友だちのふりをするのが、一番苦しかった二月十四日
★〜第一章:始まりの朝〜★
二月十四日、午前七時半。
教室の空気は、朝からどこか浮足立っていた。
机の横にかけられた紙袋、廊下ですれ違うたびに鼻をくすぐる甘ったるい香り。
私、立花葵は、自分のカバンの中に深く手を突っ込んだ。
指先に触れるのは、昨夜、キッチンで三時間かけて包装した小さな箱だ。
「おはよ、葵!」
背後から弾んだ声がして、心臓が跳ねる。
振り返ると、そこには一番会いたくて、一番会いたくない顔があった。
「あ……おはよ、湊人」
湊人は、私の“幼なじみ“だ。
幼稚園の砂場から、中学の受験勉強、そして今の高校生活に至るまで、私たちは常に隣にいた。
彼はバスケ部のエースで、性格は底抜けに明るく、そして少しだけ無神経だ。
「葵、今日なんか顔色悪くね? 寝不足かよ」
「……別に。湊人こそ、そのカバン、パンパンじゃない。どうせ全部チョコでしょ」
私が少し意地悪く言うと、湊は「へへっ」と照れくさそうに頭をかいた。
「まあな。でも、ほとんど義理だって。部活の後輩とか、クラスの女子とかさ。……あ、お前の分、期待してるからな。今年も一番デカいやつだろ?」
「……はいはい。期待しないで待っててよ」
私は軽口を叩きながら、胸の奥がチリりと焼けるような感覚を覚えた。
湊は私のことを“なんでも話せる最高の女友達“だと思っている。
それが、今の私には、どんな毒よりも苦しかった。
★〜第ニ章:境界線の向こう側〜★
一時間目が終わった休み時間。
湊人の席の周りには、案の定、女子生徒たちが集まっていた。
「湊人くん、これ!」
「あ、サンキュー!」
私はそれを、窓際の自分の席から眺めている。
毎年、この光景を見るたびに、私は自分の立ち位置を確認する。
私はあの中には入らない。
あんなふうに、恥ずかしそうに、でも真っ直ぐに想いを伝える資格は、今の私にはない。
だって──私は“幼なじみの葵“だから。
もし、この箱を渡して「好き」だなんて言ってしまったら──。
明日から、湊人と一緒に下校することも、テスト前に図書室で競い合うことも、些細なことで喧嘩することも、全部できなくなってしまうかもしれない。
「葵、何見てるの?」
親友の結衣が、私の横に座った。
「……別に。湊人、相変わらずモテるなーって思って」
「嘘ばっかり。葵、自分のカバンの中に手入れすぎ。そのチョコ、いつ渡すの?」
結衣はすべてお見通しだった。
「……渡さないよ。これは、ただの義理。いつものやつ」
「一番苦しい嘘つくね、あんた」
結衣の言葉が、鋭いナイフのように突き刺さる。
そう──友だちのふりをするということは、世界で一番大切な人に、世界で一番大切な言葉を飲み込み続けるということだ。
★〜第三章:放課後の沈黙〜★
放課後。
部活へ向かう湊人と、昇降口で一緒になった。
外は朝からの冷え込みが嘘のように、穏やかな夕日に包まれている。
「葵、これから塾?」
「ううん、今日は休み。……あの、湊人」
私はカバンを握りしめた。
今、ここで渡してしまえばいい。
中身は【本命】でも、外見は【義理】の顔をして。
「これ、お返し期待してるよ」なんて笑って言えば、今まで通りの“私たち“でいられる。
「ん、何?」
湊人が立ち止まり、私を覗き込む。
その真っ直ぐな瞳。
私の知らない間に少しだけ広くなった肩。
あの日、公園で一緒にパスをしあったボールの感触も、怪我をした時に彼が貸してくれた絆創膏の匂いも、全部私の中では恋の破片になって積もっているのに。
「……なんでもない。部活、頑張ってね」
結局、私は笑って手を振った。
湊人は「なんだよ、変なやつ」と笑いながら、体育館へと走っていった。
その背中を見送りながら、私は自分の臆病さに吐き気がした。
練習した台詞も、込めた想いも、全部このカバンの中で重たく沈んでいる。
“友だち“という仮面は、いつの間にか私の顔に張り付いて、剥がそうとすると皮膚ごと裂けてしまいそうだった。
★〜第四章:一番苦しい“ただの幼なじみ“〜★
帰り道。
一人で歩く通学路は、いつもより長く感じられた。
住宅街の角にある公園のベンチ。
ここが、私と湊人の【合流地点】であり【解散地点】だ。
ふと見ると、ベンチの端に湊人が座っていた。
「……え、湊人? 部活は?」
「あ、葵。……顧問が急用で休みになって、自主練になったんだけどさ。なんか、今日は集中できなくて」
湊人の手元には、山のようなチョコの袋。
彼はそれを一つ一つ眺めながら、ぽつりと言った。
「葵さ、今日、なんか言いたそうな顔してたろ」
「……え」
「俺たち、何年一緒にいると思ってんだよ。お前が無理して笑ってる時くらい、見れば分かる」
湊人が立ち上がり、私の前に立った。
夕焼けの影が長く伸びて、私たちの距離を曖昧にする。
「……もし、お前が渡そうとしてるのが【義理】なら、俺はいらねーよ」
心臓が、ドクンと大きく波打った。
「……何、言って……」
「俺、お前の“友だち“やってるの、もう限界なんだわ」
湊人の声は、少しだけ震えていた。
彼は自分のカバンの底から、不格好にラッピングされた小さな青い箱を取り出した。
「これ。ホワイトデーには早いけど、先に渡しておく。……葵、俺はお前と、バスケの話とか勉強の話だけしてたいわけじゃない」
私は呆然と立ち尽くした。
カバンの中の、私のチョコ。
湊人が差し出した、青い箱。
「……湊人も、苦しかったの?」
「……ああ。一番苦しかったよ。葵の隣で、“ただの幼なじみ“のふりをするのが」
★〜エピローグ:二月十四日の、恋人繋ぎ〜★
私は、カバンからあの箱を取り出した。
リボンは少し解けかかっていたけれど、今の私には、それを繕う必要なんてなかった。
「……これ、三時間かかったんだよ。本気で作ったの」
「知ってる。お前、料理苦手だもんな」
「うるさい。……好きだよ、湊人。友だちじゃなくて、それ以上に」
私がそう言うと、湊は心底ほっとしたような、泣きそうな顔で笑った。
「……やっと言わせた」
二月十四日──。
街中の誰かが喜んだり、悲しんだりしているこの日に、私たちは【友だち】という卒業証書を破り捨てた。
カバンの中のチョコは、もう重たくない。
「ねえ、葵。それ、今食べていいか?」
「……帰ってからにして。失敗してるかもしれないし」
「いいよ、どんな味でも。お前の本音なら」
夕暮れの公園で、私たちは初めて“友だち“ではない繋ぎ方で、手を繋いだ。
──苦しかった十四時間の終わり。
冷たい風の中に、カカオの香りがほんのりと溶け、春を待つ私たちの体温を優しく繋ぎ止めていた。
〜〜〜おしまい〜〜〜
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