フリーズ!〜闘わない筆頭魔術師〜
新しい物語を書き始めました。
本当は月曜日に投稿予定でしたが、少し早めてお届けします。
今回のテーマは「戦わない聖女」。
この物語の後、2日おきに、別視点の短編を投稿予定です。
それぞれ独立したお話ですが、ひとつの世界でつながっています。
「今日も、いい天気。──そして、平和だなぁ」
私は、王宮の庭をのんびり散策していた。柔らかな陽光に包まれ、咲き誇る花々の香りが風に乗る。
平和である理由は、私自身がよく知っている。
(だって、私がいる)
私はイルミナ=レグリア。侯爵家の娘にして、この国の筆頭魔術師。その存在を知る人は、私を「無敵」と呼ぶ。
けれど、私は一度も誰かと剣を交えたことがない。私が使うのは、ただひとつの魔法――《フリーズ》。
発動すれば、相手はその場から一歩も動けなくなる。その間に兵士たちが駆けつけて討伐する。いつもの流れ。ただ、その光景を見届けるだけ。だから私の手は、決して血で汚れることはない。
魔物は時々やってくるけれど、戦わずして足元に縫い止めれば事足りる。近隣国に至っては、噂が噂を呼び、私が入団してからの3年で戦意喪失。攻め込まれることはなくなった。
庭で歩いていると、後ろから声がした。
「相変わらず、自分の手は汚さないのだな?」
振り返ると、幼馴染みの第二王子、レオニス=ヴァルハイトがいた。長身に淡い銀髪、冷ややかな目。けれどその口元は皮肉げに笑っている。
嫌味も本音も冗談っぽく混ざる人で、彼の瞳にはほんの少しのからかいが光る。
「そ、そんなことないわ……」
私は微笑みながら言ったが、胸の奥がざわつく。レオニスは眉をひそめるでもなく、くすりと笑った。
「それにしても、筆頭魔術師殿は、のんびりできて羨ましい。
今、王宮騎士は、門前で必死に戦っているのだぞ」
「私だって、一定の距離は保っているわ」
そう、本当は平和なんてまやかし。
魔力が解除されない距離は保っていた。私の魔力は強大だけど、一定の距離を離れてしまえば、自然と解けてしまう。その距離わずか2キロ。幼い頃から倍以上に伸びたその距離も十分とは言い難い。
それでも、私は胸を張る。不安や弱みは、部下たちの士気を下げてしまう。
――
「イルミナ様! 魔物出現!」
伝令の兵が駆けてきた。
私は落ち着いて、出現した場所を聞いた。
「どちらに?」
「それが、王都の西、フルワナ橋の袂です」
「困ったわね。今は、王宮の東門に現れた魔物を討伐中なの」
ちっとも困っていないように、微笑んで告げる。
今ここから離れては、王宮に被害が出てしまう。焦っても、それを表に出すことはできなかった。
「俺が食い止めよう」
レオニス殿下がローブを翻し駆けていく。私の魔力を知っている。そして、私が魔物の心臓を直接止めないことも。
私はその後ろ姿を見送るしかできなかった。
(どうする?)
