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【合作】料理は引き算

作者: 紅樹 樹《アカギ イツキ》&Ahhissya

 ヘトヘトの体を冷たいフローリングに上に投げ出して疲れを叫ぶ。叫ぶといっても、もう9時過ぎだから良心的な範囲で。


 朝から日が暮れる直前まで練習試合しまくって、こんなに陽の長い夏を呪ったことはなかった。そこから自転車で2時間は漕いだ。おかげで今晩は何も食べてないし、かといって食欲を沸き起こす体力もない。でも明日の朝練には起床即出発になりそうだから、なにか口にしておかないと午前中に餓死してしまいそうだ。


 冷蔵庫や食器棚を開けて食料を漁る体力は残ってない。ちょうどコンロの上に味噌汁の入った鍋があったからだ。棚からお椀を取り出して、蓋で挟んで放置されたままのお玉で汁をよそう。しょっぱさの中に少し甘酸っぱい匂いもある赤味噌の香りだ。


 温める時間も惜しくて、1時間以上は水分が通過していない喉に液体を一挙に流し込むとむせるのは確実なので、熱くはないがずずり、ずずりと啜って少しずつ飲むようにした。


 出汁の味が落ち着く。湯気に昇って味噌の香りが鼻腔に直接届く、ということはないが、飲んだときの味わいは大して変わらない。うまい。2時間にも及ぶ発汗で、過度に放出されていた塩分が戻ってくる味がする。


 お玉とお椀を手洗いして干し籠に入れ、シャワーを浴びてもう寝る。なんとか明日の朝食も取れそうだ。



 翌朝、カーテンからうっすらと差し込む日差しで目を覚ました。

布団から起き上がり、背伸びをしてからカーテンを開ける。

 制服に着替えて、洗面台で顔を洗い、ボサボサの髪を整えて、朝食の支度をしようと、キッチンに向かった。


 冷蔵庫から昨日の残り物の味噌汁を取り出し、コンロに掛けて加熱する。

その間にこれまた昨日の残り物のご飯と、ベーコンと目玉焼きを焼いて行く。


 味噌汁は、沸騰する手前で止めると言う母の教えに習って、少しふつふつと泡が立ち始めたところで止める。


ご飯、味噌汁、目玉焼きなどを皿に盛り付けテーブルに置き、心の中でいただきますと呟いてから、味噌汁をすすった。


 何故だか、違和感を抱いた。

 昨日薄味で作ったにも関わらず、味が濃いのだ。


 母の教えを守って、沸騰する前に止めた筈なのに。

 そう言えば、こんなことを思い出した。


 人の味覚と言うのは、その日の体調は汗の掻き具合によっても変わる。

 だから、飲食店なんかでは、夏と冬では、味付けが変わるのだと。


 それに、特別不味い訳でもないし、昨日あれだけ汗をかいたから、その分濃い味に感じるだけだろうと思い、俺はそれ以上気にすることなく、箸を進めた。



 うちの高校には学食がある。昼時になると学食利用者だけではなく、購買勢や弁当勢も食堂に集まって、ここは学校中の情報が集まるサロン、RPGで言う酒場的な場所になっている。


「今日も定食Aにするか。」

「んじゃ俺も。」


 あの3人はいつも一緒に学食に来て定食Aを頼んでいくから『エーコンビ』と呼ばれている。良いという意味の関西弁、ええ、と掛かっているそうだ。彼らが定食Bを頼んだ次の日は、大雨で休校になったという伝説がある。そしてエーコンビは俺の方にやって来た。


「隣いいか、ミスターB。」

「その呼び方やめろよエーコンビ。」

「お互い様やろがい。」

 

 なぜ俺がミスターBと呼ばれているのかは、敢えて説明せずとも分かるだろう。


「はてさて今日の定食Bは・・・はっ!?」

「お前これ俺たちのと一緒じゃねえか!」

「ふっふっふ・・・。」

「ま、まさかお前・・・!」

「今日は定食Aを頼んだというのか・・・!?」

「そのまさかだ。」


 今、この食堂のすべての会話を俺たちが握っている。普段は騒がしくて大声で喋らないと互いに話が聞こえない環境なのだが、今は静まり返っている。みんなが俺の次の言葉を待っている。大きく息を吸って、


「俺は今日、定食Aを頼んだ。」


 その宣告の刹那。


 どおおおおおおおっっ!


