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名前のない怪物  作者: 黒木京也
続章ノ一 背徳の牙
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3.謎めいた笑み

「アモル・アラーネオースス。個人的には、こっちの呼び名の方が好きなのよね。蜘蛛の巣まみれの愛だなんて、ロマンチックだと思うのよ」

 何故知っている? というこちらの質問を無視して、女はクスクスと妖しく笑う。その胡散臭い立ち振舞いに僕が顔をしかめると、女はますます楽しげな顔になる。

「睨まないでよぉ」

「……質問に答えてくれ。アモル・アラーネオースス。これは、一部の人間しか知らない筈だ」

 絶滅危惧とか、そんな不穏な単語も聞こえた気もするが、今は気にするのは止めておいた。

 すると、女はきょとんとした顔で首を傾げる。

「あら? 貴方知らないの? 少なくとも、警察とか、他の組織からしたら、その名前は有名よ? 地球人からすれば未知の存在である地球外生命体。その中でも個人規模とはいえ、しっかりとした研究が行われた存在ですもの」

「……研究って、楠木教授?」

 僕の問いに、女は微笑で応える。

 嫌な表情だった。

 見た目は美しい女であるから故に、それはいっそう際立つ。目が全く笑っていないのだ。

「そんなに身構えないで。私は妙な組織に属しているとか、そういうものではないわ。ただ……そうね。フラフラしてるお姉さんよ」

「……胡散臭い」

 初対面なのに、そんな言葉が僕の口から出る。すると女は、肩を竦めながら「キッツいなぁ……」と、呟いた。言葉の割りには堪えた様子はない。そんな女を、僕は黙って観察する。


「……む」


 そこで始めて、僕は異常に気がついた。うなじのざわつきが、おさまらないのだ。それどころか、ますます増していく不快感に、僕は思わず身震いする。

 怪物としての僕の能力たる、超直感。それが、この場は危険だ。逃げろ。と、警笛を鳴らしているのだ。


「……震えなくてもいいじゃない」


 少女のような声。だというのに、ねっとりと、絡み付くようなそれは、無意識に僕を後退りさせる。

 得体の知れない人間は今までたくさん見てきた。

 初対面の頃のルイや汐里に感じた不信感。本性を現した時の京子への恐怖。

 だけど、この女は違う。

 無機質で、まるで奈落の底を覗くような、この感覚は、僕もよく知っていて……。

 違和感の正体を突き止めようとした次の瞬間、僕と女の間に、怪物が立ちはだかった。

 蜘蛛から少女の姿になり、無言で女を睨む怪物。白く小さな手が、開いては閉じられる。まるで女の首を絞める練習をするかのような仕草だった。

「……来ないで」

 怪物の一言に女は目を細める。一瞬だけ舌舐めずりをしたように見えたのは、気のせいではない。無機質な女の顔は、怪物が出てきた瞬間に、明らかに変質した。

「人の皮と恋慕を被り、人を喰らったその口で、貴女はその人を愛すと嘯くのね。嗚呼……」


 月明かりの元で女はその言葉を発する。その表情は何処と無く寂しげだった。


「可憐で、歪で。でも美しいわ。貴方達は」


 サラリと、女の手が怪物の頬を撫でる。突然の出来事に驚いたのか、身を強ばらせる怪物。それを再びの微笑で見つめながら、女は静かに踵を返した。

 ゆっくりと去っていく足取り。このまま行かせていいのか? そんな考えが一瞬よぎるが、即座に僕は否定した。引き留めてどうするというのだろう。謎めいた雰囲気は不気味だが、僕らをどうこうしようとしている訳ではない気がする。

 案外本当に、僕らが珍しくて寄ってきただけなのかもしれない。

 人間……なのだろうか。怪しい所だ。

「ああ、そうだ。島根とか呟いてたけど、貴方達は、この先に進むの? もしかしなくても、大神村へ行くのかしら?」

 少し離れた所で振り返りながら、女は僕に問いかける。大神村。今まさに、僕達が目指している、件の村の名前だった。怪訝な顔になりながらも、小さく頷く僕に女は静かに頭を振る。どこか疲れたように女は口を開いた。


「目的が何かは知らないけど、悪いことは言わないわ。引き返しなさい。もうあそこは手遅れよ。助からないわ」


 胃袋に鉛を少しずつ流し込まれているような。そんな錯覚を感じた。

「小さな村って聞いた。犬の怪物に、有力者の家が占拠されたとも。生きてる人が、もういないってこと?」

 僕の質問に女は目をパチパチさせる。どこか面食らった表情のまま、女は数秒硬直し、途端に大笑いし始めた。

「くく……アハハハハッ、い、犬の怪物ですって? あれが? 貴方にその情報を与えた人は、目が節穴だったのね! あれらが犬に見えただなんて」

 ひとしきり笑い、ふぅ。と一呼吸おいてから、女は僕らの方へ向き直る。

「引き返すなら今よ。あそこにいるのはね。アモル・アラーネオーススの天敵よ。みすみす死ににいくだけ。ただでさえ数が少ないんだから、二体そろって共倒れなんて、ナンセンスだと思わない?」

 怪物を見ながら、女は「ね?」というように片目を閉じる。仕草がいちいち芝居がかっている。こういう得体の知れなさは、何だかルイにも通じるような気がする。


「あそこにいる奴らはね。こちらから手を出さなければ何もしてこない。村一つ明け渡すだけで済むの。寧ろ、こちらから入り込めば入り込んだだけ、事態は悪い方へと進んで行くわ。私が言うんだから間違いなし」

