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名前のない怪物  作者: 黒木京也
第二章 内臓実食
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9.現状と鳴り響く電話

「う……が……」

 脳を痺れさせるかのような酩酊感に身を委ね、僕は身体を痙攣させる。

 ベッドに横たわる僕に乗しかかり、首筋に顔を埋めているのは、数日前から僕の部屋に居着くようになった怪物だ。

 漆黒のセーラー服に身を包み、腰ほどまでの黒く艶やかな髪と、妖艶な光を含む漆黒の瞳。

 スラリと伸びた脚は、黒いストッキングに覆われていて、妙に扇情的な脚のラインを際立たせる。

 尽く黒が強調された格好とは対象的に、その肌は病的なまでに白く、白磁か陶磁器を思わせた。

 見かけこそ女子高生だが、その纏う空気は何処か蠱惑的な、美しい少女の姿をした怪物。僕は初めて遭遇したあの夜から、今もコイツに捕らえられたままだった。

 ゴクリと、僕の血が怪物の体内に取り込まれていく音と、じわりと僕の中に怪物が流し込んだ何かが浸透していく嫌な感覚。

 正直な話、逃げられるものなら逃げ出したい。しかし、ここは僕の部屋な訳で、一時的ならばともかくずっと出ていくことは不可能だ。解決策はコイツを追い出す事だが、コイツには話が通じない。

 比喩的な表現などではなく、そのままの意味で通じないのだ。そもそも、言葉が話せるかどうかすら分からない。

 そんな訳で、僕の止めろ。という訴えや、出ていけ。という言葉をあっさり無視して、コイツは夜な夜な僕に襲いかかり、僕の血を吸っていく。

「ぐ……あ……」

 思わず声が漏れる。気を抜く訳にはいかない。少しでも気を抜くと、僕はこの酩酊感と快楽の虜になってしまいそうだった。

 自分を見失わぬよう、拳を握り締め、愛する恋人の顔を思い浮かべる。

 茶髪のショートヘア、クリッとした愛らしい目。小柄な肢体と童顔もあいまって、高校生……下手したら中学生にも間違えられる、可愛らしい顔立ち。優しくて気配り上手な、僕には勿体無いくらいの彼女。

 目の前で僕の首筋に吸い付く怪物とは全く真逆な雰囲気の女性だ。

 そのうち、首の、恐らく血管を行き来していた体液の感触が消失する。どうやら終わったらしい。

 ハァ……ハァ……。と、荒い息を突きながら天井を見上げる僕。怪物はチロリ。と、僕の首筋をひと舐めしてから、静かに唇を離し、そのまま、満足気に僕の胸板に頭を預けてきた。噛まれていた首筋にもう痛みはない。鏡で確認しても注射針で刺したかの様な極小の傷があるのみ。吸われた後の止血も完璧らしい。一体どういう原理なのだろうか?

 怪物を振り払う元気もない僕の耳に、点けっぱなしのテレビから、夜のニュースが流れ込んでくる。

 毎朝、毎晩、ニュースや新聞をチェックするのは昔からの習慣だが、あの女子高生惨殺事件を見て以来、僕はことさら行方不明という単語に敏感になってしまっていた。

 はっきりした確証はない。ただ、あの事件の被害者とコイツの顔が同じこと。更にはインターネットで調べた結果、コイツが身を包んでいるセーラー服が、被害者の通っていた女学院と全く同じことも分かってしまった。このことから、間違いなくコイツはあの事件に何らかの関わりがあるのではないかと、僕は睨んでいる。

