第四十四部
人間の純粋さと優しさに希望を抱いてみたり、人間の排他的な習性に絶望したり。
ここ最近、人間に対する見方がころころ変わって感情がもうぐちゃぐちゃだ。
やっぱりお師匠様の言う通り傍観者にならないといけない。
一面だけを見て一喜一憂するなんて馬鹿らしい。
一度冷静になって、善と悪のあらゆる面を見定めてこその裁きだ。
心身共に疲弊してうつ伏せになっていると、ベッドの端が沈み込んでぎしりと音を立てた。
「あれ、お師匠様。いつの間に?」
「今帰った。ふぅ、さすがにくたびれた」
「疲れてるのか。一体どんな用事だったんだ?」
「秘密だ」
「なんだよ、俺にも言えない用事なのか? 急に一人で出かけるから、ちょっと心配だったんだぞ?」
「くくっ、我が心配されるとはな。大した用事ではない。ちょっとした偵察だ」
「偵察? 俺も一緒じゃ駄目だったのか?」
「別に。だが、たまには一人で羽を伸ばそうと思ってな。なんだ、貴様も行きたかったのか?」
「……もういい。杞憂だったみたいだ」
仰向けから横向きに姿勢を変え、ソルシエルに背を向ける。
すると、すかさず背後から色白の腕が艶めかしく俺の腹に忍び寄ってきた。
「そう拗ねるな。ちょっとした偵察と言ったが、あれは嘘だ。ミスが許されない潜入でな、ひよっこの貴様にはちと早い」
「潜入って、どこに?」
「城の中だ」
「城の中!? 一体どうやって? もしかして、スパイみたいに隠れながら?」
「ふふっ、そんなわけなかろう。魔法を使えば鳥にでも羽虫にでもなれる」
「でも、なんで城の中に潜入する必要が?」
「王女の顔を一目拝んでやろうと思ってな。ディアクイン・アルトリンデ――あれは若い。道理で王都がこのざまなわけだ」
「何か見つけたみたいだな」
「うむ。文書を見つけた。王女は帝都に対して支援金という名目で上納金を納めている。おかしいと思わぬか? 王都より潤沢な帝都に支援金など、売国奴のすることだ。直接的な侵略は免れても、実質的には真綿で首を絞められるようにじわじわと侵されていく」
白蛇が腹から胸の方へと這い上がってくる。
やがて胸を通過し、首元を舐めるように撫で回す。
「それとな、帝都の皇帝からの手紙も見つけた。どうやらやつは魔女を――我を捜しているらしい。ソルシエルの名を継ぐ魔女を捜し出し、生死問わず身柄を引き渡せば無条件に王都の侵略をやめる。捜し出さない限り、支援金を払い続けなければならない。そんな内容だった」
「なんだ、それ。先代が処刑されてから百年以上経ってるのに、皇帝様は未だに魔女が存在すると思ってるってことかよ」
「逆もまた然り。存在しない魔女をあえて引き合いに出し、侵略の理由付けにしているとも考えられる。なんにせよ、皇帝の思惑は謎だ」
「そんな馬鹿げた条件を呑まなきゃいけないなんて……」
「所詮、戦争を避けるための小手先に過ぎぬ。だが、王女も手を打っていないわけではない。存在するかどうかも知れぬ魔女に懸賞金をかけておる。それも莫大な。くくくっ、笑えるな。これでは無策と同じ、幽霊を指名手配しているようなものだ」
「見つかればラッキー、ってくらいか。相当追い込まれてるってことだな。もし魔女がまだ存在するってことが知れ渡ったら、かなりまずいことになる」
「ふん、その時はこちらも相応の手を打てばいいだけの話。王都がどうなろうと我の知ったことではない。帝都が我を求めている理由もどうだっていい。我らには我らの成すべきことがある。そうであろう、マリア?」
首元を弄んだ手は、今度は梳くように髪の毛を上から下へと滑らせる。
ついに我慢の限界に達し、俺は節操ない手首を掴んでベッドに押しつけた。
「このセクハラ魔女! いつまで触ってんだ!」
「よいではないか。貴様の身体は手触りがたまらぬ。等価交換を望むなら、我の身体に触れてもよいのだぞ?」
「この変態……」
耳元で聞こえる息遣い。
徐々に荒くなっていく。
俺は纏わりついてくる手足に抵抗することを諦め、悟りを開いた僧侶のように無心で目を閉じた。




