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名前のない怪物  作者: 黒木京也
第二章 内臓実食
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10.山城京子≪前編≫

「レイくん! 何で大学来ないのよ!」

 念のため怪物から距離をとり、意を決して電話に出ると、まるでこの世の終わりのような鳴き声が耳に飛び込んできた。いつもの心地いいソプラノの声とは程遠い、鬼気迫る声色に僕は思わず身体を跳ね上げる。

「き、京子? あ、あのほら落ち着いて? どうしたのさ?」

 おずおずと問いかける僕の耳に、京子のえぐえぐ……と、しゃくりあげるような声が入る。もしかしなくても、彼女に何かあったのではないだろうか? 僕の脳裏をそんな不吉な推測が駆け抜け――。

「どうしたの? じゃないよ! 大学全然来ないし、メールしても返事ないし! 一体どこで何してるのよ! あたしは勿論、純也君だって心配してたんだよ?」

 間抜けなことに、その言葉で僕は、改めて自分の現状を思い出した。怪物と遭遇してから、全く大学に行っていないという現状に。

 正確には行けないという状態なのだが。

 まぁ、それはさておき、大学での知人が少ない僕ではあるが、少なくとも彼女や友人には心配をかけてしまったようだ。

「ゴメンゴメン。体調悪くてさ。メールも気づいてたけど、体調悪い。何て言ったら心配かけちゃうし……」

「連絡くれない方が心配だよ!」

 はい、最もなお言葉です。

 でも、本当の事は告げられない。まさか怪物に捕らわれているだなんて、突飛で狂気じみている言い訳だ。下手したら京子からの信用や、その他諸々が崩れ去っていくのは疑いようもない。かといって、体調が悪いだなんて連絡した日には、彼女は直ぐ様ここにすっ飛んできて、僕の看病を始めようとするだろう。山城京子とは、そういう女性なのだ。

「とにかく。あたしね、今レイ君のマンションの近くに来てるの。もう……体調悪いなら言わなきゃダメだよ。心配だから、今日は泊まるからね!」

「…………え?」

 今この子は何と言った? 泊まる? 何処に? 僕の……部屋に?

 恋人が部屋に泊まる。健全な学生ならば、ここは小躍りをするように喜ぶ場面なのだろう。が、生憎、今の僕の部屋は状況が特殊過ぎて、僕は喜ぶ暇などなかった。

 視線をベッドに向ける。電話する僕をじっと見つめる怪物。ここに京子をつれて来たら……。

「ダメだ」

 ありえない。やましいとか、後ろめたいとか、そんな感情よりも、京子の身に危険が降りかかる恐怖が先立ち、僕はその言葉を口にする。

 部屋にいる怪物が、京子に襲いかからない保証はないのだ。今でこそ僕は生きているが、いつ殺されてもおかしくはないのだ。この脅威が京子に向けられるだなんて、僕は我慢がならなかった。

「だ、ダメって……そんな冷たく言わなくてもいいじゃない」

 危機感からとはいえ、無意識に出してしまった僕の硬い声にショックを受けたのか、電話の向こうから、しゅんとしたような声が聞こえてきた。それが思わず僕の心を罪悪感でぐらつかせるが、ここを引くわけにはいかない。これは京子の安全の為でもあるのだ。

