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名前のない怪物  作者: 黒木京也
続章ノ一 背徳の牙
123/221

5.遭遇

 湿った風が吹き荒ぶ中を、僕達は地元の人の先導を頼りに進んでいた。

 大神村の構造は単純明快。四方を森に囲まれた地形の真ん中に、小高い台地がある。地元でもっとも発言力のある沢田の武家屋敷は、その一番上に位置しているらしい。

 村全体に囲まれているその様は、村に守られているようにも、村を見張り続けているようにも見えた。

「徒歩で、どれくらいかかります?」

「人にもよりますが、三十分前後ですかね。道も険しいので、女性には余りお勧めしません」

 叔父さんの質問に、村長の息子だという青年はそう答える。気弱そうな目が、少しだけ心配そうに怪物を見ていた。

 無用な心配だろうけど、心遣いに感謝して僕が会釈すると、息子さんは慌てて目を逸らした。

「この娘も後ろに控える女も、この程度でバテるタマじゃあないしな。道の険しさよりも、今の現状だ。犬が押し寄せて来た……との話でしたよね。その犬達はどこから?」

 叔父さんの質問に、息子さんはビクリと身体を強張らせる。だが、それも一瞬でゆっくりと話し始めた。

「奴等は……最初は小さな群れだったんです。ダルメシアンを先頭に、ほんの四、五匹……。奴等は犬がいる家庭をまず襲ったんです。一匹また一匹と、奴に噛まれた飼い犬達はみんな家を離れて、奴等の方へ……」

 ガタガタと震えながら、村長の息子さんは深呼吸する。思い出すのもおぞましいとでもいうように掌を見つめる姿が、起きた出来事の不気味さを如実に語っていた。


「村中の飼い犬がいなくなるのと平行して、行方不明者も出ていました。一人、また一人と人が消えて……村の駐在所もお手上げになり、県警に協力を仰ごうとしたその時です。犬の大群が押し寄せて来たのは……」


 そこで突然、ガサガサと近くの茂みが音を立てた。

 背筋を張りつめさせる息子さん。

 素早く拳銃を構える大輔叔父さん。

 怪物は立ち止まった面々をきょとんとしたような顔で見ている。

 そんな中で僕は、咄嗟に能力を発動させた。超感覚により、茂みの向こうの危険度を……。


「……ん?」


 そこで、僕は思わず首を傾げた。

 うなじは、ざわついている。何かがいるのは明白だ。だが……。


「……警部、ハズレです。多分危険はないかと」


 重々しく、低い声が、すぐ横からした。

 叔父さんと同じように拳銃を構えていた男は、肩の力を抜くように大袈裟に息を吐いた。対策課の人間にして、今回僕や大輔叔父さんと共に先遣隊を務める人物――。桜塚龍馬さんだ。

 危険はない。その一言で、周りに緊張と安堵が混ざりあったかのような、微妙な空気が流れ始める。その折もガサガサという音は次第に大きくなり、軈て茂みの中からひょっこりと、何かが顔を出した。

 ……犬だ。

「……小さいな。チワワか?」

「多分、そう……だよね?」

 自信なさげにそう言う叔父さんに、僕も曖昧に同意する。

 テレビのCMで見た、弱々しくも可愛らしいつぶらな瞳。小さすぎて心配になる体躯に該当する犬は、それくらいしか思い付かない。

 チワワは白い体毛と、赤い小さな首輪という出で立ちだった。見た目愛くるしい小さな犬は、心なしか震えている。黒い瞳は油断なく、まるで検分するかのように僕達を見ていた。

「パク……? 白滝さんとこのパクじゃないか!」

 息子さんの叫びに、チワワの気配が目に見えて変わる。尾が千切れんばかりに左右に振られ、耳はピンと上を向く。全身で喜びを現すチワワ。その反応に、曖昧だった周りの空気は完全に弛緩して……。


「息子さん待った。その子、村にいた飼い犬かい?」


 ただ一人。未だに拳銃を構えたまま、叔父さんは鋭い声で質問する。叔父さんの迫力に気圧されたのか、息子さんはコクコクと無言で頷く。返事を聞いた叔父さんはますます目を細めながら、周囲を警戒する。

「村の飼い犬は……みんなダルメシアンの怪物に連れ去られた。飼い主を捨ててだ。それが何で〝今〟ここに出てくる?」

 息子さんの息を飲む気配がありありと感じられた。何かを察したように、龍馬さんもまた、下ろしていた拳銃を再び構える。

 うなじはざわついていた。チワワが出てきてからもずっとだ。

 このチワワ自体に危険はない。それは感覚で分かる。だが、この胸につっかえるようなとっかかりは何だろう?

