名も無き者共の奮闘≪後編≫
思えば、とんでもない出会い方だった。
車椅子に乗った、不気味な女に追い回されるなんて、なかなか出来る経験ではない。
その後近場のカフェに洒落こんで、腹の探り合い。その数週間後に命を狙われる。まるで素人が製作した、三流映画だ。
そんな盛大な追い掛けっこを演じた相手が、今や僕の師匠になり、姉のような存在になっているなんて、人生とは分からないものだ。……大して長く生きていない僕が言うのも可笑しな話だが。
「ピィィイイ!」
奇声を発しながら、顔無しの一匹が僕に躍りかかる。数で優勢だからか、さっきのような逃げの一手は打ってこない。
振り抜かれた鉤爪を。僕に食らい付かんと、蛇のように伸びてくるピンクのヒダを。僕は〝超感覚〟にて難なく避ける。
「クエ! シネ!」
「エサ! エサ!」
二匹目と、三匹目も、僕に襲いかかる。喋れるというのに、口から出るのは、単純な欲求のみ。思いの外、脳みそは小さいのだろうか。アリクイのような頭部からして、その可能性は高い。
「邪魔だ」
カウンターに鉤爪を一閃。動きはそんなに速くはない。必殺を確信した反撃は、二匹の顔無しが視界から消え失せた事により、あっさりと空を切る。
驚愕に目を見開いた僕が見たのは、いつの間にか、〝驚異的な跳躍力〟にて空中へと身を踊らせた、二匹の顔無しの姿だった。
「今のは……っと!」
確信を得る前に、横っ飛びにて逃げる。さっきまで僕がいた場所に、〝銀色の糸〟が洪水のように殺到した。
「シィィイイネェエ!」
攻撃の手は緩まない。空中の二匹が、まるで流星のように落ちてくる。元々顔無しが持ち合わせていた物とは違う、鋭利な黒い鉤爪が、僕の喉笛目掛けて迫る。
僕は咄嗟に糸を適当な木に巻き付け、一気に引きあげる。サーカスのワイヤーアクションよろしく、僕は宙に身を投げた。
緊急回避は成功。空振りした顔無しの鉤爪は、背後にあった樹木に突き刺さり……。
「……はい?」
その光景は、僕の顔をひきつらせるには充分だった。鉤爪を二匹分刺された木が、みるみるうちに枯れていく。まるで、〝毒〟でも注入されたかのように。
「……嫌だなぁ。止めてくれよ」
着地しながら、僕は悪態をつく。物凄く嫌な予感がした。
アモル・アラーネオースス固有の能力。常識の外にある怪物の、特性というべきものだ。
だが、改めてこうして対峙してみると、〝常識から外れていたのは何も僕達に限った話ではなかった〟
つまりは、あの顔無しの怪物にも、何らかの能力があってもおかしくない訳で……。
「ピュイピュイピューイ!」
どこぞの部族のように躍り狂いながら、顔無し達は〝紫色〟に染まった爪を振り上げる。
背中すら見せる一匹に、蜘蛛糸を射出するが、まるで後ろに目でもあるかのように、ソイツはかわし、木の上に避難してしまう。
大した反射神経。いや……。
「それは……〝僕〟か」
その意味を理解しているのか、いないのか。そいつらは歓声を上げながら、木から木へと猿のように跳ね回る。
何度も見た汐里の跳躍力。
恐らくはルイの毒。
そして、自分のだからこそわかる、僕の超感覚。
極めつけは、アモル・アラーネオーススとしての、蜘蛛糸の生成。及び、物質切断の鉤爪。
どういうわけか、顔無し達はそれを手に入れていた。
「ワレワレハ……〝群〟ニシテ、〝個〟」
「〝個〟ニシテ、〝群〟! ユエニ……無敵!」
跳躍力を活かして、顔無しの一体が此方に突進する。光の矢を思わせるそれは、僕の肩口を切り裂いた。
溢れる血と、強烈な減退感。毒が身体に回る感覚は、僕の動きを極端に鈍くした。
視界が歪み、ふらついた僕に他の顔無し達による、畳み掛けるような攻撃が来る。
僕が爪を振るい。糸を吹き出しても、それらは虚しく空を切り、木々を汚す。相手が使うのもまた、超感覚による回避。我が能力ながら、何てやりにくい事か。
加えて此方は一人。同じ能力を持つならば、単純に数の多い方が勝つ。
僕の超感覚は、今はガラクタも同然だった。
「ぐ……」
再びの斬撃。太股が切り裂かれ、咄嗟に喉笛と頭部を守った両の腕にも、真紅の血が花弁を散らす。
多勢に無勢。
それでも僕は、糸を出すのを止めなかった。止まる訳にはいかなかった。僕が倒れる事は、そのまま怪物にコイツらの驚異が殺到することを意味する。それは、認められない。
「アシヤッタ! アシヲキッタ!」
「モウアイツウゴケナイゾ!」
狂喜乱舞する顔無し達。毒爪の嵐に晒された僕を嘲笑うかのように、ヒダを伸ばす。捕食者の触手を、辛うじて打ち払い、毒で霞む意識に鞭をいれながら、僕はただ、糸を張る。
身体はまだ動く。
能力も、枯渇していない。
奴らを絡めとる為に、超感覚を駆使し……。
そこで僕は、単純な事に気がついた。
「オマエハ、取り込んダ。個体とシテハさっきのオンナと同じダ」
「我々の中ニハ、オマエとさっきのオンナがイル」
「」
白い獣達が、僕に襲いかかる。汐里も、コイツらに能力をコピーされ、やられたのだろうか?
