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名前のない怪物  作者: 黒木京也
外伝 Monster Days
110/221

名も無き者共の奮闘≪中編≫

 ロッジの外へゆっくりと歩を進める。「外に行く」という僕を、怪物は珍しく引き止めなかった。僕のただならぬ気配を感じたのか、それとも別の何かか。どのみち、ありがたかった。今の僕の顔は、とてもではないが見られたものではないだろうから。


 夜風が僕のジャケットの裾をはためかせる。それを正すこともせずに、僕は静かに目を閉じた。

 連絡が入ったのは数分前。汐里が出たのが約一時間前。

 故に、汐里も、謎の襲撃者もロッジの近くにいるとは考えにくい。それなりに遠い場所で、戦闘が行われたと考えるべきだ。なのに。


「ピピア。ピイ、ピタッ」


 瞼を開ける。トランシーバーごしに聞いた不可思議な声を発しながら、そいつはそこにいた。

 オラウータンのような体躯。顔のない頭部には、イソギンチャクを思わせる、ピンクのヒダ。凶悪な鉤爪。

 以前汐里が写真で見せた、顔無しの怪物がそこにいた。


「……ああ」


 見るからに非常識なその姿。だが、僕が目を引かれたのは、そんなものではなかった。

「ピピエ、ピサ! ピピエ、ピサ!」

 奇妙な言語も、今は意識の外。僕はそこにいた怪物の、とある要因に目が釘付けになっていた。

 顔無しの白い体毛も、鉤爪も、頭部のヒダも。見るからに新鮮な血で、真紅に染まっていたのだ。


「……死んだのか、汐里」


 彼女の血の匂いを、僕は知っている。だからこそ、間違えようもない。アレは間違いなく汐里の血。それが意味するものを考えた時、僕の身体の中で、劇鉄を起こすような音が響いた。――ような気がした。

 事実を確認の言葉が出たとき、僕は身体が みるみる熱くなっていくのを感じた。制御の難しいこの感情。それを僕はよく知っている。僕にはなかなか珍しい。

 衝動的なそれだが、今は身を委せるのも悪くはないだろう。

 押さえようも、やり場もない。この……怒りの感情に。

「――ふっ!」

 決断した後は早かった。

 顔無しに肉薄し、爪を一閃。が、顔無しはそれを跳躍でかわし、近場の木の幹に飛び移った。

「逃げる気かい?」

 案の定。顔無しは、僕をおちょくるように奇声を発しながら、くるりと踵を返す。さながら、開けたキャンプ場もどきから、樹海の奥へと僕をいざなうように。


「……上等」


 滑るように闇の中へ身を投じた顔無しを、僕もまた追跡する。夜目は効くのだ。見失うことはない筈だ。


「ピピエ! ピピサ! ピピエ! ピピサ!」


 狂喜する顔無しは、飛びはねながらも時折僕の方へ振り返る。顔がない筈なのに。頭は僕に向けられる。

 汐里の血で染まったヒダが。ウジュルウジュルと、音を立てて蠢いていた。



 ※



 車を飛ばすこと小一時間。小野大輔と雪代弥生は、斎藤悠平が来たらしい樹海に降り立っていた。

 ざわめく木々の合間から、樹木特有の芳香が漂う。同じどこまで行っても延々と匂いに囲まれるのは、いい気分ではなった。寧ろ、感覚の一つが封じられているかのような、妙な緊張感がある。


「いやぁ、樹海って実は初めて来たんですよね~。地面掘り起こせば白骨死体が出てくるって、本当なんでしょうか?」


 そんな中で、緊張感のない様子を見せる弥生に、大輔は呆れを通り越して、ある意味で尊敬の念すら覚え始めていた。

「あまりはしゃぐな。何がいるかわからんぞ」

「原住民か、件の怪物か。警部の甥っ子さんですか? 私としてはどれが出てきてもいいですけど」

 そういう問題じゃあないんだよ。そう言いたくなるのを我慢して、大輔は背中のそれを背負い直す。

 いつぞやの押収したショットガンだ。

「よく申請通りましたね。てか、本来は無理なんじゃ?」

「ああ。だが、今回は特例らしい」

 そう言いながら、大輔は肩を竦める。外国でもないのに、こんなものを持ち歩くのは本意ではない。が、それは大輔の手にあるのが当然だと言うかのように、異様にしっくりとくる。

 何かの因果でも働いているのかもしれない。そう思いながら、大輔は武骨な銃を一応点検する。

 装填されているのは、あの時桐原を撃ち抜いた通常弾ではない。元鑑識の松井英明が開発した、〝対地球外生命体殺傷弾〟アモル・アラーネオーススには効果覿面なそれだが、果たしてあの顔のない怪物に通用するのかは、甚だ疑問である。

