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名前のない怪物  作者: 黒木京也
外伝 Monster Days
101/221

名も無き者共の再来≪後編≫

 落ち着いて、再び今の状況を説明してみよう。

 夜、パンツ一丁で目の前の女性に、粘性の白い何かをぶっかけている僕。

 現在こちらを睨む怪物から見た構図は、まさにそれだろう。


「……レイ。なにしてるの?」


 再度問い掛けてくる怪物。無表情ながら、その眼差しはどこまでも鋭く、漆黒な瞳は恨めしげな光を放ちながら、僕と汐里を映していた。

「い、いや、あの……」

「……どうして、そのひとに……」

 消え入りそうな声のまま、怪物はユラリと一歩前に踏み出す。幽鬼を思わせるその立ち振舞いに、思わず僕は後ずさりした。すると、怪物の表情が、みるみるうちに哀しみの色に染まっていく。

「お、おい」

「どうして……どうして……!」

 正直に告白しよう。

 ……怖い! ものっ凄く怖い!

 哀しげな表情に胸が痛む。けど、ぎらつき、見せつけるように擦れている鉤爪は、今にも僕の喉笛に突き立てられるような錯覚となり、僕を精神的に責め立てる。心の痛みを凌駕した恐怖が、僕を追い詰めていく。

「レイ……」

 手が延びる。鉤爪が、僕の方へと迫ってくる。糸を絡め、ヌラヌラしたそれが、ゆっくりと、僕の腕を掴み、締め上げていく。

「レイは……(ワタシ)のもの。(ワタシ)はレイのもの。なのに……その女も、レイのものにするの? (ワタシ)だけじゃ……(ワタシ)じゃダメなの?」

「……え? ま、待って、何?」

 告げられた言葉に、僕の混乱が加速する。僕が、汐里を自分のものに?