自問自答を繰り返す。私が入団するまでは、普通に剣で戦っていた兵士たち。ある程度、ダメージを与えているならば、もう離れても構わないのかもしれない。
(今は、レオニス殿下を信じよう)
「今すぐ西門へ移動するわ。東門の魔物討伐が終わったら、すぐに合図をお願いね」
伝令の兵士に伝え、馬小屋に寄ってから、西門へ向かった。しばらくすると、東門から狼煙が上がる。
「倒したのね」
ほっとしたのも束の間。すぐにレオニス殿下を追いかけ、馬を走らせた。
(お願い、間に合って)
石造りの橋の手前に、巨大な翼の生えたグリフォンのような魔物。黒い毛並み、赤く光る瞳。村人たちが悲鳴を上げて逃げ惑っている。
「やっと来たか」
レオニス殿下は、口角を上げた。
私はひゅっと息を吸う。魔物がギリギリ見える距離で、魔物の足元に無詠唱フリーズをかける。空気が張り詰め、巨体が止まる。一瞬で、世界が静止した。
それでも咆哮は途切れず、耳をつんざく。動けないのに、声だけは届く――その矛盾が、場を一層残酷にした。
レオニス殿下は、横目で私を見て、ウインクした。瞬時に魔物に向かい、剣を振る。
魔物を斬り裂く剣。鮮血が飛び散る。
縫い止められた魔物の叫びは、最後の瞬間まで響いた。
(……また、聞いてしまった)
やがて魔物が崩れ落ちると同時に、フリーズが解けた。そこでようやく力を抜き、息を吐く。
「……さすがだな」
「そう見えるでしょうね」
戦闘が終わった。でも、私は敵を縫い止めただけ。いたたまれない気持ちで俯いた。
そこへ、1人の少女が駆け寄ってくる。
「間に合わなくて、残念だわ。
イルミナ、あなたは相変わらず、手を汚さずに戦うのね」
毒薬入りの小瓶を手に、軽やかに現れた彼女は、もう1人の私の幼馴染み。クラウディア=ノワール。公爵家の令嬢にして、私の同僚。亜麻色の髪に、冷たい水色の瞳。堂々とした姿に、誰もが“悪役令嬢”と噂する。
「クラウディア……」
「いつも縫い止めるだけ……。
あなたが心臓を直接止めれば、兵士が傷つくこともないのではなくて?」
「……!」
クラウディアの言葉に息を呑む。
「優しいふりをして、汚れ役を他人に押し付けているように見えるわ」
クラウディアの瞳が真っ直ぐ射抜く。
「私には……できない」
「ふん。だから“聖女”なんて呼ばれるのよ」
クラウディアは冷笑した。彼女は薬師――だが、作るのは回復薬ではなく、毒薬や爆薬。敵を殺すための薬ばかり。
だからこそ、私のやり方を羨んでいる。
「責めているのか?」
そこへ、レオニス殿下が割って入る。嬉しい反面、鬱陶しい。
クラウディアの忖度がない実直な態度を、私は存外気に入っている。
「偽善と言うなら、君の薬のほうがよほど黒いじゃないか、クラウディア」
「黙りなさい、レオ。私の毒は役に立つ。あなたの嫌味よりはね」
二人は子供の頃からこうだ。言い合いながら、どこか楽しげで――
私は胸の奥で小さく息をついた。
「本当に仲がいいわね」
私の言葉に、クラウディアとレオニス殿下が同時に振り向いた。
「「はあ!?」」
ハモる声。
私は慌てて手を振る。
「いや、恋人みたいっていうか……」
揃った息づかい、どこまでも重なる声。羨ましい。
「それは……あなたでしょ!」とクラウディア。
「誤解するな」とレオニス殿下。
だけど。
――やっぱり、似合ってる。
同じ幼馴染でも、クラウディアは、公爵令嬢。レオニス殿下にも、「レオ」と愛称呼びを許されている。
討伐が終わり、王宮へ戻ると、レオニス殿下が近づき、私と肩を並べた。
「今日は疲れただろ? ゆっくり休め」
「相変わらずですね。どなたにもお優しい。
私が討伐の後、よく眠れないこと、ご存じでしょう?」
そう、幼馴染みのレオニス殿下は、知っている。
「眠れないなら、添い寝をしてやろうか?」
不意に耳元で囁かれ、心が跳ねた。
同時に、レオニス殿下が慌てふためく。
「お、おい! なんで俺を縫い付けた?」
「あ、あれ? 今すぐ離れますから!!」
(なんで? 私、力を使ったつもりはないのに……)
胸が熱くなり、私は赤面しながら転びつつ距離を取った。彼への魔法を解くには、あと2キロ離れなければならない。
「ふふ、驚いて魔力を使ってしまうなんて、イルミナったらお子様ね」
(レオニス殿下がいけないのよ。私のせいじゃない。
今日は、別の意味で眠れなそうだ……)
---
1カ月後、小型の魔物が再び現れた。王都の外れ、森の入り口。今回は、数が多い。それでも、私は冷静に足元にフリーズをかけた。
戦闘後、今日も三人は肩を並べ歩く。
幼馴染で、戦友で、ライバル。微妙な距離感や心の揺れが混ざり合う。夕陽に照らされ、三人の影が長く伸びた。
「ねえ? イルミナって、レオのことをどう思ってるの?」
「好きよ。もちろんあなたも」
今まで何度も聞いたクラウディアからの問いかけに、自然に答えた。
「そういう意味じゃないわ。恋愛的な意味よ?」
(クラウディアったら、何かあった?)