「出会ったら、取り敢えず実験がてらぶっぱなしてみてください」と、実に楽しげに宣った英明の顔が浮かぶ。アレも大概な男である。

「警部~。警部~」

 思考を中断し、呼ばれた方に振り返る。弥生が手招きしていた。

「何だ? くだらない話なら間に合ってるぞ」

「野外も魅力的ですが、警部とはベットがいいです。――と、それはさておき。面白いもの見つけましたよ」

 そう言いながら、弥生はある一点を指差した。それを見た途端、大輔の顔が、驚きで強張った。

「……おいおい。マジか」

 こうもあっさり見つかると、それはそれで笑えてくる。が、大輔が見ているのは、紛れもない現実だった。それも、とびっきり核心に迫るものだ。


「高速移動なんて、ちゃちなもんじゃなかったか。短期間で色んなとこで目撃される訳だ」


 樹海の湿った空気によってぬかるんだ地面。そこに刻まれているのは、〝無数〟の足跡だったのである。

「形も、斎藤氏の車に残されていたものと、一致しますね」

 冷静に分析する弥生に、大輔は相槌を打つ。

「ああ。信じがたいが、レイや汐里の例もあるんだ。奴に、顔無しの怪物にも同じことが言えるんだろうな。怪物は――」



 ※



 相変わらず逃げ続ける顔無しに、僕の中でふつふつと疑念が浮かびつつあった。

 どうにも

おかしい。

 奴は、どうしてこんなにも逃げの一手ばかり打ってくる?

 衰えていたとはいえ、あの汐里を破るほどの相手だ。害意は間違いなくある。なのに。

「ピピピココ! ピココ、ピダ!」

 さっきからアイツは、耳障りな声ばかり。特に何かを仕掛けてくる訳ではない。

「……悪いね。あまり待たせたくないんだ」

 頭の中に部屋のベットに寝そべったままのアイツが浮かんでくる。それに、何より汐里だ。もしかしたら深手を負ったまま動けなくなっているのかもしれない。未知の化け物相手に希望的な観測ながら、探しもしないで諦めるのは嫌だった。


「だから、悪いけど君にはここで止まっていて貰う。ごめんよ」


 振り抜かれた腕一閃。それだけで、前方を飛び跳ねていた顔無しの身体のバランスが崩れた。

 蜘蛛糸による絡め取り。見事に決まったそれは、顔無しを地面へと真っ逆さまに墜落させる。

「ピギィ! ピピュヤァ!」

 大音量を立てて叩きつけられた顔無しの上に、僕は容赦なく着地する。

 相手の骨が砕け、内臓らしき柔らかいものが潰れる感触を足に感じながら、僕は鉤爪を振り上げた。

「……暴れないでくれ」

 躊躇いは、なかった。掌に残る、肉を刺し内臓を掻き分ける感触。

 京子の心臓を貫いた時とは訳の違う、純粋な殺意だけが込められた一撃は、顔無しの命を奪うには充分だった。

「ピピピピ……ピピピュ……」

 痙攣する顔無し。それを無感動に眺めながら、僕は鉤爪を引き抜いた。鮮血が迸り、軈て組み強いた身体から、力が抜けていく。

「……汐里の事を聞くにしても、言葉が話せないんじゃなぁ」

 死骸でも持ち帰ろうかとも思ったが、一番喜びそうな人が生死不明なのだ。先ずは、安否確認が先決だろう。

「大丈夫だ。そんなに強くなかったし、精々少し怪我してる程度かも……」

 自身に言い聞かせるようにして、僕は顔無しに背を向けて……。


 瞬間、背筋をざわざわとした感覚が襲った。僕の怪物としての能力――『超感覚』それが、鋭い警笛を鳴らしていた。

「あ、ぎ……」

 身体を捻れたのは、殆ど条件反射に近いものだった。焼けつくような痛みが左肩に走る。僕の肩口から、肉を咀嚼するような嫌な音を立てながら、イソギンチャクのようなヒダが生えてきた。


「ぐっ……あっ……」


 吹き出す血を片手で押さえると、イソギンチャクのヒダは、僕の掌にまで侵食し、その肉をこ削げとるかのように喰い貪る。慌てて手を話すと、ヒダはうねるようにして、僕の身体から引き抜かれた。

 後ろから貫かれた。それだけ理解しながら、僕は振り返り……。

「……なんだこれ」

 絶句した。そこには、あまりにも衝撃的な光景があったのだ。

「ウマイ……ウマイマイマイ!」

 つんざくような声と、引き伸ばされたゴムが戻るような、バチンという音がした。

 そこに、さっき倒した筈の顔無しが一匹。二匹、三匹、四匹。五匹。……転がる死体も含めるなら、六匹いた。地に落ちた一匹以外は、全部真っ白。皆同じ姿形をしていた。


「顔無しの怪物は、一匹じゃなかった……?」


 考えもしなかった真実に、僕はただ、呆然と立ち尽くす。

 ヒダを血に染めたソイツらは、踊るようにして僕を取り囲みながら、興奮したように身を震わせていた。

 無意識に肉食の猿を連想した。

「オンナ……ウマカッタ」

「コレハウマイカ?」

「ウマイカ? ウマイカ?」

「オクニモイルカ?」

「ベツノオンナノニオイダ」

 喋れたのかお前ら。

 そう反論しかけて、僕は聞き捨てならない言葉に耳を疑った。

 それは、まるでナイフのように、僕の心を抉り取り……。

「タベノコシ。タベノコシ」

 そう宣いながら、顔無しが放って寄越したそれによって、僕は更なる絶望へと叩きつけられた。

 ズタボロに弾き裂かれた血染めの白衣。紛れもなく、汐里の持ち物だった。


「嘘だ……」


 僕の独白に答える者はいない。シニカルな笑みを浮かべる、白衣が似合う女性。

 彼女はいつだって、僕の疑問に答えてくれたのだ。


「嘘だ……! 嘘だ!!」


 樹海に響くのは、僕の叫びと、嘲るような奇声だけだった。

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