016 特殊な呼吸
バフで強化されたカレンの刺突によってヤンアルの衣服が破られるというアクシデントがあったものの、ベルの機転?によって代理決闘は再開された。
しかし、攻めるカレンに防ぐヤンアルという構図は変わらず決闘は展開されていた。
「————ヤンアル!」
ベルが心配の声を上げる中、カレンの無数の突きが雨霰のようにヤンアルに襲い掛かる。
「…………!」
生身の状態時とは比べものにならない速度の突きの連撃は、ミキを子供扱いにしたヤンアルにとっても躱すだけが精一杯のようであった。初見の時のように衣服をかすらせるようなことはないが、掴むことはもちろん反撃することも叶わないようである。
「……ふむ、原理は分からないが『ばふ』とやらで己の筋力や瞬発力、反射神経などを強化しているのだな」
「その通りでございます」
ヤンアルは飛び跳ねて躱しながらも冷静に相手の分析をする。ヤンアルが躱すたびに庭の木々がカレンのレイピアの余勢によって斬り刻まれた。
「……おいおい、カレンの奴、あの調子でレイピアを振るっているとニコロ爺さんの仕事がなくなってしまうぞ……」
「冗談を言っている場合ではありませんわ、お兄様。早くあの方に降参を勧めたらいかがですの?」
カレンの優勢に気を良くしたレベイアが得意げに口を開いたが、ベルはかぶりを振った。
「降参だって? どうしてだ、レベイア?」
「どうしてって……、どう見てもこのままカレンが勝つでしょう⁉︎」
「うーん……確かにカレンは強いし、今もヤンアルがギリギリで躱すたびに俺はハラハラしているが、それでもヤンアルが負けるとはどうしても想像ができないんだよ」
真面目な表情で言うベルに対し、レベイアは気を取り直すように鼻を鳴らす。
「ふ、ふん。そんなもの負け惜しみですわ。今だってカレンの優勢は変わりませんもの」
その間にもカレンは再び連続突きを放った。しかし、ヤンアルは早くも眼が慣れてきたのか先ほどまでのように身をひねって大きく躱すのではなく、最小限の動きで外すようになった。
(……よし、次の突きに合わせて懐に飛び込むぞ)
カレンの攻撃を躱しながらも反撃の機会を窺っていたヤンアルだったが、狙いを定めた次の突きがピタリと宙空で止まり、その軌道を下方へと変えた。
(そのお御足、いただきます————)
上半身にのみに向かってきていた刺突が突如下半身に狙いを変化したのである。ましてや人間の眼とは左右の動きには強いが、上下の動きには反応しにくい構造のため、この下段突きは必中と思われた。
しかし————、
カレンの剣先がヤンアルのしなやかな脚を貫くと思われた刹那、その身体がトンボ返りの要領で優雅に宙を舞った。ヤンアルの背には例の紅い翼が生え、対戦相手のカレンや敵意を持つレベイアでさえも、その妖しい美しさに時が止まったように見惚れてしまった。
「ふう…………」
ヤンアルは身体から体重というものが消え去ってしまったかのように軽やかに着地した。
「さすがだな、カレン。今のは危なかった。翼は使う気はなかったのだが、見事に使わされてしまった」
「……お褒めに預かり、光栄でございます」
内心では動揺しているものの、カレンはそのことを噯気にも出さず答えた。しかし、ヤンアルはせっかく出した翼を消してしまう。
「……なぜ翼を消してしまわれるのですか……?」
「別の技を使わせてもらおうと思う」
「別の技?」
「うん。お前が自己強化しているのなら、私もそうしてみる」
「————は?」
呆気に取られて訊き返したカレンにヤンアルは軽く笑みを浮かべてうなずくと、眼を閉じて掌を天に向けた。
「何を————」
————コォォォォォォ……
不思議な呼吸法と共にヤンアルの下腹部の辺りから淡い紅き光が帯び始める。
「あ、あれは、まさかカレンと同じバフの魔法————⁉︎」
レベイアが驚きでつぶらな瞳を大きく見開かせたが、そばで審判を務めているミキは別の印象を持った。
(————いや、俺の時と同じだ。やはり呪文の詠唱をしていない……。これは魔法とは異なる系統の技術だ……!)
その間にも紅き光がヤンアルの全身を包み込み、閉じられていた瞳が開かれた。
「さて……」
軽く地面を蹴ったヤンアルの身体が一瞬にしてガレリオ邸の屋根のはるか上に到達した。
「————す、すごいな! 翼を使ってないのに軽くジャンプしただけで30メートルは跳んでるぞ!」
「…………‼︎」
ヤンアルの跳躍を見たベルが喝采し、レベイアは驚愕で絶句した。
準備運動を終え、静かに着地したヤンアルがカレンに声を掛ける。
「また待たせてしまったな。すまない、カレン」
「……いえ、これで条件は同じということでしょうか。ヤンアル様」
カレンは冷や汗を流しながらも薄っすらと笑みを見せた。




