表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/35

間章:——桐先恋花の動揺

 ◇


「人が選択を誤るのは、一体どんな時だと思う?」

「!」


 イオンの後に続こうとした瞬間、ふわりと体が掬われる。

 温かい液体に全身が包まれ、桐先恋花が踏み出した一歩は地面を捉えられなかった。平衡感覚を失い、水中で吐き出した空気が泡になるのを見ながら、前のめりに倒れかける。


「それは大抵——自分だけが進める近道を、見つけたと錯誤してしまった時だよ」

「へ⁉︎ 噓っ……ここは仮想世界のはずでしょ⁉︎ ありえない……ッ」


 だが、それ以上に、視界に飛び込んできた光景に驚く。

 周囲は第九九層、硝子砂漠。

 硝粒が衝突してライトパーティクルを発す。倒れかけた体は全身がすっぽり入る大きさの水球に包み込まれ、電荷を帯びた屑風とは隔てられたが、前に進もうとしても爪先が地面につかなかった。

 呼吸はできたが全裸で無防備な姿のまま、何物も貫徹させない水牢の中。最終・第百層へ向かった仮想最凶と云われるアバター——イオリアフレインの視点(パーティーメンバーのカメラはシェアリングされる)で、彼女が見ているものを恋花は見た。

 ごぼっ、と口から泡が零れた。その光景を前に思わず声を上げてしまった。信じられなかった。


「現実に戻ったの……⁉︎」


 今見ているのはこの世界の第百層のはずだが、水球の中で声が声になり、息を吸い、吐くと心臓が早鐘を打ち出す。

 はっと別の可能性を思い立つが、水球の中で頭を振ると細い黒髪ツインテの束が揺らめく。


「——でもッ、それならあの会場にいるはず。少なくとも日本には! ……」


 視線を感じて、体育座りに近い格好で身を縮めると、今を実感した。自分が置かれている状況がわからず、何が起こっているのか理解が全く追いつかない。

 裏VR世界?

 それに、裏側の……?

 そもそも、まず表側のブラックラウンドを彼女は知らなかった。けれど今、イオンが見ている場所はわかる。


 夜。放電嵐に空が覆い隠され、太陽があるかないかわからないこの層とは違い、第百層は静寂した真夜中だった。

 けれど、見間違いようもない。ありえない。今、視界に現れている景色、超高層ビルディングの摩天楼は——現実のニューヨーク、マンハッタン島だ(アイドルなので仕事で行ったことがあり、ダンスの大会でも過去四度行った)。

 真夜中のブルックリンブリッジの橋上に当惑した様子でイオンが立っていた。頻りに周囲を見渡す動きで動揺が伝わる。フィールドレベルをサーチすると、出現するエネミーの危険度は最高位[Extinction Level]。


 最高クラスの攻略難度の、現実そっくりのVR世界……?

 後続が来ないのを慮ってか、イオンが肩越しに振り返った。だが橋上道路にはスクリーンがなく、この層に戻るゲートがない。


「この世界から出るには、一つ——端末を操作して普通にログアウトすればいい。だけどそれは、できないようにしてある。二つ——第一層に戻る手もある。全体マップから第一層にワープしてそこにあるゲートをくぐれば、ここに来る直前までいた世界にアバターを戻すことができる。けれど階層間のワープは、自分で行ったことのある階にしか行けない」


 肩をすくめたイオンが前方、広がる世界を注視した。そこは現実のマンハッタン島と完全に同じではないようだった。

 見ているうちに絶えず——様相が変化していく。

 まず、景色の情報密度が尋常でない。同じ場所、同じ座標に複数の異なる建物があって、重なりあいながら同時に存在しているようだ。その矛盾、同時存在する状態に耐えかねるのか、重なりあったオブジェクト同士はしばらくすると対消滅し残骸と化す。跡地にはすぐに別のビルやタワーが現れ、同じことを繰り返す。

 消滅した後に残るのは僅か一匙の凶光る粒子で、まるで凝縮したエネルギーのようだった。



「三つ——このゲームをクリアする。地球四周半もある距離を歩いて一層まで戻るより、こっちの方が簡単だよな?」



 瞬間、イオンの視界を今までなかった(橋の上に建造物があるわけないのだ……)ビルディングの内壁が遮った。

 今まではブルックリンブリッジの橋上にいたのが、急に無人のオフィスビルの窓ごしに夜景をみつめている。

 橋にオブジェクトが被ってきた……?

 ビルと橋が同座標に——同時存在していた数瞬間の後、その橋が都市全体を象徴する、絶対に在る断片だからか。後から出現したビルだけが一方的に塵と消え、周囲が元の状態に戻った。

 塵が……一匙程、橋の上に積もって残った。


「——⁉︎ 知らないって言ったじゃないっ、さっきは!」


 矛盾に気がついて恋花が身を乗り出すと、彼女が囚われた水中で——はちきれそうなほどぷっくりと膨らんだ淡いピンク色の乳首が揺れた。

 左右に分かれて真ん中が空き、寄せても谷間がつくれない大きさ。プニっと指でタッチしたらきっと全体が動き、下から板をあてがえば形が崩れないままで上向きに持ち上がる感じの然してきちんと発育のある微乳が——露わになるのも構わず、ビッと指差して指摘する。先程までの話と、脱出条件の大きな矛盾を。

 蠢く銀河の星々を柄にしたローブ、そのフードを目深に被った少年が恋花を見て、『ああ、それはどうも。よくお気づきですねぇ?』とウインクした。


「はあーんんん⁉︎ バーカ! 第百層より先に何があるかはわからないって言ったわよね。なのに——何で、その先から出られるって知ってるのよ!」


 それは第百層をクリアすると何が起こるかを知っているという言い方。知っていなければ、脱出できるとは言えない。


「何故かなんて、教えてもらうことじゃないだろう? 俺たちの生きるこの世界——現実とは、あまねく人々の無限の意志と、無数の選択で成る万魔殿だ。理解できない程にそれは複雑だが、理由のない選択は一つとしてない」

「……?」


 しかし——クリアした時に何が起こるにしろ、既に結果はわかっている。イオンは——ブラックラウンドの最凶ということは、現実の物理法則下で最凶の原理、最凶の攻撃技を所持していることを意味する。

 誰もあれには耐えられない。


「俺にも目的がある。そして、それは俺一人ではできないことだ。そのためにあらゆることをしているけど、イオリアフレインだけじゃなく君がこの世界にいるのも俺に必要だったからだ。もしもの時の備えだけどね。さぁて? 世界の複雑さから目を背けるなら、後には善悪しか残らない。この世はとても簡単になる」


 備え——?


「けれど現実はそうじゃない。俺は正義の味方じゃないが、もしもその逆だとしたら、何のためにこんなことをしているんだろうね。理由がないとは思わないでくれよ?」


【続く】



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