015 『戦女神』
レイピアを握ったカレンは小刻みに身体を揺らしながら剣先でヒュンヒュンと円を描きだした。これは相手を幻惑させるのと同時に自らのリズムを整える狙いがあった。
対するヤンアルは無防備にも棒立ちのままカレンの正面に突っ立っていた。この様子にベルは心配そうな表情を浮かべる。
(……おいおい、いくらなんでも無防備すぎないか、ヤンアル? せめて身体を半身にしないと、急所が狙われ放題になるぞ……!)
ベルの心配はもっともである。人体の急所は身体の正面に集中しており、近接戦闘においては身体を半身にして相手から見える面積を減らすことはセオリーの一つと言えた。
「…………!」
突如カレンの眼が鋭さを増し、描いていた円の中から光の矢が放たれる。同時にベルが大きく口を開けた。
「ヤンア————」
「どうした、ベル?」
「————ル?」
ベルの方を振り返ったヤンアルの手にはカレンが突き出したレイピアの剣先が握られていた。
「……ふむ、やはりこの剣は刺突専用のものか。構えからも突きが主体だと予想できた。突きが来ると分かっていれば掴むのはそう難しくない」
「…………ッ」
「だが、カレン。お前の底はこの程度ではないだろう? まだ隠し玉があるはずだ」
「————!」
カレンの眼が大きく開かれ、ヤンアルは掴んでいた剣先をパッと放した。弾かれるように距離を取ったカレンはレイピアを顔の前で縦に掲げて敬意と謝意を示す。
「…………失礼いたしました。『伝説の騎士』と思われる方を相手に手の内を隠すなどという愚行、謹んでお詫びいたします」
「うん。お前の本気を見せてほしい」
「————かしこまりました」
この様子を見ていたレベイアが得意げに鼻を鳴らす。
「……ふん、レイピアを掴まれた時は驚きましたけど、カレンが本気を出せばひとたまりもないですわよ……!」
「…………!」
ベルの顔色が変わったと同時に、カレンがレイピアを掲げたまま眼を閉じ小声で詠唱を始める。
「————知恵と戦争の女神よ、我のうちに眠りし真なる力を引き出したまえ————『戦女神』!」
詠唱完了と共に発生した風圧によってベルとレベイアは思わず眼を閉じた。それは一瞬のことだったが周囲の木々を揺らすほどの凄まじい衝撃であった。
「……くっ」
風圧が収まったことを肌で確認したベルが眼を開けると、薄ぼんやりとした青白い光に包まれたカレンの姿が見えた。
「————ヤンアル様、お待たせいたしました」
「うん。よく分からないが、さっきまでとは確かに違うようだな」
「ヤンアル、気をつけろ! カレンはバッファーだ! 自分に強力なバフを掛けてるんだ!」
「ば、ばはー? ばふ……⁉︎」
聞き慣れない単語にヤンアルが訊き返した時、カレンは剣先で十字を切って再び構え直す。
「……それでは改めて参ります————ッ」
「おい! 最初に俺が言ったことを忘れてないだろうな、カレ————」
審判役のミキが声を掛けた瞬間、カレンの姿が陽炎の如く揺らめいた。
「————やはり、さすがでございます」
声のした方にベルとレベイアが顔を向けると、ヤンアルのはるか後方に立つカレンの姿があった。そこはカレンが先ほどまで立っていたところから10メートルほども離れている場所である。
「……あんなところから一瞬で駆け抜けたっていうのか————って、ヤンアルは⁉︎」
心配したベルが振り返ると、その視線はある一点に釘付けになった。
「————なるほど、これがお前の本気というわけか」
無事な様子で振り向いたヤンアルだったが、その衣服が破れ豊かな双丘があらわになっていた。レベイアが赤面しながら指摘する。
「ちょっ、何を平気な顔をされていますの⁉︎ はしたないですわ!」
「……ん、躱したつもりだったが胸のところをかすっていたか。だが、皮膚には当たっていない。問題はないから続けよう」
そう言うとヤンアルはあらわになった胸を左手で隠し、残った右手で構えて見せる。
「問題大ありですわ! お兄様からもおっしゃってください!」
「…………」
しかし、ベルは呆けたような表情でヤンアルの一部分を凝視している。それは審判役のミキも同様であった。
「……お兄様……‼︎」
「……ミケーレ……⁉︎」
レベイアとカレンに軽蔑の眼差しを向けられたベルとミキは正気に戻ったようにヤンアルから顔を背ける。
「……ヤンアル。すまないが俺の上着を渡すから、その……胸を隠してくれないか?」
「ありがとう、ベル。だが決闘で破られたものだから、お前に衣を借りるわけにはいかない」
「こちらとしても眼の保養————いや違う、眼の毒になってしまうんだ。カレンからもなんとか言ってやってくれ」
「ヤンアル様、私からもお願いいたします。このままではヤンアル様の片手がふさがってしまい、私も本気で闘えません」
「む……、カレンがそう言うなら仕方ない」
ヤンアルはベルから上着を受け取ると、破れてビリビリになった衣服を脱ぎ捨て着替えを始める。
「————今度はこちらが待たせてしまったな。さあ、再開しよう」
ベルから受け取った上着をさらしのように胸に巻いたヤンアルが高らかに言い放った。




