ボクの発表会 第五章
発表会当日になった。
考えた。夜、眠れない頭で考えた。
どう考えても、バレエのテクニックでは彼女に負ける。
見ている観客は、この体形でクララの役が入れ替わっていることは分かるのだろうから、何であんなに下手な娘に変わったのだろうかと思われたら、もう私の負けだ。
勝てなくても良い。でも負けたくはない。
その為には同じ土俵に登っちゃいけない。
彼女はパーティで、とても華麗な舞いを見せるだろう。華やかで可愛らしいお嬢様になるだろう。
だからボクは、違うクララを。
真夜中のクララは、闇を怖がり、ネズミに怯え、何だか分からない魔法の世界に翻弄される。
そんなクララの悲壮さを、か弱さを表現しないといけない。
幸いボクは、彼女に比べて身体は細い。
足取りも舞いも、技術的に不安定だ。
だからもう中途半端な技やテクニックには頼らず、その悲愴な表現に賭けてみるしかない。
控えの所から、会場をぐるっと見るが、ネギお姉ちゃんはいない。
今日だけは絶対来てくれると思ったのに。お姉ちゃんに見てもらいたくて、今日まで頑張ってきたのに。
お姉ちゃんがバレエを辞めるのは仕方ない。でも会えなくなるのは、とても辛い。
見て欲しかった。頑張ったねと頭をなでて欲しかった。でも……
とても悲しい、というかやるせない。でも、この悔しさ・切なさも込めて、今からのステージで表現しようかと思う。こんな気持ちを利用してまで、彼女たちに勝ちたい、なんか思っている。
嫌な女だ。自分でもそう思う。
でもそう思った時にふと、無意識に自分で自分の事を女だと認めてしまっている事にも気が付いた。
本当に、嫌な女だ。
☆
舞台が真っ暗になった。音楽も先程までの華やかさから、もう静まり返っている。そろそろ出番だ。
一足先に、ドロッセルマイヤーのキーちゃんパパが、怪しい雰囲気満載で舞台に躍り出ている。マントをひるがえし、舞台を小走りで回る。踊っている訳ではないのに、バレエの舞台でとても目を引く。
流石、元舞台俳優と言うのは伊達ではないのかもしれない。
音楽の変わり目・変わり目。そう意識した時、キーちゃんパパの指がクイっと動いた。
このタイミングなんだね。
クララのボクも、よろける一歩をそれに合わせて舞台の中に踊り出る。
お客様の注目浴びている。怯むな!
そして、舞台のクララはドロッセルマイヤーを見つけた。思わず、駆け寄ろうとした瞬間! 時計が12時の鐘を鳴らす。
『んっ!』
声にならない声を出し、耳を押さえて立ち尽くす。
キーン・キーンと高い時計の鐘が、12回鳴る。
それが合図かの様に、大広間は異様な雰囲気が広がっていく。
怪しげな音楽に合わせて、ネズミが広間を走っていく。群れをなして走っていく。
両手を口の前で垂らし、背を丸めて、ネズミのポーズを取って、2人づつのペアがゴソゴソと走り回っている。
でもネズミ達は、クララにもドロッセルマイヤーにも気にとめず、ただあちこち走ったり、時々止まっては辺りを見回したり、広間を好き勝手している。ネズミの数はどんどん増えて、広間を覆っていくかと思った時、ドロッセルマイヤーは立ち上がり、大きく両手を広げた。
とたんに、どどーんと音楽が高鳴り、ネズミ達は散らすようにいなくなった。
ドロッセルマイヤーは、立ち尽くすクララに魔法をかける。頭の上をつかむ様な仕草でツンと上に引っ張る。クララは吊られるかの様にピンと身体が伸びきって、爪先立ちにのまま、ちょこちょこ・ヨチヨチと流されるようにパドブレで左に行き、ゆっくりランベルセのターンをして、また右へちょこちょこヨチヨチと流されて帰ってくる。
実は、このパドブレには本当に苦労した。膝が曲がらない様、歩幅も大きくならない様に。小さい歩幅なのに、相応のスピードを求められるので、かなり早いピッチが必要。練習中何度も転んだ。家でも練習を、ママに観て貰った。
本当なら、もっと舞台の端までいかないといけないが、音楽の変わり目で反転する。およそ目標の、7割くらいか。
元の場所に戻って行くのに合わせて、クリスマスツリーがどんどん伸びて大きくなっていく。正確にはクリスマスツリーの絵の布が引っ張られて上に登っていき、大きくなっていく。
でも実際には、クリスマスツリーが大きくなっているんじゃない、クララが小さくなっているのだ。
怪しげな魔法をかけられ、翻弄されながら、クルクル回ってはデヴェロッペを、またクルクル回されてアティテュードを。華麗なポーズの筈なのに、その動きは悲壮そのもので。
途中、ドロッセルマイヤー氏に手を持ってもらって、アラベスクをぐっと前にパンシェして傾ける。単独では無理、こうして手で持ってもらって、何とか出来る。
クララとして、ちゃんとした意識は無いかの様に。まるで夢の中の様に。
やがてザザーンと音楽が盛り上がって、クリスマスツリーの巨大化が止まる。つまりはクララが小さくなるのが止まったという事。
くるっと回って、我に返る。
また、ネズミ達が現れた。
しかし今度はクララを見つけて向かって来る。なぜなら今、クララはネズミと同じ大きさになって、獲物と認識されたから。襲われてしまう。ネズミ達に!