 気を抜いたらいけない。そんな思いが、僕の胸に去来して……。


「……レイ」


 突如、耳を甘やかな声が擽った。うひゃっ! という変な声を出しそうになりながら、僕は首だけ声の主の方へ振り返る。予想通り、怪物の仕業だった。

 いつの間にか僕の背後に回っていた怪物は、僕の背中にピッタリとくっつくようにして、僕の耳に顔を近づけた。

「ちょ、何す……」

「……いる」

 じゃれてる場合じゃないぞ? という僕の抗議を封じるかのように、怪物は短く、僕にしか聞こえない声でそう告げた。

 ぎょっとする僕の瞳を真っ直ぐ見つめながら、怪物は僕の肩を弱々しく握る。


「……叔父さんっ!」


 僕の声に反応するかのように、叔父さんの顔つきが変わる。

 いつかの実験棟で見せた顔。刑事というよりも、肉食獣のような目で叔父さんはチワワに気を配りつつ、片手をスーツの胸元に入れる。

 取り出されたのは、普通の拳銃より一回り以上大きく、かつ、何処か異様な形状な銀色の銃だった。

 

「桜塚! パイオニア用意! 追跡者(チェイサー)だ!」

「……了解」


 叔父さんの合図に龍馬さんは頷くと、同じように懐から特殊な形状の拳銃を取り出す。回転式の青い弾倉がガチリという音と共に取り出され、流れるような動きで今度は緑の弾倉が銃に取り付けられた。

 兵器というわりには、随分と原始的な可変の仕方だ。

 一方の叔父さんは、青い弾倉のまま、油断なく拳銃を構えている。

 張りつめるような緊張感の中、再び、ガサガサと、今度は少し遠くの方から草木の擦れるような音がして――。そいつは現れた。


 出てきたのは、またしても犬だった。

 白黒の斑模様。

 遠くから見ても分かる、子牛にすら見間違える程の、がっしりとした四肢。

 何処か神々しくも見える、ブルーの瞳。

 ダルメシアンと呼ばれる犬種だ。


「あ、アイツです! アイツが……!」


 震えながら、息子さんはダルメシアンを指差す。同時に、二丁の拳銃の銃口が、斑の犬に向けられた。


「お嬢ちゃん。アレは……何だ?」


 ダルメシアンから目をそらさずに、叔父さんは怪物に問い掛ける。

 怪物は沈黙を保ったまま、僕の背中にまとわりついている。肩を掴む力が、さっきより強くなっていた。


「アイツは……その、怪物なの?」


 ダメだ仲介頼む。といった叔父さんの視線に頷きながら、今度は僕が怪物に質問する。すると、怪物は暫くの間を置いてから、静かに。囁くように口を開いた。


「……不思議なかんじがする」


 言葉の意味を理解するまでに数秒かかった。こいつがここまで戸惑いを抱くなんて、今まであっただろうか? そこまで考えて、怪物が急に僕の背中へピッタリとくっついてきた理由が見え始める。震えてはいない。けど、彼女は不安から僕に寄り添って来たのではないだろうか?


『引き返すなら今よ。あそこにいるのはね。アモル・アラ ーネオーススの天敵よ。みすみす死ににいくだけ。ただでさえ数が少ないんだから、二体そろって共倒れなんて、ナ ンセンスだと思わない?』


 アリサさんを名乗る女の言葉。あのダルメシアンが、僕達の天敵だというのだろうか?

