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名前のない怪物  作者: 黒木京也
外伝 Monster Days
102/221

名も無き者共の来訪≪前編≫

時系列は、最終話以降です。

 斉藤悠平は、樹海の奥へと歩みを進めていた。

 暗闇が、視界を支配していた。まるで全ての悲しみやしがらみを、覆い隠して飲み込んでいくかのように。

 冷たい夜風が、有象無象の群れを思わせる木々を妖しく揺らしている。その合間を縫うかの如く、悠平は前とも後ろともつかぬ道を進んでいった。


 彼は、疲れ果て、うちひしがれていた。だからこそ、全てを投げ出すべく、霧深いこの樹木の海に身を委ねているのだ。

 車を行ける所まで飛ばして、そこから徒歩で早一時間。いや、体内時計すら狂い始めた今、その推測は信用ならない。もしかしたら、もっと時間が経っているかもしれない。

 後戻りは考えていなかった。身一つで来て財布も携帯電話も、乗り捨てた車に置いてきたのである。帰り道など覚えてる筈もなく。悠平に待ち受けるのは、不可避な死の運命だった。

 つい数時間前までの自分のいた世界。そこから凄まじく遊離した今の状況に、悠平は思わず、乾いた笑いを漏らした。


 どうでもいいさ。どうでも。


 そんなことを呟きながら、悠平はいっそ鼻唄すら歌いたくなるような心情で、更に奥へと足を動かす。


 きっかけは、昼間に会社の営業で、外を走り回っていた時だった。

 悠平は、妻と娘が見知らぬ若い男と歩いているのを目撃したのだ。

「パパ!」

 四つになる娘が、元気よくその男をそう呼んだ。

 ハンマーで殴られたかのような衝撃が、全身を突き抜けた。それと同時に、悠平はふと、考えてしまう。仕事に追われすぎて、気付かなかった。最後に娘にそう呼ばれたのは、果たしていつだっただろうか? と。


 呆然と、その三人を見守る悠平。

 辛うじて認識出来たのは、ギターを背負ったまま、「ビックになったら、本当のパパが迎えにいくぜ」と、親指を立てる男と、「それまではあっちのパパに頑張って貰わなきゃね」と、娘の頭を撫でる妻。そして……。

「パパ、抱っこ」と、自分には見せたことのない笑顔を見せる娘の姿。

 その姿は、紛れもなく仲のいい家族そのものだった。

 ガラガラと、何かが崩れ落ちる音がする。ふらつき、おぼつかない足取りで、悠平はその場を逃げだした。

 仕事も、何もかも放り出して。行き先も分からぬままに、悠平は車で走り出したのだ。

「やってられっかぁ!」


 憎らしいくらいに星が輝く空に、悠平は吠えた。そのまま、短距離走にでも臨むかのように、全速力で走り出す。

つい最近までは、馬鹿みたいに明るい彗星が、這うように飛びまわっていたのに、今は静かなものだ。

 ニュース曰く、星が爆発した等と報道していた。が、悠平にはもう大した話題ではない。この胸へ溜まりに溜まった、泥々した何か。これを発散しないことには、どうにもならない。もっとも、消し去った所で、自分はもう手遅れだろうけど。

