098 秘められた心
もぬけの殻になったベッドに眼を向けたベルは驚きの表情を浮かべた。
「————ロンジュがいない……⁉︎」
ベルのつぶやきにヤンアルがうなずいて応じる。
「眼を覚ましたのか? でも、いったいどこへ————」
話しながら周囲を見回すと、部屋の隅のカーテンがゆらゆらとはためいているのが眼に入った。
「……窓が開いている……。まさか……!」
最悪の想像が脳裏をよぎったベルはブンブンと頭を振って、ヤンアルに向き直った。
「————ヤンアル。すまないが、隣の部屋を確認してきてくれないか? アリーヤが取っている部屋なんだ。俺はこの部屋をもう少し探してみる」
「分かった」
返事をしたヤンアルは窓から身を踊らせて隣の部屋に飛び移っていった。
「————アリーヤの部屋をくまなく探してみたが二人の姿は見えなかった。荷物も残されていて、荒らされた形跡もなかった」
ヤンアルの報告を聞いたベルは難しい顔で口を開く。
「……こっちも同じだ。バスルームやトイレにクローゼットまで探したが見当たらなかった」
「…………」
沈黙するヤンアルにベルが続ける。
「俺の考えを言っていいかな……?」
「おそらく私と同じだと思うが」
「ああ。状況から見て、眼を覚ましたロンジュがアリーヤを連れ去ったと思うのが一つ————」
「————もう一つはフランチェスコ、もしくは配下の者が二人を連れ去ったか……」
ヤンアルの言葉にベルは重い表情で首肯する。
「だが、キミをここに寄越してくれたフランチェスコがそんなことをするかな……?」
「……? さっきも言ったが、私にこの場所を教えてくれたのは奴ではないぞ?」
「え? じゃあ、誰が?」
「マルティーナだ」
「彼女が……?」
意外な返事にベルは考え込む仕草を見せたが、気を取り直したようにすぐに顔を上げた。
「……いや、今はそんなことどうでもいいな。連れ去ったのがロンジュにしろ、フランチェスコにしろ、何故アリーヤを……?」
「……分からない。だが、ここで考え込んでいても答えは出ない気がする」
「うん、そうだね。今は考えるよりも行動だ……!」
「行くのか……?」
「何の罪もない民間人を誘拐したんだ。いくら王宮関係者であろうと許されることじゃない」
「……そうだな」
ベルは自らの両頬をパシッと叩いて気合を入れた。
「————そうと決まれば早速行こう、ヤンアル!」
「待ってくれ、ベル。燕面が見当たらないんだ」
「そんな物、もういいじゃないか! 二人が心配だ、急ごう!」
「あ、ああ!」
窓から飛び出したベルをヤンアルは慌てて追いかけた。
ここで少し刻が遡る————
『……お面って便利ね。こんな情けない表情、誰にも見られたくないもの……』
————こんな涙を流すつもりはなかった。
————アイツの瞳の中にあたしは映っていない。そんなことは最初から分かっていたはずなのに……。
————だって、あたしが好きになったのは一途に彼女を想うアイツの横顔だったから。
————それでも、アイツのそばにいられるのならと思って、あたしは無理矢理にくっついて行った。
————このままずっと彼女が見つからなければいいって、何度思ったか分からない……。
————でも、アイツの喜ぶ顔が見たくて、ついつい手助けしちゃった。
————自分の容姿には自信があったから、面と向かっても負けないつもりだったんだけど、その自信は彼女の素顔を見た時に粉々に砕け散ってしまった……。
————彼女は少し変わってるけど、同じ女のあたしから見てもスゴく綺麗でカッコよかった。だけど、どこか抜けてるところもあって、綺麗でカッコよくてその上、可愛いだなんてズルいよ。
————せめて、彼女が嫌な女だったら、気にせずアイツを奪いに行けたのに……。
————アンタが彼女を想うくらいに、あたしもアンタのこと好きになっちゃったんだよ?
————でも、この気持ちは誰にも悟らせるわけにはいかない。だって二人の間にあたしが入り込む隙間なんてないもの。
————本当にヘタレなのは、あたしの方だったね。あの時はヒドいこと言っちゃってゴメンね……。
————さよなら、ベル。ヤンアルとお幸せに……。
頬を伝った涙が床を濡らした時、背後の物音を耳にしたアリーヤは振り返った。
『ロンジュくん……。もう起きて大丈夫なの……?』
『…………』
ベッドから起き上がったロンジュはアリーヤの問い掛けに答えず、一歩踏み出した。
『……ロンジュくん……⁉︎』
『————ィーネ……』
『え?』
『……ロンディーネ。フラー様のところに帰ろう……』
『…………⁉︎』
ただならぬロンジュの様子に恐怖を覚えたアリーヤは思わず後ずさった。
『……な、何言ってるの、あたしはヤンアルじゃ————』
『————ロンディーネ、安心して。ロンディーネを帰したら、あの嘘つきを殺してあげるから』
『…………‼︎』
ここでアリーヤははたと気付いた。
(————もしかして、この子……ロンディーネの仮面を着けたあたしをヤンアルだと思い込んでる……⁉︎)
アリーヤは燕面に手を伸ばし、褐色の素顔を露わにした。
『————見なさい! あたしはロンディーネじゃないわ!』
『…………』
沈黙するロンジュにアリーヤは続ける。
『……よく聞いて、ロンジュくん。ロンディーネは本当はヤンアルという名前なの』
『…………』
『ヤンアルがフランチェスコに従っているのは、全部ベルのためだったのよ』
『…………』
『二人はお互いを想い合っているの。ヤンアルの大切な人を殺そうだなんて考えないで……!』
『…………』
ここまで黙りこくっていたロンジュがゆっくりと口を開いた。
『…………可哀想に……』
『え……⁉︎』
『完全にあの嘘つきに操られているんだね、ロンディーネ……』
『————!』
ロンジュの言葉にアリーヤは眩暈を覚えた。
(————ダメ……、この子、完全に精神が錯乱しちゃってる……‼︎)
ロンジュは頭を抱えるアリーヤに近づきながら手を伸ばした。
『大丈夫だよ、ロンディーネ。フラー様ならロンディーネの洗脳も解いてくれる。さあ、一緒に帰ろう……!』
『……ゴメンね、ロンジュくん————『睡眠』ッ!』
『————ッ』
至近距離で睡眠魔法を浴びせられたロンジュだったが、まるでそよ風に撫でられたかのようにケロリとしている。
『……そ、そんな……あたしの魔法が……⁉︎』
動揺でよろめくアリーヤの脳裏に魔法の師匠の言葉が蘇る。
【————いいかい、アリーヤ。よく覚えておきな。精神魔法は便利なものだけど、掛ける相手の魔力が自分を上回っている場合は通用しない。それともう一つ、精神がすでに壊れてしまっている者にもね……】
その時、トンっと額に指が触れた感触でアリーヤの意識は現実に引き戻された。
『疲れているんだね、ロンディーネ。ゆっくり休んでていいよ……』
『————ベル……、逃げ…………て…………』
『…………』
崩れ落ちるアリーヤを抱きかかえたロンジュは無言のまま窓から飛び出し、夜の闇に溶け込んでいった。




