108 ベルとティーナ
ティーナの隠れ家だという建物に入ると、中はテーブルやベッドにソファーなど必要最低限の家具が置いてあるだけの殺風景なものであった。しかし、目立つホコリや汚れなどは見られず、定期的に人の手が加わっているものと思われた。
「ガレリオ卿、そちらのベッドにヤンアルを寝かせてあげてください」
「あ、はい」
ティーナに促されたベルは強烈な頭痛に苦しむヤンアルをベッドに横たわらせた。
「ヤンアル、苦しいだろうけど休んでくれ」
「…………ッ」
ベルが優しく語りかけるもヤンアルは苦痛に顔を歪めて何も答えない。愛する女に何もしてやることができず、ベルは血が滲むほど唇を噛んだ。
「————『睡眠』」
その時、柔らかな女性の声が室内に響き、それまで額に大粒の汗を浮かべていたヤンアルの表情が穏やかなものに変わった。やがてスウスウと規則正しい寝息を立て始め、ベルも安堵の表情を浮かべる。
「ありがとうございます、マルティーナさん……‼︎」
「いえ、彼女が回復してくれないと私も困りますから。『睡眠』が効いてくれて良かった。普段のヤンアルの抵抗力であれば、いかに私の魔法でも通りませんからね」
「そうなんですね……」
ベルはホッとした様子でその場にへたり込んだ。
「ガレリオ卿。私たちも仮眠を取りましょう」
「マルティーナさん、では俺が見張りをしているので先にどうぞ」
立ち上がろうとするベルをティーナが制する。
「いえ、三人同時に取った方が効率が良いです」
「ですが……」
「心配には及びません。この農家の敷地を囲うように結界を張っておきました。何者かが結界に触れれば感知できます」
「それは頼もしいですが、無関係な旅人や鳥とか野犬が間違って触れたりする場合もあるのでは……?」
「それも問題ありません。結界と共に認知阻害の魔法も掛けていますので、魔力の低い者や動物などにはこの建物が認識できません」
「…………!」
ベルは感心した様子で改めてティーナを見遣る。
(……このマルティーナという女、頼もしすぎるな。どうやら補助系の魔法が得意なようだけど、彼女が味方になってくれて本当に良かった……!)
安心の笑みを浮かべたベルだったが、ふとあることに気がついた。
「……マルティーナさん。さっき魔力の低い者には認識できないと言われましたが、逆に言うならある程度魔法の心得がある者には————」
「————その通りです。私と同等程度の術者には普通に認識されます」
「…………!」
さらりと言ってのけるティーナにベルは言葉を失った。その様子を見たティーナはまるで教え子を諭すように口を開く。
「ガレリオ卿。今はビクビクしていても仕方がありません。休める時に休む。でなければ身体が保ちませんよ?」
「は、はい。母————」
「は?」
ティーナが眼鏡をクイッと持ち上げながら訊き返すと、ベルは慌てて手を振って弁解する。
「————い、いえ! なんでもありません! それでは休ませていただきます!」
「……どうぞ、この毛布を使ってください」
「ありがとうございます!」
ティーナの手から毛布を引ったくるように受け取ったベルは、疲れた身体をソファーに投げ出し頭から毛布をおっ被った。
(……あっぶなかったぁーーーっ! あんまりにも喋り方が似てたもんだから、思わず『母上』って呼んでしまうところだった!)
恥ずかしさで悶えるベルを横目にティーナも向かいのソファーに身体を預けてブラウンの瞳を閉じた。
◇
「————リオ卿、起きてください」
「ううん……もう少し寝させてくれ、カレン……」
「……何を寝ぼけているのです、貴方は……」
「————はっ!」
呆れた様子の女性の声に眼を覚ましたベルはソファーからずり落ちた。
「……ようやくお目覚めですか、ガレリオ卿」
「あ……はい、マルティーナさん……」
眼鏡のツルに指を掛けたお決まりのポーズでティーナが仁王立ちしており、ベルはそそくさと佇まいを正す。
「えっと……」
「今はもう日暮れです」
ティーナの言葉を聞いたベルが窓に眼を向けると、確かに日が落ちかけて部屋の中は薄暗くなっていた。
「そうだ、ヤンアルは————」
今度はベッドに眼を向けたところ、ヤンアルはいまだ深い眠りに落ちているようだった。
「彼女は自然に目覚めるのを待ちましょう。保存食しかありませんが、食事はいかがですか? ガレリオ卿」
「食事……」
食事と聞いたベルは猛烈に腹が減っていることを思い出した。テーブルにはティーナが用意してくれたであろうパンや干し肉、チーズなどが並べられていた。
「……ありがとうございます、マルティーナさん……!」
「いえ、あいにくワインはありませんが」
「そんなもの必要ありませんよ! 美味しそうだ、ご馳走になります!」
ペコリとベルが頭を下げると、ティーナはわずかに口角を持ち上げた。
ティーナとテーブルを囲ったベルがおもむろに話しかけた。
「マルティーナさん」
「はい」
「ヤンアルが眼を覚ましたら本格的に貴女からフランチェスコについて話を聞かせて欲しいのですが、その前に……」
「……? なんでしょう? ガレリオ卿」
突然口ごもるのを不思議に思ったティーナが尋ねると、ベルは意を決した様子で口を開いた。
「————俺のことは『ベル』と呼んでもらえませんか?」
「…………」
無言のティーナにベルが続ける。
「どうもガレリオ卿と呼ばれるのがこそばゆくて……」
「……確かに姓を連呼するのは好ましくないかも知れませんね。それでは、お望み通り『ベル』と呼ばせていただきましょう」
「はい! それじゃあ、俺は————」
「————ティーナと呼ばせてもらおう」
声のした方に二人が振り向くと、声の主であるヤンアルがベッドの上で半身を起こしているのが見えた。
「————ヤンアル! もう起きて大丈夫なのかい⁉︎」
ベルは持っていたパンをテーブルに放って、ヤンアルの元へ駆け寄った。
「……ああ。なんとか頭痛は治まった」
「……良かった……! 本当に良かった……‼︎」
ベルはヤンアルの手を握りしめて、整った顔をクシャクシャにした。ヤンアルはベルの嬉し涙に眼を細めて語りかける。
「ありがとう、ベル。おかげで色々と記憶を整理することが出来た」
「えっ? それじゃあ————」
ベルがオッドアイを丸くさせると、ヤンアルは憑き物が取れたような表情でコクリとうなずいた。
「……ああ、失っていた記憶を取り戻した……!」




