104 『新たなロンディーネ』
開かれた扉から現れたのは、中空に浮かぶ女のものと思われる足先であった。
怪訝な顔つきのヤンアルに対し、ベルはその靴に見覚えがあった。
(————アリーヤ……‼︎)
扉の奥からは足先からくるぶし、そして引き締まったふくらはぎがゆっくりと露わになり、次いで竜面を着けた少年に横抱きにされた燕面の女の姿が見えた。
「アリーヤ……? どうしてロンディーネの仮面を……⁉︎」
眉根を寄せてベルが声を掛けるが、アリーヤと思われる燕面の女は意識を失っているようで返事はない。
「————彼女が『新たなロンディーネ』になるのさ」
代わりに口を開いたフラーにベルとヤンアルが視線を向けた。
「な……何を言ってるんだ……⁉︎」
「そのままの意味だ。ヤンアルがロンディーネを辞めると言うのなら、彼女にその役目を引き継いでもらう」
「ふざけるな! アリーヤがそんなことを承服するわけないだろう!」
「そうだ! それにロンジュが会ったばかりのアリーヤをロンディーネと思うわけがない!」
ベルとヤンアルが相次いで否定の声を上げるが、フラーは構わずロンジュへと顔を向けた。
「ロンジュ。ロンディーネをここへ」
「はい。フラー様」
ロンジュは機械的に返事をしてアリーヤをフラーの前の祭壇に横たえた。
「ロンジュ……?」
「…………」
まるで感情を失くしたかのようなロンジュをヤンアルが呼び掛けるが、ロンジュはフラーの背後に控えて何の反応も見せない。
「————ロンジュ! 彼女はアリーヤだ! お前がロンディーネと思っていたのは私だ! 正気に戻ってくれ!」
「……嘘つきの仲間はやっぱり嘘つきなんだね。フラー様」
「な……っ⁉︎」
思いも寄らぬロンジュの返事に絶句するヤンアルを尻目にフラーは余裕の笑みでうなずく。
「フフ、そういうことだな。さて、それではそろそろ始めようか」
「待て! アリーヤに何をする気だ⁉︎」
「……つまらない質問をするな、ベル。彼女にはロンディーネになってもらうと言ったはずだ」
そう話すフラーの右手にはいつの間にかワイン色の液体が入った注射器が握られていた。
「————やめろッ! 何だ、それはッ⁉︎」
「やめるのはキミの方だ。いま血相を変えて向かって来られたら手元が狂ってしまう」
「…………ッ‼︎」
フラーの警告に飛び出そうとしていたベルはその動きを止めた。
「良い子だ、ベル。ヤンアル、キミもそこで大人しくしていろよ?」
「フランチェスコ……‼︎」
二人が立っている場所から祭壇までは10メートルほどの距離がある。いくら優れた軽功の使い手と言えど一瞬でこの距離を潰せるはずもなく、二人は歯を食いしばって拳を握ることしか出来ない。
その間にもフラーは眠るアリーヤの腕を取って、その褐色の肌に針を刺した。
「————さあ、目覚めろ……‼︎」
「やめろ————ッ‼︎」
ベルの怒号も虚しく注射器の中身が残らずアリーヤの肉体に注入された。
用済みとなった空の注射器をフラーが投げ捨てた時、静かに横たわっていたアリーヤの身体が「ビクン、ビクン」と脈打ち始めた。
「アリーヤ⁉︎」
「……動くなと言ったはずだ」
面倒くさそうにフラーが手を振ると、再び飛び掛かろうとしたベルの身体が光り輝く縄に縛られ、その動きは封じられてしまった。
「なっ……、これは『緊縛』の魔法————いや、それ以上の……⁉︎」
「……クッ……!」
苦しそうな声に視線を隣に向けると、同じく光の縄に縛られ、身体の自由を奪われたヤンアルの姿が眼に入った。
「————ヤンアル……キミも……⁉︎」
「……マル……ティーナ……!」
「…………」
二人の背後に立つティーナはヤンアルの呼び掛けにも無反応である。
「フフ、マルティーナの『結界捕縛』はかなりのレベルだ。いくらキミでも容易には破れないだろう、ヤンアル」
得意気な表情で部下の腕前を褒めたフラーは祭壇のアリーヤへと視線を移す。先ほどまで何度も跳ね上がっていたその身体は落ち着きを取り戻していたが、依然として意識は戻らずにいた。
「……ふむ。『彼女』が目覚めるまではいま少し掛かるか。それでは、それまで少し昔話でもしようか」
「昔話だと……⁉︎ そんなことよりアリーヤに注入したのは何だ⁉︎」
光の縄に縛られたベルが吠え掛かるが、フラーは余裕の笑みを崩さない。
「いずれ分かるさ。だが、この話は聞いておいて損はないと思うぞ? 何せヤンアル————キミの記憶にも繋がる話だ」
「何……⁉︎」
フラーの言葉にヤンアルは黒真珠のような眼を丸くした。




