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名前のない怪物  作者: 黒木京也
外伝 Monster Days
115/221

名も無き者共の星霜

 突然現れたルイは、僕の傍らで静かに目を細める。

 木造のロッジを見つめる彼は、どこか懐かしそうにため息をついた。

「ここで、僕はアリサと暮らしていたんだ。まさか君とあの子が住むことになるとはね。因果というか、(えにし)というか……」

 笑うルイに、僕は曖昧に頷く。

 最初、ルイの顔を見た時は勿論驚いた。だが、それ以上に気になったのは、彼が〝白衣にパンツスーツ姿〟で現れた事だった。

 その出で立ちを連想する女性を、僕はよく知っている。


「ルイ、君は汐里の中で生きていたの?」


 僕の質問に、ルイは首を横に振る。

「生きるというより、眠っていた。が正しいかもしれない。桐原の突然変異(ミュータント)としての力が、僕の断片を繋ぎ止めていたんだ。いやぁ、まさか人生で二度も物理的に食べられる日が来るなんてね。……痛かったなぁ 」

 痛かったで済む問題ではないだろうが、そこは言及するのは止めておいた。

「汐里が新種の怪物を捕食し、力を取り戻した時に、僕も目覚めたんだ。まさかこんな裏技で生き長らえてしまうとは、汐里の執念はやはり侮れないよ」

「飄々と復活するルイも大概だと思うけどね」

 僕の言葉に、ルイは楽しげに肩を竦めた。血色の瞳は、まだ僕を見つめていた。


「……何も聞かないの?」


 僕の質問に、ルイは頷く。


「ああ、必要ないさ。強くなったんだね。レイ君。その様子なら聞くまでもない。あの子も元気なんだろう?」

 今度は僕が頷く番だった。

「……子ども欲しいって言い出した時はどうしようかと思ったよ」

「あはは。お父さんは娘がどんどん離れていくようで寂しいよ」

「……楽しそうに見えるよ? 僕の気のせいかい?」

「孫が楽しみだ」

「おいやめろ」

 久しぶりになるルイとの会話は、ついこの間まで一緒にいたかのような自然さだった。

 暫し他愛のない話を続けてどれくらいたっただろうか? ルイは思い出したかのように手を叩いた。


「ああ、そうだ。肝心な事を忘れてた。今日来たのはね。君に頼みたい事があるからなんだ」


 僕の方に向き直るようにして、ルイは真剣な顔になる。

 思わず僕まで背筋を伸ばすと、そんな固くならないでおくれ。と、苦笑いされた。

 ルイはゴソゴソと白衣のポケットをまさぐると、一通の封筒を取り出した。

「これを……汐里に渡して欲しい。さっき書いたんだ」

 ちょっとだけ躊躇ってから、ルイはそれを僕に手渡した。

 便箋には、いつかの綺麗な字で「汐里へ」と、書かれていた。

「……これは?」

「見ての通り、お手紙さ。君には色々残せたけど、汐里には何も残していなかったからね」

 まぁ、敵対してたから残してる訳ないんだけどね。と、付け足しながらルイは苦笑いする。

「……これで変な行動とらなければいいんだけど」

「何書いたのさ君」

 僕の呆れ顔をさらりと流しながら、ルイはまた微笑んだ。どこか晴れ晴れとした表情で、彼はスーツを整える。

「まぁ、きっと今の汐里なら大丈夫だよ。想像つかないかもしれないけど、彼女、何だかんだ優しいからね。……自分の敵以外には」「あ~……」

 コメントは控えることにした。

 そんな僕を面白そうに見ながら、ルイはのんびりと背伸びをすると、唐突に「そろそろ戻ろうかな」と呟いた。


「……もう?」

 よっぽどひどい顔になっていたのだろうか。ルイは困ったような顔をしていた。

「そんな顔しないでおくれ。引っ越したりとか、色々やることはあるだろう? それに、あまり汐里の負担になるのもね」

 こうやって出てきたのも、僕の勝手な欲やら自己満足だし。と、言いながら、ルイは自分の身体を見る。

「こうして立っている事自体が奇跡なんだ。あまり表に出てたら、バチが当たりそうだよ。成長した君を見れて、僕は概ね満足なのさ」

「……でも」

