アビス
◇
「——(で、会いに来たんだけど)」
予定の時刻よりやや遅れてイオンが到着すると、大型商業施設に接続された展望通路と分岐して交差点へ降りる南口と、地上直通のエスカレーターで昇降する西口公園の間のモニュメントの所に暁遊生の姿があった。明るい茶髪に紅と蒼色のオッドアイ——配信する時と同じ格好で来ているのがわりと面白かった。
・本当に彼は記憶をなくしているのか?
YES.
UWEのゼノリアリティ・アウトに、アラン・プラデシューの通信障害。
仮想現実が現実になった現代のクリティカルな部分で大きな出来事が二つあった上、その影響が日増しに拡大しているにも関わらず今も、何が起こっているか全容が頑として知れない。
真実を明らかにしなくてはいけない職業の方々もおそらく、イオンと同じように困っているであろうこの状況が大体九割方、彼のせいで引き起こされたことを考慮すれば(それは、起こした側からすれば予測できた状況なのだから)、記憶という痕跡はなくす必要があるわけだ。
今日はコスプレメイドさん——。
「——(けど、いつも……)」
白いカチューシャと革紐でツインテにして、裾がフレアしたストラップレスなミニのベアートップ(※ベアートップ——主に巨乳な女性が谷間を見せるための服で、巨乳だと谷間が見える格好を貧乳ですると? 無乳が貧乳というと貧乳に失礼ではあるが、どうなるかというとガバガバになるので、胸が乳首まで全部見える)ドレス。マリンブルーのドレスとコントラストする白いエプロンは、鎖骨のラインを見せるため肩紐を落とし、腰で結んだだけにしている。
「——(……。ボク、けっこう有名人だし。けっこうかわいいし。おしゃれ? してるつもりだけど。ボクがいても、世界の誰も気にしないんだよね。本物だなんて一生思われることないから)」
無言で周りを見ると、仮想現実がレイヤードされた周囲一帯には、連れ歩き可能なVR・イオンの個体がそれぞれ無邪気な振る舞いをしながら持ち主と歩いていく姿が散見された。なお、VRパパ活シミュレーターはゲームプレイが常時記録され、製作者にトラッキングされている。
本物も偶像——VRアイドル、最近ではVR劇場型犯罪者なので良くも悪くもだが、実在の人物とは認知されず無視される。
「(なのにっ——)」
もし、実在するとなると、『は?? 何で逮捕されていないんだ。治安はどうなってんだよ……』のようにシャバを歩くな面をされる。承認欲求が満たされることは永遠にないという現状。
人気者になる努力? 無意味だよ、と現実から笑われているような気がして若干背筋を前に折ったイオンの目前には、洗脳されているかのような人だかりがあった。彩色豊かな髪色と宗教の域に達した目と目のその輝きが尋常じゃない。
池の鯉か。
「(——ボクは実在できないのにっ。本当は何もしてないのに。ボクよりアルティメット有害でヤバいことしてる遊生が普通に元気に人気者なの……何でっ⁉︎)」
A.人気配信者だから——。押し並べて背の低い女子ばかりの人垣に囲まれ、その全員と屈託なく同時に会話しながら暁遊生は笑顔で溌剌とサインに応じたりしていた。放送事故を起こしてやろうかと思った。
「? ——」
「おお、さすがだな。ブラックラースインクリーターを買ったとは。俺も欲しかったが……どう考えても使い道がない。実に精巧なホログラムだ。まるで本物の——」
だが、イオンが早足で一気に近づき、彼の目前でブレーキした瞬間だった。主だったファン層である特定年代な美少女たちに囲まれている暁遊生に、あまりにも穏やかでない感じの絶対に何かする気満々で近寄ったイオンは急に思った。こうなることはわかっていたのだろうか、と。
そう——彼は、わかっていたはずだ。
七万人の昏倒。それを受けた仮想現実の規制と、規制に抗議して起きた未曾有の通信障害。その中で散発して見られるらしい精神疾患(?)、直接的な因果関係か不明だが、あの日、彼が何もしなければそれらが起こった現在はなかった。
つまり、それだから記憶を含む全痕跡を徹底的に消したはず、と事態は論理的な帰結を迎える。あらゆる未知を全て排除していけば、論理は必ず収束する。仮に魔法が存在しようと、人が奇跡を操れようと、原因や仕組みがわからなくてもその意図は必ず明らかにできる。
剥き出しの意図は必ず真実につながっている。彼の場合——こうなることが全て必要だったなら、それは何のためなんだ? と思った所で、向こうから近づいてきたのは喋り方からすれば大人びた雰囲気の少年だった。
年齢は高校生位で遊生と変わらないだろう。
ふわっとさせた金髪を仕上げに仕上げた髪型、スリムで筋肉質な体形で背が高く、めちゃくちゃ良い美容院に行ってそうだった。
「……」
ぱらっ、とアイスシャンパーニュの房がばらける。遊生の前に颯爽と躍り出ていたイオンに鷹揚に手を伸ばしてきた彼が、目が合うと一気に顔面蒼白になった。見た目の雰囲気とその感じが一致せず、注目の只中で戸惑っていると、一歩ノックバックしつつ見ていた遊生が生配信を切り、後を引き取った。
「あ。はい。こちらディスさんでーす……。ってことは大丈夫だよな。合流できたんだよな。いや駄目だよなッ⁉ まさかッ、本当に本物の——」
ふわっとした金髪の少年が近くにあったモニュメントに背中で激しくぶつかった。見た目には、吹き飛ばされて叩きつけられたような感じで。モニュメントの鐘を反動で激しく鳴らせながらずるずると滑り落ちる。
