毒はお好きですか? 浸毒の令嬢と公爵様の結婚まで
今度こそは……。
毒で倒れたライアス様が、剣を振りかざして、その刃が私を斬った。
どす黒い赤が目の前に舞う血飛沫……。
血を吐き倒れたライアス様の瞼はもう開かない。初夜のために身につけた純白のナイトドレスが真っ赤に染まり、私はベッドの上で彼に横たわるように倒れた。
♢
辺境の地。隣国との境の街は栄えており、にぎわう街の側は森に囲まれていた。その森に、一つの薬屋があった。しかし、森に佇むひっそりとした薬屋に、わざわざ人が来ることはない。
それなのに……。
「また来たのですか? ライアス様」
「何か問題が?」
「来る意味がわかりません」
薬屋の女主人は、私、ローズ・ベラルド。肩ほどの長さの灰色の髪をハーフアップにして、歳よりも小柄な私が、やって来たライアス様に呆れた様子で言う。薬の調合器具を持ったままで、ため息がでる。
訪ねてきたのが当然のように薬屋に入って来たのは、ライアス様と言う黒髪の似合う端整な顔に、背も高く目を引く容姿を持っている騎士様だ。
その彼は、誰も来ないこの森の薬屋に呆れるほど毎日のように通ってきていた。
「薬の出来具合はどうかな、と思って……」
「……時間がかかると言ったではありませんか。毎日来られても、早くできることはありませんよ」
「それだけではないんだがな……」
ボソッと呟くライアス様。彼が私に頼んだ薬は、解毒剤だ。普通の解毒剤とは違う。
出来れば、どんな毒にも効く解毒剤が欲しいらしい。でも、解毒剤は、毒によって微妙に材料が違う。万能薬にもなるえるほどの解毒剤なら、特別な材料が必要なのだけど……その材料が私のもとにあると彼は知っているのだ。
材料は竜の一部。先日、人里に害をなした竜が現れて、騎士たちによる竜退治が行われた。
その時に、回復要員として私も参加した。参加した理由は単純。竜の一部も報酬としてもらうためで……その時の騎士様の中に、このライアス様もいたのだ。
おかげで私が、解毒剤に必要な材料を持っていることが、バレてしまっている。
そのライアス様が、私になんにでも効く解毒剤を作って欲しいと仕事を頼みに来たのだ。
「客もいないから、どこか出かけるか?」
「閑古鳥で悪かったですね。そもそも、客はいつもいませんよ。それに、どこにも行きません」
「何でも買ってやるぞ? 流行りのドレスはどうだ?」
「お断りします」
「では、何が欲しい?」
「何もいりません」
欲しい物などありません。私には、やることがあるのです。
カウンターに肘をつき、足を組んで座っているライアス様が何故か私を口説こうと誘ってくる。毎日、毎日。そして、カウンターの席は通ってくる彼の定位置になりつつある。
「ふむ……物では、誘われてくれないか?」
「独り言なら他所でやってくださいよ」
目の前で調合した薬を容器に詰めている私に、彼は、困ったなぁと言わんばかりの独り言を吐き出している。その彼にこちらが困りため息を軽く吐いた。
「ライアス様……王都には、お帰りにならないのですか?」
普段は仕事で王都にいるはずの騎士のライアス様。彼は、貴族で滅竜騎士の称号も得ている。だから、竜退治にも派遣されたのだけど……。
「結婚が近いからな。しばらくは、ノルディス領にいることにした」
「そうですか……」
「気になるのか?」
「いえ、まったく。貴族なら、政略結婚もよくあることですから……」
そう言うと、先ほどの穏やかな表情と違い、真剣な眼差しでジッと見つめられる。
「結婚か……ローズは、何か欲しいものはないか? 何をしたら、一緒に出掛けてくれる?」
「お願いならあります」
「なんだ? 何でも聞こう」
「では、お帰りください」
私は、忙しいのですよ。
静かな薬屋。お帰り願った私の言葉に無言の空気が流れる。その中で、ライアス様は固まってしまっていた。
そして、髪をかき上げて間が開くと真剣な眼差しで話しかけてくる。
「君は? ローズはどうなんだ?」
「どういう意味ですか?」
「政略結婚をして何とも思わないのか?」
「……デートのお誘いなら、以前もお断りしましたよ。私も結婚が近いのです」
そうです。私も近々結婚をすることが決まっています。嫁ぐ相手は、目の前で私を口説く、このライアス・ノルディス公爵だ。
♢
翌日。
乾燥させた薬草を瓶に詰めたものを、街の薬屋へと卸した。その帰りに、お菓子屋が目につき立ち止まっていた。
美味しそう……。
店頭のショーケースに、可愛らしく並べられたお菓子を買うかどうか悩みながら釘付けになっている。その時に、耳元で声がした。
「……ローズ。どの菓子が欲しいんだ?」
「クッキーか、アップルパイか……悩んでいるんです」
クッキーも好きだけど、焼きたてアップルパイも捨てがたい。そして、ハッとした。
ジッとショーケースと睨めっこしていた私の後ろから、顔を出してライアス様が話しかけてきていたのだ。
「焼きたてアップルパイが食べたいなら、中で食べないか? クッキーや焼き菓子は持ち帰りにすればいい」
ゆっくりと後ろを振り向くと、背の高いライアス様が私の背後を取っていた。
「ライアス様……どうしてここに?」
「ローズの薬屋に行こうとしていたら、君を見かけたんだ。一緒に食べないか? 俺もちょうど小腹が空いていた」
小腹は私も空いているし、お菓子も食べたい。私に気を遣ってライアス様は自分が小腹が空いたと言っているのかもしれないけど……。
「お断りいたします」
「なら、買って帰るか? 一緒にローズの薬屋で食べないか? それとも、俺の邸に来るか?」
「どれもお断りします」
一緒に食べるわけにはいかなくて、ツンとそっぽ向いて言う。
「私は、もう帰りますので……」
せっかくお菓子を買って帰ろうと思っていたのに……邪魔しないで欲しい。仕方なくお菓子に後ろ髪を引かれる思いでその場を去るしかない。そう思うが、彼は素直に諦めなかった。
「では、一緒に……」
「一緒に帰りませんよ」
「家まで送ろう」
「結構です」
「しかし、女性を一人で帰させるわけには……」
ライアス様が悩まし気に言うけど、私はいつも一人で街に来ているのだから危険などありません!
「ライアス様。以前から何度もお伝えしていますが、頼まれた薬はまだ完成しませんし、毎日来られても困るのですよ」
「どうしてだ?」
「ですから、今お伝えした理由で、ですね……」
話がかみ合いません!!