 と食堂が沸いた。メインディッシュが違うだけで、ご飯と味噌汁と漬け物とサラダ小鉢は共通の定食Aと定食B。そんな小さな違いが殊更ここでは、俺たちにとっては建物を揺らすほど重大な意味を持つことがあるのだ。


「これで明日は休校だな。」

「バカ、11月なのに台風が来る訳ねえだろ。」


 そんな下らない話をしながら、その後も下らない話をしていたら、いつの間にかトレイの上の食器は空いていた。味噌汁が合わせ味噌か赤味噌だったのかすら覚えてない。どうせレトルトパウチの合わせ味噌汁なんだろうけど。



「まさか、本当に台風になるとは思わなかった」

 昨日、学校の帰宅途中くらいから雲行きが怪しくなって来たからまさかと思ったら、どんどん雨足は強くなり、本当に台風が来るんじゃないかと思ったが、案の定である。


 社会人であるなら、台風が来ようが地震が起きようが出勤しなくてはならないが、それで休めるのは学生の特権であると改めて思う。


 俺は、そんな社会人達に感謝の意と少しばかりの優越感に浸りながら、もう一度まだぬくもりのある布団へと身を埋めた。


 起床すると、時計は昼を過ぎていた。

何気なくLINEを確認すると、母からで今日は頭が痛いから、代わりに夕飯ー作ってくれ、とのこと。


 正直、かなり面倒であったが、文句言われるよりはマシだと思い、仕方なく了解と言う意味のなんの可愛げのないスタンプを送った。


 十八時半頃、俺はようやく重い腰を持ち上げて母に言われた通り夕食の準備に取りかかった。


 ご飯を研いで炊飯器にセットし、その間におかずを作る。

 最後の最後まで何にしようか迷ったが、とりあえず昨日と被らなければいいや、と生姜焼にすることにした。


 生姜焼だって、一見簡単そうに見えて、これまた奥深い料理であることを、一応言っておこう。


 おかずが決まったら、味噌汁の準備に取りかかる。

 冷蔵庫の中の見るが、それ程選択肢がなさそうなので、えのきとねぎの味噌汁に決める。


 鍋に鰹出汁を入れた湯を沸かしてる間に、生姜焼の下ごしらえに取りかかる。

 塩コショウを振ってから、包丁で叩き、筋に切り込みをいれたら下処理は終わりだ。


 ちなみにこの方法は、母ではなくYouTubeの料理動画で覚えた方法である。

 最近は、料理を知らない若者でもすぐ使える方法が出回ってるから、俺みたいなズボラ人間には、非常に有難い。


 タレは、いつも使っている市販の物を使うのだが、甘さが物足りないので砂糖を一匙加える。


 お湯が沸いたら、予め切っておいたえのきとねぎを入れ、味噌を加える。


「ただいま~あー疲れた!ご飯できてるー?」


 おっと、母が帰って来た。

「もうすぐできるから、準備しといて!」

「はーい」


 母が着替えたりしているうちに、下ごしらえをしておいた生姜焼を焼き始める。


 その間に、味噌汁の灰汁を取り除けば、味噌汁は完全である。


 テーブルに出来た料理達が並び、早速食べ始める。

チラチラと母の様子を伺いながら、生姜焼をつついていると、母が味噌汁をすすった。


 結構自信があるから、不味いと言われることはないだろうと、確信していた。…のだが。


「薄い」

 まさかのジャッジだった。


 次の日の学校帰り、部活は休みで早く家に着いた。俺はまた味噌汁作りを頼まれた。冷蔵庫を開けて味噌を取り出す。喉も乾いていたので麦茶を出して手頃なコップに注いで一杯飲んだ。


 具は豆腐ともやしで十分だろ。寂しかったら乾燥ワカメを足せば良い。お湯がふつふつとしたら火を止め、味噌を溶かして出汁顆粒をざっざと投入。おたまで鍋をかき混ぜて味見する。


 ちょーどいいんじゃないか?