——『アラン・プラデシュー』が、VRでは〈イオリアフレイン〉であり、現実では実在しないとされているVRアイドル、イオンでもある。第百層へは一人で到達し、敗北。しかし何故か記憶が消えず、代わりにアバターがあの状態……誰からも認識することができない〈デッドサイレンス〉化したが、ウォーラインとの戦闘中に正常化したことにイオンはした。
そうした方が混乱がないし、本物は警察によるビル突入作戦時に行方不明だから、なりすますのに支障はない。
◇
「本物が……実在したのか⁉ すまない、先程はいきなり失礼な事をしてしまった。俺は……ディスパッチマンだ。いや、言わなくてもわかるか。二人しかいなかったものな。できるならフレンドコードをッ。いやサインをくれ。イオリアフレインが実在するなら、本物の悪のヒーローじゃないか——」
話をするために場所を移すことにすると、地下街に手頃なカフェがあったので隅のテーブルに落ちついた。その間に様々なことがあった。まず、鐘の鳴り響く人垣にザコ敵が出たので、自分と二人を抜け出させるのにブラックラースインクリーターの機能をフル活用し、バッテリーが予備分も含めて切れた。
一々説明するのも面倒で——二人と周囲の人間全員をブーストし、スペックを完全に使い切った。限界性能がトライアルできていなかったせいで、最初の店についてブーストを解くとシステムがダウン。機体が墜落炎上し、店の人には『777が当たったよ! この残骸にボクがサインを入れて……あげるからこれで弁償してね⁉︎』と、ごまかしてやっと脱出した。今、二軒目にいて、店の表には機体配送車のレプリケーターが唸りを上げていた。
「ッッ、いやそうではない……そうではなかったな。本物が来ると思っていなかったんだ。俺はてっきりアラン・プラデシューがイオリアフレインの本体で、VRの方は存在しないものかと。……待て。この言い方だとどっちもVRの方か」
そう。既に現実のイオンという概念は、ほとんどなくなっている。実物と相対していても今、キャラクターとしてしか認知されていない。
「とにかく……あの時はありがとう。認知してほしいので自己紹介させてくれ——こちらでは、アランと呼べばいいだろうか? 俺は現実では徳川真希人という」
「え⁉」
「いや、有名な大御所様とは関係ない。先祖が勝手に名乗った名だ。そんなことより事前に言っていた話は本当なのか——?」
常に背筋を伸ばした真希人は腕組みし、思索のために周囲を拒絶するかのような真剣な風情で目を伏せた。早々、空気が変わる。
急に彼の——それは、何かの辻褄があわないという、動揺を含んだ尋ね方だった。
「なるべくお互いのことを率直に話したい。——〈裏側のブラックラウンド〉に行く手段がないとは? 俺たちの認識ではあの世界はブラックラウンドの一部だった。あのアプリは、インストールしていると強制的にゲームへ招待される仕様だった。俺の場合、ある日普段通り招待されてみたらあの世界にいた。それが最初だった」
「一度行くと実績が解除されて、いつでも行かれるようになる。ゲームが始まる前にマッチングしてる所の広場、あそこに虹色のモノリスができてて、操作すると〈裏〉に転移する。転移先は一層で固定な。俺が最初に行ったのは〈表〉が閉鎖された後だった」
遊生が後を続けた。
「え⁉ ——」
「それに……〈裏側のブラックラウンド〉という呼び名は、今まで俺たちは聞いたことがない」
「じゃあ、何て」
「——〈アビス〉。あの世界で会ったプレイヤーは皆、あの世界をそう呼んでいた。裏側と聞けばそちらの方がしっくり来るが、差し支えなければ、これからも〈アビス〉と呼んでいいだろうか」
——〈深淵〉?
「もう一つ。どうしても尋ねたいことがあるんだがいいか?」
あの世界に最初に行ったのが、〈表〉が閉鎖された後。
それはそう、そうなる。遊生は言ってみれば——〈表〉が閉鎖される前のことを覚えていないのだから。それ以前から継続して出入りできる状態だったとしても、当人からすればそういう認識になる。
しかし。あの世界が今は——〈アビス〉と呼ばれているなら、その存在は秘密ではなく既に、呼称が定まる程多くの人々に共有されているのか?
確かに表は閉鎖されたが——〈ブラックラウンド〉こと、コアーズ10041には広場がまだある。確認しにいくと、未だに墓参りみたいに何人かプレイヤーが来ていて記念撮影中だった。虹色のモノリスは見当たらなかったが、半透明で黒色をしたウインドウが横から視界にフェードインする。
直剣をモチーフにした仄暗い靄を纏うウインドウ。剣刃には真希人のプレイヤーコード〈Addicted to_VS〉、イオンの〈EXES:Zodiac/No.the N〉が絡み合って銘記されている、ブラックラウンドへの招待状。
「あの世界に入る手段がないなら、僭越ながら俺が招待しよう。先程フレンドコードを貰ったしな——この招待に応じたとしても、表のブラックラウンドとは違ってバトルロイヤルは始まらない。そもそも〈裏〉の方は、最終層を目指すゲーム性になっているようだ」
目的は達した。イオンは呆然として、そのことにもしばらく気がつかなかった。これで——。
これで——あの世界に戻ることができるが。
だが、どうなっているんだ?
何か違う。
【続く】