それに、私はライアス様に情の一つも持ちたくないのです。もう振り切って逃げようかしら? そう思うと、今度は女性がライアス様の名前を叫んできた。
「ライアス様!!」
迷いなくライアス様に追突するかの如く、令嬢が抱きついてきた。そして、私を睨んでくる。
私を敵視しているような美人の令嬢は、美しい金髪に琥珀色の瞳。その彼女の肩にライアス様が手を添えて引き離した。
「オリビア。どうしてここに?」
「ライアス様がいつもいつも出掛けるので、今日は追いかけてきました!!」
すらりとした身体つきのオリビアさんは、真っ直ぐな視線をライアス様に真っ直ぐな視線を送る。
「オリビア。困ったことをしないでくれ」
「でも、せっかく街に帰ってきてくださったのに……寂しいですわ」
「なら、すぐに帰りなさい。邸なら、一人ではないだろう?」
「そういう意味ではありませんわ!!」
邸に使用人がいれば一人ではない、という意味で言ったのではないと思う。その証拠に、オリビアさんはライノス様の発言に頬を膨らまして憤慨している。
「ライアス様……送ってくださいませ。そしたら、すぐに帰りますわ」
「俺は忙しいんだよ」
何が忙しいのか……先ほどまで私をお茶に誘っていたくせに。
「ライアス様。お茶が欲しいと言われていましたよね。そちらのご令嬢と行かれてはどうですか? それに、女性を一人で帰せない的なことをいっていらしたではないですか」
「余計なことを言わないでくれないか?」
「まぁ!」とほころんだ顔をみせたオリビアさんと違い、ライアス様は私を威嚇するような表情を見せる。でも、それくらいで怯むことはない。
「では、話がついたようですので、私は失礼いたしますわ」
「ちょっと待て!!」
知りません。
私を引き留めようとするライアス様の腕にはオリビアさんがしっかりとくっついている。
ライアス様に、にこりと笑顔をつくるが、心の中は複雑だった。
引きつる顔の神経を必死で抑えて、早くどこかに行ってと願いを込めて言ったのだ。
その表情にライアス様が困ったようにオリビアさんを見ていた。
邪魔さえ入らなければ、美味しいお菓子を買って帰ったのに……残念な気持ちで踵を返して、私は二人を背後にその場を立ち去った。
残った二人がどうしたかわからないままで、一人森へと歩いていた。
複雑な気持ちだった。でも、恋人がいるなら……どうしましょうか?
でも、今さらやめられない。
そして、森の薬屋に帰ると、いつも通り自分が飲む薬をだした。
いつも通りなのに、毎回この薬を手にすると思考が止まる。苦くて、喉を突く薬。
好きで飲んでいるわけではない。
複雑な気持ちで、一気に飲み干した。
♢
ベラルド男爵令嬢のローズは、生まれる前からノルディス公爵との結婚を用意されていた。理由は、前ノルディス公爵がお父様の元婚約者と結婚したからだった。
ライアス様の父であるノルディス公爵は、事故で他界したと思われていた。そこで次のノルディス公爵になるはずだったのは、私のお父様だった。
でも、ノルディス公爵は生きており、お父様はノルディス公爵の婚約者と爵位を奪われた。
そして、お父様はノルディス公爵の一門の男爵家を継いだ。
お父様は、ずいぶんと反対したらしい。本当ならば、自分がノルディス公爵だと言って……でも、爵位には順番があるし、婚約者もノルディス公爵だからと決められた方だった。
美しいノルディス公爵の婚約者は、ライアス様のお母様。
お身体が弱くすでに他界されているけど、生前にお会いした時は、儚げな印象の美人だった。
お父様は、彼女が好きだったのだろう。
ずっと私のお母様と比べていた。その私のお母様もすでに他界している。私は遅くに授かった子供なのだ。
ノルディス公爵もすでに他界。その彼とお父様は、約束をしていた。
ノルディス公爵家に男児が産まれて、ベラルド男爵家に女児が産まれれば結婚をさせることを。そして、私とライアス様が産まれたのだ。
__真っ暗闇。目の前も私のこの先も真っ暗闇だ。
いつも通り、目が覚めれば一人暗闇にいる。そして、いつも通りに鈍い瞼を開いていく。
「ローズ。大丈夫か?」
真っ暗闇の中から、私を心配する声がした。左手はいつもと違い温かい。
「どうした? 体調が悪かったのか?」
「ライアス様……? どうして?」
私を心配して手を握るのは、ライアス様だった。
カーテンもない窓から、ゆっくりと月明かりが差していくと、彼の心痛な表情が照らされていた。
握られた手が熱い。慌てて我に返り手を振り払った。
「薬屋に来てみたら……倒れていて驚いたよ。追いかけてきてよかった」
「ストーカーみたいに、毎日来ないでくださいよ」
気だるげに身体を起こす。ふらつき痛む頭を抑えながらライアス様から目をそらした。
「別にストーカーではないんだけどな。だが、体調が悪くてデートの誘いを断ったのか? すまないことをしたな」
気付かなくて悪かったと謝るけど、ライアス様が悪いことではないとわかっている。
「……でも、お誘いをいつも断っているのは、そういうことではありませんよ」
「そうなのか? だが、次からは体調の良い時を狙おう」
何ですかねこのポジティブシンキンは!?
狙うって何ですか!?
ライアス様は気づいてないかもしれませんけど、私の結婚相手はあなたですよ!?
狙わなくても、私はあなたのものです!?
初夜の準備も滞りなく進めております!!
むしろ、ライアス様的にはまだお会いしたことない婚約者ですが、婚約者がありながら別の女性を口説くライアス様の好感度は爆下がりですよ!?
何だか話すのが、嫌になって来た。こんな時は、全てを忘れて寝るしかない。
そう思うと、ごそごそとベッドのシーツに入りなおした。
「ローズ……なぜ、ベッドに戻るんだ?」
「疲れました。ライアス様はすぐにお帰りください」
「そうなのか?」
「そうです!」
「誘っているわけじゃないのか?」
「絶対に違います!!」
私と同衾すれば、死にますよ!?
「残念だ……」と呟くライアス様はどこまで前向きなのか、
この日は、気分不良になるから薬屋も開けるつもりがなかったのですよ。
はぁ……お菓子が食べたかった……お腹もキュゥと微かに鳴った。すると、微かにガサリと音がした。
「ローズ」
「何ですか?」
「起きなくていい……これを渡したかっただけだから……」
ベッドに転がったままで身体をライアス様に向けると、彼が私にリボンのついた紙袋を見せた。間違いない。あのお菓子屋の袋だ。
「お菓子……」
「ローズが真剣に見てただろう? 好きな物が入っていると良いが……」
私がどれを買おうとしたのかわからなくて、色々買ってきたのだと慈しむように言う。
「お茶くらいなら淹れられるぞ。飲めるか? 何か薬湯でも……」
ライアス様は優しい。今も私を心配してお茶まで淹れる気だ。その優しさに、目尻に涙が浮かぶ。でも、涙など見せられなくて、シーツを勢いよく頭まで被り、身体は丸まってしまった。
「ローズ。どうした?」
「……帰ってください! ……じょ、女性の寝室に勝手に入るなんて失礼ですよ!?」
「別にかまわないと思うが……責任もとるし……倒れている女性を放置する方がどうかしていると思うんだが……」
くっ……何だか、正論を吐かれている気がする。責任は間違いなくとれるし、確かに倒れている人を放置するのは冷たい気がする。
でも……っ!