 反論したくても、出来なかった。ルイからすれば、不本意な生存だったのかもしれない。

 まるで宿り木か、幽霊のような生故に。


「また会えるさ。歪な形とはいえ、こうしてまた話が出来たんだ。君がどうしようもなく迷ったりした時には……そうだね。助けに行くよ。五回に一回くらい」

「うん、ありがとう。でも、あまりお世話にならないようにはするさ」

 おどけるようなルイを見て、僕は躊躇いを捨てた。

 僕は託された側だ。いつまでもおんぶだっこはダメだと思う。だから――。


「コーヒー。またご馳走する」

「いいね。今物凄く飲みたいけど、次に会う口実にとっておくよ」


 互いに握手を交わし僕らは再び、別れの時を迎える。だが……。


「ごめん、ちょっと戻るの待った」

「ん? 何で?」

「……隠すなよ。本当は会いたいんだろ? 連れてくる」


 驚いたようにルイは目を見開く。どこかはにかんだような笑顔は、気恥ずかしさとか、色々な感情が入り交じっているように見えた。


「レイ君に心を見透かされる日が来るとはね」


 立場逆転しちゃったなぁ、等とぼやきながら、ルイは小さな声で「ありがとう」と、呟いた。


 奇跡のような再会だ。これ以上はバチが当たる。何てルイは言ってたけど、それがどうしたというのだろう。

 親子が会うのに、理由なんていらない。それに水を差す神様なんて、無粋というものだ。

 神様に平手打ちする覚悟すら決めて、僕は小走りにそこへ向かう。

 何故か逃げ出してしまった、彼女の元へ。


 ※


 怪物は、思いの他あっさりと見つかった。 部屋のベットの上で枕を抱き締めて、丸まるようにして横になっている。

「……ルイ。来てるよ」

 僕が話しかけると、怪物は視線だけを僕に向ける。

 闇の底を思わせる黒い瞳が、儚く揺らめいていた。

 困惑の色を見てとった僕は、取り敢えず怪物に背を向けるようにして、ベットに腰かけた。

 沈黙が続く。こうも怪物が喋らないと、出会った頃を思い出してしまう。

 本当に色々な事があったものだ。と、改めて思う。


「……わからないの」


 ふと背後から、か細い声がした。振り返ると、怪物が起き上がっていた。ベットに正座するようにして、枕は抱き締めたままだ。


「どんな顔して会えばいいか、分からない」

「……どんな顔でもいいと思うけど」


 きっとルイには、どれも嬉しい筈だ。泣き顔を除けば。

「何を話せば……」

「何でもいいさ」

 親子なんだから。とは、言わなかった。多分もっと混乱してしまうだろう。

「でも、一番わからないのは〝ワタシ〟。何で、こんなに、ザワザワするのか……」

「……それは、アレだよ」

 思春期……は、冗談として、いたってシンプルな答えだ。

 ルイが死んで、怪物は涙を流した。

 ルイに抱き締められて、怪物は温もりを感じていた。

 アモル・アラーネオーススとしての側面を持ちながら、通常とは違う進化をとげつつある彼女。

 取り込んだ米原侑子と共存する道を選んだ結果に得たものは、所謂人間らしい心。

 即ち――。


「君は嬉しいんだよ。ルイとまた会えて嬉しいんだ。ただ、それだけさ」


 ポカンとしたまま、目をしばたかせる怪物。なかなか見れない表情故に、ちょっと面白い。

 すると、 物珍しげな僕の様子に気づいたのか、怪物は少しだけ恨めしそうな顔で僕を見た。


「レイまで、〝私〟と、同じことをいう……」

「認めたくないの? でも、君自身が言ってたことだよ? (ワタシ)が、普通とは違って来ている……ってね」


 項垂れる怪物を見て、何故だか僕は、小さな勝利を感じていた。

 何と言うか、僕の方が優位に立つのは、少し珍しい。


「でも……ワタシは……」

「あ~……うん、仕方ないね」


 未だに煮えきらない怪物。

 勇気が出ないのか、恥らっているのか。多分両方だ。まどろっこしいので、取り敢えず僕は強引な手段に出ることにした。

 正座する彼女の肩へ、そっと手を伸ばす。触れ合うぬくもりに驚いたのか、怪物は恐る恐る僕を見上げる。

 戸惑う怪物の顎を上げれば、白い喉が露出した。僕はそこに、躊躇なく噛みついた。

