ボクの発表会 第一章
『ボクはバレーをしたかった』から半年後の話です。
前作書き終わってから、もうバレエものは無理！ と思いながらも、どうしても書きたい熱に押されて書き始めました。
日曜。市立のスポーツセンターの一角でやっているバレエ教室。
通い始めて、もう半年。そろそろ春休み。新学期が始まれば、小学６年生で最上級生になる。
つい先程に教室のレッスンは終わったが、ネギ先輩からちょっと残って欲しいと言われたので、皆がドンドン帰っていくのを見ながら、その暇つぶしに今日のレッスンのおさらいをしていた。
ネギ先輩と言っているのは、本名が根岸・葉子で、皆そう呼んでいるから。この日曜教室では最年長の中学２年。姉御肌で、とても頼りになる。
普段はネギ先輩と呼んでいるが、プライベートでは本人の希望もあって、お姉ちゃんと呼んでいる。
えと、確か最初のポーズがこうで、ドゥミ・プリエ（少し膝曲げ）から右へステップ…… 滑る様にステップはグリッザードだっけ、こう両足でジャンプして右足で着地、また両足ジャンプの足組み替えて、これは覚えた猫のステップはパドシャ、足を三角にパッセして、一回転して、最後のポーズのレヴェランス！
あー、動作はなんとか身体で覚えていられるけど、専門用語は覚えられないよ！。
こうか？ これでよかったっけ？ 動きもそうだけど、専門用語も。
「へぇ、だいぶ良くなったね」
見ていたのか、横からネギ先輩が声かけてくれる。
「そーなのだ。動きはぎこちないし、まだ１つ１つ技のキレが悪いのに、思いっきりフリが大きくて姿勢も良いから、とても恰好良いのだ。ちょっと嫉妬するのだ」
さらにキーちゃんも、その後ろから口を挟む。
キーちゃんは確か名前は紀美子。いつもキーちゃんと呼んでいるから姓は知らない。小学3年生（今度4年生になる）ながら、３歳からバレエ経験のある大先輩だ。
「でもまぁ、ポワント（つま先立ち）も様さまになってきたし、やっとトウシューズ履いている意味が出てきたよね」
「言わないで」
それを言われると、すごく恥ずかしくなる。
本当に、自分は何様なのかと思う。
バレエ経験も何もない自分が、勘違いとはいえバレエしたいなんか言ったものだから、ママはレオタードやタイツ等の衣装を揃えて(ママ自身のお古だったけど)、でもシューズだけは無かったから、ボクの足にピッタリあったトウシューズを買ってきてくれていた。まるっきりバレエ初心者のボクに。
ある程度骨格は出来上がっていた為、足への負担は何とかなっていたとはいえ、世間一般的には大人でももっと練習しやすいバレエシューズから始める。
例えが適当かどうか分からないが、素人にいきなり競技用自転車に乗せる様なもので、ブレーキも変速機もなく、靴とペダルも固定された競技用自転車では走り出す前に転倒するんじゃなかろうか。
……そう。ボクは丸っきり初心者の時からトウシューズで練習始めてしまったのだ。
確かにバレエは楽しかった。でもトウシューズはとても痛い。
その違いを翌々月後ぐらいに知って、同じ足のサイズの仲間にバレエシューズ貸して貰って履いた時、あまりの足の楽さに驚愕したくらいだ。だから、その後ちゃんとバレエシューズも買って貰って、ポワント（つま先立ち）使わない練習の時は、そっちを履いている。
でもコレしか与えられていない時は、コレで必死で練習した。このトウシューズで片足で回転とか開脚ジャンプとかアラベスクもした。ポワント（つま先立ち）なしで。
そして今、ようやくトウシューズの本来の使用目的である、ポワント（つま先立ち）が出来るようになり、それを使っての回転とかも、様になってきたと思う。ジャンプはまだちょっと怖いけど。
「でもそういうのもひっくるめて、もうこの教室でかなり上位に来ていると思うよ。私の次くらい？」
「それは言い過ぎ」
「本当よ」
「だって」
ボクはそう言われ、ふとキーちゃんの方を見る。キーちゃんは年季がある分、凄く多彩な技が出来るし、動きにも断然キレがある。
「キーはまだトウシューズ履けないのだ。トウシューズのないパ（ステップ）やビルエット（片足で回転）は可憐じゃないのだ」
「でも……」
「いーのだ。トウシューズでは、今度の発表会で、ネズミのおーさま出来ないのだ」
キーちゃんはそう言って、エヘンと胸を張った。
「確かに」
そう。今度の市民祭に発表会として、ウチのバレエ教室は、本部の教室や市内他のバレエ教室と合同で『くるみ割り人形』をやる。
『くるみ割り人形』は世界三大バレエの戯曲。これと『白鳥の湖』と、あともう一つは何だっけ？
クリスマス・イヴにくるみ割り人形を贈られた少女が、人形と共に夢の世界を旅するという物語で、童話が元になっているから観る方も演じる方も入り込みやすく、バレエの発表会でも良く使われる。
