菊田から聞いた鈴原と殿岡の話(1)
「あんた、探偵なのか。俺に何の用だ?」
菊田圭佑は、落ち着いた様子で聞いてきた。
彼は現在三十歳、妻と子供がいる。この件において、工藤が話を聞いてきた中では、比較的おとなしめの印象の人物だ。
もっとも、菊田の過去を知れば大抵の人間は唖然となるだろう。小学生の頃から、あちこちで悪さの限りを尽くしていたのだ。地元では、有名な悪ガキであった。十歳の時には、公衆トイレに放火し教護院へと入れられている。
中学生になると、手の付けられない不良少年となっていた。敵対する学校にバイクで乗り込んだり、ビルの屋上で酒盛りをするなどして何度も補導されている。
高校には何とか入ったものの、一週間も経たぬうちに喧嘩で退学になる。それからは、ドロップアウトした連中とともに夜の街で暴れまわっていた。当時、地元の不良少年たちの間では知らぬ者のない有名人だったらしい。
ジャンキーズなるチームに加入したのも、その頃だ。チーム内でも、かなり知られた存在であった。彼の喧嘩ぶりは、リーダー格からも一目置かれていたという。しかし、ノトーリアスとの抗争を機に、菊田は何を思ったかジャンキーズを抜ける。
その後は、周囲も驚くほどの変貌を遂げた。内装の会社に就職し、人が変わったかのように真面目に働き出した。今は独立して有限会社を設立し、妻とふたりの子供がいる。
工藤の目の前に座っている菊田は、かつての危険な雰囲気は薄まり、温厚そうなお父さんという印象を受ける。
「実は、とある人物について調査をしていまして……その人物が、ジャンキーズとノトーリアスの抗争に深くかかわっていたようなんです。なので、そのあたりの話を聞かせていただきたいのですが、構いませんか?」
「構わねえよ。別に隠すような話でもねえからな』
ふたりは今、駅近くのカラオケボックスにて向き合って座っていた。菊田が工藤に向ける表情には、若干の困惑がある。
工藤の方は、何事もなかったかのように話を進めていった。
「さっそくですが、あなたは昔ジャンキーズというチームに所属していたそうですね」
「ああ、そうだよ。でもな、すぐに抜けたよ。だから、ジャンキーズについて話せることは何もないぜ」
言葉遣いそのものは荒いが、口調は穏やかだ。職人などの現場で働く人間は、こうしたタイプが多い。
「あなたが、ノトーリアスにいた殿岡さんと喧嘩になった。結果、ふたつのチームが抗争状態になったと聞きました。そのあたりを、詳しく聞かせてください」
途端に、菊田の表情が僅かに歪む。あまりいい思い出ではないのだろう。
少しの間を置き、菊田は口を開いた。
「俺の仲間が、殿岡に絡まれたんだよ。あいつが、いきなり因縁つけてきたらしい」
「そうなんですか?」
思わず聞き返していた。殿岡から聞いた話とは逆である。
その反応を見て、菊田は苦笑した。
「殿岡の奴、どうせ違うこと言ってたんだろ。あいつは嘘つきだぜ」
「は、はあ、そうなんですか」
「あんたが誰の言ったことを信じるかは勝手だ。でもな、本当のことを言ってるのは俺だよ。あいつは弱そうな奴に、俺はチーマーだ! なんて言って因縁つけてたクズだぜ。他の奴らにも聞いてみな。同じこと言うから」
実のところ、似た話を他の人間からも聞いている。また、殿岡本人と直接会って得た印象も、菊田の言っていることを裏付けるものだった。
「では、殿岡さんの方から因縁をつけてきたのですね?」
「直接は見てないけどな。俺はその時、小川って奴とふたりで歩いてたんだ。そしたら、殿岡が誰かの襟首を掴んで、俺はノトーリアスだぞ! 殺すぞコラ! なんて言いながら振り回してんのが見えたんだよ。よく見たら、そのヤられてた奴が俺の友だちの近藤だった。泣きそうな顔ですみませんって謝ってたんだけどさ、あいつは止める気配がない。俺は、それ見て仲裁に入ったんだよ」
「えっ、仲裁に入ったんですか?」
意外だった。この男なら、即座に襲いかかるかと思っていた。
「そうだよ。あん時の俺は、もう一回パクられたら年少いき確定だったし、あんまり揉めたくなかった。だから、謝って済むなら済ませたかったんだよ。悪かったな、許してやってくれって言って割って入ったんだ」
