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名前のない怪物  作者: 黒木京也
番外章 語られなかった物語
116/221

インビジブル・ミルキーウェイ

番外編です。

時系列は本編開始の数年前……の、七夕です。

モラトリアム時代――怪物など知りもしなかった日の彼と彼女のお話です。


夜のおつまみにどうぞ

「七夕ですね」

「例によって雨が降っているけどね」

 何の気なしに私が漏らした一言を、その男は目ざとく聞き取り、律儀に返答してくる。

 カーテンの引かれた窓側に腰掛けるようにして、その男は本を読んでいた。


『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』


 奇抜というか、話の内容がまるで想像できないタイトルに、私は何とも言えない気分で苦笑いを漏らす。すると、彼は文庫本を開いたまま、目線だけを此方に向けた。

「というか、聞いてもいいかい?」

「体重以外の質問でしたら」

「……今日の下着何色?」

「紫ですが、なにか?」

「なかなか挑発的だね」

「でしょう? で、……本題は?」

「何で君ここにいるのさ?」

 何でいる。とは、酷い言い草だ。私が心外だ。といった顔をすると、彼はやれやれといったように肩を竦める。

「大学は?」

「サボりました。てか、その言葉、貴方にそっくりお返しします」

 彼と私は、同じ大学。同じゼミだ。故にこうして話すのは、最早腐れ縁のようなものなのだ。

「いいんだよ。今日は楠木教授の授業ないし。雨も降ってるし」

「苦しい言い訳ですね」

 辛辣な私の一言に、彼はバツが悪そうな顔で本に視線を戻す。

 紅い瞳が、物語を追う。


 彼は所謂、アルビノというやつだった。


「質問に答えてくれ。何で来たのさ」

「よく遊びに来てるではないですか。今日もそれです」

「勝手に人の部屋に入り浸るのが、君にとっての遊びなのかい?」

「紅茶を淹れますが? 読書には入り用でしょう?」

「まぁ、ゆっくりしていきたまえよ」

 見事な手のひら返しに可笑しくなりながらも、結局彼にとっての私はその辺にいる有象無象と変わらないのだろうか。そんな考えが頭をよぎる。


 彼は孤高で。誰も寄せ付けはしない男だった。

 人と違いすぎる容姿を気にしているのか。前に話してくれた、両親の顔すら知らないという孤独感がそうさせるのか。真意は分からない。

 ただ、仮面のような彼のアルカイックスマイルが、達観したような飄々とした物腰が、私は嫌いだった。嫌いな……筈だ


「アールグレイでいいですか?」

「ローズヒップもある。君の好みでいいよ」

 ほら、こうやって。選択を誰かに委ねる。自分から動く事はない。拒みはしないが、求めることもない。

 だから私はこうして無駄に足踏みを続けている。人の気も知らないで。

「お水、お借りします」

 勝手知ったる私は立ち上がり、キッチンの収納スペースからヤカンと、ティーセットを引っ張り出す。

 お湯を沸かしながら、私は手近な壁に背を預けた。ワンルームマンション故に、キッチンからでも彼の様子はよく見える。彼は相変わらず、本を読んでいた。


「織姫と彦星は……幸せだと思いますか?」

 何故そんな質問が出たのかは、分からなかった。案の定、彼は彼で狐にでもつままれたかのような顔で私を見ていた。


「何だい? 藪から棒に」

「いいえ、何となく、貴方の意見が聞きたくて」


 私の真剣な目を見てとったのか、彼は暫く考え込み、やがて、わからない。とだけ答えた。

「だって僕は、誰かに恋した事すらないからね。神様に引き離されても一人を想い続けて。一年に一度の再会を待ちわびるなんて、想像もつかないよ」

「見も蓋もない答えですね。恋い焦がれるまではいかなくとも、いいな。とか思う相手はいないのですか?」

 これでもし、いる。と答えられていたら、私はどんな顔になっていただろうか。

 だが、そんな私の心配は杞憂に終わり、彼は首を横に振る。

「生憎、いないんだ。多分、僕は誰かを愛するようには出来ていないんだろうね」

 その事実は、鉛のように私の身体へ重くのし掛かる。

 冷たい仮面。凍りついた心。それに手を伸ばせそうで伸ばせない。

 そんなもの関係なしに、彼を包めたらどんなによかっただろうか。だが、私にはその勇気がない。天の川を渡るより、彼の拒絶が怖かったのだ。


 お湯が沸き、紅茶を淹れる準備が整った。後は慣れた単純作業。の筈だったが、わずかばかり苦い出来になってしまった。


 二人分のティーカップをトレイに置き、私は彼の座る窓側へ。

 雨はまだ、止みそうもない。これでは、織姫と彦星は逢えないだろう。

 同情はしないが。

 だって彼と彼女は、想い合っている。天の川と雨を隔てて尚強く。

 私はそれが羨ましくて、妬ましかった。


「さすが。上手だね」

「……少し、苦くなってしまいました」


 出来た紅茶を、彼は嬉しそうに飲む。隣に腰掛けて、私も口にするが、やっぱり苦かった。少しの悔しさを感じ取ったのか、彼はいいんだよ。と、〝彫像〟の笑みを浮かべた。

 何だかムカついたので、彼の髪を引っ張ってやる。金色とも銀色ともつかぬそれはまるで――。


「……貴方の髪は、星の色みたいですね」


 天の川みたい。という言葉は。ついに出てこなかった。

 こんなに近くで見つめても。きっと彼には伝わらない。伝えることが私は怖い。

 近くて遠い。そう思いながらも私はここに。彼の部屋へ来る事を止められない。

 彼からすれば、何かと突っ掛かってくる、口煩い女だったとしても。


「願い事……君なら何にする?」


 髪を引っ張ったまま顔を伏せていた私は、驚いて、彼の方を見る。少しだけ、意外だったから。いつものように軽口混じりの冗談だと思ったが、彼は真剣らしい。

「そうですね。何にしましょうか……私、こう見えて細やかな幸せに憧れるタイプですので」

「ああ、いいね。幸せは手に乗るくらいで丁度いい。あんまり大きいとこぼれ落ちてしまうからね」

 何かから引用したような彼の台詞に笑いながら、私は天井を見る。


「いつぞやの、ハンバーグ。作ってくださいな。バジルとトマトソースの」


 それなりに料理上手な彼へ小さな嘘の願い事。それを隣に座る流れ星は、やっぱりアルカイックスマイルと共に頷いた。


「了解。紅茶のお礼だ。夕食は引き受けたよ」


 そう言って、彼は再び本に没頭する。

 その横顔を、私はただ黙って見つめていた。

 

 恋人とは勿論違う。

 親友とも、違う。

 かといって、他人という訳ではない。

 一緒につるむ時間はそこそこ長いし、ただの知り合いにするには、私達は近い。

 不思議な、生ぬるいミルクのような関係だけど……。

 願わくば、もう少しだけ。

 彼が隣に誰かを置くのを拒むなら、せめて背中合わせでも、数歩後ろでもいいから。

 どうかこれからも、彼の傍に。


 絶対に口には出さない本当の願い事を、私はそっと祈る。

 きっと今年も見えないであろう天の川へ向けて、一人密かに。

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