幾らか流暢になってきた言語に、不気味さを覚えながら、僕は何とか、感覚が指し示すがままに、安全圏へ移動する。
「ムダダ」
その瞬間。盤上は完全な詰みとなった。
安全な場所へ逃れた筈の僕だったが、顔無し達は、跳躍力と、蜘蛛糸による立体機動。それらを駆使し、毒で動きの鈍った僕を包囲した。
逃げ場のない僕に奴らは涎のような液を撒き散らしながら、ジリジリと詰め寄ってくる。
「オマエハ喰う」
「モウ一人のオンナモ喰う」
「ニゲラレナイ」
口々に宣いながら、顔無し達は動き出した。あるものは跳躍し、またあるものは紫の鉤爪をぎらつかせ。思い思いの方角から、僕を八つ裂きにせんと差し迫る。
こうなれば、もう終わりだ。膝を付く僕にはもう何もする必要はない。
ただし……。
「悪いね。詰んでいるのは、君達だ」
ただしそれは、為す術が無くなったという訳ではない。
その瞬間。世界がスローモーションにされたかのように、顔無し達の動きが緩慢なものになる。
「ナン……ダ?」
初めて困惑したかのような声を上げる顔無し達。僕はそれらから視線を外し、静かに右手を振り上げた。
そうして、夜空は塗り潰される。
僕が支配する、銀色に。
「ウゴケ……ナイ」
「アア! 空ガ! 空ガ!」
どよめく顔無し達は、その場でピタリと静止していた。否、拘束されていた。
僕が張り巡らせた、極細の糸によって。
「いや、当たらないからさ。ばら蒔くフリしてこっそり仕掛けたら、面白い位にうまくいったよ」
ありがとう。ここは、そう言うべきだろう。これ見よがしに顔無し達が跳ね回ってくれたお陰で、僕の見えない攻撃は成功。気が付けば、取り返しのつかないレベルで絡み付いた糸は、一本一本は貧弱極まりないものの、束になることで真価を発揮する。
後は簡単だ。奴らを拘束したら、能力の大盤振る舞い。
足場となる木々も、逃げ場となる空も全て封じる。
ドーム状に張り巡らせた蜘蛛の巣。否。もはやこれは、巣とは言えまい。
奴らを逃がさぬ檻と化した銀世界の中で、僕はゆっくりと立ち上がる。
顔無し達は、動けぬままに、身体をヒクヒクと痙攣させる。逃れようともがいているのだろう。
「汐里を取り込んだ? 有り得ない。跳躍力こそ彼女のものだけど、君達はそれをいっこうに有効活用していない。宝の持ち腐れだよ」
そもそも、汐里なら跳躍力を早々に見せはしない。ここぞという所で使う。それが彼女のやり方だ。回避の為に乱発するなんて無様なマネを、彼女は決してしない。それで彼女をモノにしたと考えるなんて、ちゃんちゃらおかしい話だ。
「ルイの毒。それだってそうだ。君らは使いこなせてない。僕がこうやって動けているのが証拠さ。アイツの毒が、こんなに貧弱な筈がない」
受けた事がないから、何とも言えないが、確信があった。あの汐里を暫く動けなくした猛毒だ。多少ふらつき、動きが鈍る程度な訳はないだろう。
「僕の能力は……参考になったよ。過信はいけない。感覚だけに頼るなと汐里によく怒られたけど、なるほど、その通りだ」
受け止めねばなるまい。奴等が何らかの方法でコピーしたそれは、僕に得難い教訓を幾つもくれたのだ。
両の手を、鉤爪に変える。狙うは目の前の敵。
目的もなにも知らないが、捕食者同士が同じ縄張りに存在するならば、起きることは限られる。
衝突を避けた引き下がり。それは、後から来た者が判断し、実行するのが、自然界ではよく見られる事だ。問題はそれが〝行われなかった時〟
何が起こるか。
それは至って簡単で、残酷な真実。
捕食者同士の喰い合い。即ち――縄張り争いという、生存を賭けた戦いに他ならない。
「糸は、ただ放出するだけじゃ駄目なんだ。自然界で飛び道具を持つ生き物達は、皆何らかの搦め手を持っているものさ。だから無駄な乱発はしない。鉤爪だってそう。切りつけるだけなら、誰にでも出来る。爪や牙は武器であり、物差しなんだ。敵の力量をはかりつつ、いかにして一撃で仕留めるか。あるいは逃げるか。そうやって、生き物達は己の身を守る」
全部師匠たる、汐里の受け売りだ。
コイツらに理解できるかどうかはさておき、爪の使い方ぐらいは、文字通り身体に教えてやれそうだ。
「や、ヤメロ……」
僕が迫るのを、感じたのか、顔無しの一匹が、懇願するような声を出す。が、生憎素直に聞く気はない。
「わかった。止めよう。一撃で。は、優しすぎたか。考えてみたら、君達喋れるんだよね。なら……」
ルイを真似た、彫像の笑み。鉤爪を軋ませながら、僕は宣言する。
「汐里をどうしたのか。もっと具体的に君達に聞くとしよう。拷問は初めてだから、少し自信はないけど、許してくれよ」
そうして、僕の奮闘は一先ず幕を閉じた。
作り上げた銀世界の屠殺場に紅が注され。身の毛もよだつ人外の悲鳴が轟いた。
もとより一撃で済ますつもりは毛頭なかったのだが、今はいいだろう。
お気に入りのジャケットが血やら色々で汚れるのを感じながら、僕は考えることを放棄した。




