、有名な秋田犬等に比べたら幾分耳が小さいし、脚も長い気がする。日本犬同士の雑種が野生化し群れとなるまで増えた……といった所だろうか。
「……骨は後で回収できるか。今はこの事を、警部に報告した方がよさそうね」
女は引き際が肝心であるとは、弥生の持論である。
冷酷に獲物の骨を抜き屠る、殺人者。
玲瓏に〝同業者〟を追い詰める、女刑事。
妖艶に老若男女を骨抜きにする誘惑者。
その三つの顔を狡猾に使い分けて来たからこそ、弥生は今も尚、自由な生を謳歌してきた。そんな彼女の勘が囁くのだ。
慎重であれ……と。
弥生は素早くゴム手袋を付け、手頃な死体をズタ袋に放り入れ、そそくさとその場を退散……しようとした。
「アラ。貴女、血の臭いがするわね」
そこで不意にかけられた背後の声。村人がいない筈の村でのそれは、弥生の背筋を凍らせるには充分すぎた。開拓者を片手に弾かれるように振り返る。
「……え?」
銃口の先には、長身の女がいた。腰を越え、地面にすら届きそうな程に長いブロンドヘア。側面にあたる髪の一房だけ、三つ編みにして垂らすという独特の髪型だ。格好はワインレッドのチュニックワンピース。艶かしい肢体の女には、それが恐ろしく似合っていた。
怪物の死体が転がる場所にいるなど到底想像がつかない、令嬢を思わせる物腰の女だった。
弥生が暫し言葉を失い、立ち尽くしていると、何処か芝居がかった動作で女は首を傾げる。
吸い込まれるようなアクアブルーの瞳がスッと細められ、それはまるで検分するかのように弥生と己に突き付けられた開拓者を捉えていた。
「……貴女、何? 人間?」
鋭い声で弥生は問い掛ける。音も気配もなく突然現れた女に、弥生は最大級の警戒を持って対峙する。返されたのはまるで小馬鹿にしたかのような拍手だった。
「凄いわね。一目で私に何? って問い掛けるなんて。あ、それが開拓者ね。見た目は少し無骨な銃なのねぇ……人間って面白い事考えるわ。ねぇ、ちょっと触らせ……」
甘やかな少女のような声で女は弥生に歩み寄り――。
その瞬間、弥生は躊躇することなく開拓者引き金を引いた。モードは抹殺者。
怪物殺しの銃弾は、轟音と共に女の眉間に着弾し、その美しい顔を木っ端微塵に吹き飛ばした。
よろめき、痙攣しながら倒れる女の首なし死体。最後の拍動とばかりに動く心臓に合わせるかのように、断続的なリズムが、女の首から奏でられた。ポンプのように吹き出る、その血流が地面を汚していくのを、弥生は無表情のまま眺めていた。
麻酔によって無力化させる収穫者を撃ちたいところだったが、その換装の隙を突かれかねない。何より、これが最善だと、弥生の中では確信があった。
コレは危険。先手必勝すべきだ……と。
開拓者を下ろし、弥生は小さくため息をついた。
この女の死体も、持ち帰るべきだろうか。そんなことを考えながらも、提出するには惜しい何て気分にもなってくる。
「骨格は、よかったよね……首なし標本も悪くはないけど」
「へぇ、貴女は骨が好きなのね。弥生さん」
刹那。ぞっとするほど冷たい指が、開拓者を握る弥生の手に添えられた。声を上げる間もなく、弥生の身体は硬直する。
それは恐怖か。驚愕か。弥生には判断が難しかった。ただ、目の前に転がっていた死体が消え、死んでいた筈の女がこうして自分の背後をとった事だけは理解できた。
混乱する弥生の耳元に、女の吐息が吹き掛けられる。背中にピタリと身体を寄せる様は、まるで恋人に甘える少女のそれだった。
逃げることも抗うことも、弥生には出来なかった。
「ねぇ弥生? 貴女の骨は……きっと綺麗だと思うのよ。他の何よりもね。だって貴女一人では、決して見ることは出来ないですもの。……見てみたくない? いいえ、見るのよ」
女の形のいい唇が優しく言葉を紡ぐ。ゾッとするほど冷たく甘いそれは、命令とも誘惑とも取れた。
痺れる思考の中で弥生は自分の手がゆっくりと動かされているのを感じた。気がつけば、手に持つ開拓者が、添えられた女の手に導かれるままに、弥生の白い喉を捕らえていた。
「ねぇ弥生。私はね。欲しいものや見たいもの。知りたいものがいっぱいあるの」
例えば、貴女の骨。
例えば、私を守ってくれる王子様。
例えば、この世の色々な秘密。
例えば――。
「開拓者の、モード抹殺者。怪物殺しと聞いているけど、これを人間に撃ち込んだらどうなるのかしら?」
教示される、女の好奇心。破滅的なそれは、まるで毒のように弥生に入り込み……。
「……警、部。ごめんなさい。今夜は、空けれそうもないで――」
最期の言葉は、最後まで告げられる事もなく……。直後、鋭い銃声が、誰もいない夕焼け空の下で響き渡った。




