人殺し
「人殺しの癖に」
彼女が言い放った言葉。私は目を見開き、息をするのも忘れてしばらくの間固まっていた。
「今度は私のことも殺すつもり?」
口を歪めて吐くその言葉に、戦慄を覚えずにはいられなかった。目の前の彼女が、人ならぬ存在に見えた。
「あなたのことも殺すって……どういうこと」
私の出した声は小さく、震えていた。
「裏切るんでしょ、私のこと」
これは、裏切りと呼ぶのだろうか。最初は誰だってこの子とずっと友達でいたい、そう思って付き合うはずだ。でも、途中で嫌なところが目に付き始める。それで離れるのも、一般的には裏切り、なのだろうか。
彼女の傲慢さに耐えるのが辛くなってきていた。「最近、私のこと見下してない?」と言ってきたのは向こうだった。私は否定し、それなら距離を置こうと言った。それが彼女は気に食わなかったようで、私に罵詈雑言を浴びせ始めた。
私は言った。「ならもう、友達をやめよう」と。そしたら、彼女は言ったのだ。
『人殺しの癖に』
と。
雨のノイズが私たちを包み込む。でも天気雨なので、彼女の憎悪のこもった瞳は見て取ることが出来た。
どうして、こんなことになってしまったのだろう。私たちは途中までは、上手くいっていた。彼女の横暴な態度にも我慢してきた。上手くやってきたのに、なのに、何故私はこうも責められ、泣かされそうになっているのだろうか。
確かに、私は人を殺した。
いじめに遭っていた友達を助けてあげられなかった。その子は私にいじめに遭っていることは言わず、だから私もそのことには触れない方がいいと思い、くだらない話をしてよく遊んでいた。
そんな彼女が、突然、自殺した。
私が助けてあげていれば、防げた悲劇だ。幾度となく自分を責め、友達を亡くしたという喪失感に泣いた。その子は私の前では無理をして笑っていたのだろう。心配をかけないようにと。それに気づいたのは亡くなってからのこと。遅過ぎたのだ。何もかも、遅過ぎた。花を棺に入れるときに見たその子の顔は青白く、まるで別人に見えた。遺影は、私と一緒に写っていたときの写真だった。その子のご両親は、いじめをした同級生のことについては恨みつらみを言っていたが、私を責めることは一度もなかった。そればかりか、「ありがとね。娘と仲良くしてくれて」などと言ってくれたのだ。
だから、私は今日まで生きて来られた。それなのに、目の前にいる彼女は、不気味に笑いながら言うのだ。
「あなたが助けてあげてれば、その子は死ななかったよ。人殺しだよ、あなたは」
と。
襟元に水滴が落ちる。それは雨ではなく、自らの涙。声を押し殺して、私は泣いた。反論など出来なかった。私がずっと目を背けていたことを言われて、心はずたずただった。空が暗くなってきて、影法師が闇に飲み込まれてゆく。
「……どうして、そんな酷いこと言うの」
やっと私が発した言葉。涙混じりで、情けない声。涙はぽとぽとと落ち続けていた。
「あなたが憎いから。家庭環境には恵まれてるし、友達は沢山いるし、恋人だっているし、頭も運動神経もいいし、なのにちょっと何かあると悲劇のヒロインぶっちゃって、反吐が出るの」
堰を切ったように彼女は言った。雨で彼女の前髪は額に張り付き、でも私たちは傘を差そうとも、雨宿りをしようともしない。スニーカーに雨が滲んで気持ちが悪いが、それ以上に彼女の言った言葉の方が気持ち悪かった。悲劇のヒロインぶっているのは彼女の方じゃないのか。でも、喧嘩はしたくない。言葉を呑み込み、「ごめん」と言った。
「ほら、そうやって簡単に謝って済ませようとする。本当に悪いと思ってるなら、誠意、見せてくんない?」
これだけ酷いことを言われて、誠意を見せろだと? そんなの、おかしい。彼女は、酷い台詞を言ったことに対して、何とも思っていないのだろうか。憎いから、発したと? そんなの、もう、友達じゃない。
「……無理。もう無理」
そう言って私はそこから走り去った。泥を跳ね上げながら、服の裾で涙を拭い、決して後ろを振り返らずに。裏切り者でもいい。彼女も、同級生にいじめられている。今まで、助けてあげようと努力はしてきた。画鋲が沢山入った上履きを見て落ち込む彼女を、慰めたりした。でも、もう守れない。守ろうだなんて思えない。
「……人殺し」
彼女が言った言葉を反芻すると、胃がきりきりと痛んだ。
次の日、私は彼女に刺された。
「裏切り者」
学校で会った瞬間に、彼女はバッグからナイフを取り出し、切りかかってきた。刃が腕にさくりと刺さり、激痛が襲う。悲鳴を上げる生徒たち。狂ったように私の身体からナイフを抜いては刺しを繰り返す彼女。私の意識は遠のき始め、直感的に死ぬのだろうと思った。
しかし、心のどこかで私はこれでよかったと思っていた。殺人者には、罰が与えられるから。
私は心の中で呟いた。
人殺し、と。