 そういえば昨日はレシピ動画の情報に頼りきりで味見をしてなかった。それが薄いと判断されてしまった原因の1つかもしれない。


さて。

 

「薄い。」


え。


「お兄ちゃん、私もこれ薄いと思うよ。」

「いや薄くないだろ。」

「薄いわよ。ねえお父さん?」

「う、うむ。薄いかもしれんな・・・。」


 かくして母はその味噌汁を不出来と評価した。父も俺に感謝と申し訳なさに隠し味で軽蔑が含まれた目を向けながら薄いと言って、父の意見は母に付和雷同なのでアテにならないとはいえ、妹までも薄いと評するのだから一家の意見としてはこの味噌汁は薄いのだろう。


 薄いと言われた上でもう一度味見をしてみる。うーん。自分の舌を信用するのであればやはりちょうど良いと思うのだが。


「全然薄くないじゃん。」

「いや薄いわよ。味見はしたの?」

「したし今もした。ちょうど良いじゃん。」

「いや薄いわよ。あんたの味覚、おかしいんじゃないの、病院行く?」

「なんでだよ。」


 病院を勧めてくるのは母の口癖だ。自分の気に入らない感覚の持ち主はビョーキだと決めつける。こんな自分勝手に話の土俵を病院に行くかどうかに移そうとするような大人にはなりたくない。


 しかし「なんでだよ。」と突っ込んだ時点で話の主導権は俺から手放されてしまった以上、自分も言い返して論点をずらさなければこの口喧嘩では勝てない。


「減塩しないと健康に悪いって最近言われてるじゃん。父さんだって最近お酒を我慢してるの健康診断を無事に通るためだし。血圧を心配するに越したことはないだろ父さん。」

「そ、そうだな・・・。」


 俺は日和見する父を、愉悦に隠し味で感謝と軽蔑を含んだ視線で戒めた。さあ文字通り肩身が狭くて縮む父の隣に座る母は俺の攻勢にどう反撃してくるだろうか。


「健康のために不味いものを食うのは病人なのよ。そんなに薄味が良いなら入院でもしなさい。病院食なら好きなだけ食べられるわよ。」


 僕の病院行きが確定した。勝負ありだ。負け犬が餌を味わい尽くす夕食を終え、ほとほと部屋に逃げ帰る俺は、妹に声をかけられた。


「お兄ちゃん。次に味噌汁作るとき、私も手伝うよ。」



 翌日、学校から帰って夕飯の支度をしようとしていると、エプロン姿で腕まくりを妹が張り切ってキッチンにやって来た。


「よーし!じゃあ、早速味噌汁作り開始するぞー!」


 なんでそんなに張り切ってんだ。たかが味噌汁作りだろ。


「あ、今、めっちゃ馬鹿にしたでしょ」


 心の声が漏れたのか、はたまた顔に出てたのか、妹が唇を尖らせて突っかかってくる。


「してないしてない。さー、さっさと作るぞー」


 軽くあしらいながら全然感情のこもってない声色で、味噌汁の準備に取りかかる。


 冷蔵庫を見ると、昨日と同じものが残ってたので、昨日と同じ物を使うことにした。


「じゃあ、私はお湯沸かすから、お兄ちゃんは、材料切ってね」


 って、張り切ってた割には面倒な仕事は押し付けるのかよ。


 と言いたい気持ちを押さえて、俺はワカメを切って水に付ける。


 その間にチラリと妹を見やると、もやしを入れて出汁の準備をしていているところだ。


「おい、今、何杯入れた?」

「二杯だよ?だって昨日、薄かったかし、お母さんいつもそうだったでしょ?」


 いやいや待て、そうだったかもしれないが、今の二杯はちぃとばかり多すぎやしないか?


