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名前のない怪物  作者: 黒木京也
外伝 Monster Days
107/221

名も無き者共の回想≪中編≫

「兄さんが羨ましい」

 ふとした時に僕が漏らした言葉に、兄さんは目をしばたかせた。

「……何でか、聞いてもいいか?」

 僕から目をそらすことなく、兄さんは静かに問い掛ける。部屋のリビングで、テーブルを挟んで向かい合う僕ら。その時両親は不在だった。

 互いのマグカップに入ったコーヒーは、淹れたてということもあり、静かに湯気を上げていた。

「僕は、兄さんみたいになれない。何をやったってダメじゃないか。勝てるのがコーヒーだけってなんだよ」

 自嘲するかのように乾いた笑いを漏らす僕を兄さんは黙って見つめていた。

「何言ってるんだ。お前は」

 クックックと、肩を震わせながら、兄さんは頭を振るそして……。


「お前は、生きているじゃないか……俺を踏みつけて、生きているじゃないか……!」


 その顔が一変する。切り裂かれ、眼球はつぶれ、頬の肉は削ぎ落とされていた。剥き出しになった歯が、憎しみを込めるかのように噛み締められ、ヒビが入った。


 それは、夢。果てのない無限回廊のような苦しみは、今も昔も、僕を苛んでいた。


 ※


 汗まみれで起きるのは、当時の僕には半ば日常と化した出来事だった。責め苦を味わうかのような眠りの世界から解放され、僕は一人、密かに泣いた。

 それと、あの事件以来、僕は寝坊をする事が多くなった。きっちり早起きするのが、僕の中での美徳だったのに。

 だけど、叱る人はいなかった。

あの家には、「おはようございます」という朝の挨拶にすら、反応する人はいないのだから。

 父さんは新聞から目を話さず。母さんは、能面のような表情で、僕と同じ空間に存在していた。

「いただきます」

 用意された朝食を食べる。ご飯と味噌汁。我が家は和食が主流だった。

 そして僕は、和食だろうが中華だろうが洋食だろうがコーヒーを飲む。作るときは、家族みんなに今日は飲むかどうかを聞くのが日課だった。

 今はもう、聞くことはない。決まって「いらない」か、無言の拒絶が待っているのだ。

 なら、聞かない方がいい。


「ごちそうさま。行ってきます」

 返事はない。作ったコーヒーをタンブラーに詰めて、僕は足早に家を出る。

 空気に……耐えられないのだ。罪悪感とか、様々な感情で、気が狂いそうだった。


 ※


 学校に着いても、地獄は終わらない。僕が横切る度に、ヒソヒソと話し声がする。

 兄殺し、薄情もの。出来の悪い方が生き残った。そういった声を、何度も聞いた。

「ああ、そうだとも」

 それを僕は否定しなかった。事実、母さんにも言われてしまったのだ。


「何で生きてるのがアンタなのよ!」


 アレ以上に響いた言葉なんてない。

 もしも僕が死んでいて。兄さんが生きていたら。どんな言葉になっていたのだろう。そんな事を考えては、堂々巡りする僕に、言葉の暴力なんて意味を成さなかった。

 勿論、母さんとて、今まで僕に愛情がなかった訳ではないだろう。それでも、取り乱した中での言葉は、紛れもない本心で……。結局、この言葉によって、僕と両親は、引き返せない所まで来たのだと思う。お互いに傷を負ったのだ。言った両親も。言われた僕も。


「おっと、悪いな」

 足をかけられ、転ばされた。兄さんは勿論、その恋人も結構有名だった。学校という閉鎖的でもあり開放的空間において、それの意味する事は大きかった。

 冷たい視線や、僕への〝復讐〟は、長い間続いたものだ。

 中学を終えた後も、僕にその呪縛はついて回っていた。田舎の学区なんて、そんなもの。

 けど、それもまた罰なのだと、僕は受け入れていた。



 月日は流れていく。高校三年という、誰もが慌ただしく奮闘する時期の事。

 兄さんの事件が新聞上から忘れさられたように、周りからの僕への干渉も、無関心へと変わっていった。みんな自分の事でいっぱいいっぱいだったのだろう。

 僕も多少はそうだったが、勉学面では、周りよりは余裕があった。いつも一人だった僕は、勉強するくらいしかなかったのだ。

 その代わりに、別の問題が浮上した。


 涙も枯れて。心が凍りついた時。

 次に僕を待ち受けていたのは、〝誰にも責められない〟という、無音の苦しみと、淋しいという、僕が持つべきではない、許せざる感情だったのだ。


 ※


 僕の話を、汐里は黙って聞いていた。

 まさか、彼女に僕の昔の話をすることになろうとは思わなかった。

「……通り魔は、どうなったんです?」

「肝心の犯人は、事件の数日後に呆気なく逮捕されたよ。衝動的な犯行……だったらしい。結局のところ、相手は誰でもよくて。僕や兄さんは、本当に偶然巻き込まれたに過ぎなかったんだよ」