 考えられるのは、まず姉、あるいは、妹という説。しかし、この線は薄いだろう。もしあの事件の後に被害者の親族が再び消えたとしたら、騒ぎになっている筈だ。

 同様に、あの女学院の学生でないことも確定的だ。女学院の方も未だになんの反応も見せていない。

 女子高生が行方不明になったと報道されたのが、怪物と僕が遭遇した日の朝。

 遺体で発見されたと報道が翌朝。

 そこから既に数日。被害者の姉妹説と同様、学院の生徒が再び消えたのなら、騒ぎにならなければおかしい。情報を隠蔽するメリットも少ない。つまりは……。

「お前はあの学院の生徒ではないにも拘わらず、その服を来て、あまつさえ死者と同じ顔をしている……と」

 僕の呟きに怪物はいつもの無機質な瞳をこちらへ向ける。漆黒の瞳には、畏怖の表情を浮かべた僕の顔映り込んでいた。

 その瞬間、怪物の顔が僕の視界を埋め尽くした。

 バキン! という音が脳髄の奧で響き、僕の身体の所有権が剥奪される。

 僕の歯を押し分けて差し入れられる怪物の舌に、僕の舌が絡み付き、端から見れば情熱的な口づけが始まった。

『……県警の、雲雀ノ里市在住の、松井英明さん、三十八歳の行方が、二十日未明からわからなくなっており……』

 警戒していた行方不明のニュース報道も、僕の耳を素通りしていく。二十日といえば、いつもより長めに血を吸われた記憶があったっけ。

 いや、そもそも、行方不明ニュースを警戒した所で、どうにもならないのではないかと今更ながら気がつく。

 何故か? 答えは簡単だ。僕も怪物も、出逢ってから、この家を出ていないのだ。だから、この怪物が何かを起こすことは、恐らく不可能だ。

 尤も、僕はコイツが寝ている所を見たことがないので、百パーセント断言は出来ないのだが。

「ん……む……」

 操られるがままに怪物を抱き締め、ますます深くなるキスを感じながら、僕は目を閉じる怪物を睨み付けていた。

 コイツとの意思疏通は全くといっていい程出来ないが、少なくとも、この行為が気に入ったということだけは理解できた。

 終わった後に、妖しくも、とても幸せそうに微笑むのだ。人を操っておいてお気楽なものだと思う。

 逃げるのは不可能なので、僕は半ば諦めたように、黙って恋人を脳内に召喚する。

 濡れ羽色という表現が相応しい黒髪は、今まで僕が見てきたどんな女性よりも美しく、抱き締めてみて分かったことだが、しなやかな身体は、びっくりするほど柔らかい。それは、どちらかというと小柄な〝あの人〟とは違う、より『女性』を感じさせるようで……。


 瞬間、僕は絶望で染め上げられたかのような感覚に陥った。

 今さっき、僕の脳内を支配していたのは……? 僕は今、何を考えていた?

 違う! 違う違う違う違う! と、僕は何度も反復するように、先程の自分を否定する。

 おぞましい感情を叩きのめす為、僕は頭を回す。人間は考える葦だ。考える事を止めたら、そこで生きるのを放棄したも同然。僕が今考えるべきは恋人の顔ではない。どうやってこの怪物から逃れるか、だ。

 自分の舌が濃厚に絡まっていくのを感じ、脳がグラグラ揺れる感覚で眩暈に苛まれながら、僕は何とか考える。身体は操られ、悲鳴をあげることも叶わないが、考えることは出来る。

 いかに怪物といえども、僕の心まで操ることは出来なかったのだ。

 まずは現状。笑える事に、僕は自分の部屋で、怪物に監禁されている。あれから、大学も休んでしまっている。この現状をまずは打破する必要があるだろう。

 こう見えて僕は、この数日間、徒に襲われ続けて来たわけではない。

 色々と試してきたのだ。


 まず、普通に逃げる。

 これは不可能。今まさにやられているように、身体の所有権を奪われ、無理やり部屋に連れ戻されてしまう。

 次に、怪物を外に閉め出す。

 これも不可能。お姫様抱っこで僕に外に運び出され、キョトンとした顔で地べたに座る怪物を、部屋の外に置き去りにしたままドアに鍵を掛けてみた。

 が。一息入れた後に、僕がリビングに戻ると……。どうやったのかは知らないが怪物は何事もなかったかのように、僕のベッドに腰掛けていた。

 次は、不審者が部屋に入ってきた! と宣って、警察も呼んでみた。しかし、方法はさっぱり分からないものの姿を消して部屋に入れるということは、姿を消して部屋から出る。もとい、隠れることも出来る。と、いうことを僕は失念していた。

 あっさりと警察もかわされ、僕は女性関係のトラブルで呼び出してきた傍迷惑な学生。と、いったレッテルをその警官に張り付けられてしまった。……酷い話だ。

 身体の自由を奪うのには回数制限があるのではないか? と推測し、連続で逃亡を試みるも、これも効果なし。

 操ること事態に時間制限はあるものの、効果が切れてから十秒もしないうちに、バチン! という音で、僕は再び不自由の身となる。

 小学校でやった二十メートルシャトルランよろしく、玄関とリビングを行き来する僕を、怪物は飽きもせずに迎えいれていた。

 その日の夜は何故かいつもより多く血を吸われた気がする。

 もし、怪物の肉体所有権の剥奪のエネルギー源が僕の血だとしたら、逆らい続けるのは、そのまま死を意味する事になる。

 その日の僕は、いつもより長い怪物のベーゼを受けながら、内心ゾッとしていたものだ。

 僕の今までの抵抗はこれくらいだ。他に何を試すべきだろうか……あまりやり過ぎると、僕の血が吸い尽くされる可能性があるので、少しずつしか試せないのがもどかしく、僕は眉間に皺を寄せながら怪物を再び睨む。

 僕の頬を、僕と怪物の唾液が伝わっていくのがわかる。部屋に響くのは、僕の口から漏れるくぐもった声と、唇が、舌が触れ合う音のみ。

 不意に怪物の目がゆっくりと開き、僕の瞳を見つめてきた。

 目が逸らせなかった。まるで吸い込まれそうな瞳に僕の身体が硬直する。

 その瞬間、怪物の口が僕の舌を捕らえ、吸い上げ始めた。

 頭が真っ白になりそうだった。もう諦めろ、委ねてしまえ。という悪魔の囁きが、僕の意識の奥から聞こえてきて……。

 不意に鳴り響いた携帯電話の音で、僕の思考は復活した。

 同時に、バキン! という音と共に、僕の身体が解放される。

 触れ合い、絡み合っていた舌が銀色の糸を引きながらゆっくりと離れた。怪物は僕に跨がったまま、音の主を不思議そうに眺める。

 ……危なかった。一瞬屈服しそうになった自分に、どうしようもない恐怖を感じ、僕は身震いした。

 本当に、早くなんとかしないとマズイ。でないと、僕はいずれ……。

 嫌な想像を頭から締め出し、僕は携帯電話を見る。ディスプレイに表示されたのは、山城京子(やまじょう きょうこ)。……僕の恋人の名前だった。

 僕は思わず、怪物の表情を伺う。

 仄かに唇を濡らした怪物は、相変わらずの無表情のまま、鳴り響く携帯電話を見つめていた。

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