「ライアス様は、婚約者の方に悪いと思わないんですか!?」
「まったく思わないな」
悪気のないように即答されてしまった。
私が婚約者だと知らずに口説いているはず。ライアス様は婚約者の顔など知らないし、私もフルネームで名乗ってない。調べられたら困るからだ。
「ローズが妬く必要はない。でも、それだけ話せるならお茶ぐらいは飲めるな?」
「……先に薬湯を飲みます」
「そうか……」
優しい。今も私を起き上がらせてくれようとして、身体を支えてくれようと手を出してくれる。
「私に触らないでください」
「どうしてだ?」
触られたくない。私は誰にも触れられるわけにはいかないのだ。
「一人で起きられますし……婚約者の方に操を立ててます」
ライアス様の顔を見据えて言った。
すると彼は「そうか……」とだけ、複雑そうな表情で返事をした。
♢
ノルディス公爵邸。その書斎に、執事のノーグと副執事のダリルと話していた。
「ベラルド男爵の動きはどうだ?」
「何もありません。未だに姿一つ見せません。諦めたのでしょうか?」
執事のノーグは、お茶を淹れながらそう言った。
でも、そうは思えない。ベラルド男爵は、我がノルディス公爵家の一門である男爵家の一つ。
彼は、父上にノルディス公爵位を奪われて憤っていた。
その彼を何とか鎮めるために出した条件が、ノルディス公爵家とベラルド男爵家に男女の子供が生まれれば婚姻をさせるものだった。
ベラルド男爵は母上を好いていたから、余計に父上が憎らしかっただろう。
でも、母上は幼い頃より父上を好いていた。
その父上に似た俺とベラルド男爵の娘と結婚すれば、ますます爵位が遠ざかるのに、素直に結婚させるとは思えなかった。
「ライアス様と結婚させて、実権はベラルド男爵家が持つつもりで、ノルディス公爵位は諦めたのでしょうか?」
「それで満足する男とは思えないんだけどな……それに……」
副執事のダリルが、報告書を出しながら言う。
報告者には、ベラルド男爵のことが書かれているが、彼に不審な点はない。
ノルディス公爵家は、陛下の側近を代々勤めている信頼の厚い家。過去には王族が嫁いだこともある由緒正しい家柄だった。
そのノルディス公爵位を諦めるとは思えなくて、彼の動向を見張らせているのに、ベラルド男爵には何の動きもないどころか姿さえ見せないのだ。
これでは、今までと同じになってしまう。
どうしたものかと思うが、証拠もなく今は何もできない。
毒殺されることを恐れて、どんなものにでも効く解毒剤の精製をローズの薬屋に頼んだが……体調が悪そうだったローズが思い浮かぶ。
「ノーグ、何か栄養のあるスープか何かを準備しておいてくれるか?」
「かまいませんが……また、あの森の薬屋に?」
「何か問題があるか?」
「オリビア様のお機嫌が……」
「オリビアは、ほおっておけ。彼女とは結婚する気はないと伝えている。俺はベラルド男爵と父上との約束を反故にする気はない。どんな理由があってもだ」
周りには、父上同士の確執から出来た約束を果たす必要はないと何度も言われた。
それでも、彼らの名誉の為にも約束を反故にする気はない。だが、素直に甘んじる気もない。
「解毒剤の進み具合を確認に行くから、急いでスープを準備してくれ。あと何か、食べ物も頼む」
「かしこまりました。野菜たっぷりの栄養のある田舎風のスープとパンも準備しておきます。果実のシロップ漬けも持って行きますか?」
「それは良いな。保存もできるし、体調が悪い時に柑橘系はいいかもしれない」
何か欲しいものはないかと聞いても、ローズは何もねだらない。彼女は何も欲しがらないのだ。
それでも、彼女に少しでも喜んで欲しくて栄養のある食事を準備していた。
♢
森の薬屋のある森には、薬草園と呼んでいる場所がある。そこには、色んな植物を植えているのだ。白羊宮の夜に、薬草籠を持って薬草園に行くと、柔らかな風が少しだけ吹いて艶のない髪がほんの数秒だけなびいた。
今夜はけっこう明るいなぁとか思いながら、薬草採集のために座り込んだ。
ケシやポピーなど軟膏は人気で、足りない分を採集している。
乾燥させた分もそろそろ送らないといけない。
結婚まであと数日。あと少し。あと少しなの……。
思い詰めているのは、自分でもわかっている。でも、もう後戻りもできない。
思考を止めた顔を上げると、ただただ美しい三日月が浮かんでいる。
その時に、草木を踏みしめる音がした。
「ローズ?」
「ライアス様……?」
座り込んだままで振り向くと、ライアス様がこちらに歩いて来ていた。
「こんな深夜に何をやっているんだ?」
「ライアス様……何をしているんですか!? どうしてここに!?」
今日は、来なかったはず。だから、静かにひたすらに薬作りに没頭できたし、平和な一日だった。
「昼は、少し忙しくて来られなかったから……」
「だからと言って、こんな深夜に来る人がありますか!」
日中に会う約束なんてしてなかったはず。むしろ、気が散るから来ないで欲しいと思っているのに……なぜ、毎日当然のように通ってくるのですかね!?
「少し遅くなって悪かった。もう少し早い時間に来るつもりだったが……」
約束していたかのように私の隣に腰を降ろすライアス様が、変な人にしか見えない。毎日歓迎してないですよね!?