 何の根拠が? と、突っ込むのは野暮だろう。そもそも、それを問い質す暇を、女は与えてくれなかった。

「ホラ、向こうのトイレから出てきた人。貴方の連れでしょう? 帰るよう説得すべきよ」


 指差された方を見ると、確かに叔父さんが今まさにトイレから出てきた所だった。のそのそと歩いて来る様子から、此方の状況には気づいてないらしい。すると――。


「警告はしたわ。またね。ルイの義息子さん」


「――へ?」


 間抜けな声が出たのは、仕方がない事かもしれない。思いもよらぬ名前が出てきて、僕の思考は凍り付く。

「お、おい! 今なんて……」


 慌てて振り返ってみても、女の姿はどこにもなかった。煙のように跡形もなく、まるで最初から何もいなかったかのように、ただ夜風が空しく僕の髪を撫でるだけ。

「まいったぜ。バカデカイ蜘蛛が上から落ちてきやがってな。柄にもなく大声あげちまったよ。ん? どうした? 何固まってやがる?」

 やがて、叔父さんが合流する。頭を掻きながら地味な恐怖体験を語る叔父さん。どうやらあの女の姿は見ていないようだ。

「なんでも……あったけど、車で話すよ」

 狐に化かされたような気分になりながら、僕は怪物の手を引く。握り返される手に少しドギマギしていると、不意に叔父さんが僕の肩を叩いた。

「ちょっと待て。何か服についてるぞ。なんだこりゃ? 新手のファッションか?」


 つまみ上げられたそれは、何やら粘性のもので貼り付けけられていたらしく、僕の服との間で銀色の橋が

かかる。

 それは、茶色い風切り羽根だった。

「……デケェな。鳶か。下手すりゃ鷹のそれだな。ん? 何かくくりつけてるな? メッセージカードか?」

 ホレ。と、羽根が僕に手渡される。見てみると、なるほど。ブロンドの髪の毛を糸がわりに、羽根の根本に小さなメッセージカードが取り付けられていた。

 あの女の仕業だろう。いつ用意したのかは謎。だが、そんな細かいことがどうでもなくなるような内容が、そのメッセージカードにか書かれていた。


「なんだよ……これ?」


 本日一番の混乱する出来事が、そこにはあった。達筆な字で、短く一言。


『どうか忘れないで。私との絆を。そう〝彼〟に伝えて下さい。――霜崎(しもざき)有紗(ありさ)より』


 それは、お義父さんな友人がかつて。否、今も愛している、女性の名前だった。


 ※


 意識が覚醒した森島美智子が最初に見たのは、見慣れた天井。自分の部屋らしい。そして、最初に覚えたのは、畳に横たわる感触と、噎せ変えるような血の匂いだった。

「え……あ……?」

 何があったのかを思い出した所で、美智子の中で恐怖が再燃する。

 犬の群れ。群れ。群れ。それらがあっという間に屋敷を包囲したのを目撃した瞬間、美智子は背後から突き飛ばされた。最後に見たのは、すぐ後ろに佇むエディの姿。

 彼の体当たりによって美智子は転倒させられ、そのまま昏倒したのだ。

「生き……てる?」

 信じられない面持ちで、美智子は頭だけを動かす。

 すぐ横には、母の顔があった。目を恐怖に見開き、だらしなく口を開け、そのまま硬直していた。

 明らかに死んでいる。

「ひ、ぎぃ!」

 弾かれるように起き上がった美智子の目に、見なければよかったものまで飛び込んでくる。

 母の顔があった。まさしくその通り。正確には、美智子のすぐ横に、母の切断された頭部が転がっていた。

「ああ……母さん……うそ……!」

 啜り泣く美智子の声も、今は届かない。助けを求め、視線をさ迷わせるが、そこに救いなどなく……。


「あ……ひひひっ……」


 代わりに、飛びっきりの地獄絵図が待っていた。

 祖父が、姉が、弟が、その嫁が。その部屋には集結していた。

 ただし……。


「何よ。何なのよこれはぁああ!」


 恥も外聞もない叫びを、咎める者はいない。いや、咎められるものはいなかった。喉笛を、手首を、腹を食い破られ、美智子の家族は全員絶命していた。転がされた死体には明らかに獣のそれと分かる損傷だった。

「あああああああ! ああああああ! ――ひっ?」

 狂乱し、頭を掻きむしる美智子。その時である。


 背後から、ギシ。ギシ。カリ。カリ。という、独特の足音が聞こえて来たのは。

 短い悲鳴を上げながら、美智子は今さら口を塞ぐ。もう遅いのは明らかだ。あんなに騒いでしまえば、いかにこの屋敷が広くても、気づくに決まっている。

 ハッハッハ……という、犬の息遣い。背後の障子が引き開けられ、白黒斑の犬が現れる。飼い犬のエディだ。美智子は、震えが止まらなかった。エディがさっきから自分の喉を見ている気がしてならなかった。

 次は私か? そんな絶望的推測だけが、頭の中に広がっていく。

 浮かんだ感情は、理不尽という単語だった。

「何でよ……そんなに私が憎かったの? 仕方ないじゃない! 家庭が壊れたのは、あの人のせいよ! 優花が人を殺したのだって……私のせいじゃないっ!」

 大声で捲し立てる美智子をエディは黙って見つめ……やがて、短いうなり声を上げた。

 獣特有の裂けた口吻が、徐々に。だが、確実につり上がっていく。

 その時の恐怖と戦慄を、美智子は恐らく、生涯忘れる事はないだろう。

 蒼い目を慟哭する美智子からそらさずに。エディは笑っていた。

 犬とは思えぬゾッとするような表情で、確かに笑っていたのだ。


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