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名前のない怪物  作者: 黒木京也
外伝 Monster Days
103/221

名も無き者共の来訪≪中編≫

 地球外生命体。

 斉藤悠平の前に現れた青年は、そう名乗った。理解が追い付かないままに悠平が目を白黒させていると、青年は悪戯が成功したかのような顔で「冗談ですよ」と、笑った。

 あまりにも飛躍した話に、まだ思考は混乱している。

 冗談にしても、何と脈絡のないことか。よくない電波を発している。だとか、あまりお近づきになりたくない部類の人間。そんなレッテルを貼ってしまいかねない発言だった。

 もっとも、今対峙している場所やら、状況のせいか、その冗談の告白は悠平の中ではそこまで衝撃的にはなりえなかった。ただ、悠平は戸惑い。そして何よりも、青年の真意を図りかねていた。

 そんな中で先に口を開いたのは、青年の方だった。

「取り敢えず……立ち話も難ですし、僕らの住居に来ませんか?」

「え……いや、俺は……」

 思いがけない提案に、悠平は目を泳がせる。目的が目的故、下手に人に関わることは避けたかったのだ。

「……お時間は、あるでしょう?」

 勿論、悠平が抱いたその気持ちは、唯の建前に過ぎない。つい先程自分がやりかけた、外道な行動。それを糾弾するかのような言葉に、悠平はぐうの根も出ないままに頷いた。

 青年が悠平の邪な感情を察していたのかは分からない。単に先がない人間ゆえに、そういった言葉を選んだのかも知れない。が、沸き立つような罪悪感は、今も尚悠平を苛んでいた。

「そんなに歩かないんで、安心してください。それに、服が濡れてしまったでしょう? 僕のでよければ、お貸ししますよ」

 飄々と、こちらの行動を決める青年。結局、悠平は促されるままに川岸まで足を運んでしまう。まるで見えない糸で操られているような感覚に、少しのうすら寒さを感じていると、いつの間に川を抜け出したのか、青年が静かに手招きする。傍らには、あの少女も一緒だった。

「こっちです。はぐれないよう気を付けて」

 促されるまま、先導する少女を追うように、青年に続いて、悠平もまた歩き出す。

 静寂に満ち満ちた樹海の獣道に、三人分の足音が響き渡る。湿り気を含んだそこを行く様は、曲がりくねった(はらわた)を進むかのようだった。

「ああ、そうだ。言い忘れていました」

 先を行く青年が、不意に悠平の隣に並ぶ。歩幅をぴったり合わせて、影のように歩む青年は、やはり幽霊を思わせた。

「あの()には、手を出さない方がいいですよ」

「へ?」

 投げ掛けられた言葉に、悠平は思わず立ち止まる。

 やはり見透かされたか。それとも、見られていたのか。悠平は知らず知らずのうちに、顔面が熱くなっていくのを感じていた。

 そんな悠平を横目で見ながら、青年は微笑んでいる。見守るようなその視線に、悠平の中で罪悪感や羞恥が増大していく。

「あの子は、強い。人間ではそうそう敵わない位にね。だから、もしさっきのように邪な感情を抱いたのでしたら、今のうちに捨てた方が身のためです。何より……」

 青年が言葉を切った刹那、悠平の喉笛を、冷たい何かが撫でる。氷塊のようなそれが、青年の指だと気づいた時には、既に青年の手は首から離れていた。気配すら感じ取れなかったそれに、悠平が絶句していると、青年は一歩前に踏み出しながら、こちらを振り返った。


「あの子に手を出すと言うならば、僕も黙ってはいられないですし」


 凄みも何もない。淡々とした声。事務報告でもするようなそれだったが、悠平を震え上がらせるには充分だった。

 青年は、笑っていたのだ。まるで彫像を思わせる表情は、見えない圧力(プレッシャー)となって、悠平を打つ。彼は、ただ無言のまま、何度も頷くことしか出来なかった。


 そのまま、連なるように道を行く。先頭の少女は、相も変わらず悠平には一別もよこす素振りは見えない。

 無関心なのか、最初からいないものとしてされているのか。判断はつきそうもなかった。

 樹海の闇でそのまま染めたかのような長い黒髪が、夜風で靡く。身に纏う黒衣のセーラー服も手伝って、その病的なまでに白い肌が妙に際立っていた。

「……あれ?」

 そこで悠平は、妙な事に気がついた。


「あの子……いつ服を着たんだ?」



 ※


 まるで狐にでもつままれたかのような気分のまま、悠平は青年の住居にたどり着いた。 森の奥にポツンと佇んでいるロッジは、外見こそ古そうだが、手入れはしっかりと行き届いていた。

 リビングには、生活に必要なものが一通り揃っており、更に奥を見渡すと、恐らく私室のものと思われるドアが二つ。

 こんな樹海に建っていなければ、ちょっとした高級ペンションにも、見えなくはない。 他に目を引くといえば、冷蔵庫が何故か二つあるということ位だろうか。


「ここに、二人で住んでるのかい?」

「たまに……えっと……一人知り合いが訪ねて来る位ですかね」

 そう言って曖昧に頷きながら、青年は悠平に椅子を勧める。言われるままに古めのダイニングチェアに腰掛けると、青年も対面するように腰を下ろした。

 視界の端で、さっきの少女はうつ伏せにソファーに寝そべっているのが見えた。長い黒髪が、広がるようにして散らばっている。漆黒の瞳は、どこか寂しげに青年の方に向けられていたが、青年は意図的に視線から逃れるようにして、悠平の方へ目を向けた。