「身体はどうだ? まだ、顔色が悪いぞ?」
「……大丈夫です」
蒼い顔色を見られたくなくて、ツンと顔をそらした。
「……医師に診てもらうか?」
「けっこうです」
「そうか……」
顔を背けたままでいると、ライアス様の方から、がさりと何かの音がする。振り向くと、彼が持っていたバスケットから、スープらしきものが入っている瓶やパンなどを出している。
「ローズ。スープやお菓子を持って来たんだ。我が家の料理人が作ったものだが……味は保証する。食べないか?」
「……どうして……」
「どうしてこんなにするかと言いたいのか? 理由は簡単だ。君が気になるからだ」
優しくて、それでいて真剣な眼差しで私を見つめながらライアス様がそう言う。
彼の視線に、思わず照れてしまい頬が紅潮する。
「でも……私は結婚すると言いました」
「だから? 俺が好きだというのは、おかしいか?」
おかしいです。怪しすぎる。でも優しいのも本当だ。
むすっと返答に困っていると、ライアス様はくすりと笑いスコーンを出してきた。
「食べろ。ジャムもあるぞ」
「……ジャムはいりません」
「甘いものが好きかと思ったが……」
街でお菓子を凝視していた様子をライアス様はずっと見ていたらしい。
黄色い柑橘系のジャムの瓶を見せてくるライアス様からスコーンだけを受け取り、ツンと顔をそらした。私が何を食べようが関係ない。
でも、スコーンは甘すぎずちょうどいい味だった。
「美味いか?」
「ええ。腕のいい料理人なのですね」
「気に入ってくれてよかった」
イケメン顔でにこりとされても、私はほだされませんよ。
ただ、ちょっとしてやられた感があるだけです。
「スープはどうだ? 皿は持ってきてないから、そのまま食べられるか?」
「……いただきます」
スープの瓶には、瓶のサイズに合わせたかのようにアスパラガスがちょうどいいサイズで立っている。それをジャムに使うつもりで持って来たらしいスプーンでスープをいただく。
「ローズ。今度デートしないか?」
「何度もお断りしていますけど? それに、人前に出たくないのです」
「なら、邸に招待する。庭園もあるし、小さいが湖もあるぞ」
知ってます。聞いたこともあるし、ループの中でノルディス公爵邸に行ったことがありますからね。
ノルディス公爵家はお城のようなお邸で、王族が滞在することもあるとか……お父様は、その公爵家が欲しいのですよ。
お父様のことを思い出すと、思わず眉根にシワがよる。
「どうした?」
不思議そうな顔で私を見る顔は心配しているようにも見える。
自分のことを悟られないように、何でもないと言ってスープを黙々と食べた。
「……ありがとうございます」
「気にするな。体調が悪ければ、このまま俺の邸に来るか?」
「お断りです」
邸の誰かが私を知っていたらどうするんですか。知らなくても、顔なんて覚えられないのが賢明です。
「でも、何かお礼をしますね。傷薬でも持って帰られますか? それとも……」
「……キスは?」
そう言って、私の頬に手を伸ばしてきた。
「……死にたいのですか?」
「キスで死ぬのか?」
「さぁ……どうでしょう」
冷たい風がひゅうと流れる。月明かりだけなのに、それだけでもライアス様の真剣な表情がわかる。彼は私にそう言われても取り乱したりしない。
「……お礼が思いつきました。この瓶を使ってもいいですか?」
「かまわないが……」
ライアス様の手から離れるように身体を動かした。
そして、薬草園に植えてある白い実の付いたスズランをスープの入っていた瓶へと植え替えた。
「白い実のスズランは珍しいな」
「はい。ライアス様に差し上げます。私が育てました。結婚式に飲むと、良い事があるかもしれませんよ」
「それは……嬉しいな」
私が特別な魔法薬を使って改種した特別なスズラン。そのせいか、思わぬ効果なのか光まで放つスズランができてしまっていた。
少しだけ照れたように顔を押さえたライアス様に胸がチクンとして、俯いてしまう。そんな私をライアス様が柔らかく包み込むように抱きしめる。
「ありがとう……大事にするよ。ローズ」
「……ですから……触らないでください」
彼の熱が切ない。キュッと口を閉めて目を閉じた。この腕の中が、逞しくて温かったのだ。
♢
ローズからもらったスズランを大事に窓辺に置いていた。その部屋にノーグがお茶を持ってくる。
「ライアス様。結婚式の準備は滞りなく進んでいますが……そのスズランは?」
「ローズから頂いた。礼にバラでも送るか……」
「……大丈夫ですか?」
「なにがだ?」
「スズランの花言葉は? 珍しいスズランですが……」
「何かあるのか? スズランは贈り物にも適切ではなかったか?」
「……スズランの実には毒がありまして……」
「それは知っている。調べたからな」
「その毒入りのスズランには、『恋人以上にはなれない。友人で』という意味があるそうで……いや、白いスズランなら純粋とかの意味で渡したのでしょうけど……その場にあったからでしょうか?」
恋人以上にはなれない__。
先ほどまで、ローズを想い心満たされて眺めていたのは何だったのだろうか。
「一応毒ありのスズランかどうか調べますか?」
「そうしたいが……ローズが毒入りを渡すか?」
「やめときますか?」
「そうだな……」
どうしたものかと思うが、ローズがくれたただ一つの物。毒入りだろうが口にしなければいいのだ。
「ここに置いておくが……ローズは何を考えているのだろうな……」
さぁ? と空気を濁してノーグはお茶を置いて去っていった。
残された部屋でまたスズランを見ると、ローズが気になってしまう。いつも顔色の悪い彼女が気になっているのだ。
♢
「は? 夜会……?」
「そうだ? 友人に呼ばれているんだが……行かないか?」
この人はいったい何を考えているんでしょう。結婚式まであと二日ですよ。
結婚式前にうろうろしてどうするのでしょうか。しかも、何度も思いますけど、あなたが誘って口説いているのは、まだ見ぬ婚約者である私です。
「お断りです。私はドレスを持ってませんので……」
「それなら、心配いらない。ローズのドレスは俺が準備しよう」
「……」
呆れて眉根を寄せた。いったい何を考えているのか……。
「スズランの礼がしたいんだ」
「では、お金をください」
「金が欲しいなら、いくらでも準備するが……ローズに何かをしたい」
いつもの通りライアス様は薬屋のカウンターに座っている。そのテーブルには彼がスズランの礼だと言って持って来たバラがあるのに……。
「バラはローズのために持ってきたものだ。礼でもあるが……足りなくないか?」
バラをじっと見た意図を感づいたようにライアス様が言う。
「薬作りで忙しいので……」
「明日には出来ると言っただろう?」
「お誘いを受けるまで帰らない気ですか?」
「そうしようと思っている」
しつこいにもほどがある。
「わかりました」
「来てくれるのか?」
嬉しそうにするライアス様をしつこいと思いながら、ジッと睨んだ。
「でも、条件があります」
「ああ。何でも叶える。ローズの望む通りに……」
「良かったですわ。では、私を見つけられたらご一緒しますね」
「は?」
「ですから、夜会には行きます。でも、ご一緒には行きませんので、夜会で私を見つけてください」
