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第五話

「ねぇ?」

「なに?」

一夜(いちや)と出かけられたのは嬉しいんだけど、何で雨の日を選んだの?」


 頭の中で、僕の彼女、明音(あかね)が不思議そうに問いかけた。


 僕は閉じていた目を開く。目の前で、綺麗な紫陽花が、雨に打たれている。軽く周囲に目をやったが、自分の近くに同じように紫陽花を見ている人はいない。紫陽花の合間を縫うように、ぽつりぽつりと、色とりどりの傘が見えるだけだ。


「自分の声も雨の音にかき消されて聞こえづらいし、何より傘に隠れて、僕が何か話しているところも見えづらい。それに……紫陽花の前で立ち止まって目を閉じていても、変に思われにくいだろ?」

「なるほど」


 ようやく、明音は僕の頭の中で、姿を取るようになったが、自分の目を閉じないと彼女の姿は見えない。目を閉じなくても会話をすることは可能だけど、やっぱり相手のことを見て話がしたい。それに、彼女は自分が見たものを、頭の中で、まるで映画のように投影してあげないと、同じものを見ることができない。だから、必然的に、目を閉じる回数が増えるというわけ。


 今日は、雨の日を狙って、紫陽花がたくさん植えられているお寺に来ている。紫陽花の名所ではあるから、本来、人は多いのだが、それでもここまで本格的に雨が降っていると、濡れることを敬遠するのか、人の数はそれほど多くなくて済んでいる。


「でも、一夜が雨に濡れちゃうのは、心配だけど」

「傘もそれなりに大きめの差してるし、誰かと相合傘してるわけでもないし」


 そう、傍から見れば、大雨の中、男一人で紫陽花を見に来ていることになる。恋人同士で来ている人が多く、晴れている時であれば自分の存在は浮きそうだ。雨と傘で視界と音域は隔たれ、皆、お互いと紫陽花にのみ注意を向ける。自分だって、一人じゃない。明音がいる。


 頭の中に姿を取るようになった明音は、本当に自分の身近にいるような、普通の女性だった。これが自分の好みにドンピシャだったり、テレビに出ている女優のようにとても綺麗な人だったら、僕は明音の存在を余計に信用できなくなっていただろう。彼女なら、いつか実体化してもおかしくないと思えた。


 明音が本当に実体化するのか?

 信じているかといえば、今でも信じられないけれど、信じたいと思っている自分がいる。彼女が実体化したら、一緒にしたいことが増えていく。彼女と話す度に、過ごす期間が長くなっていくごとに。


 本当は泣いていた彼女を、抱きしめて慰めてあげたかった。自分が意識する前に、体が動いていた。彼女がいなかった時が想像できなくなっていく。こうして、僕の生活の中に、彼女の存在が穏やかに侵食して、根を張っていく。


「紫陽花って、本当にたくさんの種類があるんだね」

「色も形もそれぞれ違って、名前もそれぞれについてるんだな」

濃紫(のうし)京之丈紫紅(きょうのじょうしこう)月ヶ谷手毬(つきがたにてまり)、舞姫、アジアンビューティ……」


 明音は、紫陽花の名前を読み上げていく。


「よく、覚えてるな」

「え、そんなわけないでしょ?メモに取ってたんだよ」

「AIだったら、ネットとかから情報拾い上げられるんじゃない?または、僕が読み上げた名前を記録しておくとか?」

「……確かに私の存在はAIっぽいけど、AIではないからね」


 僕は不自然にならない程度の時間を空けて、隣の紫陽花の前に移動する。できれば、ずっと目を閉じて、明音の姿を見ていたいけど、そうなると同じ紫陽花の前でずっと突っ立っていることになる。見た紫陽花を明音に紹介することもできなくなる。頭の中にいる彼女と、デートをするのは、かなり混乱する。


「ねぇ、一夜。無理しなくていいからね」

「無理って?」

「家なら、私と話すか、他の事するかで区別付けやすいと思うけど、外だと大変でしょ?」

「それは、まぁ」


 否定はしない。明音の言葉は真実だったから。


「デートしたら、もっと仲良くなれると思って提案したけど、私以上に一夜の負担が大きかったなと思って。失敗したと思った」

「……」

「私は、一夜を困らせたいわけじゃないから」

「……でも、明音は今日をとても楽しみにしてたんだろ?」

「それは、そうだけど」


 彼女の瞳に揺らぐのは、不安と心配の色。

 思ったより自分たちの距離が縮まらないことへの不安か、心から僕のことを心配してくれているのか。

 自分がいつか消えてしまうことを、恐れているのか。

 僕が明音のことを好きにならなければ、彼女の存在はなくなるから。


「あまり頻繁は無理だけど、たまには出かけよう」

「本当に?」

「明音の言葉が本当なら、もう少ししたら、君の姿が僕の目に見えるようになるんだろう?」

「そのはずだけど」

「だったら、それまでは何とか頑張るよ」


 僕は彼女に向かって笑ってみせる。確かに今の状況を面倒だと思う自分もいる。最初から、明音ではなく、普通にアプリとかで彼女を探して付き合えば、こんな状況に陥ることはなかった。それ以上に、明音と一緒に過ごしたいという気持ちがあるから、自分は今を楽しんでいられるんだ。


 いつか、明音と別れることがあっても、自分は大丈夫。

 そう言い切れない自分から目を背けて、僕は明音の嬉しそうな顔を飽きることなく見つめていた。

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