「すいません、突然連れ込むような真似をして」

「い、いや、いいんだよ。寧ろ、君こそいいのかい? こんな見ず知らずのオッサンと話したところで、面白くも何ともないだろうに」

 悠平がそう言うと、青年は静かに首を横に振る。

「いいえ。ここに来るのは……ある意味で、決意した人達です。そんな人だからこそ、僕は話すことが出来る」

 僕もまた、決意した存在ですから。と、青年は付け加える。虚無すら含んだその表情に、悠平は複雑な事情を察していた。

 駆け落ち、勘当、悲劇……。そんな単語が、頭をよぎっては消えていく。

 彼もまた、疎まれたのだろうか? 裏切られたのだろうか?

 それでも、隣に共にある存在があることは、悠平には純粋に羨ましかった。


「よければ……俺の話を聞いてはくれないかい?」


 そんな言葉が、自然と漏れる。せきを切ったかのように始まった、己の身の上話。

 他者が聞いた所で、面白くも何ともないであろうそれを、青年は黙って聞いていた。

 もしかしたら、度々現れる自殺願望者の話を、幾度も聞いていたのかもしれない。

 気がつけば、悠平の両目から涙が溢れていた。慟哭混じりの告白を聞き入れた青年は、静かに頷いた。


「あなたは……死にたいのですか?」


 あまりにも、ストレートな言葉。思わず青年の顔を見つめ返すと、青年は顔を伏せたまま、すいません。と、呟いた。

「貴方にかけるべき言葉が、僕には思い浮かばないんです。裏切られた痛みも、虚無感も、結局はその人だけのものです。僕が出来ることは……ない」

 それはそうだ。寧ろここで同情されたとしたら、悠平はこう返すのだろう。「お前に何がわかる?」と。

「君が羨ましいよ。あの子は君の恋人か何かかい? 辛いときに寄り添える人が、君にはいる」

「……そうですね。それは、あるかもしれません」

 無表情のまま、青年は一瞬だけ少女に目を向けると、静かに目を閉じた。思い出すかのような、痛みに耐えるような仕草だった。

「彼女と共にある。そう決めるために、失ったものがあります。でも同時に、得たものもあったんです。だから、後悔はしていません」

 きっぱりとそう言いきる青年。悠平は、それを眩しげに見つめたまま、「俺は……駄目な奴だ」と、溜め息をついた。

「死にたい。そう思いながらも、心のどこかで、死ぬのが怖いと叫ぶ自分がいる。あの女が憎いのに。俺は財布位にしか思われていないのに……! 俺が死んだら、あの女を殺したら……! 娘はどうなると……考えてしまう……! 下手したら、俺の娘じゃないかも知れないのに……! ああ、父親としても失格か俺は……!」