「夜会で君を探せと?」
「そう言ったつもりです。私を好きなら見つけられますよね」
「当然だ」
私の出した条件に驚いたくせに自信満々で言うライアス様はやっと腰を上げた。
「では、ドレスは一緒に選びにいけないな……仕方ない。街のオートクチュールに伝えておくから、好きなドレスを選んで夜会に来てくれ」
「お値段は?」
「ローズのためのドレスを渋る男に見えるか?」
どれほど私を見つける自信があるのか……でも、この人は私を斬った男だ。
そんな人が私を見つけられるわけがない。
「……もういいです。では、ごきげんよう」
「そうする。では、明日のデートを楽しみにしてる」
デートではありません。私を見つけられたら……です。
♢
夜会当日。
煌びやかな夜会は、シャンデリアが煌々と貴族たちを美しく照らしている。
こんな世界もある。
この中で、私は異物だ。
可愛らしく、もしくは美しく着飾る令嬢たちを見れば、私はあんな風に綺麗な表情も作れない。
泣きそうになる。
「お嬢様……泣きそうですよ」
私の後ろから、軽やかな声で耳元に話しかけられた。声の主は、ベラルド男爵家の従者スノウだ。
「うるさいですわ」
「それはすみません。でも、いいんですか? 俺と一緒に来て……」
「お父様には内緒よ」
「わかってます」
お父様には、夜会に来ていることなど言えない。何をするかわからないからだ。
今は、何事もなく上手くいっているはず。予想外なのは、ライアス様が私の元に通ってくることだけ……今までのループとまったく違う。どうしてなのかわからない。
でも、今度こそ生き残るためにはやり遂げるしかない。
そのために、何度も繰り返したループで手に入れた知識を使って白いスズランの品種改良にも成功した。
何世代も待てなくて、そのための成長を促す薬も作って完成させたのだ。
「それにしても、ライアス様はお嬢様を見つけられますかね」
「無理に決まっているわ」
「そんな変装までしてくるから……嫌ならお断りすればいいのに……どうせ結婚式まであと二日なのに……」
「だって……しつこいんだもの……」
いつものローズとわからないように、髪色を変える薬を使ってピンクにしてきた。
ドレスも万が一バレないように、ライアス様の言ったオートクチュールでは用意しなかった。
「そんなに嫌なら、ライアス様を俺が結婚式まで薬で眠らせましょうか?」
「それも考えたんだけどね……」
「冗談で言ったんですけど……」
それもやったことがある。何度目かのループでライアス様を結婚式まで薬で眠らせていた。その時は、結婚式でお父様が私とライアス様をそのまま亡き者にした。
ライアス様に隙があってもダメなのだ。
殺されると結婚式の前に戻るループ。早くこのループを終わらせて逃げたい。
ライアス様との結婚は、殺される運命しかないのだ。
「お嬢様、ライアス様がお探しですよ」
スノウの一言で我に返った。視線を上げれば、ライアス様が会場を歩き回っている。
洗練されたタキシードを着こなす彼は、周りの令嬢たちの視線を集めている。それに気づいているのか、気づいてないのか……あんなに歩き回って本気で私を探しているのだろう。
でも、デートをする気はないのよね。そもそも、どうしてあんなに一生懸命なのだろうか。
今回のループでは、ライアス様とデートなどしてないし、薬屋にきても素っ気ない感じにしていた。
でも、彼はそれよりも前から、ずっと親切だった。
なんか、おかしいです。
そもそも、そんな状態で私を口説こうとしているから、ライアス様的には私などどうでもいい気がする。他に何か理由があっただろうかと考えるが、まだ何もライアス様にしてないのだから気付くはずがない。
女性に困っているようには見えないのだけど……今も、私を探しながらも令嬢に声をかけられている。そして、こちらに首が動いた。
「スノウ……」
「はい。なんでしょう?」
ライアス様に、ローズだと気づかれないようにスノウの胸に寄り掛かった。
「バルコニーに連れて行って。今夜は私のパートナーでしょ」
「向こうは、探していますけど……」
「いいの。一緒に逃げるんでしょう」
「……もちろんですよ」
スノウに肩を抱かれて、ライアス様に見つからないようにそっとバルコニーに出た。
バルコニーは冷たい風が吹き、そのせいで誰もいない。
「お嬢様。寒くないですか?」
「いいの……」
冷たい風に晒されて、このまま結婚式前に消えてしまいたくなる。
父親のせいで滅茶苦茶な人生にうんざりしている。それにあがこうとしている自分が滑稽に感じる。
「まぁ、こんなところでお風邪を引かすわけにはいきませんので、とりあえず俺の上着を……」
要らないというのに、私の肩にかけようとスノウが上着を脱ごうとした瞬間、後ろから大きな手が伸びてきた。
その手に引かれて、後ろに倒れるように誰かの胸板に支えられた。
「ローズ。見つけた」
ライアス様の男らしい声が頭の上から聞こえる。
背後ろから、滅竜騎士と呼ばれるに相応しい逞しい腕で抱かれて包まれている。
「……ライアス様」
「なんだ。驚かないのか?」
「驚いてますけど……」
「反応が薄いんだが……それよりも、その男はなんだ? 男と来るのは看過できないんだが」
「一人で来るなんて一言も言ってませんよ」
「俺が誘ったのに、男と来る必要はないだろう……しかも、髪色まで変えて……」
「見つかりたくなかったので」
淡々と話す私にライアス様は、眉間にシワを寄せた。スノウは睨まれて困っている。
「でも、賭けは俺の勝ちだな」
「仕方ないですね……でも、すぐに帰りますからね」
「……色々突っ込みたいところはあるが……とりあえず、その男は下げてくれないか?」
ライアス様がスノウを睨むと、スノウは肩をすくませて私に聞いてくる。
「どうしますか?」
「私的には、一緒にいて欲しいんだけど……」
「俺的には、まったくいらん」
ムムッとライアス様と睨みあうが、今夜は必死で私を探していた。
「仕方ありませんね……今夜は私を一生懸命に探していらしたので、お望み通りにいたしますわ。約束もしましたし……」
「そういうことだ。君は下がってくれ」
「そうですね……では、帰りましょうか」
スノウが今夜の役目が終わってホッとしたように帰ろうとすると、その瞬間にオリビアさんがライアス様に飛び込んできた。
「ライアス様ぁーー! 探しましたわ!」
「オリビア!?」
ライアス様に突撃してきたせいで、私まで軽く衝撃を感じる。
ライアス様が後ろにしがみついているオリビアさんを見下ろすと、彼女はきらきらと目を輝かしている。
というか、ライアス様こそ一人で来てなかった。
「……待って頂戴」
「どうしました?」
「私も一緒に帰るわ」
「そうですか。俺はどちらでも構いませんけど」
そう言って、スノウが足を止めて持っていたシャンパンを取り上げて飲んだ。
「ちょっと待て! 帰すのはその男だけだ!」
「ライアス様には、オリビアさんがいるではありませんか。私は察して下がります」
大体このオリビアさんも危険なのだ。
二度目のループでは、私と一緒にいるところを見られてお父様に暗殺されかけていた。