年少、つまりは少年院だ。どんな威勢のいい不良少年でも、さすがに自由を奪われるのは嫌だろう。工藤は頷いた。
「なるほど。しかし、謝っても終わらなかったわけですね?」
「そうだよ。殿岡の奴、俺の襟首を掴んで言いやがった。俺はノトーリアスの殿岡だぞ! 謝って済むなら警察いらねえんだよ! って言ってきやがったんだよ。それ聞いて、俺も完全にキレちまった。あいつは背は高いが、力は弱いし喧嘩慣れしてないのもわかったからな。だから表に連れ出してボコってやった」
見た感じ、菊田の身長は百七十センチほどだろう。大きさだけ見れば、殿岡の方が上である。しかし、菊田の方がいかつい顔つきをしており、時おり目つきが鋭くなる瞬間があった。よく見ると、右眉のあたりには傷がある。喧嘩によるものだろうか。彼が過去に過ごしてきた時間が、どんなものなのかを表している。
「殿岡さんは、十人がかりでヤられたと言っていましたが、実際には何人いたのですか?」
念のため聞いてみたところ、菊田はまたしても苦笑した。
「あいつ、相変わらずフカシてるな。いたのは三人だよ。俺と、小川と近藤だけだ。しかも、あいつと喧嘩したのは俺だけだよ。路地裏でボコボコにしたら、殿岡は泣きながら土下座しやがったんだ。許してください、なんて言ってな。俺も面倒くさくなったから、これくらいで止めておいてやろうかと帰りかけたんだよ。その時、あいつが来たんだ」
「あいつというと、この人ですか?」
言いながら、工藤はタブレットを取り出した。ひとつの画像を指差す。
見た瞬間、菊田の様子が変わった。
「こいつに間違いないよ。この面だけは、忘れられねえ」
「この人の名前は、鈴原健介といいます。鈴原さんは、あなたに何をしたのですか?」
「わからねえんだよ」
それまでとはうって変わって、奥歯にものが挟まっているかのような物言いである。
「えっと、どういうことですか?」
「嘘みたいな話だが、本当にわからねえんだ。当時の俺は、何十回も喧嘩してきた。ほぼ負けなしだったけど、やっぱり上には上がいる。俺より強い奴なんか、幾らでもいることがわかるんだ。ところが、あいつだけは違うんだよ。強いとか弱いとか、そんな話じゃねえんだ。何がなんだか、未だにわからないんだよ」
「殿岡さんは、触れただけでバタバタ倒れていったと言っていましたが……」
「それは、たぶん本当だよ。俺にも、そんな風にしか見えなかった。なのに、俺は倒れてたんだよ」
言っている当人ですら、半信半疑というような口調である。
この男、喧嘩の経験は豊富らしい。ならば、その経験に照らした情報が得られるかもしれない。工藤は、さらに尋ねてみた。
「なぜ倒れたのでしょう? どんな症状が出たのか、覚えている範囲で教えていただけませんか?」
「まず、心臓がバクンって跳ね上がったような気がしたんだよ。その後は……」
そこで、菊田は黙り込んだ。眉間に皺を寄せ、当時の様子を思い出そうとする。
ややあって、再び語り出した。
「なんか、内臓がギュッと締めあげられるような感覚になって、足に力が入らなくなったんだよな。確か、そんな感じだった」
「中国拳法や古流武術には、相手の体の内臓にダメージを与える技があるそうです。鈴原さんのしたことも、それと同じものですか?」
そう、武術には発勁や鎧通しなどと呼ばれる技があるのだ。伝えられている逸話によれば、触れた瞬間に浸透力のある打撃を当て、内臓を破裂させたり骨を砕いて即死させてしまう……というようなものである。鎧を着ている者に当てれば、鎧はそのままだが内臓はダメージを受けるらしい。実際、それに近いような効果のある技を使える人も少なからず存在する。
しかし、鈴原がそんな技を会得していたとは信じがたい。
「どうだろうな。俺は、そんな技くらったことねえからわからねえよ。けどな、あいつは無造作にずんずん歩いてきて、いきなりペチンだったぜ。拳法とか武術とか、そんなものじゃなかった気がするんだよ」
果たせるかな、菊田の答えは工藤の考えを裏付けるものだった。では、別の方法だろうか。