 それでも、愛情はあった。辛く厳しい仕事を乗り越えられたのだって、その存在があったから。遊んでやれなくても、父親らしい事をしてあげられなくても。

 迷い、濁っていく心情。優しい木の匂いがするロッジのリビングには、もう沈黙しか残らなかった。

 これからどうするのかも決めていない。今どんな状況になっているだろう。それすらわからないまま、俯いていると、青年が静かに立ち上がった。

「……お疲れでしょう? 色々あったのでしょうけど、今日はお休みになられたらいかがですか」

「休んだ所で……」

 何も変わらない。そんな言葉を承知しているかのように、青年は頷いた。

「そうですね。きっと事態は動かない。なら、頭だけでも休ませましょう。起きて、コーヒーでも飲んで。それからまた悩んでみては?」

 悠平を諭すように、青年は微笑んだ。

「……俺が死ぬとしたら、君は止めるかい?」

「……僕からの言葉で止まるんですか?」

 それもそうだ。乾いた笑いを漏らしながら、悠平もまた立ち上がる。

 心の痛みは相変わらず。だが、ほんの少しだけ軽くなっているのがわかる。誰かに話すということ。理解はされなくとも、それだけでも気持ちが楽になるのだろうか。

 やたら自分の苦労話をしたがる人はどこにでもいる。今ならその気持ちが少しだけわかったような気がして、悠平は肩を可笑しそうに震わせた。

「……ありがとう。聞いてくれて」

「僕は別に何も。あ、ベットは奥の部屋です。僕の部屋で悪いですが……」

「いや、構わないさ」

 そう言って、悠平は奥の部屋へ足を進める。チラリと少女を見る。そこで、悠平は少しの驚愕に襲われた。

 あれほど無関心を貫いていた少女が、目線だけを悠平に向けていたのだ。

 勿論、青年を見るときのような、熱のこもった視線ではない。どこか観察するような、戸惑っているかのような……。


「あなたの父親って言葉に、反応したのかもしれませんね。彼女は……その、父親を喪ってますから」


 青年の言葉に、悠平は稲妻にでも打たれたかのような気分になった。

 父親を喪う。今まさに、悠平が娘に背負わせようとする十字架だった。

「だから、こんなにも感情の起伏が……?」

「あ、それは最初からです。父親のことすら、認識してませんでしたよ。……昔はね」

 意味深げな発言に、悠平は口を閉ざす。追求は、しない方がいいのだろう。何かを感じ取った悠平は、青年と少女を交互に見る。

「その人は……どうして?」

「彼女と僕を守る為に。死にかけの身体に鞭打って、助けてくれたんです……」

 無表情だった青年の顔には、微かな悲しみの色が見て取れた。


 ※


 青年の部屋は、ある意味で個性的だった。本棚どころか、ベットの枕元にすら積まれた本、本、本。部屋の何処を見渡しても、視界に本が入ってくる。

「すいません、何冊か手放そうかとも考えたんですが、どうしても……」

 バツが悪そうに。それでいて、何故か郷愁に溢れた表情で、青年は頬を掻いていた。

 もっとも、こんな樹海で、衣食住が完備されている時点で、ちょっとした奇跡な気もしたので、悠平に不満はなかったのだが。


「……寝れない」


 ただ、一つ誤算だったことは、思った以上に精神が高ぶり、眠りにつける気がしない事だった。

 何度か寝返りをうつ。紙の本特有の、インクの匂いに混じって、コーヒーの芳香が鼻を擽った。あの青年は、よくここで読書の時間を楽しむのだろうか。寄り添うように傍に寝そべる少女の姿が目に浮かび、悠平は少しだけ目尻を下げた。

「父親……か」

 何の気なしに呟いた言葉を切っ掛けに、悠平は思案する。果たして、自分は家族の為に死ねるだろうか。そこまで考えた所で、バカなと、言うかのように(かぶり)を振る。

 ついさっきも、今も自殺を考えている自分が何を言っているのだろう。

 思考に蓋をするかのように、悠平は瞼を閉じる。無理矢理にでも、微睡みに身を委ねる他ない。そう結論付けて、悠平は深呼吸し――。


「レイ……来て。はやくぅ」


 不意にした、微かな声で、再び現実に引き戻された。

「……あの、お客さんいるから、もう少し後に……」

「やだ」

 胃の中にズドンと重石が入れられたかのような、錯覚を覚えた。人の来ない樹海。ただならぬ関係性を匂わせる二人。

 頭の中でパズルのように組上がる結論に、悠平は肩を竦めた。

「……レイの……ちょうだい」

 どうやらと言うべきか、やはりと言うべきか。積極的なのは少女の方らしい。

「まぁ……若いしな」

 そう呟きながら、悠平はそっと立ち上がる。音を立てないように部屋をでて、リビングへと足を進める。

 少しだけ開いた、恐らく少女の部屋であろう扉からは、僅かな明かりが漏れていた。今だ微かに聞こえる艶やかな少女の声。思わず覗き見したくなる衝動を抑えて、悠平は抜き足差し足で、慎重に進む。月明かりが出ていたのは、幸運としか言いようがなかった。

 微かな声と、水音から逃れるように、悠平は息を殺す。丁度眠れないし、外の空気でも……。


「レイは、ご飯食べないの?」

「今日来たあの人かい? うーん……どうしようかな……」


 そんな考えは、悠平の耳に飛び込んだ会話で、あっという間に吹き飛ばされた。

 思わず大きな声を出しそうになる。が、手で必死に口を塞ぎながら、悠平は来た道を振り返る。

「獲物のストックは、まだ冷蔵庫にあるし……。無闇に襲いたくはないんだよね」

 さっきのは聞き間違いか? そう思いたかった。が、無情にもその願いは、青年の言葉で掻き消された。

 ぶっそう極まりないその発言に、悠平の背筋が凍りつく。

 高鳴る心臓を押さえながら、悠平はそっと扉に近づく。水音かと思われた、何かを啜りあげるようなそれは、まだ続いている。

 止めろ! 見るな! と、自分の中で声がする。

 だが、まるで操られているかのように、悠平の身体は、扉の隙間へと吸い寄せられていく。


「――ヒッ!」


 それを見たとき、悠平の口から、短い悲鳴が漏れた。

 少女の部屋の全貌は、よく見えなかった。唯一の光源であるカンテラが、ベットと、そこに寄り添う二人のうら若き男女を浮かび上がらせる。

 まるで映画のワンシーンのようなその光景。それだけならば、どれほどよかったか。


 少女の腕は、少年の首にすがり付くかのように回されていた。

 青年の腕もまた、少女の身体を、優しく受け止めていた。

 少女の顔は、少年の首もとに。

 何かを咀嚼するような音は、そこから聞こえて来ていた。


 青年の血を、肉を。少女が貪り喰っていた。


「あ、ああ……!」


 思わず漏れた声に、青年と少女が、同時に此方を振り向いた。

 暫しの沈黙の後、青年は静かに微笑んだ。

「……起きていらしたんですね」


 底冷えのするような、恐ろしい声で。

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