私と一緒にいるところを見られても不味いのだ。あの時は、ライアス様が一生懸命に親戚のオリビアさんを心配して探していた。
今もライアス様を見つめているオリビアさんは、私と違って可愛い。
悪い娘ではない。二度目ループの時は、街で会った私にお菓子もご馳走してくれたし……別にお菓子につられていい娘だといっているわけではないのですけどね。
「察しているなら、俺といてくれ。大体どうしてオリビアがここにいるんだ?」
「付いて来ました。珍しく夜会に行ったとお聞きしましたので」
「付いて来なくていい。俺には連れがいるんだ」
「でも、そちらの方は今すぐにでも帰りたそうですけど?」
そう言って、オリビアさんが私を可愛いらしい大きな瞳で見る。
「気のせいだ」
「気のせいではありませんよ。ライアス様。私にも都合というものがあるのですから」
「ローズ。約束を破る気か? そういうつもりなら俺にも考えがある」
「何ですか?」
「今すぐに邸に連れ帰って、閉じ込める」
「ライアス様……ろくなこと考えてませんね。それは監禁です!」
「それくらい心配なんだ。君は目が離せない」
「毎日来ないでくださいと言っていることをお忘れですか?」
「追い出されたことはない。これからも通うつもりだ」
どうしよう。まったく話が通じてない気がする。こんなにおかしな方だったとは……。
私たちのやり取りを目の当たりにして、オリビアさんは頬を膨らませている。
「……ライアス様が毎日通うなんて信じられませんわ。もうすぐで結婚しますのに……! その婚約者も未だに姿一つ現さなくて非常識ですけどね! さすが、あのベラルド男爵家の令嬢ですわ!」
公爵位に執着した我が家はノルディス公爵家の一門からは爪弾きにされている。
非常識だというオリビアさんの言っていることはごもっともだ。
「オリビア。やめろ」
「どうしてですか……ライアス様は、婚約も破棄なさらないですし……」
冷たい物言いで止められたオリビアさんは、余計に怒ってしまい、私の持っていたシャンパングラスを一瞬で取り上げて飲もうとした。
それに、背筋が凍る。
「ダ、ダメっ!! オリビアさん飲まないで……!!」
「オリビアっ!?」
先ほど、私が口をつけてしまった。そんなグラスで飲むなど……っ。
私が止めるよりも先に、グラスがライアス様の手で叩き落された。割れたグラスが音を立てて足元に散乱する。
……でも、遅かった。
オリビアさんはライアス様に注意されて不貞腐れたままでシャンパンを一気に飲み干したあとで……。
「何ですの? シャンパンぐらい、で……っ!?」
口元を抑えてオリビアさんが苦痛表情になり、背筋が凍った。
「なに……これ……はぁっ……苦し……」
「オリビア! しっかりしろ! ローズ! すぐに解毒剤を……」
「は、はい!」
意識が朦朧とするオリビアさんが倒れそうになるのを、ライアス様が抱きかかえた。
「……お嬢様。ここでは不味いです。どこかほかのところに……いや、このまま逃げた方が……」
「だめ」
このままオリビアさんをほおってはいけない。
ライアス様は、顔を青くして私をジッと見ている。その彼をしっかりと見据えた。
「……ライアス様。どこか人のいないところへ……オリビアさんに悪い噂がたってしまいます」
「ああ……俺の控え室がある。こちらだ。スノウは、グラスを片付けてくれるか。頼む」
「……もちろんそうしますけど……」
スノウが腰の暗器に手を伸ばし、怪訝な表情でライアス様を睨みつけた。
ライアス様が、スノウの名前を呼ぶなんて違和感しかない。
スノウがお父様の従者だと知っているんだ。
「大丈夫よ……何もしないで。お願い。スノウ……」
「お嬢様がそういうなら……」
スノウと別れて、騒ぎにならないようにライアス様に抱えられたオリビアさんに、懐に隠していた解毒剤を出して、彼女の口に含ませた。
オリビアさんは、ゆっくりとこくんと飲んだ。
そのまま、急いでライアス様が用意していたという控え室に行くと、薄暗い部屋の天蓋付きのベッドにオリビアさんを寝かせた。
オリビアさんの呼吸はゆっくりだ。痙攣もなく、私のグラスからの間接だから少量の毒だけで済んだのだろう。
「……オリビアさんは、これで大丈夫です」
「……助かった。感謝する」
「そうですか……この部屋は、準備していたんですか?」
「ローズを見つけたら、ここでゆっくりとしようと思っていた。君は人前に出ることを嫌っているから……」
「勝手に逢引き現場を作らないでくださいよ……」
私のために準備された部屋。今そのベッドでオリビアさんが寝ている。
複雑だった。彼女との結婚なら、ライアス様が命の危険に晒されることはないだろうに……。
でも、おかしいのですよ……。
「……何か言いたそうだな」
「聞きたいことがいっぱいできました……あなたは誰なのです。本当にライアス様ですか?」
ライアス様で間違いない。でも、そう聞かずにはいられなかった。
「そうだ……ローズ。君の婚約者のライアス・ノルディス公爵で間違いない」
薄暗い部屋で、一人掛けのソファーに腰を下したライアス様が肘掛けに肘を付いて静かに言った。
「どうして……私を知っているんですか……それに……」
「……説明する前に、ひとこと言っておくが……」
「何ですか」
「ローズ。君を助けたい。そのために、俺はここにいる」
目がじわりと潤んだ。
私を助ける。どうやって。誰も私を助けられない。
逃げるしか私には道がないのに……。
繰り返されるループ。何度も死んでいる。その中で、ライアス様が私を斬ったこともあった。
彼が私を助けようとして、結局私の毒で死んだこともあった。
「……やめて……」
「やめない。このままだと君は死んでしまう」
「どうして……お父様を調べていたんですか? それとも、私を? ……だから、毎日毎日、森の薬屋に……毒のことも知っていましたよね? だから、オリビアさんの取ったグラスを叩き落として……」
「毎日通っていたのは、君に会いたかったからだ。毒のことも知っている。君の身体が毒に侵されていることも……」
「知っているならどうして……っ」
私に触れようとしていた。死んでしまうのに、ライアス様は、私とキスもしようとしていたのだ。
「好きなら触れたいと思うのは、当然のことだ」
そう言って、ライアス様が私の手を取った。汗もにじみ出てない手には体液一つ付いてない。そのおかげでライアス様が毒で倒れることはなかった。
私の身体は毒そのものだ。結婚式の初夜に、ライアス様と交わって、彼が毒に侵された私を抱いて死ぬ。それが、お父様の要望だった。
生半可な毒は効かない。ライアス様は滅竜騎士で、それなりに毒に慣れる訓練もしているはず。周りにも気を付けているし、滅竜騎士のおかげでそこら辺の刺客では彼を暗殺できない。
油断を誘うのに一番最適なのは結婚式だ。そして、その初夜は無防備なものとなる。
だから、お父様は長年時間をかけて私の身体を毒の身体にした。
長年、毒を飲ませて身体に浸み込ませる。
そのせいで、すでに私の身体の体液は毒そのものだ。
だから、誰とも触れ合えない。
その私にライアス様の手が触れていた。
「君が好きだ」
「嫌です……このままだとライアス様が死んでしまいます。それに、スノウのことも知ってますよね。私はライアス様に彼を紹介などしてませんわ。バルコニーで、ライアス様の前でスノウの名前も呼びませんでしたもの」