ボクら日曜教室組は、第一幕中の夜中のシーンだけが割り当てパートで、でも本部の子達に比べると技術的に弱いから、ネズミ達とか兵隊たちの群舞だけが割り当てられ、名のある配役には本部の実力者が応援で入るのがパターンだったのだが、今回は小さいけど経験も実力もあるキーちゃんが、念願であるネズミの王様に立候補し、実力で認めさせた。
本来ネズミの王様は、もっと年上の実力者がする事が多いが、群舞のネズミ達をウチの子供たちでするから、その王様も同じ子供でも面白いと思われた事も理由とか。
そしてまた相応の実力があり、また今回の発表会で引退するネギお姉ちゃんは最後の思い出として、このシーン限定で、主人公のクララを任されるという、特別の発表会になったのだ。
だからこのシーンだけ、ほぼボク達の日曜クラスだけで占められている。でもただ唯一、ウチに大きな男子はいないから、くるみ割り人形＝王子様だけは、本部の方から応援で入る。
もしボクが男の子のままでバレエ始めていたら、この王子様出来たかな？ などとも考えたが、そもそも男の子だったらバレエはすぐ辞めていただろうし、続けていたとしてもたった半年の経験で王子様が出来る程バレエは甘くない。
ちなみに今回のボクの役どころも、その他大勢の兵隊の一人だ。
ただライフルでネズミ達を撃ったり、勇ましく行進したり、見どころはいくつかあるけど。
「キーちゃんの王様、ソロもあるから凄いよね」
「キーの実力なのだ」
そう言いながらキーちゃんは、迫力ある回転を見せる。都度足を地に付ける回転のペアテでなく、足の振りや反動だけで連続回転する回転のフェッテだ。今回のネズミと兵隊の乱闘シーンの見せ場のひとつ。このフェッテを派手で勇ましくやって見せ、この役を勝ち取ったのだ。
「楽しみだね。発表会」
「そーなのだ。くるみ割り人形をやっつけるのだ！」
「じゃ、私の役も見てくれる？」
そう言いながらネギお姉ちゃんは、目の前で踊り始めた。
膝をゆっくり曲げてプレパラシオン（最初のお辞儀）から、ポワント(つま先立ち)でパドブレ、ちょこちょこと歩いてから一気にバットマンタンデュ(つま先を伸ばして足を蹴り出す)で走ってから、アティテュード(優雅なポーズ)。腕を大きく広げながらポワント(つま先立ち)でちょこちょこと歩いてアンオー(両腕を丸く頭の上)で全身を伸ばす。反転し、数歩歩いて足を大きく後ろにまっすぐ上げる。
再度また、ポワント(つま先立ち)でちょこちょこ走ってからアラベスク(優雅なポーズ)。
反転してジャンプした後、右足を三角にパッセ(上げ)してピルエット(一回転)の後、アンオー(両腕を丸く頭の上)してアラベスク(優雅なポーズ)した後、左腕と右足を大きく上げて顔を上に向けて、レヴェランス（最後のおじぎ）をした。
「凄い！」
妖精がいた。優雅な、まるで重力を感じさせず飛びまわる妖精が、そこにいた。
目を見開いて、呆然としてしまった。
「凄くないわよ。アユミもやってみる？」
「そ、そんなボクなんかが」
「大丈夫よ、教えてあげる」
そう言いながら、ネギお姉ちゃんは手取り足取り、それら一連の動作を教えてくれた。
後ろから手を回して添え、手の振りを。足のパ（ステップ）は、都度やって見せ、横で一緒に小走りしながら。
２・３回ぐるっと一緒にやってから、
「もう、大丈夫ね。じゃ、一回通しでやってみて」と言って、数歩後ろに下がる。
「大丈夫かな？」
「多分、もう大丈夫な筈」
「うんうん」
キーちゃんも大きく頷いている。
「じゃあ」
そう言いながら、プレパラシオン（最初のお辞儀）から、始めた。
キレが悪いと、パンパンと拍子でリズム入れてくれる。
アンオー(両腕を丸く頭の上)からのアラベスク(優雅なポーズ)で、最後のポーズを決めた後、レヴェランス（最後のおじぎ）で何とか終わらせた。
「なかなか、いいじゃない」
「そ、そうかなぁ」
必死でやっていて、自分を客観視できるほど余裕はない。
「キーちゃんはどう思う？」
端で見ているキーちゃんに、ネギお姉ちゃんは話しかけた。
「動作の一つ一つはぎこちないけど、流れる様な動きは意外とスムーズなのだ。よくその短時間で覚えられるのだ。凄いのだ」
「そ、そうかなぁ？」
キーちゃんからそう言われても実感わかない。
「じゃ、もう一回やって」
「ええ？もう一回？」
「いいから」
そう強気で出られると仕方ない。もう一度、プレパラシオン（最初のお辞儀）から、始める。
そうしたら、ネギお姉ちゃんが予想外の動きを始めた。
ちょこちょこ歩きからアティテュード(優雅なポーズ)をしようとすると、その後ろからお姉ちゃんが腰を支えたまま前に押す。そうしたらもっと前かがみになって、支えて貰っているのもあり、より華麗なパンシェ（前傾）のアティテュード(優雅なポーズ)になった。かと思うと、そのままくるっと身体が回転させられた。ネギお姉ちゃんはボクの腰を持ったまま、ボクの回りをゆっくり回り、円の真ん中にいるボクは何もしていないのにピルエット(旋回)していた。
