菊田から聞いた鈴原と殿岡の話(2)
「いきなりペチンですか。何なんでしょうね」
工藤の問いに、菊田は苦笑しつつ答える。
「何なんでしょうねって、そりゃこっちが聞いてえよ。確かなことは、あいつが普通にふらふら歩いてきて、ペチンって叩いたことだけだ。それ以上のことは、全くわからねえんだ」
となると、武器を使ったのか。
「スタンガンのような武器を隠し持っていて、それを使っていた可能性はありますか?」
「それはないな。前に喧嘩でスタンガン食らったことあったけど、あれは本当に痛いんだよ。火傷みたいな感じで、思わずビクッと飛び退くんだ。でも、気絶するようなものじゃない。気絶より、痛みの方が強いんだよ。鈴原は、スタンガンを使ってなかった。これは断言できるよ」
スタンガンを食らうとは、なんとも物騒な話である。そんな常人では有り得ない体験をした菊田が、違うと断言しているのだ。これは信用していいだろう。
つまり、鈴原は武器を用いたのではない。素手で、三人を倒したのだ。それも一瞬で──
「そうでしたか。その後、ふたつのチームが抗争に突入したそうですね?」
「そう。けどな、原因は殿岡なんだよ。俺たち三人は、そのあと殿岡にボコボコにやられたんだ」
「えっ? 殿岡さんに、ですか?」
意外だった。喧嘩で菊田たちを倒したのは鈴原である。なのに、なぜ殿岡が出てくるのだろつか。
「ああ、鈴原ってのにやられた後、俺たちは殿岡の前で正座させられた。あいつの前で土下座させられた挙げ句、ひとりずつ顔面を蹴られたんだ。俺は前歯が折れただけで済んだが、小川なんか二発も蹴られたんだ。そのせいで鼻を折られて、さらに手を踏まれて甲の骨が砕けちまったんだってよ。そのせいで入院したんだぜ。殿岡の野郎、ぶっ殺してやりてえよ」
話を聞く限り、殿岡はかなりのろくでなしであるようだ。菊田も、未だに彼に対する怒りは消えていないらしい。
「それは知らなかったです。ひどい話ですね。その間、鈴原さんは何をしていたのですか?」
「なんにもしなかった。横で突っ立って、ボーッと見てただけだよ。本当に不気味な奴だった」
「本当ですね。その後、どうなったのです?」
「で、その鼻を折られた小川が完全にキレちまったんだ。その話を友だちにしたら、ジャンキーズのアタマやってた小島に伝わったんだよ。そしたら、話を聞いた小島もキレちまった。ジャンキーズのメンバーに集合をかけて、ノトーリアスを潰すことになっちまったんだよ」
「まあ、そうなりますよね」
「入院してる小川は連れていけねえから、俺も行くことになった。ただ、はっきり言って行きたくなかったんだよ」
「なぜですか?」
「さっきも言った通り、俺はあと一度パクられたら年少行きだったんだ。だから、かかわりたくなかったんだよ。ただ、俺も喧嘩の現場にいたからな。行かざるを得ないわけだよ。で、俺も一緒に行ったんだ」
「当日、ジャンキーズが百人くらい来たと殿岡さんは言っていましたが……」
嘘とはわかっているが、一応は聞いてみた。すると、菊田は笑いながら首を振る。
「んなもん、嘘に決まってんだろ。あの時、ジャンキーズのメンバーを全員集めても、四十人いくかいかないかだよ。あの日、集まってたのは二十人くらいだ。百人はいなかったのは間違いないよ。だいたい、渋谷で俺らみたいな人相の悪いのが百人も集まったら、その時点で警察呼ばれんだろうが」
確かにその通りだ。工藤は苦笑しつつ頷いた。
「そうですね。そんなことだろうと思いました」
「で、俺たちはノトーリアスの溜まり場に行ったんだ。そうしたら、あいつら完全にビビってたんだよ。まあ、向こうのアタマの村川は言い返してきたけどな。俺としては、みんなの前でもういっぺん殿岡とサシでやらせてほしかっただけだよ。その後に村川が詫び入れれば、それで済ませるつもりだった。小島がどういうつもりだったかは、わからねえけどな」
