026 家族の一員
ある日の午後、ガレリオ家の居間ではベルとレベイアがカレンの手作りクッキーと紅茶で舌鼓を打っていた。
「ええっ? たった数時間で十五歳当時のお兄様と同等の語学力を⁉︎」
「……ああ。何度もそう確認されると、改めて自分が凡人だと思い知らされるな」
ベルが自嘲気味に答えると、レベイアは失言とばかりに口元を手で覆った。どうやら買い物で置いてきぼりにされた件は、数日経って怒りも落ち着いてきたようである。
「……そ、それからどうなりましたの?」
話を進めるようにレベイアが尋ねると、ベルは持っていたカップをテーブルに置いて両手を上げた。
「三日後にはガスパールがお手上げになった。『……ヤンアル、私から教えられることはもうありません』とな」
「ガスパール様、何かお元気がなさそうでしたが、もしやそれが原因ですか?」
空になったベルのカップに紅茶を追加しながらカレンが会話に加わってきた。
「ああ。あの教えたがりのガスパールが久しぶりに教師として振る舞えると思っていたのに、それが数日でお役御免になってしまったとなるとショックも大きかったんだろうな」
「ガスパール、かわいそう……」
「そう思うならレベイアよ、お前もガスパールの授業を受けたらいいんじゃないか? きっと喜ぶぞ」
またしても失言をしてしまったと感じたレベイアはブンブンと首を振った。
「い、いえ! 結構ですわ! 私にはカレンがいますもの!」
「だよなあ……。しかし、ヤンアルは何というか関わる男たちを軒並み自信喪失させていくな」
「……魔性の女ですわ。本人に自覚が無いというところも恐ろしい……!」
「…………」
ベルは肯定も否定もせず紅茶をズズズと啜った。
「————ところで、そのヤンアル様はどちらに? てっきりベルティカ様とご一緒だと思って、紅茶もクッキーも三人分ご用意致しましたが」
「ヤンアルなら、ガスパールから免許皆伝を受けてからずっと書庫に入り浸ってるよ。来る時に声を掛けたが、読書に集中してたから残してきた」
「そこまで集中して一体どのような本を読まれているのです?」
「まずはロセリアの歴史書とか地理や気候や風土なんかが詳しく書かれている本を熱心に読んでいたな。その辺りを読み終えると、数学書だの魔導書だの俺が読んだら頭が痛くなるような本に手を出していた」
「成程……」
ベルの返事に納得したようにカレンがうなずいた。
「何が成程なの、カレン?」
「はい。恐らくヤンアル様はご自分が記憶が無いまま異国の地にいることを心苦しく感じられていらっしゃると思われます」
「そうね……。誰だって記憶喪失で外国に放り出されれば不安になるわ」
「それもあると思いますが、どちらかと言うとヤンアル様はご自分の無力さを責めていらっしゃるように見受けられます」
「うん、確かに……。思い当たるフシはあるな」
「…………」
その時、うつむいていたレベイアが急に席を立った。
「ど、どうした、レベイア? 急に立ち上がって……」
「お兄様。やっぱりヤンアルも呼んできて一緒にティータイムを過ごしましょう!」
ベルは一瞬、青い眼を大きく見開いたが、すぐに妹の意を察して優しい顔になった。
「……そうだな。ヤンアルももうこの家の家族のようなものだしな」
「な、何をおっしゃっていますの⁉︎ 私はただ、ずっと読書ばかりでは集中力が保たないと思って……」
「はいはい。それじゃあもう一度ヤンアルを呼んで来る————」
笑いながらベルが立ち上がった時、突然居間の扉が開け放たれた。
「…………ベル」
そこには右手に何かの本を持ったヤンアルが立っていた。
「や、やあ、ヤンアル。ちょうど呼びに行こうと思っていたんだ。そんなところに突っ立っていないでこっちに来て座————」
「————ベル。『紅き翼の騎士』とはもしや私のことなのか……?」
「えっ……」
「この本に書かれている」
ヤンアルはそう言って持っていた本を開いて見せた。
「————『このロセリアの地に数多の災厄が降りかかる時、東の空より紅き翼を携えし一人の騎士が降臨され、その比類なき神通力によって民は救済されるであろう』————これは私のことなんじゃないのか……⁉︎」
「……そ、それはどうかな。大体それはただのお伽話だし、そんなに気にしないでもいいさ」
「しかし私は魔導書も数冊読んでみたが、翼を生やす魔法などどこにも書かれていなかった」
ヤンアルの言葉にベルは両手を広げる。
「……確かに、そんな魔法は見たことも聞いたこともない」
「では、やはり————」
「————ヤンアル。仮にキミがそうだったとして、何か変わるのかい?」
「何……?」
「俺はあの晩、ワイバーンに殺されかけた時、神頼みのつもりでその伝承を口ずさんだ。そうしたら突然眼の前が真っ赤に染まって、気付いたらキミが現れたんだ。そして、キミはあの紅い翼を生やしてワイバーンたちを蹴散らしてくれた」
「…………」
ヤンアルもあの時を思い返そうとしているが、どうも記憶が曖昧なようである。
「正直、キミが何処から来たとか、キミの失われた記憶に興味は無いと言えば嘘になる。でもキミが『伝説の騎士』であろうがなかろうが、そんなことよりも俺にとって大事なことはキミは俺の命の恩人で、大切な人になったというだけだよ。それじゃあダメかい……?」
「…………ベル」
ベルの真摯な表情と口調を聞いたヤンアルは無言でうつむいた。
「————そうですわ、ヤンアル!」
「……レベイア……」
レベイアは腰に手を当てて、ビシッとヤンアルを指差した。
「貴女が何処のどなたであろうとそんなことはどうでもいいのです! あ、貴女はもうガレリオ家の家族なのですから!」
「…………‼︎」
素直ではないが優しさに溢れたレベイアの言葉に、ヤンアルの眼が潤いを増した。
「僭越ながら、私もベルティカ様とレベイア様と同じ気持ちでございます。ヤンアル様」
「カレン……!」
続いてカレンに同意されたヤンアルの瞳から一筋の雫が流れ落ちる。
「おいおい、カレン。家族なら『様』は必要ないだろう?」
「えっ、ベルティカ様、ですが、それは……」
「……そうか。カレンは口ではそう言いながら、心の奥底では私を家族とは認めてくれていないんだな……」
ヤンアルはガックリと肩を落として三人に背を向けた。慌ててカレンが呼び止める。
「————お待ちください! ……ヤ、ヤンアル……」
珍しく照れた様子のカレンに呼び止められ、ヤンアルはゆっくりと振り返った。
「……ふふ、『家族』か。いい響きだな」
その瞳から流れ落ちる雫は嬉し涙に変わっていた。