「スノウのことは知っている。まさか、今夜一緒だとは知らなかったが……男といるのは感心しない。君に誰も触れて欲しくない」
「だったら手を離してください! ライアス様も男ですよ!!」
「俺以外の男という意味だ!!」
「どっちでもいいから、離してくださいよ!」
「絶対に離さんぞ!」
「何ですか!? その意地は!?」
ベッドではすやすやと静かな寝息を立てているオリビアさん。その部屋で、ライアス様に掴まれた腕を離そうと押し問答が続いている。
「離―しーてー!」
「諦めろ。君の力では無理だ」
腕が痛いほど掴まれている。こんなに強引ではなかった。
でも、彼には激情がある。私を斬り殺した時は……。
「……また、私を殺す気ですか?」
「なに……?」
「……ライアス様が、私を殺したから……」
「ローズ……?」
眉間にシワを寄せたライアス様が、困惑した表情で私を見つめる。今までにないほどの怖い顔だ。彼を恐れているわけではない。
ライアス様は、何もしてない。権力を欲しがって娘である私をこんなにしたのはお父様だ。
そして、何をやっても上手くいかず逃げられないままで何度もループを繰り返している。
出したくないのに、涙が落ちる。涙も体液で、私から涙が落ちると危険しかないのに止められることはなかった。
今度も失敗だ。それとも、今度こそはループはないのだろうか。
ライアス様が、私の涙を拭おうとする。優しい。でも、それは、私が毒の身体と知ってするのは自殺行為そのものだ。
「……触らないでください」
「……だが、何もせずにはいられない」
「私の身体は毒に侵されています。私そのものが毒なのです。だから、触れないでください」
感情が高ぶっている。実のお父様でさえ私に触れることはない。
こんな身体だから……でも、違う。こんな身体でなくともきっとお父様は私を大事な子供のように抱きしめたりしない。
それなのに、ライアス様は迷いなく私に触れるのだ。
涙が出てくる。毎日私に会いに来てくれて、お菓子や食事も持ってきてくれる。
いつも私の身体を気遣ってくれるのはライアス様だけだった。
私の身体はライアス様を殺すために用意された毒の身体なのに……。
「……また、ライアス様が死んでしまいます」
「また……? まさか……君もループしているのか?」
「どうして……ループを知って……」
涙で潤んだ顔を上げると、困惑したライアス様が私を見ている。それが、慈しむような表情に変わった。
「ライアス様?」
「……君も何度も死んでしまったのか?」
「まさか……ライアス様も、ループを? でも、そんなはずは……」
知っていたのだろうか。でも、今までそんな素振りはなくて……。
今回違っていたのは、ライアス様が結婚前から、私のもとに通って来ていた。
竜退治で貴重な材料を得たからだと思っていたけど、それが違っていたら?
自問自答しても、答えは目の前のライアス様にしかわからない。
「そんなはずはないと思っている。今までそう思っていたが……いや、何かおかしいと思っていたが……」
困惑しているライアス様がいつになく真剣な眼差しで私を見つめた。その瞳は何も知らず裏切られたと思っているような光はなくて……。
「……だから、何度も私の薬屋に通ってきていたのですか? 竜退治で出会ったのは偶然ではなかったのですか?」
「あれは違う。まさか竜退治に同行してくるなど予想外だった。仕事を理由に結婚を引き延ばして、何とか君と円満に結婚出来る方法がないか考えていたんだが……」
「まさか、それで竜退治に参加していたと?」
「元々滅竜騎士だ。誰も竜退治に召喚されたからと言って、結婚式が伸びてもおかしくないだろう」
「私だって同じです。薬師が材料目当てに参加しても不思議ではないですよ」
「今までは、君の参加はなかった。それに、ループをしている素振りもなかったと思う。ローズに違和感があったのは今回だけだ」
「……竜退治に出かけたのは、材料目当てです……何度も繰り返して解毒剤や薬を作っていました」
だから、作れる種類も増えていた。育種家のように使える植物材料の性質までも変えていって……その時に、オリビアさんが「ううーん」と寝返りをうち我に返った。
こんなところで大事な話は出来なくて、身体が思わずビクついてしまう。
「……ここでは、ゆっくりと話ができないな。オリビアは、従者に送らせよう。俺たちは、どこかに行こう」
「……では、スズラン畑に行きましょう」
本当に来るのだろうか。私はライアス様を亡き者にするためだけに結婚をするのに。そう思うと不安になってしまう。
「ローズ。君が好きだ」
ライアス様の告白に胸が痛い。それと同時に胸が高鳴った。
この人が好きで、死なせたくない。
私を慈しむライアス様の身体が熱くて、泣きたくなっていた。
♢
深夜のスズラン畑は、私が改良したせいで、淡く光り輝いていた。
光りを放つようにはしてなかったけど、なぜか光りを放っているスズランは夜に映えて美しい。
「綺麗だ……」
「魔法薬を使って、幾世代も成長を早めました」
本当なら、改良するのに何年もかかるけど、私にはそれさえも待つ時間はなかった。
「綺麗なのは、ローズだ。スズランの光が君を美しく引き立てている」
「そんなことを言う人はいません……私は、お父様にも愛されませんでした。ただの道具です。母もお父様に嫌われたくなくて、私への所業を止めませんでした」
「辛かっただろう……」
「お父様は、ライアス様を亡き者にしないと現れません。だから、私が呼んでも結婚式まで姿を見せないでしょう」
私の呼び出しなど、受けるわけもない。お父様が姿を現すのは自分の都合だけだ。
「君の父親だから、悪く言わないでおこうと思ったが……少々お灸をすえてやろう」
「……いいのですか? ライアス様が死んでしまいますよ」
「ローズ。君が好きだ。君のためならなんでもしよう」
スズランが足元に光る中で、ライアス様が私を愛おしそうに抱きしめる。
人の温もりは、ライアス様だけが私に教えてくれる。
「ローズ。一緒に死のう」
「はい……」
すぐにスノウがお父様を連れてここにやって来るだろう。
迷っている暇も止める時間ももうない。
ライアス様だけを殺しても、残った私もお父様に殺される。
だから、一緒に死のうとライアス様が私を腕の中に隠したままで言う。
ライアス様の逞しい胸板に押しつぶされそうな腕の中で、そっと彼を見上げれば、私だけを見つめている意志の強い瞳と視線が交わる。
そして、薬屋から持っていたガラスの薬瓶を開けてスズランを一粒入れて飲むと、ライアス様が私に口付けをする。
私と口付けをするということは毒を飲むことそのものだ。でも、ライアス様に迷いはなくて……。
ガラスの薬瓶は、音もなくスズランの上に落ちた。
何度もループで経験した結婚式での誓いのキスと違う。通じ合ったキスに唇から身体を震わせた。
「君が好きだよ。二度と一人にはさせない」
「はい……今度こそは……」
もしかしたら、またループが起こるかもしれない。でも、違うかもしれない。
私とライアス様のループが交差したことないし、結婚式前日にキスを交わしたことなどない。