恐れが表情に出てくる。怖い! クララは逃げた。
前に立ちふさがって来るネズミ達。何とかその横をすり抜け、逃げる。逃げる。
逃げた先に、クリスマスツリーがある。その根元の方に向かって。
そこには、先ほどまでの小道具の人形サイズではない、大きなくるみ割り人形がいた。
クララから見てもちょっと大きい。
長帽子に赤丸ほっぺ&髭までつけた仮面を被った山本さんだ。その横に逃げ込むクララ。
するとくるみ割り人形はそれを察して、ザッザッと動き、クララを庇う。
一歩前に出て、サーベルをすっと抜き、天に向かって突き上げた。
とたんに2体のおもちゃの兵隊が現れ、くるみ割り人形の号令と共に、ライフルを撃った。
ズドン!
ライフルに撃たれて、ひっくり返るネズミ。
『助かった』
そう、思った直後、ひときわ立派な恰好に王冠まで被ったネズミの王様が下手から現れる。キーちゃんだ。体格的には小さいが、偉そうな雰囲気がいっぱい。右手で大きく合図。共に引き連れてきたネズミの一団が続々と舞台に現れる。
くるみ割り人形も、サーベルで号令。おもちゃの兵隊一団が現れて整列し、ネズミの一団とにらみ合いになる。
まさに舞台の中央では、ネズミ達とおもちゃの兵隊の合戦が始まるところであった。
☆
ボク・クララは上手・客席から見て右側の端に、隠れ座り込んで、ようやく一息ついた。
くるみ割り人形と兵隊たちに守ってもらって、安心という場面。
何とかやれたかな?
悲壮な感じ出たかな?
もはや舞台の主役は、くるみ割り人形・山本さんとネズミの王様・キーちゃんにスイッチしていた。
ビシッと整列した兵隊達は、基本小学5年生以上で構成されている。
このメンバーは、統制が取れた行進や戦いの群舞が必要とされる為だ。
兵隊8人が、基本2×4列になって、揃って行進、揃って突撃!