クラウディアの唐突な問いに不安が過ぎる。私たちはそれぞれ18歳。結婚していてもおかしくない年齢だ。
思わず、レオニス殿下と無言で顔を見合わせた。
「どうしたの?」
「ふふふっ、お楽しみ」
(永年変わり者の3人組として過ごしてきたのに。この心地いい関係が崩れてしまうのかもしれない……)
意味深に微笑むクラウディア。その様子に、必要以上にレオニス殿下を意識してしまった。
宰相へ討伐報告を終えた帰り、庭園の裏手。
王宮の高い塀に沿って歩いていたら、なぜか背後に気配がまとわりついた。
「……レオニス殿下」
振り返ると、いつも通りの気取った笑みで彼が立っていた。その笑顔に、少し苛立つ。
「やっと気づいたか。気配を消すのは得意なんだ」
「……わざわざ、そんな遊びをして、何になるんですか」
ふっと短く息を吐き、私の顔を覗き込む。
「お前の魔法の反応を見ているだけだ」
「なんですかそれ? 気持ち悪い」
訝しげな視線を返す。
「この間、条件反射みたいに俺を縫い止めただろう?
どこまで近づけば、縫い止めるのか。実験だ」
(ただ、驚いて反射的に魔力が走ってしまっただけなのに)
「そ、それは……」
「試してみるか?」
軽く言って、彼は一歩詰め寄る。私はつい下がってしまって――気づけば、背中が塀に当たっていた。
高い塀。逃げ場なし。すぐ目の前にレオニス殿下。
すらりと伸びた腕が私の横に添えられ、音もなく塀を押さえつける。壁ドン――いや、塀ドン。
「……怖いのか?」
彼の声が低く響き、鼓膜を震わせる。
「それとも……俺だからか?」
息が詰まる。
囁きが耳元に落ちてきた瞬間――
「フリーズ!」
普段無詠唱なくせに、叫ぶ。しかもその声は裏返り、悲鳴のよう。
瞬間、レオニス殿下の動きがぴたりと止まった。目だけが見開かれ、驚きと苦笑の入り混じった光を浮かべている。
「……お前、ほんとに俺を殺す気か?」
「すぐ、すぐ解けますからっ!」
距離を取ろうとするけど、塀に背を押し付けられている私は一歩も下がれない。
逆に上半身の動く彼は、更に体を傾け、顔を近づけた。彼の吐息が首筋をかすめて、熱が一気に駆け上がる。
心臓がうるさく音を立て、頭を支配する。
(止まりそう。ああ、本当に止まったらどうしよう)
……触れた。
ほんの一瞬、唇が重なって。私の意識は真っ白に弾けた。
「だ……(め)」
はっと気づけば、私の身体が硬直していた。
(私、自分に魔法をかけてしまったなんてことないわよね?)
「そんな顔で言われたら、やめられないな」
困惑している間に、唇がもう一度重なり、どう息をしていいのかわからなくなる。
「ん……」
「……少しは慣れろ」
彼が低く吐き捨てる。声が震えているのは、私のせいじゃないはずだ。
「何言ってるの?
初めてなのに、慣れるわけないじゃない!」
私は顔を覆ってしゃがみ込んだ。
「いつものからかいではないのよね⋯⋯」
レオニス殿下を見上げ、小さく呟く。
レオニス殿下の顔は真っ赤。それを見られないように必死に顔を背けている。その様子が可愛らしくて、思わず吹き出してしまった。
レオニス殿下と笑い声が重なる。
薄暗くなり始めた空には星。星々を見つめ、3人での笑顔の日々がずっと続きますように、と心の中でそっと祈った。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
このお話は、いつか連載版として続きを書けたらいいなと思っています。
もし気に入っていただけたら、とても嬉しいです。
これからもどうぞよろしくお願いします。