「そんなことないってー!私の方がお兄ちゃんより上なんだから!」

 その自信は一体どこから来るんだ。


 妹は、全く気にすることなく、火を付けた。


 十分くらい経ち、湯が沸くと味噌を大さじ二杯加える。

おいおい、さっきの出汁に対して二杯はさすがに多すぎるんじゃ…。


 しかし、妹は尚も大丈夫だって!の一点張りである。

やはり、妹に任せたのは失敗だったかもと不安に襲われたが、もうここまで来ては引き返せない。


 俺は、意を決してワカメと豆腐を入れて最後の仕上げにかかる。


 豆腐に火が通ったところで、火を消すと、妹は「できた!」と自信満々な様子ではい、と俺に味見を進めて来た。


 見た目からして濃そうな色をしているが、せっかく作ったので、恐る恐る味見をしてみる。


「濃い…」

 ほらみろ、案の定だ!

「えー!そんなことないって!お兄ちゃんの味覚がおかしいんだよ!」


 妹は、またも俺の味覚を否定すると、慌てて味見をした。

 すると、先程まで明るかった妹の顔色が、どんどん陰り始めた。


 しかし、認めたくないのか、黙りこくったまま何も言わない様子に、俺はほんの細やかな仏心で何も言わないことにした。



 妹はダメだ。全く当てにならない。


「海飲んでる気分だった。」

「へー、お前の妹は料理ヘタなんだな。」

「いやミスターBも大概だろ。」

「うるせえな。」


 エーコンビとコンビニへ。昨夜までの味噌汁を巡る試行錯誤を笑い話にする学校の帰り道。店内に入って一番に目に入るポップには、新商品の名前が並んでいる。


 味のしない飴、味のしないガム、味のしないグミ、味のしない・・・。無味の食べ物が最近流行りなんだろうか。韓国語がパッケージに書かれた商品もちらちらと見かける。


「おまえらなに買う?」

「中華まん百円だとよ。」

「俺アイスにしよっかな。」

「この寒いのにか。」


 季節外れの台風が過ぎてから、町はすっかり寒くなった。突然に到来した本格的な冬による寒暖差攻撃によって風邪を引く人が増えている。俺も鼻水が止まらない。


 三人でホット飲料の陳列棚の前に立つ。ワンダの缶コーヒー、しること甘酒。午後の紅茶、ボスブラック/ラテ、緑茶やほうじ茶や玄米茶のペットボトル。棚の殆どは赤や橙や黄色といった暖色系でまとまっている。そんな中で。