「しかし、そうはならかったわけですね」
「ああ、村川も引かねえんだよ。こりゃ戦争になるなって覚悟したら、あいつが出てきたんだ」
「鈴原さんですか?」
「そうだよ。あいつは、手近にいた奴をペチンと叩いた……いや、軽く触れただけのようにも見えたな。そしたら、バタリと倒れちまったんだ。しかも、その後に叩かれた奴が泡吹いて痙攣し始めたんだよ。あれには、さすがに目が点になっちまったな」
「殿岡さんも、同じことを言っていました。いったい何が起きたのでしょうね?」
「全くわからねえ。ただ、それがきっかけでジャンキーズは潰れちまったんだよ。その後に何が起こったかは聞いてるんだろ?」
「はい。パトカーが来たとノトーリアスの東野さんが騒ぎ立て、全員が逃げ出したと」
「ああ、その通りさ。それから、俺は怖くなったんだよ。世の中には、想像も出来ねえことをやらかす奴がいることを知った。こんなことやってたら、いつか死ぬんじゃねえかと思ったんだ。ちょうど、その時に大島って奴と会ってさ、いろいろ話したんだよ。大島は、俺にチーム抜けろって言ってきたんだ。だから、俺はジャンキーズを抜けて仕事を始めたんだよ。俺が話せるのは、これくらいだぜ」
大島という名前を聞き、工藤の頭にひとりの人物が浮かぶ。ひょっとしたら、以前に話を聞いた大島文明だろうか。念のため、それも聞いてみることにした。
「ありがとうございました。ところで……今、大島さんと言いましたね。ひょっとして大島文明さんですか?」
聞いた瞬間、菊田の目が丸くなった。
「えっ? あんた、大島を知ってるのか?」
「知ってるというほどでもないですが、彼からも話を聞いています」
「そうだったのか。俺とあいつは、中学が一緒だったんだよ。実はさ、ジャンキーズとノトーリアスがやり合った時にもいたんだ。懐かしいな。あいつ、元気だったか?」
「はい、元気そうでしたよ」
「そうか。もし時間があったら、あいつに俺の連絡先を教えておいてくれないか? 一緒に飯でも食おうって言っていてくれ」
「わかりました。伝えておきましょう」
菊田が去った後も、工藤はひとりタブレットを見ていた。画面に映っているのは鈴原だ。これは、卒業アルバムに載っていた写真である。
今、画面上にいる彼は、ひどく自信なさげな表情でこちらを見ていた。パッとしない奴、の一言で説明できる風貌だ。詰襟の学生服を着た姿は、お世辞にも魅力的とは言えない。
ややあって、工藤はタブレットを操作した。画面上には、またしても鈴原が映し出される。ただし、今度は隣に酒井清人がいた。秋野大輔と話した際に見せたものである。
こちらの画像も、印象は変わらない。実際、秋野は一目で気づいたのだ。
隣の酒井は、いかにも繁華街をうろつく陽気な若者という雰囲気である。鈴原とは、完全に真逆の雰囲気だ。どう見ても、いじめっ子の酒井といじめられっ子の鈴原という雰囲気だが、実像は違う。はっきり言うと、立場は鈴原の方が上だったようなのだ。
画面の鈴原と、殿岡や菊田の言っていた恐ろしい少年とは全く結びつかない。人は見かけによらないというが、内面の変化が外見に全く出ない……というケースは稀である。ほとんどの場合、多少なりとはいえ見た目や態度に現れるものだ。
ましてや、鈴原の変化は劇的である。たった三ヶ月ほどの間に、とんでもない方向へと進んでしまった。もはや、同一人物には思えないほどだ。にもかかわらず、二枚の画像からは違いが見えない。
これを、どう解釈すべきなのだろう。