 ついでに、当の犯人は、獄中にて自殺。

 此方の怒りをぶつける事すら叶わなかった。アイツが生きていたら。罪を償っていたら、何かが変わっていたのだろうか? 僕がそんな風にぼやくと、汐里は静かに、首を横に振る。

「……いいえ。変わらなかったでしょうよ。自殺なんてものに逃げる奴が、罪を償うなんて事をするとは思えません」

「……だよね」

 肩を竦める僕を、汐里は黙って見つめていた。

 沈黙が訪れる。先に口を開いたのは、彼女の方だった。

「要約すれば、家族を壊した僕みたいな人間に、家族を作る資格はない……と、いう訳で?」

 無表情のまま、汐里は僕に再確認する。それに僕は、ゆっくりと頷いた。すると、汐里は本日何度目になるかという、大きな大きな溜め息をついた。

「歯を食い縛りなさいな」

 その瞬間、汐里は拳を振り上げた。

「オブゥウ!」

 顔面を殴られるかと思いきや、それはフェイント。咄嗟に顔をガードし、がら空きになった僕の鳩尾に、汐里の肘が突き刺さる。

「ちょ……お仕置きは……」

「殴打がないとは言っていません」

「詐欺だ……」

 涙目で踞る僕を、汐里はまるでゴミを見るかのような目で見る。

「能力が強くても、それでは形無しですね。だいぶ衰えてはきている私ですが、それでも今の貴方には負ける気がしません」

 僕の爪先をヒールでグリグリ踏みつけながら、汐里は鼻を鳴らす。

「過去は分かりましたよ。その上で、貴方にお聞きします。それだけの自責の念がありながら、どうして京子と付き合えたのですか?」

 その言葉に、ツンとしたものが胸を突く。新たなトラウマとなった失恋の痛みは、今も覚えている。

 辛くて、苦しいだけの恋。だけど――。

「眩しかったんだ」

 静かに僕が語り始めると、汐里は静かに脚を退ける。

「本性を後で知った時は、絶望もしたさ。けど、それでも。彼女が僕に向ける笑顔には……救われたんだ」

 バカだと笑いたければ、笑えばいい。そういう僕を汐里は頭を振る事で否定する。

「嬉しかったんだ。好意を向けて貰えたことが久しぶり過ぎて、嬉しくて……」

 項垂れる僕の頭を、柔らかな手がそっと撫でる。

「貴方の傷口を切開するようで気が引ける質問でした。が、それだけの価値はありましたね」

 ビックリするくらい優しい汐里の声に、僕は思わず起き上がり、彼女の顔を見る。

 汐里はやれやれというかのように、肩を竦めていた。


「ホッとしましたよ。レイ君。貴方が全てを拒絶していないことに。誰かに愛されたいという、〝人間〟という生物の本能を忘れていなくて」


 その言葉に、思わず目を見開く。

 彼女の言った言葉は、僕にとって衝撃的過ぎた。

「僕は……怪物だ」

「同時に、人間でもありました。さてと。過去を振り返えるのもいいですが、そろそろ無理矢理にでも現実に帰りましょうか」

 僕に背を向け、汐里はロッジの窓際へと歩き出す。月明かりが射すそこへ背を向けながら、汐里は僕に問い掛けた。


「……単刀直入に聞きます。愛が分からんだの、過去の柵は抜きにして答えてくださいな。貴方は――」


 艶やかに汐里の唇が動き、その言葉を紡ぎ出す。

 決して逃れられない鋭さを持って、それは僕へ投げ掛けられる。


「貴方は、あの少女からの好意――嬉しくはないのですか?」


 喉に、何かが詰まるような錯覚に陥った。再び脳内を支配するのは、ありとあらゆる言葉だが、それらは汐里の有無を言わせぬ視線に封殺された。

 ゴクリと唾を飲む。過去を話した反動だろうか。ぐるぐると回りに回り、揺らめき惑う僕の心が軋みを上げる。

 目を向けないように。向けてはならないと節制していた感情(モノ)を見つめ直した時、僕の中で、何かが壊れる音がした。

 (しがらみ)も負い目も、悔恨も。今は全て捨ててみた。何が残るか。


「そんなの……」


 それは、僕にとっては、結構なプラス思考だった。その結果――。


「そんなの……嬉しくない訳ないだろぉおがぁ!!」


 たどり着いたのは、結構シンプルな答えだった。


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