「なんだこれ。」


 エーコンビの片方が一番右下にある白いパッケージのペットボトルを指差す。


「しらゆ?」

「バカ。(さゆ)って小さく読みあるだろ。」


 三人で白湯のペットボトルを手に取って片手にキャップを持ちクルクルと回して中身を調べる。何も入ってるようには見えない。


「飲んでみようぜ。」

「面白そうだしな。」


 ありがとうございまーす!を三度聞いて店の自動ドアを潜った先の駐車場で蓋を開ける。慎重に一口分を含んでみる。


「・・・お湯だな。」

「な。特に味はしないよな。」


 俺も同じ意見だ。スマホを取り出して(白湯)と調べてみる。お、どうやら単なるお湯のことらしい。検索結果を二人にも見せる。


「なんだよそれ!馬鹿馬鹿しい!」

「お湯くらい家で沸かせばいくらでも飲める。」

「確かに。わざわざ買うなら他の選ぶよな。」

「冷めたら水と同じってことだろ?」

「買ってすぐ飲まねえと光熱費が無駄だな。」


 光熱費。なんて頭良さそうな言葉使って大人の幼稚なマーケティング戦略にケチをつけたい年頃なんだ。気が大きくなった俺たちを風が冷ややかに撫でていく。


「でもこう、寒い日に飲むのいいな、何か。」


 その言葉は俺の口から出ていた。


「まあ、そうだな。」

「温かいっての、ホッとするもんな。」

「ホットだけにか。」


 また冷たい風が吹いていく。俺たちはまた、単なるお湯を飲んだ。ただのお湯の味が、今は一番飲むべき味であるように思えてきた。温かさだけが口から脳に届いてくる。


でも、


「こいつが味噌汁だとしたら、確かに薄いな。」

「は、なに言ってんだお前。」

「大丈夫か?」


「うん、何言ってんだろ、俺」

 自分でも良く分からない。

 でも俺は、その時確信めいたものを感じていた。


「つーか、今思ったけどよ、白湯って良く考えたら、レンジの隣に置いてるポットのやつじゃん!最近は白湯も金取るようになったんだな。考えたことなかったわ~」


と、エーコンビが空になった白湯のペットボトルを弄びながら揶揄する。


「なんかそう考えてみると、ケチ臭ぇよな」


 その後、俺達は白湯の商品化について語り合った。


 家に帰ると、俺は早速先程気付いたことを昇華する為に懲りずに味噌汁を作ることにした。


 なるべく、同じやり方の方がいいだろうと、冷蔵庫を開けてみると、とりあえず一人分の材料は確保できた。


「えー、お兄ちゃん、また今日もお味噌汁作んの?だったら…」


 早々に感付いた妹がやって来たが、邪魔なので、全部言い終えるのを待つことなく、キッチンから追い出した。


 この前の記憶を引っ張り出しながら、手鍋に出汁を二杯と水、もやしを入れて弱火で炊く。


 勿論二杯と言っても、昨日妹が計った二杯ではなく、この前家族から薄いと評された小匙二杯である。


 湯が沸く間、ワカメを水に戻し、豆腐を準備する。

湯が沸いたら、味噌を軽く一匙入れて、今度はこの段階で味見をする。


「このくらいだろ」

 味が整ったら、ワカメと豆腐を入れて少し火を弱めてゆっくり炊く。


 豆腐に火が通ったのを確認すると、もう一度味見をする。


 この間、家族に批評された薄味の味噌汁が出来上がった。

 だが、この時俺は、また薄いと言われてもちゃんと納得させられる術を持ち合わせていた。


「もういい救急車呼ぶ。」


 俺の味噌汁を見るなり母さんは119に電話をかけた。味覚がおかしい。うわ言を連発するので熱で頭が浮かされているのかもしれない。俺を病気と断定するには都合のいい情報だけをかいつまんで伝える。通話を終えた母さんは俺に向かって、


「どういうつもりだい。」


と静かに怒って言う。父親と妹は味噌汁以外をちびちびと忙しく食べて巻き込み事故を死んでも避けようとしている。まるで俺が負けると決まっているみたいに。


「最近流行ってる白湯ってやつあるじゃん。」

「ただのお湯じゃないの。これは味噌汁。」

「ただのお湯の味だっておいしいじゃん!」


 なんっも味や香りがない白湯だからこそ。いや白湯でないと味わえない純粋な温かみの良さを共有したいだけなんだ。なんで分かってくれないんだろう。


 俺は濃すぎる味噌汁よりも、味噌の塩っ気がある味わいの片隅に白湯の味が感じられる程度の味噌汁が好きだってのに。


「もういい。全員その白湯ちょうだい。」


 まだ夕食は始まってすらいない。母さんは誰も口を付けていないお椀を4杯全部回収して鍋に戻す。そして味噌と出汁をぱっぱっと加え、乾燥ワカメをひとつまみずつお椀に加えて、お椀のの中に味噌の熱対流が出来るくらいの濃度に手直ししたものを食卓に並べる。