「いやいやいや! ない! ないから!」

「だって……だって……」

 そんな怖いこと出来るわけない。

 が、そんな僕の弁明も虚しく、怪物はますます妬ましげな目で汐里を見る。どこか不貞腐れたような仕草に、僕は思わず、視線だけで汐里に助けを求める。

 すると、怪物の鉤爪が僕の喉笛を捉えた。

「何でそっちむくの? この首がダメなの? 目がいけないの?」

 黒くて鋭い指先が、眼球を抉り出さんというばかりに、曲がりくねりながら寄ってくる。あわや大惨事という所で、僕は何とか上体を反らして、難を逃れた。

 しかし……。

「そんなに、(ワタシ)が……イヤ?」

「ま、待って! 一先ず落ち着いて……」

 それがまた怪物の琴線に触れたらしく、怪物の声色に、初めて怒気が宿る。

 マズイ。マズイ! このパターンは、絶対に……。

 脳髄に響く、バキンという衝撃を覚悟した僕は、思わず目を閉じる。しかし――。

「……アレ?」

 予想した展開は訪れず、代わりに僕は、胸元に柔らかな温もりを感じた。

「えっと……」

 肩を震わせながら、僕の胸板に顔を沈める怪物。今までにない、しおらしい彼女にどぎまぎしながらも、僕は行き場のなくなった手で、彼女の肩を抱く。

「レイ……やだ。いかないで」

「いや、ほんとにどうしたんだよ君?」

 怪物が顔を上げないよう、彼女の後頭部にそっと手をそえてから、僕は再三汐里の方を見る。が、白衣のお師匠様の姿は、既にリビングから消えていた。

 あの野郎……逃げやがったな。

 ため息をつきながらも、僕は彼女を落ち着かせるように、ポンポンと背中を叩く。

 ますます身体を擦り寄せてくる怪物に、僕はもはや、手の施しようもなく……。

「どこにも、いかないよ」

 取り敢えず、その言葉だけ彼女に投げ掛ける。これ以上、彼女が震えないように。僕の中にある真実を、彼女に告げる。

「ほん……と?」

 か細い声で確認する彼女。それに苦笑いで頷きながら、僕は今更ながら、パンツ一丁だった事を思い出す。

 締まらないなぁ。と、内心で嘆息をもらしつつ、僕は目を閉じて頭の中でイメージする。


 今なら、上手くいきそうだ。


 うなじがざわつく。浮遊感にも似たそれに身を委ねながら、僕はいつもの服を意識の中に構築する。

 特徴のないと自覚出来る、僕の服装。特に気を使った事はなかった故に、改めて思い浮かべるとなると、少しの戸惑いがある。

 だが紛れもなく、彼女の隣に立つためには、必要な鎧でもあるのだ。そう自覚しながら心を集中させる。

 その時、身体を撫でるような感覚が一瞬だけ走った。閃光にも似たそれを受け、僕が目を開けた時、慣れ親しんだ感触が、全身を包んでいた。

「……出来た」

 洋服の複製。二度目の試行で成功とは、僕にしては上等なのではないだろうか。

 不本意ながら、怪物の登場が、戸惑う僕の思考を遮断し、一応の落ち着きを持たせた事になるのかもしれない。認めがたいが。

「あ、レイの匂い……」

 一瞬だけ目を見開いた怪物は、そのまま甘えるように頬を寄せ、そっと僕の服を掴む。糸に匂いなんてあるのかよ。と、思うが、今は口に出せそうもない。

 そんな余裕がなくなっていたのだ。

「あ、アレ? ちょ、ちょっと待て」

 うなじのざわつきが、さっきの比ではないくらい、酷いことになっていた。

 むず痒い感覚に、僕の身体が警笛を上げていた。

 予感で分かる。これは、さっきと同じ現象だ。

「や、ヤバイ、少し離れろ! おい!」

「……いや」

 僕の注意にも、怪物は聞く耳など持たず。慌てて手を怪物から遠ざけるが、未だ暴走する僕の中にある怪物の力は、想像以上の大きさだったらしい。

 噴出する糸の推進力で、僕の手は再び怪物の方へと逆戻り。結果……。

「……あっ!」

 何故か嬉しげな、短い悲鳴が上がる。

 その瞬間、そこには先程以上の大惨事が広がっていた。

 彼女のトレードマークたる黒いセーラー服も、艶やかな黒髪も。

 僕の糸で真っ白に汚されていたのだ。

 淫靡で背徳的な光景だというのに、僕は無意識のうちにゴクリと喉を鳴らしていた。

 汐里の時とは明らかに違う自身の反応。僕が戸惑い、硬直していると、怪物は緩慢な動作で自分に絡められた糸を手に取り、うっとりしたようにため息をついた。

「すごい……レイ、いっぱい出た。あったかい」

「だから止めろ。なんでお前はそうややこしい言い方するんだ」

 僕の反論すら受け流し、怪物は潤んだ瞳でこちらを見る。

 もっと、かけて。目がそう言っていた。

「い、いや、ダメだろ! 洗濯が大……変」 そこで僕は気づく。僕ら……洗濯いらないよなぁ。

 刹那の隙を、怪物は見逃さなかった。銀色の閃光が翻り、僕の身体に蜘蛛糸が絡み付き、視界が白で覆われていく。

「食べちゃうね。……二人で、グチャグチャになろ」

 妖艶に笑う怪物はただただ美しくて。その時僕は唐突に、「あ、こりゃダメだ」と、思ってしまった。

 この独白を、僕は今まで何度したことだろうか。いや、もう考えまい。思い出すだけ無駄というものだ。

「えっと……お手柔らかに?」

 諦めと、少しの気恥ずかしさに身を焦がしながら、僕は蕩けるようなキスと共に白銀の愛憎へと沈み、溺れていく。

 きっと僕は何度でも、彼女に恐怖し、魅了され、そして捕らえられていくのだろう。未来永劫抜け出せぬ、魅惑の檻の虜として。



 この後僕は、再び捕食された。

 これ以上ないくらい、滅茶苦茶に。



 ――翌朝。ロッジを出てみると、実験棟キャンプファイアー地点にて、汐里は優雅に寛いでいた。

「おや、ようやく解放されましたか。随分激しかったようですね」

「三回くらい死ぬかと思ったよ。てか、君逃げたでしょ? 厄介な事を全部僕に押し付けて逃げただろう?」

 非難するような僕の視線を交わしながら、汐里は惚けたように肩を竦める。

 いつの間にか用意していたのか、そこにはキャンプ用のテーブルとチェアーが組み立てられていた。テーブルにはモーニングティーセットに各種サンドイッチまで乗せられて、爽やかな朝に相応しい彩りを添えていた。

 もっとも、僕の心中やらは、爽やかとは程遠いのだが。

「一つ貰ってもいい?」

「どうぞ」

 手近なサンドイッチを拝借し、早速一口。トマトのフレッシュな食感とシャキシャキとしたレタスの歯応えが絶妙だった。それがスクランブルエッグのまろやかさに支えられ、まだ眠っているかのように怠い身体へと染み渡っていくようだ。