「ひゃ……はうっ!」

 短い悲鳴が上がる。もがく怪物の手首を痛くない程度に握り抑える。

 少しだけ怪物の血を啜りつつ、僕は怪物としての体液を、彼女に注ぎ込む。

「あっ……やっ、レ……イが入って……。ダメ、ダメェ……ッ!」

 普段と逆だ。

 怪物の嬌声を耳にしながら、僕はそんな事を考える。

 じわりじわりと、僕が彼女に溶け込んでいく禁忌を犯すような背徳感に、少しだけ背を震わせながら、僕は彼女を抱き締めた。

 驚き、身体を強張らせていた怪物の力が抜けていく。僕の牙が彼女に深く食い込む度に、細く折れそうな肢体がビクリと跳ね上がる。

「あ、ひっ……レイ……レイッ……こわれ……ちゃう……!」

 血と、怪物の香りが、鼻を支配していた。負けじと抱き締め返す怪物は、艶かしい吐息を漏らしながら、僕の背中に爪を立てる。クラクラするような温もりを離したくないと感じてしまうが、それでは本末転倒なので、僕は全力で本能に抗い、怪物を離す。

「……あっ」

 荒くなった息を整えながら、怪物は潤んだ目で僕を見上げる。おねだりするように僕の唇を柔らかい指がなぞる。「もう終わりなの?」と、囁く怪物。優しくて、それでいて何処か退廃的な雰囲気の中、僕はゆっくり頷いた。


「〝背中は押してあげる〟後は君次第だ」


 優しく、怪物の額にキスを落としてから、僕は身体所有権の剥奪を行使する。


 ルイの所へ行こう。


 そう一言口にして、僕の仕事は幕を閉じた。能力を使う刹那――。怪物が「ありがとう」と、囁いた気もしたが、きっと気のせいだろう。


 ※


 何のへんてつもない木立の中で、明星ルイは木の幹を背に、ゆったりと腰かけていた。

 何を話そうか。そもそも来てくれるのか。そんな事ばかりが、ルイの中でループしていた。

 らしくもない不安に囚われている彼を、もしレイが見たとしたら、冷やかすに違いない。今のルイは、普段の超然とした雰囲気はなりを潜め、そんな人間臭さを醸し出していたのだ。


「おとう……さん」


 そうして、ルイの心の準備が終わらぬうちに、その時は訪れる。

 囁くようなか細い声と共に現れたのは、黒いセーラー服に身を包む少女。


 名前のない、ルイの娘だった。


「……こっちへおいで」

 言葉は、自然に漏れた。おずおずと歩み寄って来た少女は、遠慮がちにルイの隣へ、ちょこんと座り込む。

 沈黙。

 そして、沈黙。

 思わずルイは吹き出して、ポリポリと頬をかく。

「困った。色々話したいことがある筈なのに、うまく出てこないや」

 苦笑いするルイを、少女の怪物はじっと見つめている。

「僕は、ずっと寝てたからね。だから、君の話をもっと聞きたいんだ。もしよかったら、だけど」

 少しの緊張を滲ませながら、ルイが言うと、少女の怪物は、僅かに。……じっくり見なければ分からない程の微笑みを浮かべ、静かに口を開いた。


「あのね、おとうさん――」



 ※


 かくして一つの騒動は落着し、それでも尚おかしな日常は続いていく。

 後日あったことを話すならば、まず、ルイは汐里の中に還って行った。

 後で汐里に聞いてみたところ、ルイが表に出ていた時の記憶は一切なく、中にいるのも感じないという。

 恐らく、ルイの方も汐里が見る景色を認識していないのだろう。多分だが。

 肝心の手紙は、汐里の手に渡された。

 汐里は爆弾でも握らされたかのように、呆然として手紙を見つめていた。

 ルイから何かを残された事が、彼女の中では信じられない事だったのだろう。


「読んだら焼却炉にでもくべてやりましょうか……」


 もっとも、それはほんの少しの間だけで、いつもの調子を取り戻した汐里は、そんな毒を吐きながら、邪悪な笑みを浮かべていた。


 ――ただ、夜に汐里が木陰で手紙を抱き締めながら、ひっそりと泣いていたのを僕は見てしまった。

 報われたのか、報われなかったのかは分からない。「バカ……」と、嗚咽混じりに漏らす汐里の顔は、幸せそうにも、哀しげにも見えて。何も言えない僕は、ただその場から逃げることも出来ず、立ち尽くすのみだった。