それに対しネズミ達は、基本4年生以下で、幼稚園の子も含む。多少はバラバラになってしまうだろうから、完全な振り付けは諦め、むしろ元気の良さを重視した。おおよその流れで移動やアクションが出来るなら、あえて統制的行動は不要と考えた。
ただし流石に台本の流れを無視されてしまうと困る為、ネズミは基本2人ペア。幼稚園の子には3年・4年のお姉ちゃん方が、1対1でくっついてサポートするし、1年・2年の子同士でも相互協力。
途中、こっち!とか、こういう風にとか、本番中なのに身振り手振りでの指導が入っていたりするが、意外と群れらしくなっている効果があったり、観客席からもそんな子達への温かい目が伝わってくる。
ネズミなのに猫のステップ(パドシャ)を多用し、一応は隊列組まれているが、微妙にバラバラなネズミ達一団の動き。
でもだからこそ、それに対する兵隊たちのビシッとした一挙一動・一糸乱れずの行進・アクションがより強調されて見える。
その二つの隊列が交差するその前で、くるみ割り人形とネズミの王様の一騎打ちが披露される。
身長175オーバーで逆三角形の体格のくるみ割り人形・山本さんのオーバー気味のアクションは、まさにロボコップの様な堂々とした迫力。
それに対してキーちゃんの王様は、135にも満たない小柄な体格を生かして、ちょこまかと走り回っては刀を振り回して、決して負けていない。元気いっぱいだ。
実際の舞台でよく見る、でっぷり太って貫禄ある王様に立ち向かうヒョロッと華奢なくるみ割り人形の構図とは全然違うが、結果的には別の面白い構図になっている。
観客によっては、山の様にでかいくるみ割り人形に、必死で飛んで跳ねて刀で打ちかかる王様の方を、また同様に隊列組んだ兵隊より、時々つまづいたり遅れたりする幼稚園児を含むネズミ達の方を、応援してしまう人達もいるようだ。
観客の、特にお母さん方・お姉さん方は、声や音には出さないが、口パクで『頑張れ!』とか、音の出ない拍手を送ってくれている。
舞台の上からは、本当に良く見える。そんなお客さんたちの温かい目が、細かい動作が。
めまぐるしいアクションが、観客たちの目を奪っている。
負けていないよ。前半のパーティでの華麗な演技とかに比べても。
くるみ割り人形が全身の力を込めて打ち降ろすサーベルを、ひょいとよけた王様は、その隙をついて蛮刀で打ちかかったが、それを事も有ろうにサーベル持っていないもう片方の素手で横から払いのけ、怯むがピケターンで回転して距離を取る王様。
何度も練習した殺陣が観客たちを熱狂させている。
再度向き合った後に刀を交差させ、一旦は行き違ってまた華麗なターンで振り返り、互いに向かって走って、刀を振り上げての開脚ジャンプ(グランパドシャ)で交差する。
キーちゃんは、この時の為に何度も練習した、足をつかず脚を鞭のように振りまわして連続の回転を、気迫で5回も回った。しかも今回は1回転ごとに観客の方を向いてギッと睨む、という動作を追加した。
そして山本さんも駆け出し、シソンヌからフィッテでターンし、ドンとアテール。その上で歌舞伎風の見栄を切った。
昨夜の打ち合わせで、追加改良したポイントだ。
『やっぱ昨日よりアクションが派手だぁ』
演じている山本さん、キーちゃんも、観客の熱気をしっかり感じているからの相乗効果だろう。
一応、心配そうに状況を覗き込んでいるクララ。
そろそろ戦いも終盤に差し掛かっている。
元気の良いネズミ達に押されて、いつの間にか兵隊たちはいない。
たった一人で奮闘するくるみ割り人形も、多勢に無勢だ。
何か、本当にポカポカ叩かれている。
ネズミ達の群れに覆われて完全に、くるみ割り人形の姿も見えなくなる。
そのタイミングで、いつの間にか後ろに立っていたドロッセルマイヤー氏が『こんな事もあろうかと』のポーズと共に、手に持ったスリッパをクララに渡す。
出番だ!
こっそりこっそり、クララは後ろから忍び寄って、手に持っていたスリッパを投げた。
これも昨日からの改良。当たるタイミングが音楽のタイミングに合う様に、放物線は描かず直接ダイレクトにスリッパを投げる。ベチっと結構大きな音がした。
その瞬間にネズミ達は全員一斉にぴょんと飛び上がった。
観客に、ちょっと笑いが。
場面は暗転。
『とんでもない事しちゃったー』っと後ろ(客席からは正面)を向いて、両手で顔を覆うクララのみにピンスポットが当てられている。
ちょっと熱い……。
音楽が変わり舞台も明るくなり、おそるおそる振り返る。
舞台の中央には、くるみ割り人形が一人、伏して倒れている。
恐る恐るステップを踏んで、近づいては様子を伺う。
あれ? 何か違和感。その軍服姿、何かちょっと小さくなったような。
しばらくして意識を回復させたのか、帽子も仮面も外して王子様になった彼が、ゆっくりと立ち上がろうと身体を起こす。
『えっ!!』
顔を上げた。
その姿は、ずっとこれまで練習で相手してきたゴツイ山本さんではなかった。
まさか!?
ゆっくりと上げたその顔は、
違う、明らかに違う。
そう。
その姿は、夢にまで見ていた先輩の、
ネギお姉ちゃん、その人だった。
――― こんなところだけど、続き次章へ ―――