そして、私とのキスでライアス様が苦痛に襲われて、私も自分の飲んだ薬で苦痛に襲われた。
それでも、握られた手は離せなくて、ライアス様に寄り添い、そのまま二人で倒れていた。
♢
スノウから知らせがきた。ライアス・ノルディス公爵がローズに惚れて心中を図ったと……毒に侵していたことを知ったのだろう。そして、ローズを憐れんで死んだ。
姿隠しの魔法まで使い身を隠していた理由がなくなり、急いでローズの薬屋へと行った。
スノウが案内したスズラン畑には、ローズとライアス・ノルディス公爵が手を取り合って倒れている。
光るスズランなど見たこともなく驚愕したが、それよりも感情を高ぶらせたのは、ライアスの死だった。
「旦那様……お嬢様が……」
「良くやった。愛想もない役立たずの娘かと思っていたが……まさか、ライアスを誑かせるとは……明日は結婚式ではなく、葬儀だな。すぐに公爵位を継がねば……」
笑いが腹から込み上げた。
本当ならば、自分が公爵位を継ぐはずだった。しかも、ノルディス公爵家は王侯公爵。資産も他とは比べてようもなく、格式高い公爵家だった。
それなのに、死んだと思われたライアスの父親が突然生きて帰って来た。
おかげで、自分が爵位を受け継げなかった。
ライアスが生まれると、さらに遠ざかる公爵位。そして、ライアスとローズが子供をもうければすでに私に公爵位など回ってこないだろう。
だから、二人とも亡き者にする必要があった。
「旦那様……このままでいいのですか?」
「かまわん。二人とも棺桶にでも突っ込んどけ」
「ライアス様は公爵です。お嬢様も婚約者で……」
「もう違う。ライアスの遺体を埋葬するのは、次の公爵を継いだ私だ」
スノウが怪訝な表情を見せていることすら気づかないで、倒れた二人を背後に去ろうとした。その時に、スズランが風で靡くように揺れた。
♢
自分の娘に触れることすらしない父親にライアス様が憤りを感じていた。
「……貴様には、爵位は渡せんな」
低くて怒りを込めた声音がスズランから響いた。起き上がったライアス様に振り向いたお父様が驚愕する。
「ノルディス公爵家は王侯公爵。王位継承権すら回ってくる公爵家だ。そして、現在の殿下はまだ幼い……その隙を狙う気だったか? 継承権がなくとも、殿下の側近にもなれる可能性は高く、殿下は幼いからな。だが、貴殿では城の中枢に置くことはできないな。なぜ、ノルディス公爵家の一門でありながら、側近に迎え入れられないのか、考えたことはないのか」
「男爵のままならそうだろう……だがっ……」
「違う……なぜ、俺たち側近が殿下を守っていると思うんだ。良からぬものを幼い殿下に近づけないためだ。その点で貴殿は削除されている。爵位など気にせずにいられたら良かったのに……ここまで執着するとは……ローズにまで手を出すことは、看過できない」
「……父親などと思ってませんわ」
「……まさかっ」
ライアス様の隣で起き上がった私に、お父様がさらに顔のシワを引きつらせた。
「……二人で謀ったな……飲んだのは仮死状態になる薬か……」
「そうでもしないと、臆病な貴殿は現れないからな」
ほんの少しだけの仮死状態。あの改良したスズランの実は、解毒になるように改良した。
私の身体の毒を、解毒するように作ったのだ。
ライアス様に頼まれた解毒剤を作って、最後の仕上げは、このスズランだった。
一度、ライアス様が死んだと思わせればいいのだと考えて、飲んだあとは仮死状態のようにする、呼吸さえも抑えた薬だった。
「だが、ローズに触れればどうなるか……どうやっても、ローズとは結ばれん」
「そうでもない。ローズはベラルド男爵と違い、努力家で才能に溢れている。だから、俺もローズも生きているんだよ。その解決法もすでにわかっている」
怒りと焦りを滲ませるお父様が、周りに視線を移している。
「また、逃げる気ですか? ライアス様からは、逃げられませんよ。これで私と会うこともないでしょう」
「お前など、どうでもいい」
「そうですか……私も、どうでもいいのです。ただ、自由になりたかっただけなので……」
これが最後の会話になるだろうに、お父様は何とも思わないのだろう。
周りの気配にも気付き始めているから、それだけではないのだろうけど……。
「ローズ。ベラルド男爵を捕らえるぞ」
「そうしてください……」
そう言って、ライアス様が指笛を鳴らした。
空の上と森の中に密かに隠れていた飛竜が一斉に羽ばたかせて現れた。
ライアス様が竜騎士団を、この森の薬屋に配置させていたのだ。
「スノウ……お父様を捕らえて……」
「はい。お嬢様」
「お前まで、裏切り者か!!」
「いいえ。これまで真摯に仕えました。だから、裏切ってはないのですよ……でも、お嬢様は、俺の妹の薬を昔から作ってくれていたのですよ。高くて買えなかった薬をね……おかげで、今は元気にやってます。あなたは、給金はくれたけど妹の高い薬を買うお金はくれなかったのに……でも、金をくれてたから、仕えていたでしょう。でも、お嬢様だけはダメです」
そう言って、見限ったように冷たい瞳でスノウが逃げようとするお父様を捕らえた。
それを、マントで身体を包んだ私は、ライアス様に抱かれたままで見ていた。
♢
__結婚式。
産まれた時から決められている婚約者ライアス・ノルディス公爵様との結婚。
毎回繰り返されたループで身につけた同じウェディングドレスは、何度でも美しい。
今までと違うのは、白いブーケの中にライアス様の希望で私があげたスズランを一輪追加したこと。
「お嬢様からのスズランが、よほど嬉しかったのでしょう」
「スノウ……白々しいわ」
すべてライアス様に話した。ライアス様を亡き者にするために私の毒に侵された身体のことも、何度もループを繰り返していることも……それを聞いたうえで、ライアス様は結婚してくれと言った。
「お嬢様。良かったではないですか」
スノウがにこりとして言う。それをうるさいという目つきで照れを隠して睨んだ。
でも、ふと一抹の不安がよぎる。
また死ねば、ループが起こるかもしれない。そうすれば、今のライアス様はいないかもしれない。結婚もこの先のことも賭けのように思える。
「賭けは好きじゃないのよね……」
ぽつりと呟いた。
「何か言いました?」
「いいえ。なんでもないわ」
「そうですか。では、行きましょうか」
スノウが控え室の扉を開けて、その先に進んだ。
お父様は、ライアス様が呼んだ竜騎士団に捕縛されて、すでに牢屋の中にいる。いても、私に触れることなどないから、父親と一緒にバージンロードを歩くことはなかっただろう。
でも、進んだ先で待っているライアス様は、私に手を伸ばしてくれる。
その手を取ることができずに、そっと静かにライアス様の隣に立った。
そして、結婚式が始まる。
「病める時も健やかなるときも……」
神父様が結婚の誓約を告げる。参列者のほとんどいない結婚式で結婚を誓い、ベールがあげられる。これで私はライアス様の妻になれる。
「夢のようだ……やっと、ループが終わって君がいる」
「まだ、身体の毒が解毒されていませんけどね……」
「感動しているから、水を差さないでくれないか」
そう言って、思わず笑みが零れると、ライアス様の額がコツンと当たった。