007 『伝説の竜姫』
ベルの口から『伝説の騎士』と言う言葉が出ると、広間に会す一同が無言で顔を見合わせた。
「————透き通るような紅い翼を羽ばたかせて、二匹の翼竜を瞬く間に屠ったあの美しい姿……あれは正しくロセリアに伝わる『伝説の騎士』————いや、『伝説の竜姫』と言った方が正しいな……!」
昨夜のヤンアルの闘う姿を思い出したベルは、うっとりとした表情で歌い上げるように独りごちた。
「……お兄様、本気でおっしゃっていますの?」
「勿論だよ、レベイア。俺の背中と肩の傷を治してくれたのは彼女なんだ。それも魔法とは違う不思議な術でね」
「え? 回復術師を呼んだのではなかったのですか⁉︎」
「いや、昨夜のうちにヤンアルが治してくれたんだ。一応言っておくが、これもミケーレが証人だ」
ベルが言うと一同の視線が再びミキへと向けられた。
「はい。それも確かに見ました。ベルティカ様のおっしゃられたように呪文の詠唱もなく、ベルティカ様の傷を治してしまいました」
「そう! それに誤解で取り押さえようとしたミケーレを逆に倒してしまったんだ! 紅い翼に不思議な術、そしてミケーレを簡単にひねってしまうあの強さ! 彼女が『伝説の竜姫』でなければなんだって言うんだ⁉︎」
興奮したベルは立ち上がって、ヤンアル=竜姫説を演説した。
「……信じられん。ミケーレを倒したなどと……!」
ミキの師匠であり、その強さを一番承知しているガスパールが思わず口を開くと、落ち込んだような表情でミキが言葉を引き取る。
「……本当です、ガスパール様。私などを倒したところで何も誇れるものではありませんが、あのヤンアルという女性に手も足も出ませんでした。それにやはり魔法とも違う不思議な術を使われました」
「どんな術だったのだ?」
「はい、彼女の二本指で胸を突かれると全身が痺れて声も出せなくなりました。まるで『緊縛』のような術です。それにどうも彼女は自分の体重を消せるようなのです。私の蹴りをまともに受けたのに、その感触はまるで紙を蹴ったようなものでした……!」
「むう……!」
難しい顔でガスパールがヒゲをひねる。
「こうしよう、ガスパール。まだ信じられないというなら、ヤンアルが起きた時に翼を見せてもら————」
「————失礼致します!」
ベルが指を立てた時、けたたましいノック音の後に青い髪の女性が広間に入って来た。
「会議中に申し訳ございません! 旦那様にご報告がございます!」
「どうしたの、カレン? あなたがそんなに慌てるなんて」
ひどく慌てた様子の青髪の女性にレベイアが声を掛ける。彼女はレベイア付きの使用人でカレン・ローグというが、普段は沈着冷静でこのように取り乱す様子をレベイアは見たことがなかった。
「申し上げます! 客間で眠っていたお客様の背中から————」
「————『紅い翼が生えた』か?」
続く言葉をベルが引き取ると、カレンは驚いた顔を向けた。カレンのこんな表情はやはりベルも拝んだことはない。
「は、はい。その通りでございます……!」
「聞きましたか、皆様? これで証人が二人になりましたな」
『…………‼︎』
一同がまとめて押し黙る中、ベルは両腕を広げて得意気な笑みを浮かべた。
「……そ、それでカレン、その女性は今どこに————⁉︎」
「はい、レベイア様。それが窓から飛んで行ってしまいまして……」
その時、ベルが何かに気付いたように広間の窓へと歩き出した。
「……全く、『伝説の竜姫』様は窓からお越しになられるのが余程お好きなようだな」
ベルが勢い良く窓を開け放つと、そこは二階にも関わらず、褐色の肌を持つ女が立って————いや、浮遊している姿があった。
「————ベル」
「やあ、ヤンアル。お目覚めかい?」
浮遊したままヤンアルがコクリとうなずくと、ベルは迎え入れるように右手を伸ばした。応えるようにヤンアルもスラリとした右手を伸ばし、その手を取る。それはまるで紳士が淑女を舞踊に誘う姿を彷彿とさせるものであった。
(————やはり、今は体重が感じられない。これは間違いないな)
ヤンアルの手を引いたベルは己の予想が間違っていなかったと確信して口角を持ち上げた。
「ベル、どうかしたのか?」
「いや、なんでもないさ。さあ、中へどうぞ」
ベルはそのまま手を引いてヤンアルを室内に招き入れる。ミキを除く一同はこの光景に唖然として声も出せない。なにしろ宙に浮いている女性をエスコートする図など見たことも聞いたこともないからである。
ベルは自分の席のところまでヤンアルをエスコートすると、隣の椅子を引いて手を差し出す。
「ヤンアル。どうぞ、こちらへ」
「ありがとう」
ヤンアルはゆっくりと椅子に着陸して翼を閉じた。同時に椅子のクッション部分に成人女性の重みが掛けられる。その様子を確認したベルは自分も席に着いて指を鳴らした。
「————カレン。こちらの淑女にもお茶を用意してくれないか?」