「それ飲んでから続きを話しな。」


 無言のいただきますを4人で認め合って、静かな夕食が幕を開けた。俺はまず味噌汁を飲む。じゃないとこの状況から脱することはできないと思ったからだ。さてどう貶してやろうかと一口すする。俺は困った。


 特別に面白い味がするわけでもなく、感嘆するほど旨いわけでもなく、白湯のような味わいが残っているわけでもないが。これは紛れもなく味噌汁だった。味噌汁として完璧な味噌汁であり、味噌汁以上でも味噌汁いかでもない。


 こんな月並みな味わいに感動させられるなど、思ってもみなかった。


「母さん。」

「なんだい。」

「この味噌汁旨いよ。」

「ふふっ、そうでしょう?」



 それからは父さんと妹も緊張が解けたようで、家族団らんの会話が弾んでいった。


「変なこだわりはご飯を不味くするんだよ。おいしく作ることだけ考えとけばいいの。余計なことをなんも考えずに作れた料理が一番おいしいのよ。」


 その中で母さんに言われた言葉が、今も俺の記憶タイムラインの一番上に固定されている。


「だって、料理は引き算なんだから。」



 それから一年後、俺は地元の大学に合格し、妹は上京して念願の一人暮らしをすることになった。


 そんな妹が、今日、久し振りに実家に帰って来た。

家に着いたのは、夜十九時過ぎ。

 長旅で疲れ切った体を風呂で癒してから、皆で夕食を囲むことにした。


「あー、お腹空いたー!どっか食べに行こうよー」

「そんな金あるか。自炊に決まってんだろ」

「え、お兄ちゃんが作るの?あたしも手伝う!」


 やる気満々な妹であったが、妹が料理が下手だと言うことは、例の味噌汁で実証されているので、俺は力一杯拒否した。


 既に冷蔵庫にあるものは分かっているので、何を作るのかは既に決めている。

 と言うか、それしか選択肢がないと言った方が正しいかもしれない。


 俺は、ワカメとお揚げと豆腐、そして生姜焼を取り出した。


 まず、出汁を二杯入れた水を沸かず。その間にフライパンを用意して、豚肉の下ごしらえをする。

その間に、ワカメを水に戻し、油揚げを刻む。


 湯が沸くと、油揚げとワカメを入れて、味噌を大さじ一杯加える。

 一応、なんだかんだで母の言いつけを守って、沸騰する手前で止める。


 変な拘りは飯を不味くするとは言え、拘りがなさすぎるのもまた飯を不味くするのではないか、と最近思えて来た。


 生姜焼も焼けたところで、晩飯が完成だ。


「えー、お兄ちゃんのお味噌汁ー?お母さんが作ったのがいいんだけどー…」

「文句言うな。変な拘りは飯を不味くするんだぞ」

「それ、意味違くない?」

「違わない。さ、食うぞ」


 ぶつくさと文句言いながらも、妹は仕方ないと妹は味噌汁をすすった。

 すると、何かに気づいたのか、はっと息を呑んだ。


「あれ、なんか味変わった?」

「ふふん、気付いたか。俺はようやく辿り着いたのだよ、母さんの作る味噌汁にな!」


 まるで、悪魔を倒した勇者のような台詞だが、実のところ特に何をした訳でもない。

 いつも通りの味噌汁である。


「ねーねー、何したのー?」

「さーなー。その真実は、神のみぞ知るのさ」


 格好いいことを言ってはみるものの、なんてことはない。

 上京してからずっと食べ慣れない東京の濃い味な上に、色んなの物を加えた飯ばかり食べていたから、久しぶりに食べ馴染んだ薄味の料理を食べたから、美味しいと思った、ただ、それだけなんだ。


 だって、料理は引き算なんだから。

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