001 ダメ息子登場!
◇◇◇ プロローグ ◇◇◇
————『このロセリアの地に数多の災厄が降りかかる時、東の空より紅き翼を携えし一人の騎士が降臨され、その比類なき神通力によって民は救済されるであろう』————
〈ロセリア王国・民間伝承〉
————温暖な気候で南部が海に面したロセリア王国は農業と漁業が盛んであり、その中でも最東端に位置するデルモンテ州は平野が土地の大半を占めるため領民の多くが農業従事者であった。王都がある中央部に比べると歴史的建造物などは少なく、流れる時間は穏やかで人々は温和でお人好しが多い。要するに田舎である。そんなデルモンテ州の中でも東の外れにあるトリアーナ県はド田舎と言って差し支えないだろう。
———— トリアーナ県を治める領主の屋敷 ————
「————どうだ⁉︎ 見つかったか⁉︎」
男のしわがれた声が邸内に響き渡る。声の様子から極度の苛立ちが感じられた。
「ガスパール様! 離れにも屋根裏にも地下室にもおりません!」
「トイレに籠もっているかも知れん! 屋敷の全トイレを探せ!」
「は、はい!」
ガスパールと呼ばれた老人は使用人に指図を終えると、窓枠から階下に垂れ下がるように結ばれたカーテンを恨めしげに握りしめてつぶやく。
「……旦那様がご不在の折にこのような……! いったい幾つになれば次期当主としての自覚を————」
「ガスパール様! 厩舎から馬が一頭消えております!」
赤毛の精悍な青年が駆けつけ報告した。
「なに⁉︎ だが門番がいただろう! 屋敷の外には出られんはずだ!」
「それが……、緊急で領内の視察が必要になったと言われたそうで…………」
赤毛の青年の報告にガスパールが分かりやすく地団駄を踏む。
「ええい! それで易々と送り出してしまったという訳か!」
「ガスパール様、私が捜して参りましょう。まだそう遠くには行っていないはずです」
「……頼むぞ、ミケーレ。数人連れて行け」
「はい!」
ミケーレと呼ばれた青年が足早に部屋を後にする。その背を見送りながら、ガスパールは再びつぶやく。
「……いつまでも坊っちゃまではおられぬのですぞ、ベルティカ様…………」
◇
「————さーて、どうしたものかね…………」
トリアーナ県の名もなき森の中、身を隠すように大木に寄り掛かった銀髪の男がボヤき声を上げた。声の様子から若者のようではあるが、残念ながら夜の森に相槌を打つ者はいない。
「ホントにまいった。こんなことならミキの奴に付いて来てもらえば良かったなあ」
吐き出された言葉とは裏腹に、若者の口調から焦りは感じられない。だが、『バサバサ』という耳障りの悪い音が聞こえると、若者の顔つきが変わった。
「お馬さんにも逃げられてしまったし、自分の脚に賭けてみるしかないかッ!」
覚悟を決めた若者が大木から姿を現すと、眼の前の中空に子牛を丸呑みに出来そうな三羽のオオワシ————いや、翼竜が悠然とホバリングしているのが見えた。
「……や、やあ、我が領地のワイバーンさんたち。俺はこう見えてもトリアーナ県を治める領主の息子・ベルティカ=ディ=ガレリオと言うんだ。親しい者からは『ベル』と呼ばれている」
銀髪の若者————ベルは引きつった笑顔で自己紹介しながら腰に差した剣を抜いた。華美ではないが装飾の施された柄や鞘からして領主の息子というのは口から出まかせではなさそうである。
「縁あってこうして知り合えたことだし、君たちも気軽にベルと呼んでくれて構わないぞ?」
ベルは引きつった笑顔を維持したまま話しかけるが、当のワイバーンたちは牙を剥き出しにするばかりで一向に応じてくれる気配がない。
「……そうか、そうか。それじゃあ、一つお近づきの贈り物を————『火』ッ!」
声と共にベルの左手から小さな火球が飛び出し、真ん中のワイバーンに命中した。すかさずベルは熱と光で狼狽えたワイバーンを斬りつけ、その首を見事両断した。
「うそっ⁉︎ 斬れた⁉︎」
自らがしたことなのにも関わらず、ベルは驚きの声を上げた。仲間がやられた両端のワイバーンたちがこれまた耳障りな怪鳥音を上げ、ベルに襲い掛かる。
「クッ!」
豪快に地面を転がり、ワイバーンのクロスアタックを躱したベルはその勢いのまま脱兎の如く逃げ出した。二匹のワイバーンは上空へ飛び上がり、逃げた獲物の追跡を始める。
「————クッソォ! 奴ら、この暗い森の中を走る俺を正確に追って来やがる! もしや何かで感知してるのか⁉︎」
ベルの推測通り、ワイバーンはヘビの如く獲物の体温を探知して追って来ているのである。こうなると視界の悪い森の中に逃げ込むことを選択したことが裏目になってしまった。相手からは自分がしっかりと見えているのに対し、こちらは走りにくいことこの上ない。
「ぐあッ!」
その時、剣を持つ右肩に鈍い痛みが走った。
「————この野郎ッ!」
振り向き様に再び『火』の魔法を浴びせたベルだったが、食らったワイバーンは小さな呻き声を上げて上空へと逃げてしまった。二匹のワイバーンが傷を負った獲物の様子を確認するように上空を旋回する。
「……くそ、俺の魔法じゃ目眩し程度にしかならないか。もっと真面目に練習しとくべきだったな……!」
ワイバーンの爪で引っ掻かれた右肩を押さえながらベルが口惜しげにつぶやいた時、ワイバーンたちが急降下して襲い掛かって来た。剣を振るって正面のワイバーンを牽制したベルだったが、その隙に今度はもう一匹の爪を背中に受けてしまった。
「————チィッ!」
またも振り向き様に剣を振るが、その時にはすでに二匹とも上空に戻っていた。どうやら獲物の魔法と剣を警戒して持久戦に切り替えたようである。存外、ワイバーンとは頭が回る生き物のようだ。
「鳥類は総じて脳みそが小さいと聞いたことがあるが、君たちはなかなかどうして知恵が回るようだな。さすが腐っても竜といったところか……」
ベルの皮肉を聞いてもワイバーンたちは挑発に乗っては来ない。苦笑いを浮かべたベルの脳裏に子供の頃から幾度も耳にしたある口伝が蘇った。
「…………『このロセリアの地に数多の災厄が降りかかる時、東の空より紅き翼を携えし一人の騎士が降臨され、その比類なき神通力によって民は救済されるであろう』か————。伝説の騎士さま、今まさにロセリアの民が絶体絶命の窮地に陥っております。どうか非才で不運な私めに御加護を…………!」
眼を閉じ剣を立て古からロセリアに伝わる伝承を口にしたベルだったが、そう都合良く救援などは現れなかった。
「…………ま、そりゃそうだよな。さーて、どうしたものかね————」
八分前にも発したセリフを再びつぶやいた瞬間————、
————キィィィィィィッ‼︎
強烈な耳鳴りと共にベルの眼の前が真っ赤に染まった。