「え、え、何？」
「続けて」
訳の分からないまま、次の動作、ちょこちょこと歩いた後、右手・右足を伸ばしてポーズをとると、お姉ちゃんはその伸ばした手の先を持って、くるっと回転させてくれる。
『うわわ』
反転し、数歩歩いて足を大きく後ろにまっすぐ上げる時には、前でその手を掴んで支えてくれたから、思いっきり後ろ脚を上げてポーズが取れた。
『次はどうなるんだろう』
ワクワクしながら、アラベスク(優雅なポーズ)すると、またその手を掴んで優雅に一回転させてくれる。
反転してジャンプしようとしたら、その腰を掴んで大きくリフトアップさせてくれた。思いもよらない、大きなジャンプになった。
右足を三角にパッセ(上げ)してピルエット(一回転)しようとすると、その腰を持って勢いよくクルクルと弾みをつけられ、何回転もしてしまった。
楽しい！ とても楽しい。何が起きるか分からないのに、お姉ちゃんに全て身を預ける事が出来る。未熟なボクを、満身のエスコートしてくれている。
腰を支えられているから、安定のアラベスク(優雅なポーズ)が出来た。
最後に、左腕と右足を大きく上げて顔を上に向けると、ネギお姉ちゃんも左右対称に同じポーズを取って顔と顔が見合う形になった。
『うわっ』
真剣なネギお姉ちゃんの顔に見入ってしまう。真剣な目で見つめられている。
ボっと顔が赤くなった。
『好きっ』
頭じゃなく、心の方から、身体の奥の子宮の底からその感情が湧きだした。
当然、以前からネギお姉ちゃんの事は大好きだ。
でも今感じている好きと、それまでの好きは何か次元が違う。
ボクが男だったから、お姉ちゃんの女に惹かれているのか？
それともボクが女として、お姉ちゃんの王子様の部分に惹かれているのか？
いや、やっぱりボクが女なのに、お姉ちゃんの女に惹かれている様な……
「あ、大丈夫？」
お姉ちゃんから、話しかけられて、やっと我に返った。
真っ赤になった顔をそむけて必死で言葉を探した。
「あの、あの、何か、凄かった。何て言っていいのか分からないけど、凄かった」
「そう？」
お姉ちゃんは、動揺しているボクをとても心配そうに見ている。
「あの、バラバラだった動きが全部、ピタっピタっと合って」
「あ、ああ。そうか」
ようやく納得したように、お姉ちゃんは安堵の深い息を吐いた。
「これがパドドゥ。男女2人のペアになった踊りなんだ」
「パドドゥ？」
「そうだなぁ」
お姉ちゃんは少し頭を捻った上で
「例えば、ギターだけの演奏の上にベースとドラムが重なる様に、
トーストの上のベーコンにとろけるチーズがかかる様に、
富士山の頂上にちょうど初日の出が昇る様に、
漫才師ミキで亜生のさりげない一言にお兄ちゃん昴生が渾身のツッコミを入れるように、
単独でも良かったものが重なる事の相乗効果で5倍10倍にも感じる事ってあるよね」
「そ、そうなんだ」
何か凄い大発見をした。
でも、この発見は自分以外の人にとっては既にもう、当たり前のことなのかもしれない。
でも私にとっては、凄い大発見以外の何物でもなかった。
バレエがこれまで以上に奥が深いものである事を思い知らされた。
お姉ちゃんは、そんなボクを見て満足そうに「うん」と大きく頷いた。
ボクはまた、こんな風にお姉ちゃんとパドドゥをしたいと思った。
☆
何か、そのパドドゥに中てられ、頭がポワポワしたまま家に帰った。
「ただいま～」
「おかえり。あら？」
玄関に、ちょうどママがいて、出迎えしてくれた。
「どうしたの？ アユミ。顔赤いわよ。大丈夫？」
「うん。大丈夫。今日、ネギお姉ちゃんとパドドゥしたの。凄かったの」
「へぇ……」
「ボクがこう動いたら、お姉ちゃんがこう支えてくれて、一緒にピタっとグランパドシャして、こう支えて貰ってパンシェのアティテュードしたの」
ちょっと興奮しながら、身振り手振り交えて、説明した。
どれほど動作の説明が通じたかどうかは分からないけど、ボクが感動した事くらいは伝わった気がする。
「面白かった？」
「凄かったーっ」
「そぅ……」
ママは腕を組んで、うんうんと頷いている。
「何か、どんどんバレエが大好きになっていくみたいね」
「大好きーっ」
ママは満足そうに、うんうんと頷いている。
ひょっとして、今の状態はママの思うつぼ？
「だいぶ汗かいたみたいね。シャワー浴びてらっしゃい」
「はーい」
ボクはカバン持ったまま、バスルームに向かった。
その時はとても幸せな気分だったが、それがお姉ちゃんとのすれ違いの始まりだったとは思いもしなかった。
――― 続く ―――