 だが、僕の京子を案じて講じた策は……。

「ま、もう遅いけど」

「え?」

「だってもう、レイ君のマンション着いちゃった」

 他ならぬ、京子の手によって脆くも瓦解した。

 僕が京子の一言に反応する暇もなく、インターフォンの音が部屋に響く。近く処か、既に部屋の入り口に到達したらしい。

 時刻は夜の九時。大方、サークルの帰りに寄ったのだろうが、それにしても、もっと早くに連絡してくれれば良かったものを。

「だ、ダメだよ。風邪だったとしたら移る……」

「だったら、せめて顔くらい見せてよ。安心させて」

 尚も食い下がる僕に、京子は心底心配した声色で懇願してくる。

 ……こうなったら仕方ない。玄関口で顔だけ見せて、後は帰って貰おう。

 僕は、渋々、了承の返事を返すと、電話を切り、怪物の方へ向き直る。

「ここにいてくれ。僕は逃げも隠れもしない。だから、間違っても変なことはしないでくれよ」

 怪物はキョトンとした顔で僕を見ている。こういう時に意思の疎通が出来ないのは本当にもどかしい。が、無駄だとわかっても言葉に出さずにはいられなかった。

 僕は怪物を一睨みした後に、素早くリビングを出ると、念のためドアの前へキッチンに安置されている補助用のテーブルを置き、通路を封鎖する。

 部屋に鍵を掛けても侵入する怪物に対しては気休めにもならないかもしれないが、無いよりはマシだ。

 僕は不安を書き消すように、うん、と頷くと、玄関の鍵を開けに行く。

 頼むから、何も疑わず帰ってくれ……。そう願わずにはいられなかった。

 そっとドアの鍵を開け、僕は愛する恋人を玄関に迎えいれた。

 ……それが僕にとって、眠れぬ夜の幕開けとなるなど微塵も気づかずに、僕はドアを開けてしまった。

「やっほ〜! 今晩は。うわっ! レイ君、顔色悪い! やっぱり苦しいの?」

 ガチャリという音と共にドアが開き、玄関口で僕と顔を合わせた京子の開口一番がそれだった。

 成る程。怪物が部屋に居座り、毎晩血を吸っていく上に、目の前の恋人に面と向かって言えない行為を強要してくるのだ。顔色が悪くなっても仕方がないというものだろう。

 取り敢えず、これ幸いとばかりに、自分はこんな状態だから、移らないうちに帰って欲しいという僕の言葉を、ダメ! の一言で京子は粉砕する。

「風邪は治り初めが肝心なんだよ!? とにかく、今日は泊まります! 明日の朝御飯とかも、あたしが作るからね。決定!」

 有無を言わさず、靴を脱ぎ、ズカズカと部屋に入ってくる京子。こんな強引な一面もあったのかと、僕は感心し……。違う! 感心している場合ではない。止めなくてはならないのに、僕は何をこうも簡単に京子の侵入を許しているのだろう。

 僕は慌てて京子を引き留めようとする。が、京子はそんな僕を無視してキッチンやお風呂場を横切って進んでいく。やがて京子は、リビングへのドアを塞ぐささやかなバリケードに気がつき、怪訝な顔でこちらを振り向いた。

「……何これ?」

「……何だろう?」

 まさか怪物が此方に来ないためのバリケードです。などと言えるはずもなく、僕は質問の答えになっていない返答をする。暫く僕とバリケードを交互に見ていた京子だったが、不意にニヤリとした笑みを漏らし、僕の方に向き直る。

「ふ〜ん。そういうことなんだ」

 この京子のわかってますよ。と言わんばかりの表情は何だろうか?

 僕がなんの事? と首を傾げると、京子は両手を前に突き出しながら、ああ、皆まで言わなくていいよ。と、悟ったような表情になる。

「体調悪いから、元気になるためにエッチなビデオでも観てたんでしょ? 恥ずかしがらなくても、あたしはそういう事にも理解がある女だから心配しないで」

 一瞬、理解が追い付かなかった。

 ポカンとしている僕の前で、京子はうんうん、と頷きながら、バリケードがわりの補助テーブルを脇に退ける。

「でもね、彼女としては彼氏の性癖も知っておきたいのよね。と、いうわけで、ここは一つ鑑賞会を……」

「ま、待って! 開けないで!」

 そっちは危ないんだ! と言って腕を掴む僕を、京子は不思議そうな顔で見る。

「なに? そんなにマニアックなジャンルなの?」

 どうしてこの子はそっち方面に話を進めようとするのだろうか? 僕のささやかな疑問を無視するかのように、彼女はレイ君の部屋に突撃〜! などと言いながら、掴まれていない方の手をドアノブに伸ばし、一気に開け放つ。

 しまった! と思った時にはもう遅く、せめて京子の盾になろうと僕は彼女の前に一歩踏み出し……。

「…………ん?」

 首を傾げた。開いたドアの先に広がるリビングには、テレビから流れるニュースの音のみ。

 あの怪物の姿は、煙のように消えており、影も形も残されてはいなかった。

 訳もわからず、部屋を見渡すが、やはり何もいない。戸惑った顔になっていることを自覚しながら、僕はひっそりと、心のなかで呟く。

 アイツは……一体どこへ消えたんだ?

 僕の心の中の疑問に答える者などある筈もなく、僕は背後の京子に肩を軽く叩かれるまで、リビングの入り口にぼんやりと佇んでいた。

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