 後日、記憶が飛ぶくらい痛め付けられ、償いを要求されたのは、また別のお話だ。



 顔無し達は、汐里に栄養源とされる傍ら、研究対象として観察やら実験をされ続けている。

 汐里に色々やられる度に悦びの声を上げているように見えるのは……見なかった事にしようと思う。


 大輔叔父さんは、相変わらず忙しそうな毎日を送っているらしい。

 時折情報交換がてら、会いに行くと、中々スリリングな武勇伝が飛び出してくる。

 その話を聞くたびに汐里の言っていた、怪物達が地上を歩き回る日が、本当に来るのかもしれない。と、思わずにはいられなかった。

 恐ろしい話だけど。


 そうして最後。僕と怪物はというと……。


 ※


 某所。山小屋にて、僕は快楽と僅かな痛みに顔を歪めていた。耳を澄ませば、一定のリズムで、トタン屋根に叩きつけるような打鍵音が響く。雨が降っているのだ。

「ぐ……ぁ」

 身体に、重すぎず軽すぎずの重圧がかかっている。のしかかるようにして僕の首筋に顔を埋める少女。

 彼女が動く度に、僕の脳髄に直接刻み込むかのように、甘やかな痺れが走る。思わず漏れた僕の呻き声に、彼女は幸せそうに息を吐いた。

 現在絶賛お食事中の怪物は、ご満悦。餌が何だなんて、今更語るまでもないだろう。


「レイ……」


 はむはむと、耳朶が甘噛みされる。ぞくりと来るような戦慄に僕が身を震わせると、彼女は「あは……」と、小さく笑いながら再び僕の首筋に口付けた。

 彼女の牙が、再生した僕の血管を優しく破る。ぬるついた舌が僕の血を舐め、白い喉がコクンと動いているのを感じる。互いの心臓の音がシンクロする。いや、わずかばかりに僕の方が早いかもしれない。

 誘惑するように彼女の指が、僕の鎖骨を弄ぶ。僕がそれに弱いことを知っているのだ。高まる鼓動は、必然的に僕の血を溢れさせる。


「おいし……」


 それを一滴たりとも残さず嚥下して、怪物は蕩けた表情で微笑んだ。耳元で囁くのは反則だと思う。

「レイも、(ワタシ)の、吸う?」というお誘いを丁重にお断りして、僕は彼女を受け止めたまま、ゆったりと深呼吸する。

 窓から月明かりが射している。雨が降っているのに、雲に隠れていないとは、中々に幻想的な光景だろう。

 昼間なら狐の嫁入り何て言われるが、夜間なら何になるのだろう?

 そんなどうでもいいことを考えていると、不意に怪物が起き上がる。


 僕はその時、改めて言葉を失った。

 幻想的光景すら装飾にする彼女の存在感は、ただただ圧倒的だった。


 月下の雨を背にして、闇よりも暗い黒を身に纏うその姿が。妖艶で蠱惑的な笑みが。吸い込まれそうな瞳が。


 美しかった。


「……ああ」

 ため息と共に、その頬や髪に手を触れる。今更ながら、僕は彼女に見惚れていたらしい。恐ろしく、甘美な事実は、僕に思い起こさせる。


「レイ……(ワタシ)の……レイ」


 ウィスパーボイスの端々に、離さないんだから……。と、聞こえない筈の声がした。



 月日は巡り、いく星霜。

 こうして僕は彼女に恐怖し、魅了され、そして捕らえられていく。

 何度も。何度も。

 そして僕は、また怪物寄りになる。

 徐々に人間であった頃の感覚を忘れて。まるで堕ちていくように。

 幾多の夜を越えても、それは僕の中では不変なのだ。

 糸に絡められた僕の運命――即ち。


 〝蜘蛛の巣まみれの愛〟の名において。未来永劫、僕らは共に行く。




 外伝 Monster Days ~fin~

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