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第九話

 自分の脳内彼女である明音の姿が、自分の目に映るようになってから、俺は明音と同じ容姿である三輪さんの誘いを、主に仕事を理由に断るようになった。


 一番の理由は、三輪さんに会う時間を、明音と過ごす時間にしたかったから。

 正直、明音への罪悪感もある。ただ、明音の姿は目に映るだけで、触ることも、そのぬくもりも、もちろん感じられない。

 夜、見つめ合ったまま、眠りに落ちるのに、目が覚めると、自分はいつも一人だ。

 それは、明音と付き合う前と、何も変わっていない。


 すると、三輪さんからの誘いも減っていったのだが、ある日、切羽詰まったようなメッセージが入った。内容は相談に乗ってほしいというものだったが、何について相談したいのかは教えてくれない。自分以外に頼れる人がいないと言われ、何となく恋人がいる自分に恋愛相談でもしたいのかと思った。

 このところ誘いを断り続けていたこともあり、明音には友達と飲んでくると断りを入れた上で、数ヶ月ぶりに彼女と会うことにした。


 普段は、待ち合わせ時間に大抵遅れて現れ、待ち合わせ場所にいる自分に向かって、大きく手を振りながら駆け寄ってくる彼女が、今回は、自分より先に待ち合わせ場所にいて、落ち着かなげに辺りを見回していた。

 自分が目の前に立つまで、こちらに向けられた視線が絡まることもなかった。

 そして、自分の姿を見止めると、ほんの僅かに目を見開いたような気がした。

 まるで、しばらく会わない内に、俺の姿が変わってしまったかのように。


「三輪さん?」


 俺の呼び掛けに、彼女は自分のマスクをかけた口元に手を当てた。


「どうしたの?風邪?」


 彼女はスマホを取り出すと、そこに文章を打ち込んで、自分に向かって見せる。


『突然、呼び出してすみません』


「もしかして……声が出ないの?」


 彼女は、コクコクと自分の言葉に対して、首を縦に振った。


「体調が悪いなら、無理しないでよかったのに」


『どうしても、会って相談したいことがあったので』


「なら、お酒を飲むというより、ご飯食べながらのほうがいいよね」


『場所は決めてあるので、そこにしましょう』


「三輪さんの都合のいい所で構わないよ」


 彼女は、個室居酒屋の予約を取っていた。声が出ないので、俺が代わりにその旨を伝え、俺たちは個室に通される。席に着くと、俺は彼女に向かって笑って言った。


「結局、居酒屋なんだ」


『私は飲めないけど、冴島さんは飲んでください』


「いや、いいよ。明日も仕事だし」


 2人ともソフトドリンクを頼み、食事系のメニューをいくつか注文する。食べ物はどれも美味しかった。今までに行ったところでも、彼女の選択は食事が美味しいところが多い。きっと、友達とか恋人とかと、いろいろなところに食べに行くんだろうと思う。


「それで、相談事って何?」


『冴島さんは彼女さんと、今もうまくいってますか?』


「え、俺の話?君の事じゃなく?」


『実は私も彼氏ができたんです』


「……それは、おめでとう」


 彼女が他の男と付き合ってると聞いても、自分の心の中にはさざ波一つ立たなかった。でも、明音の姿が自分の目に映るようになっていなかったら、どうだったろう。そんなことを考えている俺の前で、彼女の話は続いていく。


『ただ、なかなか会えない人なんです。その代わりと言っては変ですが、一人でいるのが嫌なので、冴島さんを誘ってました』


「……それは、恋人に失礼なんじゃ?」


『冴島さんも誘いに応じてくれてたじゃないですか。このところは断られてばかりですけど』


「……」


 彼女の言う通りだったので、返す言葉に詰まった。


『やっぱり、頻繁に会える近くの人に、惹かれてしまうものですか?』


「……会えないと、不安にはなるかもね」


『ですよね?私も不安になるんです。会ってない時、相手は何をしてるんだろうって。もしかしたら、近くにいい女の子がいたら、そちらに気持ちが向くんじゃないかって』


「正直に相手に話してみたら?寂しいって」


『それができたら苦労しません。それに話したところで、会う頻度が高くなるわけでもない。私は彼氏に触れることも、抱きしめられることもなく、冷たいベッドで毎日寝るわけです』


 何となく、自分と明音の関係を表しているような気がして、苦しくなる。明音は脳内恋人だから、他の人を好きになることはないだろうが、明音に触れられないのは、今の自分と同じだ。


『冴島さんと彼女の話は、これでもかってくらい聞いてきました。私にとっては理想的な関係だった。喧嘩や口論もあまりない。穏やかだけど安定している。でも、あまり会えないって言ってましたよね?今もそうですか?』


「……」


『恋愛って、気持ちの繋がりだけじゃ続きません。やっぱり、会って、相手と触れ合わないと、不安になるんです』


「……俺たちの関係だって、安定してなんかいないよ。全然綺麗でもない」


 少なくとも、俺が明音に抱いている気持ちは、とても黒くてドロドロしてる。ただ、それをぶつける手段が今はないだけ。


『冴島さん。どうすれば私の不安は消えますか?』


「自分で言ってたじゃない。彼に会って、触れ合えばいい」


『今、彼はここにいません。ここにいるのは冴島さんです』


「申し訳ないけど、俺は君の彼氏の代わりになるつもりはない」


『冴島さんは、一人で寂しくないんですか?』


「……寂しくないといえば、嘘になる」


 彼女が手を伸ばして、テーブルの上にある自分の掌に触れた。思っていた以上に温かくて、とても振りほどけない。ずっと欲しいと思っていた、そのぬくもり。


 今、彼女が求めているものと、自分が求めているものは、多分同じ。お互いに黙っていれば、それぞれの恋人には気づかれないかもしれない。


 でも、俺は。


 彼女の手を一度軽く握ると、俺は彼女の甲を撫でて手を離した。彼女が自分の顔をじっと見つめてくる。


「君は、明音じゃない」


 彼女は自分の言葉を聞くと、声をあげずにボロボロと涙を零し始めた。


「ごめん」


 彼女は、涙を拭うことなく、泣き続けていて、その様子は以前、脳内で姿を取った時の明音を思い出させた。


 俺は席を立って、泣いている彼女を抱き寄せる。彼女の体は強張こわばったが、腕が払いのけられることはなかった。微かに胸の中で彼女が呟いた言葉は、彼女を落ち着かせようとあせっている自分の耳に届くことはなかった。

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