 一見しただけでは分からない。超感覚は相手を分析してくれる訳ではない。ただ、不気味なまでに微弱なざわめきが、僕のうなじを苛んでいた。

 警戒するに、越したことはないだろう。


「……とにかくだ。僕から離れないで。アイツが何であれ、君は――」


 僕が守る。そう伝えようとしたその時だ。

 不意に、今までにないざわめきが僕に襲いかかってきた。

 突如訪れたそれに身体が驚いたその瞬間。僕の目の前に、黒い影が肉薄した。


「……え?」


 反応する暇もなかった。全てが終わってから分かったのは、僕のすぐ傍に、斑の獣がいること。

 獣は後ろ足で立ち上がりながら、青い瞳で僕を真っ直ぐ見ていたこと。そして――。


「あ……」


 そして、その前足が、僕の腹部に深々と突き刺さっていたこと。それだけだった。

「な……!?」

 前にいた叔父さんの目が、驚愕で見開かれるのが見えた。それと同時に焼きごてを当てられたかのような激痛が、刺された部分から広がっていく。


「あ……ぐ……」


 痛みに耐えながら、僕は後ろに視線を向ける。

 美しい少女の怪物は、僕の貫かれた部位を背中ごしに凝視しながら、今度は明確に、身体を震わせていた。

 よかった。僕の身体を貫通して、彼女まで大怪我。そんな最悪な事態だけは回避できたらしい。自分の状況をほっぽって、僕はただ、安堵する。

 同時に、身体が痺れ、視界が急速に暗くなっていく。


「……レ……イ?」


 身体が崩れ落ちる直前に僕が耳にしたのは、今まで聞いたこともない声。

 哀しみと狼狽が入り交じったかのような、怪物の声だった。



 ※



「く……そがぁ!」

 吠えるように悪態をつきながら、小野大輔は発砲した。乾いた音と共に放たれた銃弾は、土を撥ね飛ばすのみに留まった。

 外した。

 そう感じた刹那、すぐ前を再び、斑の獣が風のように駆け抜けた。

 すれ違い際に、赤く生暖かい飛沫が大輔の頬にはねる。素早く獣が向かった先を見据えれば、そこには悪夢のような光景が広がっていた。


「レイ……っ!」


 ぐったりとうつ伏せに身体を地面に投げ出した甥っ子の首が、斑の獣の顎によって、後ろからがっしりと押さえ込まれている。少しでも此方が変な動きをすれば、首をへし折る。ダルメシアンの青い瞳が、そう如実に物語っていた。


「ぐ……」


 説得をしようにも、相手は犬だ。果たして話が通じるのか。だが、こうしている間にも、レイの腹部からは、出血が続いている。倒れ伏した甥っ子の元から赤い水溜まりがどんどん広がっていく。猶予は……ない。大輔は悔しげに歯噛みしながらも、ダルメシアンを。騒動の元凶を睨み付ける。


「……そいつを、レイを離せ。人質を抱えて戦えんだろう。こっちにはお前を殺す手段がある。……レイを離せ」


 特殊拳銃(パイオニア)は使えない。殺す手段があるのは本当だが、この距離ではレイにまで当たってしまう可能性がある。それを気取られぬよう、大輔はダルメシアンに交渉を持ちかける。青い瞳は、油断なく、大輔の方を睨んでいた。


 刹那の沈黙を切り裂いたのは、鈍く震えるような音。大輔と桜塚龍馬の元で鳴動するそれは、対策課のメンバーがもつ、特殊な端末だ。後続で何かがあったのだろうか? この極限状態な時に……! と、悪態をつきたくなりつつも、大輔は銃を構えていない方の手で、端末を操作した。


「こちら大輔。どうした?」


 ダルメシアンから目を離さずに、大輔は応答する。相手は、後続に指揮役として残してきた、雪代弥生だった。


「警部。悪いニュースです」


 弥生の声にはいつもの飄々としたものがない。それだけで、大輔の嫌な予感は加速する。

 どうした? と、問い掛けると、弥生はため息混じりにこう答えた。


「此方が出発して数分後、黒い野犬の群れに囲まれました。数は……十二匹ほど」


 白馬の王子様みたいに、助けに来てはくれませんか? 何て投げ槍な冗談を飛ばす弥生に、いつものようにバァカ。と、悪態をつく事は、流石の大輔にも無理だった。


「助けに行きたいのは……やまやまだ。だが、つい先程、こっちは本命と遭遇してな」


 目の前のダルメシアンを見据えつつ、大輔は身震いする。目の前の怪物に戦慄したから……ではない。

 この震えは、背後から。そして今まさに大輔のすぐ横に並んだ存在が放つ、尋常ではない威圧感(プレッシャー)が起因する。


「悪いが、こっちも立て込んでいる。今そっちに救援に向かう余裕は……なさそうだ」


 プレッシャーの元を見ながら、大輔は頬をひきつらせる。


 隣に並び立った存在は、少女の姿をしていた。

 黒いセーラー服に身を包み、ほっそりとした脚は同じく黒いタイツで覆われている。

 腰ほどまでの長く艶やかな黒髪は、前髪が切り揃えられ、まるで日本人形のよう。

 深い闇の底のような漆黒の瞳。

 尽く黒を強調する風貌とは対照的な、病的なまでに白い肌。それはとてもきめ細かで、陶磁器を思わせる。


 美しい少女だった。

 背筋が凍りつくかと思える程に美しい、少女の怪物がそこにいた。



「レイを……(ワタシ)のレイを……返して……!」


 少女の白魚のような手が、醜い怪物の鉤爪に変貌する。同時に彼女の背中が盛り上がり、六本の黒光りする節足が、まるで翼のように広げられた。

 ヒイッ! っと、息子さんの短い悲鳴が聞こえる。が、少女の怪物はお構いなしに、また一歩。怒りと狂気で焦点の合わない瞳のまま、ダルメシアンに近付いた。



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