「アバズレがぁ! 俺はATMじゃねぇぞぉ! 死ね! マジで死ねよクソッタレェ!」

 走って走って。走り続けて、悠平はめちゃくちゃに叫ぶ。

 樹海には、そこで生活を営む浮浪者がいると聞く。都市伝説だと鼻で笑っていたが、この際出てきてくれた方がありがたかった。

 ここに来る途中。幾多もの誘惑があったのである。

 店や都市。道行く人々。自身の激情をそれらにぶつけられたら。だが、そんな気持ちが去来しても、悠平は実行など出来なかった。

 世俗を捨てようとして捨てきれない自分が、ますます嫌になった。が、ここならそんなややこしい制限は存在しない。何が出てこようとも、悠平はもう何も怖くない。

 ここは、ある種の異界と言っても差し支えないのだから。

 有頂天になりながら、どれくらいの間走り続けただろうか? なんの脈絡もなく、悠平の視界が突如激変した。

「……へ?」

 思考が、追い付かなかった。ただ、肌に感じる浮遊感と、上から下へ流れる景色は、自分の足が地に着いていない事を明確に物語っていて……。

 刹那。悠平は、物凄い水飛沫と共に、盛大に転倒した。

「うげっ、ぺ……なんじゃこりゃあ?」

 口に入る、柔らかい土の味。耳に入るは、サラサラと水の流れる音。暗闇に加えて、前方不注意が祟ったのだろうか。悠平が落ちたのは、浅めの清流だった。

「……ついてねぇ~」

 びしょびしょに濡れた自分の服を確認しながら、悠平はため息をつく。今からのたれ死のうという時に、運もツキもないのだが、何となく濡れるのは気持ちがよくなかった。

 張りつく髪を横に分けながら、取り敢えず悠平は、川からの脱出を試みる。太ももほどまで水につかる位の深さではあるが、幸いにして、流れはそこまで速くはない。

「……ん?」

 一歩踏み出そうとした時の事だ。悠平は、そこで妙な気配を感じ取った。

 視線とは違う。だが、確かに感じるのだ。背後に、何かがいる――と。

 無意識に、手を握り締める。先住民か。樹海の獣か。緊張をはらんだまま、悠平は後ろを振り返った。


 雲に隠れていた月が姿を現して、気配の主を照らし出す。悠平は声が出なかった。

 

 そこにいたのは、少女だった。

 腰ほどまで伸びた、艶やかな黒髪。前髪は切り揃えられ、その不気味なまでに整った顔立ちも相まって、まるで日本人形を思わせた。

 美しい少女だった。

 血も心も凍りつくような、美しい少女だった。

 だが、悠平が声を失っていたのは、その少女の並外れた美しさだけではなかった。

 何より驚くべき事は、その少女が一糸纏わぬ裸体だった事だ。

 ゴクリと。無意識に喉が鳴るのが分かった。

 陶磁器を思わせる、病的なまでに白い肌。しなやかかつ、女性らしい柔らかさを孕んだ肢体。妻の裸すら、記憶の彼方に行ってしまった悠平には、いささか刺激が強すぎた。


 どうなっている?


 混乱しつつも、悠平は目の前の少女を観察する。

 少女は、ここよりも少し奥の深みで、まるで沐浴するかのように佇んでいた。水で髪を梳くその姿は、どこか浮世離れしていて、一枚の絵画を思わせる。大人びた雰囲気を漂わせているが、歳は恐らく、二十歳は行っていないだろう。十七から十八といったところだろうか。

 そんな少女が、何故こんな所に?

 頭に沸き上がる疑問を処理しきれないでいると、こちらに気づいたらしい少女が、静かに悠平へ目を向ける。闇の底を思わせる、漆黒の瞳は、数秒間じっと悠平を見つめていた。が、すぐに逸らされてしまった。

 まるで興味のない、周りの景色と同義と言わんばかりなその仕草。一瞬悲鳴を上げられるかと、身を強ばらせた悠平は、その予想外な対応に思わず脱力する。

「えっと……こんばんは?」

 気まずさに耐えかねて、悠平は少女に話しかける。が、少女はまるで気づかないかのように、水で身を清め続ける。細い腕が、少女自身の身体を行き来する。扇情的な一連の動きは、まるで蛇を思わせた。

「き、君は……こ、ここに住んでるのか? それともキャンプ中とか?」

 少女が動く度に形のいい乳房が揺れる。それから目を逸らせないのは、悲しき男の性か。声が上擦るのを自覚しながらも、悠平は再度会話を試みる。が、やはり少女は、何の反応も示さなかった。


 どうしたものか。

 悠平は頭を抱える。どのみち、死にに来た身だ。この少女がどうなろうが知った事ではないのだが、この暗い樹海に一人残して行くのは、何故だか躊躇われた。いっそ人里まで送ろうか。いや、それはそれで、本末転倒な気もする。取り敢えず、服があるならそれを着せて……。


 何を聖人ぶっている?


 そこまで考えた所に、頭の中でもう一人の自分が囁いた。

 脳裏を憎い女と、男の顔が過る。川の水で醒めかけた、燃えるような激情が、悠平の中で再び鎌首をもたげた。

 こんな異界に、丁度いい捌け口が来たのではないか。自分も望んでいたではないか。

 しかも、今まで見たことがないくらいの上玉だ。馬鹿みたいに真面目な毎日。どうせ捨てるのだ。最後くらい……。


 邪心に唆された。そう納得させて一歩、二歩と踏み出していく。再度喉が鳴るのを感じながらも、悠平は花に誘われる蜂のようにフラフラと少女に近づいていく。少女は、動かない。


「あれ? どちら様?」


 その時だ。不意に背後から、見知らぬ声が響いた。第三者の思わぬ介入に、悠平は思わず、ビクリと肩を震わせる。同時に、自分の中のおぞましい獣性が、急速に萎んで行くのが分かった。

 俺は今……何を考えた?