「美味しい。コーヒーが欲しいな」

「私が作ったのですから当然です。あと、私は朝は紅茶派なので、必要でしたら買ってきてくださいな」

 いや、紅茶も好きだけどさ。

 そう思いながら、汐里が勧めるままに紅茶を手にする。好きだけど、いつぞやのトラウマが甦るようだ。

 レモンシロップで酸味を効かせた紅茶。茶葉は分からないが、これも絶品だった。舌や身体が痺れたりは……しなかったが。

「そう言えば、言い忘れていた事があります。蜘蛛糸を絡めるという意味を」

「意味?」

 暫しの安息の時を過ごしていると、唐突に汐里は話を切り出した。

「アモル・アラーネオーススにとって攻撃や妨害以外で蜘蛛糸を巻き付ける事はですね……」

 悪戯の成功したような笑み。彼女には珍しい子どものような顔に僕が度胆を抜かれていると……。


「独占の象徴。いわば、愛情表現に当たるんですよ」


 爆弾を落とされた。

「……それ早く言ってよ」

 だからか。だからあいつはあんなに怒ってたのか。そういえば、僕もちょくちょく糸を絡み付けられていたなぁ……。

 なるほど。あいつからしたら、僕は浮気者で、汐里は泥棒猫という構図になる訳で。


「……レイ」


 背後からの、か細い声。恐る恐る振り返ると、そこには寂しげな雰囲気を纏った怪物が、迷子になった子どものように佇んでいた。。

「レイ……また……また(ワタシ)を置いて……」

 目が、座っている。僕が一歩下がれば、怪物は一歩前に進む。

 いや、待ってくれよ。ただ話していただけじゃないか。

「……朝ごはん」

「いやいやいや! 昨日散々吸って食べたよ! もういいだろ!」

 物理的に食べられるのは、再生するとはいえ、結構精神に来るのだ。……快楽がないとは言わないが、何度もやられたい訳がない。

 ジリジリと近づくプレッシャーに耐えきれなくて、僕は一目散に逃げ出した。彼女から逃げられる訳ないだろうとは言ってくれるな。男には、結果が分かっていても挑まねばならぬ事があるのだ。


 数秒後。僕はあっさり捕らえられた。


 ※


 じゃれあう怪物のつがいを横目に、唐沢汐里はため息を漏らした。見つめるは、己のであって、己のものではない手。

 この程度の揺さぶりでは、やはり出てこないか。手袋を嵌めた手を撫でる。彼の手はやはり何の反応も示さなかった。

「ま、いいでしょう。暫くは、貴方の遺言に従ってあげますよ」

 あのつがいをからかうのはなかなか楽しいものだ。芽生え始めた愉悦に戸惑いながら、汐里は自分の手にキスを落とす。

「ルイ、早く。早く出てきてくださいな。さもないと、私……何をするかわかりませんよ?」

 赤い瞳は、狂気と思慕で不気味な光を放っていた。


 ※


 その後、能力を毎度暴発させる僕をみかねて、汐里が提案してきたのが、激しい運動だった。

 とにかく中の力を一度全部発散させねばならないそうだ。

 それと同時に、強い力を持つ以上、身体の方も強く、タフなものにしていかねばならないらしい。

「大いなる力を持つものには、大いなる責任が伴う。レイ君なら、分かるでしょう?」

 どこぞのヒーローに言い聞かせるかのような台詞だったが、それには納得出来た。この力を制御出来ないようでは、ルイとの約束以前の問題だから。


 以上が、隠れ棲む事となった僕達が、最初に向かえた朝だった。

 この時はまだ、怪物への想いが愛なのかどうかは僕は分からないまま。けど、漠然とした気持ちではあったけど、これからも怪物と共にあり、歩んで、彼女を守っていく。それだけは、改めて決意した日でもあったと思う。

 悲しげに佇む彼女を見た時、何とかしなくてはと感じたのだ。今の僕にはそれだけで充分だ。

 後の問題は、僕が汐里と修行しようとすると、未だについてくる怪物の存在……いや、彼女が抱いている疑惑を解くのが最初だろうか。

 いつまでも浮気者扱いは嫌だし、生まれたての僕は精一杯頑張らせて頂くとしよう。


「さて、次は肩から腰にかけてのエクササイズです」

「おい! エクササイズなの? 訓練だろう?」

「ルイーズブートキャンプはフリッカージャブも覚えて頂きます」

「発端あいつか! そんな訓練で大丈夫か?」

「大丈夫です。問題ありません」


 凄く……不安だけど。




 『名も無き者共の再来』 ~fin~

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