011 「私は好きだぞ」
ヤンアルがなんとかエスプレッソを飲み干すと、ベルが立ち上がった。
「それでは父上。可愛い妹の様子を窺ってきます」
「ああ、頼んだぞ」
ベルがヤンアルを伴って食堂を後にすると、バリアントは背後に控えるガスパールに声をかける。
「……ガスパール、彼女————ヤンアルをどう見る?」
「はい、妙齢の女性ながら中身はまるで天真爛漫な少女のようですが、それでいて佇まいには一分の隙も見当たりませんでした。ミケーレが子供扱いされた話やワイバーンを屠った話は嘘や誇張では無いかと」
「お前が相手ではどうだ?」
「ヤンアル様に敵意があれば、おそらく数手で私の命は無いでしょうな」
「……それほどのものか……!」
「はい」
ガスパールの話を聞いたバリアントはアゴに手を置いて考え込む。
「……ところで、ガスパール。彼女に渡したあの器具は『ハシ』と言っていたが、なぜ彼女がハシを使うと分かったのだ?」
「以前、文献で読んだことがあるのですが、遙か東方の地では『ハシ』と呼ばれる木の棒で食事を行うそうです」
「東方だと……?」
「はい。ヤンアル様のお顔立ちやお召し物から、そうではないかと思いまして……」
バリアントは虚空を見つめながらつぶやく。
「……『このロセリアの地に数多の災厄が降りかかる時、東の空より紅き翼を携えし一人の騎士が降臨され、その比類なき神通力によって民は救済されるであろう』か————」
「……はい、しかし『転送魔法』は失われて久しい————それこそ文献の中でしか見ることができない幻の魔法と言われております」
「…………」
このガスパールの言葉にはバリアントは何も答えなかった。
◇
「————ベル、レベイアのところに行くのか?」
ガレリオ邸の廊下を歩くヤンアルが前を行くベルに話しかけた。
「うん。多分、自分の部屋に戻っているはずだ。カレンが付いてくれているが、兄として話を聞いてあげようと思ってね」
「カレン……、あの青い髪の女か」
「そうだが、カレンがどうかしたかい?」
「いや……、ところでレベイアは何故なにも食べずに出て行ってしまったんだ?」
「…………」
ベルはその質問にはすぐに答えず立ち止まった。
「ベル?」
「————ヤンアル。この屋敷をどう思う?」
質問に質問を返された形のヤンアルだったが、キョロキョロと辺りを見回して答える。
「大きな屋敷だ。これほどの屋敷に住んでいるということは、バリアントは豪商か何かなのか?」
「ハハハ、ちょっと違うね。父上はトリアーナ県の領主さ」
「領主?」
「まあ簡単に言えば偉い地主だよ。土地を領民に貸して管理する代わりに税金を貰っているというワケさ」
「それなら分かる。要するに役人だな」
ベルは返事の代わりに微笑んだ。
「ロセリア王国には百近い領主がいるらしいが、その中でも我がガレリオ家はブッチギリの弱小なんだ」
「何故だ?」
「偉そうに領主と言っても、さらに上の立場の地主から土地を借りているようなものだからね。集めた税金の何割かを献上しなければならない」
「何かを借りているのなら対価を払うのは当然じゃないのか」
ヤンアルが言うとベルは両手を広げた。
「ところが父上は領主としては優しすぎる性格でね。貧しい領民から税を搾り取るようなことが出来ないんだよ」
「……なるほど、領民から税金を得られないとなると自分の腹を切るしかないということか」
「————その通り!」
ベルはパチンと指を鳴らしてみせた。
「そんな父上だから物心ついた時から贅沢をした記憶はない。母上はそんな領主らしからぬ質素な暮らしに嫌気がさして五年前に実家に帰ってしまった。レベイアも母上のようにこの家に嫌気がさしているんだと思う」
「だが、ベルはそんな風に見えないな」
「…………!」
ヤンアルの言葉に胸を突かれたようにベルは驚きで眼を丸くした。
「……さすがだね、ヤンアル。俺は今の暮らしに不満はない。毎日三食の食事が取れて暖かいベッドで眠れる。さらに、気の良い使用人も世話を焼いてくれて、これ以上を望むのはそれこそ贅沢というものだ」
ベルはここまで話すと、自虐的な笑みを浮かべて続く言葉を発する。
「強いて言えば、弱小領主の息子のところに嫁に来てくれる良家の娘が皆無ということくらいかな」
「良いな。私は好きだぞ、ベル」
「えっ?」
「過ぎた欲は身を滅ぼすと聞く。野生の虎も決して獲物を取り貯めはしない」
拍子抜けしたベルはボソリとつぶやく。
「……ああ、そういうことか。俺の考え方が、ってことね」
「ん? 何か言ったか? ベル」
「いーや、なんでもないさ。さあ、おしゃべりはこれくらいにして可愛い妹のところへ行こうじゃないか」
ベルは少し不機嫌そうな表情で二階への階段へ足を掛けた。