 頭が冷えた悠平を襲ったのは、強烈な自己嫌悪だった。

「あ~……どんな状況?」

 そんな悠平の内心など知るよしもなく、背後の声はのんびりとした声色で、静かに近づいてくる。恐る恐る後ろを振り返ると、悠平はまたしても毒気を抜かれた。反対側の少し離れた川岸に立っていたのは、どこにでもいそうな若い青年だったのだ。

「あ……え……?」

 上手く言葉が出ず、モゴモゴと口ごもる。そんな悠平を、青年は怪訝そうな表情で眺めながら、躊躇うことなく川に足を踏み入れる。悠平の横をすり抜け、少女の方へ。然り気無く、悠平から少女の身体を隠すようにして、青年は少女に歩み寄る。

「大丈夫だとは思うけどさ。一応恥じらい的なのは持とうよ」

 困ったような笑顔になりながら、どこから取り出したのか、青年は少女に大きめのバスタオルを羽織らせた。すると、さっきまで無表情だった少女は、目に見えて嬉しそうに微笑んだ。

「……レイも入ればいいのに」

「僕は……遠慮しとくよ」

「……いけず」

「どこで覚えたその言葉」

 悪態をつきながらも、青年は丁寧に、労るように髪や身体についた水滴を軽めに拭っていく。一方の少女も気持ちよさげに目を細めながら、青年の言葉にたどたどしく応える。透明感のある、綺麗な声だった。

 悠平は、暫しの間、ポカンとそのやり取りを見つめていた。

 疑問は相変わらず、次々と沸き上がってくる。

 この二人は、何だ?

 どちら様? という口ぶりからして、この付近に住んでいるのか?

 仮に住んでいるとして、どうしてこんな所に?

 目を白黒させる悠平。すると、青年はゆっくりと此方に向き直る。ここで初めて、悠平は青年を、正面からまじまじと見ることになった。


 月明かりに照らされた青年を簡単に説明するならば、顔立ちはそこそこ。だが、特徴がない。それでいて、どこか暗い瞳だけが、唯一目を引く要素だった。

 丈が膝裏まであろうかという、カーキ色のフード付きジャケット。その下には、白を貴重とした、何らかのロゴ入りのTシャツを着こみ、黒いジーンズを穿いている。

 こうして見ると、当たり障りのない格好ではあるが、よくよく見ると、ジャケットやジーンズの裾はボロボロにほつれていた。みっともないと思いそうなものだが、青年がそれを着ると、妙に様になっている。

 虚ろさすら感じられる、暗い目もあいまって、その姿は幽霊を思わせた。


「どうもこんばんは。えっと、観光……ではないですよね」

 頷く悠平を見て困ったように笑いながら、青年は肩を竦める。それはそうだ。こんな夜更けに、樹海なんて場所を訪れる人間の目的など、まともな筈はない。バツが悪そうな顔になりながら、悠平もまた、肩を竦める。

 気まずい沈黙が流れた。木々が擦れる音と、川のせせらぎだけが、周りを支配していた。

「あんたは……いや、あんた達は、ここに住んでいるのか?」

「ええ、そうですよ」

 思っていた事を、悠平はそのまま口にする。青年は静かに頷きながら、そう答えた。あっさりと肯定してきたことに、少しだけ驚く。嘘は言っているように見えない。本当に、この樹海に住んでいるというのか。

「なんでまた、こんなとこに?」

 見たところ、二人とも若い。にもかかわらず、こんなところを住居に選ぶなど、何か訳ありにしか見えなかった。

 疑問が連なり、やがてそれは好奇心に変貌する。気づけば、悠平は、二人の事情が気になって仕方がなくなっていた。

 自分と同じように、弾かれ者になったのか。それとも別の何かか。勝手なシンパシーを抱いている悠平を、青年はじっと見据える。探るような視線はほんの一瞬で、次の瞬間、青年はどこか悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「そうですね……強いて言うならば……僕ら、人間じゃないんですよ」

「……は?」


 返ってきた言葉は、悠平の予想以上に、突飛なものだった。ますます混乱を極めた悠平に追い討ちをかけるかのように、青年は更にとんでもない事実を付け足した。


「有り体に言えば、地球生まれの宇宙人なんです。僕ら」


 悠平の頭では、もはや理解不能だった。



 ※


 こうして、悠平にとっての長い夜が始まった。

 絶望し、死を選んだその地にて、彼は名前のない怪物のつがいに遭遇したのである。

 その〝意味〟も、わからないままに。


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